草太、ジェスチャーゲームをする

 誰かが、体を揺さぶっている。


 草太が目を開けると、目の前には可愛らしい少女の顔がある。何か言いたげな表情で、じっと草太を見つめていた。


「あ、あれ? えっ、ええと?」


 状況が把握できぬまま、草太は辺りを見回した。寝起きのため、頭が回らない。

 確か、自分にはこんな娘はいない。そもそも結婚すらしていないはずだが……などとバカなことを考えていた時、ようやく昨日の出来事を思い出す。昨日、ヤクザの中田健介に脅され、ユリアという名の女の子を預かったのだ。

 やがて夜になり、ユリアを居住スペースの布団で寝せることにした。草太の方は事務所のソファーで寝ようとしたのだが、ユリアは彼の腕を掴んで離してくれない。どうやら、この少女はそばに誰かが居てくれないと、不安で仕方ないらしい。

 草太は仕方なく、ユリアの隣で眠ったのだった。




「ユリア、おはよう。どうかしたのか?」


 体を起こして尋ねる。すると、ユリアは立ち上がった。両手をお腹に当て、困ったような表情を浮かべて首を傾げて見せる。

 つられて、草太も首を傾げる。この少女は、いったい何を言いたいのだろうか。


「お腹が痛いのか?」


 草太の問いに、ユリアは首をブンブン横に振り、再度同じ動きをした。両手をお腹に当て、困った表情でアピールしてくる。

 その仕草の可愛さに、思わず苦笑した。寝ているところをいきなり起こされ、ジェスチャーゲームをやらされるとは……これは、何かの罰だろうか。

 ややあって、閃くものがあった。


「もしかして、お腹が空いたのか?」


 その言葉に、ユリアはまたしても首をブンブンと振る。ただし、今度は縦にだが。

 草太は微笑んだ。


「そうか。じゃあ、一緒にパン食べようね」




 ふたりは、昨日コンビニで買った菓子パンを食べ牛乳を飲んだ。育ち盛りの少女にとって、お世辞にもいい朝食とは言えないが……今は仕方がない。

 その後、ユリアは事務所のソファーに座りテレビを見始めた。昨日と同じく、二足歩行の三毛猫とカラス天狗とが会話しているアニメが放送されている。

 正直、草太には何が何だか分からない内容だ。しかし、ユリアは目を輝かせて観ている。

 その時、にゃあという声が聞こえてきた。猫のカゲチヨが、外の散歩から帰って来たのだ。


「おうカゲチヨ、帰ったのか」


 言いながら、草太は振り返った。しかし、カゲチヨは彼のことなど完全に無視である。しなやかな動作で歩いていき、ユリアの座るソファーの上に飛び乗った。まんまるの目で少女の顔を見上げ、にゃあと鳴く。

 ユリアは、嬉しそうに笑った。小さな手を伸ばし、カゲチヨを撫でる。

 カゲチヨも嬉しそうに、ユリアの手に顔を擦りつけている。本当の飼い主であるはずの草太には、目もくれていない。

 薄情な猫だ、などと内心で思いながらも……嬉しそうなユリアの姿を見ていると、彼の顔も自然とほころんでいた。

 その時、草太はあることを思い出した。


「おいユリア、お前は風呂は嫌いなのか?」


 草太の言葉に、ユリアは首を横に振る。


「そうか。じゃあ、後で風呂に入るんだぞ」


 ユリアはこくんと頷いた。昨日、草太は気づいたのだが……ユリアはここ数日、風呂に入っていないようだ。近くで見ると、髪の毛がベタついている。このままでは、ドレッドヘアーのようになってしまうだろう。せっかくの可愛いらしさが台無しだ。

 それにしても、中田は何を考えているのだろう。風呂にも入れずに、ユリアをあちこち連れ回していたのだろうか。まるで誘拐犯ではないか──

 そんなことを考えた時、草太はようやく自身の置かれた状況の異様さに気づいた。自分は何も事情を知らぬまま、ヤクザの連れて来た少女を預かり世話をしているのだ。両親はちゃんと了解しているのだろうか。

 まさか、とは思うが……本当に、中田はユリアを誘拐してきたのではないだろうか。ひょっとしたら、自分は営利目的誘拐に巻き込まれてしまったのでは?

