草太、黒崎と語り合う

 事務所のソファーに座り、草太はじっと考えていた。その横では、ユリアがテレビを観ている。犬型のロボットと探偵の少女が悪と戦うアニメが放送されているらしい。もっとも、草太には何が何だか分からないが。

 その時、ドアホンが鳴った。すると、ユリアは目を輝かせてドアの方を見る。


「もしかしたら、美桜お姉ちゃんかもしれないな。出てみる」


 言いながら、草太は立ち上がった。今、美桜が来てくれたのだとしたらありがたい。まずは名取に電話して、中田のことを聞かなくては。

 ドアを開けると、そこに立っていたのは夏目美桜だった。相変わらず野球帽を被り、サングラスとマスクを着けている。さらに、四月だというのに全身を覆う黒いコートを着ていた。その上、なぜか両手に紙袋をぶら下げている。誰が見ても、立派な不審人物であろう。


「なあ、美桜ちゃんよう……その格好、もうちょい何とかならないか? せめてさ、マスクとサングラスは外そうよ」


 草太のごくまともなアドバイスを、美桜は無視したまま入っていく。

 ユリアの前で紙袋を置き、サングラスとマスクを外した。素顔はなかなかの美人なのに、外を出歩く時は完璧なまでに顔を隠している。本当にもったいない話だ、などと草太が考えていると、美桜は紙袋の中身を取り出した。

 そのとたん、草太は唖然となった。中に入っていたのは、子供用のシャツとパンツだったのだ。アニメの猫や、アニメのカラス天狗などがプリントされた可愛らしいものばかりである。

 だが、ユリアは違う反応をした。それらを見た瞬間、大きな目をまんまるに見開いたのだ。興奮した様子で、パンツと美桜の顔とを代わる代わる見つめる。

 すると、美桜は笑みを浮かべた。


「いいのよ、ユリアちゃん。全部、あなたのだから」


 そのとたん、ユリアは両手を挙げた。バンザイ、と言っているつもりなのだろう。その仕草はあまりにも微笑ましく、見ている草太の顔も和んでいた。だが次の瞬間、美桜が険しい表情でこちらを向く。


「何ヘラヘラしてるんですか? 小さい女の子のパンツ見てニヤニヤしてたら、変態かと思われますよ」


 キツい口調の美桜に、草太はきょとんとなった。この態度の差はなんなのだろうか。


「いや、別にそういうわけじゃ──」


「まあ、そんなことはどうでもいいです。ユリアちゃんをお風呂に入れますので、いつも通り出て行ってください」


 美桜の有無を言わさぬ態度に、仕方なく頷いた。彼女は最近、妙に強くなった気がする。これも、母性に目覚めたからだろうか。




 外に出ると、草太はスマホを取り出す。まずは、名取に電話してみた。


(おう草太か。どうしたんだ?)


 相も変わらず、横柄な態度の名取であった。草太はちょっと不快に感じながらも、出来るだけ愛想のいい声を出す。


「どうも、お疲れ様です。あのですね、中田さんのことなんですが……その後、何か新しい情報は──」


(おいおい、いくら俺でも、昨日の今日で情報が入るわけないだろうが。何かわかったら、真っ先にお前に知らせるから安心しろ)


「はあ、そうですか。ありがとうございます。そうしていただけると、本当に助かります」


 いかにも申し訳なさそうな声を出す。もっとも内心では、その見返りに何をしなくてはいけないのかを考えていた。名取という男は、ギブアンドテイクの精神が骨の髄まで染み込んでいる。同時に、ローリスク・ハイリターンの精神もだ。

 草太は近いうちに、中田の情報に対する代価を払わされることになるだろう。もっとも、名取はヤクザほど悪どくはない。付き合いやすい男であるのは確かである。


(しかし変だな。お前、なんで中田にこだわるんだよ?)


