加納、雑魚ヤクザを一蹴する

 加納春彦は、退屈しきっていた。

 彼の目の前には、小太りの中年男が座っている。高級なブランド物のスーツを着て、高そうな腕時計やアクセサリーをやたらと身に付けていた。いかにも落ち着いて余裕たっぷり、といった様子で来客用のソファーに座っている。

 だが、この中年男の話は眠くなるくらい面白くなかった。




 加納の事務所には今、六人の男が来ている。全員が、広域指定暴力団の銀星会という組織に所属しているヤクザなのだ。

 その中でも、ひときわ態度の大きな中年男が幹部の水野良雄ミズノ ヨシオである。水野は来客用のソファーに座り、尊大な態度で加納に対峙していた。

 一方、加納はいつものようにTシャツとデニムパンツ姿である。Tシャツの胸元には、デカデカと「匍匐前進ほふくぜんしん」と書かれている。日本人離れした彫りの深い端正な顔立ちと、透き通るような肌の白さも相まって……漢字Tシャツを着ている日本文化好きな外国人と間違われることも少なくない。

 その背後には、木俣源治が控えている。こちらはプロレスラーのような巨体を黒いスーツに包み、冷酷な表情で水野たちを見下ろしている。

 水野の後ろにも、スーツ姿の若者たちが立っていた。全部で五人。もっとも木俣と比べると、明らかに役者が違っていた。彼らは、いかにも大物であるかのような態度でこちらを見ている。が、加納の目には一山いくらのチンピラの集まりにしか見えない。

 だが、それよりも気になることがある。この水野という男の顔、何かに似ているのだ。

 水野の言葉に適当に相づちを打ちながら、加納はじっくりと彼の顔を観察していた。


「加納さん……あんたは二十五歳の若さで、この流九市を仕切ってる。本当に大したもんだよ」


 そう言って、水野はゲラゲラ笑う。本当に下品な笑い声だ。この笑い声を一晩聞き続けるのと、猿の群れの真ん中でバナナを食べ続けるのと、どちらが不愉快であろうか……などと、加納は思っていた。


「だがな、あんたもそろそろ考えてみた方がいい。ウチと組めば、流九市の支配体制は磐石ばんじゃくになるんだよ。そうは思わないかい?」


 言いながら、水野は顔を近づけてきた。その口からは、実にユニークな匂いが漂っている。一番目立つのはタバコの匂いだが、他にも様々なものの入り混じった匂いがする。口を開くたび、その匂いがこちらの嗅覚を直撃するのだ。

 一度、麻薬探知犬にこの男の匂いを嗅がせてみたいものだ……などと考えていたところ、水野の表情が険しくなった。


「黙ってちゃ、わからねえだろうが。なあ、俺に任せなって。悪いようにはしねえから」


 先ほどから黙っている加納に業を煮やしたのか、口調が荒くなってきた。それに伴い、目つきも鋭くなってきている。

 その時、加納の頭に閃くものがあった。


「あっ、コイだ」


 そう、ようやくわかった。この男、鯉にそっくりだ。


「へっ?」


 加納の口から唐突に出た意味不明な言葉に、水野は訳がわからなくなったのだろう。首を捻り聞き返す。

 しかし、続いて加納の口から飛び出た言葉は、やはり意味不明なものであった。


「水野さん、あなたはこいコクという料理を食べたことがありますか?」


 言った後、くすりと笑う。それじゃ共食いだ、という言葉が続けて出かかったが、さすがにそれは抑えた。


「はあ? 鯉コク?」


 またしても、想定外の質問が飛んで来て、水野の自信に満ちた表情が崩れる。彼はどう答えればいいのか分からず、あちこちに目を泳がせる。

 一方、加納はすました表情だ。水野の狼狽える様を、じっと見つめている。本当につまらない俗物だなあ、と思った。この程度の人間が幹部になれるとは、銀星会という組織にはロクな人材がいないらしい。ただでさえ、ヤクザの成り手もどんどん少なくなっていくというのに、水野のような人間が上にいるようでは……銀星会も、先が長くないだろう。

 もっとも、加納の知ったことではないが。


「水野さん、お困りのようですので話題を変えましょう。ひとつお聞きしたいのですが、先日、この流九市で発砲事件がありました。あなたは、何かご存知ないですか?」


 狼狽する水野を見つめながら、丁寧な口調で尋ねる。

 正直に言えば、こんな男と話すことなど何もないし、話したいとも思わない。しかし、発砲事件に関する情報を何か得られるかもしれない……その考えから、加納は今日の会談を承諾したのだ。相手は、曲がりなりにも銀星会の幹部である。裏の情報も少しは知っているはずだ。

