草太とユリア、買い物に行く

 やがてテレビ番組が終わり、ユリアは草太に視線を移した。その時、ふと思いついたことがあった。

 まずは、この娘に何か食べさせなくては。


「なあユリア、買い物行くか?」


 草太の言葉に、ユリアはきょとんとした表情で首を傾げる。何のことだか、わかっていないらしい。もう一度、ゆっくりと話してみた。


「近くのコンビニまで、一緒に買い物に行かないか? 好きなお菓子を買ってやるぞ」


 そう言ったとたん、ユリアは首を縦に振り出した。言うまでもなく、YESという返事だろう。


「よしよし、わかったわかった。美味しいお菓子を買ってやるからな」


 そう言うと、草太は立ち上がった。微笑みながら、ユリアに手を差し出す。

 ユリアはにっこり笑い、草太の手を握った。


 ふたりは手を繋いで、コンビニまでの道をのんびりと歩いて行く。そういえば、中田はユリアを外に出すな……と言っていたような記憶がある。

 だが、今さら遅い。どうせ手付金もまともにもらっていないのだ。しかも、コンビニまでは歩いて十分ほどの距離である。構わないだろう……などと思いながら、草太はコンビニへと歩いて行った。




 コンビニに入ると、草太はカゴを手にした。さらに、ユリアに声をかける。


「ユリア、おにぎりは好きか?」


 言いながら、おにぎりを手に取りユリアに見せた。すると、彼女はこくんと頷く。


「そうか。じゃあ、シャケとツナマヨのおにぎりを買ってやるからな」


 草太は、おにぎりをふたつカゴに放り込んだ。さらに菓子パンやらプリンやら、子供の好きそうなものをカゴに入れていく。一方、ユリアは物珍しそうな表情を浮かべ、店内のあちこちを見ている。

 そんな姿を見て、草太は微笑んだ。この子は、今までコンビニに来たことがなかったのかも知れない……そんなことを思いつつ、声をかける。


「ユリア、行くぞ。また今度来ような」




 片手にビニール袋をぶら下げ、もう片方でユリアと手を繋いで、草太はのんびりと歩を進めていた。

 ユリアの方は、ニコニコしながらあちこちを見ている。外を歩くのが嬉しいのだろうか。

 だが突然、ユリアは足を止めた。つられて、草太も止まる。


「おらぁ! 調子こいてんじゃねえぞ!」


「クソオヤジが!」


 響き渡る罵声。昨日と同じように、流九公園にてふたりの少年が暴れているのだ。ひとりの男に対し、殴る蹴るの暴行を加えている。暴行を受けているのは、昨日と同じくホームレスの黒崎だ。

 そんな状況を見て、草太は頭を抱えた。あの黒崎には、学習能力というものが無いのだろうか。あるいは、危機を回避する脳の機能が壊れているのか。


「おいおい、またかよ。ユリア、さっさと帰ろ。あんなことしちゃダメだからな」


 言いながら、ユリアの手を引く。黒崎がサンドバッグ代わりにされているのは、珍しい光景ではないのだ。普段ならともかく、子供を連れている時にはかかわりたくない。

 だが、ユリアは動かなかった。それどころか、何か言いたげな表情で草太を見つめながら、しきりに公園を指差している。

 いや、正確に言うなら黒崎が殴られている現場を指差しているのだ。

 嫌なものを感じた。まさか、助けろとでも言いたいのだろうか。


「えっ、あのおじさんを助けたいの?」


 念のため尋ねてみると、ユリアはぶんぶんと首を振る。もちろん縦にだ。


「う、うん、わかった。じゃあ、後でお巡りさんを呼ぶからね。お巡りさんなら、助けてくれるから。そういう訳だから、早く帰ろうね」


 そう言うと、草太は作り笑顔でユリアの手を引き、その場を離れようとした。

 だが、ユリアは動こうとしない。今度は首を横に振ると、不退転の決意を込めた目で草太を見つめる。

 ふう、とため息を吐いた。これは、意地でも動かない気だ。面倒だが仕方ない。


「わかったよ。俺がおじさんを助けるから」




「おい、お前ら。いい加減にしとけ。もうすぐ警察が来るぞ」


 そう言うと、草太はつかつかと近づいて行く。今回も、ハッタリが通用するだろうか。通用しなかった場合、逃げるしかない。何せ、草太は喧嘩が弱いのだから。


「ああン? 何なんだテメエはよぉ!」


 予想通り、凄んできた少年たち。だが、草太は怯まない。自信たっぷりの表情である。


「あのなあ、俺は加納さんに世話になってんだよ。あの人のところで仕事もしてる。明後日にも、加納さんと会うことになってんだけどさ……どうすんの? 加納さんが知ったら、怒るぜ」