 名取からの問いに、思わず顔をしかめた。この男には、ユリアのことを知られたくなかった。いずれは知られてしまうだろうが、今は黙っていた方がいい。


「仕事があるのかないのか、はっきりさせて欲しいんですよ。後々になって、いきなり仕事を頼まれても困りますしね。何せ、中田さんは怖い人ですから」


 言ったとたん、名取の愉快そうに笑う声が聞こえた。


(しょうがねえ奴だな、お前は。いざとなったら、俺んところに来いよ。なんとかしてやるから)


「いやあ、それは助かりますよ。とにかく、中田さんの情報があったら教えてください」




 その後、名取の自慢話や武勇伝、さらには説教をさんざん聞かされ……ようやく解放された。気がつくと、流九公園まで来ている。

 ふと公園内を見回すと、ホームレスの黒崎がベンチに座っている。さすがに、今日は不良たちに殴られていないらしい。憮然とした表情で、下を向いている。


「よう、おっちゃん」


 声をかけ、同じベンチに座る。黒崎はちらりと草太の方を見たが、すぐに地面に視線を戻した。


「よかったなあ、今日は殴られてなくて」


 草太の軽口に、黒崎はようやく反応した。苦虫を噛み潰したような表情で、こちらを向いた。


「今日は、ユリアはいないのか」


「ああ、今は家にいる。俺の友だちの女の子が、風呂に入れてあげてるよ」


「そうか……」


 言ったきり、黒崎は黙り込んだ。草太から視線を外し、地面をじっと見つめている。考えてみれば、こんな風に黒崎と会話をしたのは初めてである。この偏屈ホームレスは、まず話しかけてこないのだ。仮にこちらから話しかけても「余計なお世話だ」などと言われるのがオチである。

 なのに今は、向こうから話しかけてきている。どういう心境の変化なのだろうか。


「ユリアは、いつまで預かっているつもりだ?」


 黒崎は、また話しかけてきた。草太は少し戸惑いながらも答える。


「さあな。そもそも、親と連絡が取れないんだよ。あんな可愛いのに……困ったもんだぜ」


 その言葉を聞き、黒崎の表情が僅かながら変化した。空を見上げ、ふうとため息を吐く。


「哀れな話だな」


「ああ、本当に哀れな話だよ」


 答えると同時に、スマホが着信を伝える。見ると事務所からだ。間違いなく美桜からだろう。


「よう、美桜ちゃん。終わったかい?」


 スマホに向かい、気楽に語る。だが、聞こえてくる声は相も変わらず裏返っていた。


(は、はい! お、お風呂終わりました! は、早く帰って来てください!)


 緊張感に満ちた声を聞き、草太は思わず苦笑した。いつになったら、美桜は電話でのやり取りに慣れてくれるのだろうか……などと思いながら立ち上がった。


「さて、そろそろ帰るとするか。おっちゃん、不良のガキ共に殴られないようにしなよ」


「余計なお世話だ。お前こそ、ユリアの面倒をしっかり見るんだぞ」


 黒崎は、草太の顔を見ようともせずに言った。愛想の欠片も無い奴だ。もっとも、この偏屈ホームレスと会話をすること自体が珍しいのである。

 ユリアの存在は、こんなところにも影響を及ぼしているのかもしれない。




 事務所に戻ると、ユリアがニコニコしながら右手をビシッと挙げる。お帰りなさい、という意味のリアクションなのだろう。

 次いで、カゲチヨものそのそ歩いてくる。草太を見上げ、にゃあと鳴いた。一応、彼を出迎える気はあるらしい。

 しかし、美桜だけは冷たい態度である。


「やっと帰って来ましたか。まったく、どこをほっつき歩いていたんだか……」


 嫌味たらしく言いながら、帰り支度をする。草太は仕方なく、ゴマをすって機嫌をとることにした。


「いやあ、美桜ちゃんにはいつも世話になりっぱなしだね。たまには、一緒に飯でも──」


「結構です」


「いや、でもさあ、ユリアのパンツ買ってもらったお礼もしたいから」


「そのことで、草太さんに言っておきたいことがあります。ユリアちゃんは、同じパンツをずっと履いてたんですよ。気づいていましたか?」


 鋭い口調の美桜に、草太はたじたじになった。ご機嫌斜めの理由はそれかもしれない。


「ご、ごめん。知らなかったよ」


「あなたは、小さな子供を預かっているんです。その自覚が足りないのではないですか? もっと気を配ってあげてください」


「う、うん。わかった。と、ところでさ……お礼に飯でも──」


「結構です」


 美桜の態度はにべもない。野球帽を被り、サングラスとマスクを着け、さっさと帰ってしまった。


「美桜お姉ちゃん、いつもああなんだよ。本当に困ったもんだね。女心は難しいねえ」


 草太の言葉に、ユリアも難しい表情を作りうんうんと頷いた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る