 しかし、その思いは裏切られた。


「発砲事件? 知らねえなあ。どうせ、安物の改造拳銃を手に入れたチンピラが試しに撃ってみた……そんな話じゃねえのか? こっちじゃ、よくある話だよ」


 言いながら、水野はゲラゲラ笑った。つられるかのように、後ろのヤクザたちもゲラゲラ笑う。

 その様を見て、加納は首を傾げた。今の会話のどこに笑う要素があるのか、彼には全く理解できない。拳銃を撃った、という話がそんなに笑えるのだろうか。

 ならば、この場で拳銃を撃ち、水野の体に風穴を空けたとしたら……彼らは、笑ってくれるのだろうか。


 不意に、加納は立ち上がった。テーブルの上に置かれていたリモコンを手に取り、ボタンを押す。

 直後、室内に設置されたスピーカーから、奇怪な音楽が聴こえてきた。下手くそな楽器の音色と絞め殺されたガチョウのごとき不気味な歌声、そのふたつが恐ろしいまでに破壊的な音楽を形成していた。聴く者、全ての聴覚を混乱させる音楽だ……居並ぶヤクザたちは、皆あまりの不快さに顔をしかめた。

 そんなヤクザたちの表情を見て、加納はもう一度リモコンを操作する。

 すると、奇怪な音楽は消えた。にこやかな表情を浮かべ、加納はソファーに座る。


「今の音楽を、どう思われます?」


 美しい顔に満面の笑みを浮かべ、加納は尋ねた。だが水野は、顔をしかめたままだ。


「嫌な音楽だな。上手いとか下手とかいう以前の問題だ」


 憮然とした様子で答えた。こうして見ると、本当に鯉に似ている。


「ええ、確かにこの音楽は不快なものです。聴いていて心地よくなるものではありません。ただね、僕は思うんですよ……人をここまで不快な気分にさせるというのは、それだけ存在感のある音楽なのではないでしょうか」


「はあ? あんた何を言ってるんだ?」


 鯉そっくりな顔に、困惑したような表情を浮かべる。だが、加納はお構い無しだ。


「不快なものを知ってこそ、真の快楽を知ることが出来るのではないだろうか……僕はそう思っています。なので、今回あなたと会ってみる気になりました。しかし僕にとって、あなたと出会ったことは予想以上の不快さでした。もう、耐えられません」


「何だと! このガキ、俺を舐めてんのか!」


 吠える水野だったが、加納は平然としている。顔から笑みを絶やさず語り続けた。


「どうやら、あなたも不快な気分になったようですね。あなたは不快で、僕も不快。となると、ここらでお開きにした方が良いかと思うのですが、いかがでしょう。実は、そろそろ僕の友人が来ることになっていましてね」


「はあ!? ふざけるなあぁ!」


 罵声と同時に、水野は立ち上がった。憤怒の形相で加納を睨み付ける。

 だが、加納は座ったままだった。


「おやおや、どうかしましたか?」


「てめえ、俺が誰だか分かってんのか! 俺は銀星会の水野だぞ! 俺に舐めた真似するってことは、銀星会に舐めた真似すんのと同じなんだぞ!」


 叫び、体をプルプル震わせる。すると、それまで銅像のごとく身じろぎもしなかった木俣が、初めて反応した。音もなくスッと動き、加納の横に立つ。

 百九十センチで百二十キロ、オールバックの髪型に岩のような厳つい顔の木俣は、理屈ではない凄みがある。さすがの水野もたじたじとなり、目線をあちこちに泳がせる。

 後ろに控えている若きヤクザたちも、たったひとりの木俣に対し完全に怯えていた。一応、ヤクザらしい威嚇するような表情を浮かべてはいる。しかし、足の震えは隠せていない。木俣に比べれば、格が違い過ぎた。彼の冷めた迫力を前に、ヤクザたちはただただ怯えるばかりだ。

 だが、水野も伊達に幹部の地位にいるのではない。ヤクザとしての最後の意地を見せる。


「まあ、いいや。俺たちはな、おめえらみてえなガキを相手にしてるほど暇じゃねえんだ。いいか、今回だけは見逃してやる。だが忘れるな、俺は銀星会の水野だ。次にこんな真似をしたら、必ず潰してやる」


 そう言うと、水野は肩をいからせ大股で歩き、事務所を出ていく。

 すぐ後から、五人のヤクザたちが続いた。慌てふためいた様子で、事務所を出て行ったのである。




「なあ木俣、彼は何がしたかったんだろうね」


 水野が去った後、加納は呟くように言った。


「あれは、ただの雑魚ざこですね。放っておいても問題ないでしょう。それより、ひとつ気になることがあります」


「なんだい?」


「最近、町中に外国人が多いですね。奴ら、誰かを捜してるようです」


「ふーん。まあ、いいよ。それより、そろそろ草太くんが来るはずだね」





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