 すました表情で、草太は言った。もっとも、内心ではビクビクしている。もしハッタリが効かなかったら、どうやって切り抜けるか。次の手を考えながらも、余裕たっぷりの表情を作って少年たちを見つめていた。

 ややあって、少年たちは目を逸らした。チッと舌打ちし、肩をいからせて大股で引き上げて行く。草太に対し、俺たちはお前に負けたわけじゃないぞ……という無言のアピールをしているつもりなのだろう。


「またお前か。余計なことをしおって」


 不貞腐れたような口調で言いながら、黒崎は立ち上がった。服に付いた汚れを払い、ベンチに座り込む。今日もまた、礼の言葉は無い。さすがにカチンと来た。


「あのなあ、俺だってお前なんか助けたくなかったんだ。でもな、この子に頼まれたから、仕方なく助けたんだよ」


 草太は、いつになく感情的な言葉を吐いた。すると、黒崎の視線がユリアに移る。

 次の瞬間、とんでもないことを言った。


「これは、お前の娘か?」


「んな訳あるか! 俺にこんな大きな子がいるはずないだろ!」


 怒鳴りつけた時、ユリアがビニール袋に手を突っ込んだ。中からおにぎりをひとつ取りだすと、黒崎の方にとことこ歩いて行く。

 彼の前に立つと、おにぎりを両手で持ち差し出したのだ。


「えっ?」


 あまりにも予想外の行動に、唖然となっている黒崎だったが、ユリアは真剣な表情でおにぎりを差し出している。


「俺にくれるのかい?」


 困惑した表情で、黒崎は尋ねた。すると、ユリアはこくんと頷く。

 草太もまた、ユリアの行動に唖然としていたが……その時、黒崎が偏屈者であることを思い出した。このオヤジ、施しは受けん! などと、いたいけな少女に言いかねない。

 次の瞬間、草太は動いた。速やかに黒崎の背後に回り、耳元で囁いた。


「おい、おかしなこと言わずに素直に受けとれ。でないと、残り少ない髪の毛むしり取るぞ」


 だが、黒崎はその囁きには反応しなかった。ニッコリと笑い、おにぎりを受け取る。


「ありがとう。お嬢ちゃん、名前は何ていうの──」


 直後、パチーンという音が響き渡る。草太が黒崎の頭をひっぱたいたのだ。


「いいか、この娘の名はユリアだ。それとな、ユリアは口がきけないんだよ。覚えとけ」


 またしても、耳元で囁く。すると、黒崎の表情が変化した。狼狽したような顔つきでユリアに話しかける。


「えっ、あっ、その、ごめんよ……ユ、ユリアちゃんは優しいね。おじさんは、おにぎりが大好きなんだ」


 そう言って、黒崎はユリアの前でおにぎりのビニールを剥く。ユリアは、好奇心に満ちた目でじっと見つめている。

 やがてビニールを外すと、黒崎は一口おにぎりを食べてみせた。ユリアを見つめ、ニッコリ微笑む。


「とっても美味しいよ。ありがとうね」


 すると、ユリアもニッコリ笑う。ふたりは微笑みながら見つめ合っていた。しかし片や可愛らしい幼女、片や頭の禿げ上がったホームレスである。何とも画にならない組み合わせだ。

 しばらく見ていたが、やがて草太はユリアに近づいて行った。


「ユリア、そろそろ帰ろうぜ。帰って、一緒にごはん食べよう」


 すると、ユリアは草太の顔を見上げて頷いた。草太の手を握り、とことこと歩き出す。

 だが、すぐに足を止めた。ユリアは振り返ると、黒崎に手を振る。黒崎も、ユリアに手を振り返した。


「ユリアちゃん、またね」


 そう言いながら、彼は笑顔で手を振っている。

 草太は、改めて黒崎を見つめた。鼻は低く、顔はあちこち傷だらけだ。頭は禿げ上がり、ずんぐりした体に汚い作業服を着ている姿は典型的なホームレスである。

 どう見ても、ユリアのような少女に好かれる要素があるとは思えない……しかし、ユリアも笑顔で手を振っている。本当に不思議な少女だ。草太は苦笑し、黒崎にちょっとだけ手を振って見せた。

 そして、ユリアの方を向く。


「ユリア、早く帰らないとカゲチヨがひとりで寂しがってるぞ」


 その言葉に、ユリアは笑顔で頷いた。


 草太とユリアは手を繋いで、のんびりと歩いて行った。





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