 これは一刻も早く、中田と連絡を取らなくてはならないだろう。もっとも、中田が素直に事情を話してくれるかどうかは疑問だが……。




 不意に、肩をポンポンと叩かれた。見ると、ユリアが何か言いたげな表情でこちらを見ている。


「あ、ユリア。風呂に入るのか?」


 聞くと、ユリアはこくんと頷いた。草太は立ち上がり、風呂の準備を始める。まだ昼間だが、入っても問題はあるまい。

 やがて風呂が沸いた。が、思わぬ問題が起きる。


「お、おい……お前、風呂くらいひとりで入れるだろうが」


 狼狽する草太に対し、ユリアは首を横に振ってみせる。その手は、彼のズボンの裾をしっかりと掴んでいる。


「もしかして、俺に一緒に入れってのか?」


 念のため尋ねると、ユリアは首をブンブンと振る……縦に。

 草太は思わず顔をしかめた。二十歳を過ぎた男が、年端もいかぬ少女と一緒に風呂に入っている状況は、確実にマズイ。これは、通報されても文句が言えないだろう。

 それ以前に、中田に知られたらどうなるか。あの男は、ユリアに何かあったら頭の皮を剥いでやる、とまで言っていたのだ。もし、草太とユリアが一緒に風呂に入っていた……などと知ったら、確実にブチ切れることだろう。殺される可能性もある。

 となると?


 考えてみた。こうなっては、誰か他の人間に一緒に入ってもらうしかない。それも、女性でなくては駄目だ。知り合いの中で、ユリアに好かれそうな女は誰だろうか。

 草太の頭に、ひとりの女が思い浮かぶ。少々変わり者であるが、基本的には優しい性格だ。何より、スレた部分がない。あいつしかいないだろう。



 やがて事務所に、奇妙な格好をした怪人が現れた。野球帽を被りサングラスをかけ、口元はマスクで覆っているのだ。さらに黒いコートを着て突っ立っている様は、誰が見ても不審者だ。

 その姿に、草太は思わず頭を抱えた。一方、ユリアは怯えた表情で彼の陰に隠れている。確かに、子供から見れば得体の知れない悪者に見えるだろう。


美桜ミオちゃんよう、ここまで来てくれたことには深く感謝してるよ。だけどさ、せめてサングラスとマスクはやめようよ。子供が見たら怖がるぜ」


 呆れた様子で言った。すると、怪人は黙ったまま向きを変える。

 次の瞬間、外に向かい歩き出した。草太は慌てて、怪人の腕を掴み引き止める。


「ちょ、ちょっと待って! お願いだから俺の話を聞いて!」


「草太さん、私はあなたに頼まれてここに来ました。ところが、あなたの今の言葉は、人にものを頼む態度とは思えません。私は気分を害しました。なので帰らせていただきます」


 怪人から返ってきた言葉は、外見とは違い堅苦しいが理路整然としたものである。その声は、若い女性のものであった。


「わ、わかったよう。美桜ちゃん、お願いだから俺の話を聞いてくれよ。でないと、ここにいるユリアちゃんが困るんだよう」


 哀れな声を出しながら、草太はユリアを指差す。すると、怪人は振り返った。

 一方、ユリアは草太の陰から恐る恐る顔を出している。まるで尾行中の探偵のように、顔の半分だけを出して怪人を見ている。

 見つめ合う少女と怪人。ふたりの間に、何とも言えない不思議な空気が漂う。草太は、固唾を飲んで見守った。

 ややあって、怪人はとんでもない言葉を吐いた。


「草太さん、私はあなたが愚か者であることは知っています。しかし、犯罪に手を染めるような人でないと信じていました。なのに、あなたは私の信頼を裏切ったのですね」


「えっ?」


 唖然となる草太に向かい、怪人は呆れたように首を振った。


「あなたという人は……よりによって、こんないたいけな少女を誘拐するとは──」


「違うよ! とにかく、俺の話を聞けやぁ!」





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