第55話 VTuber事務所でボイストレーニング
休憩後に泳ぎの練習を続けた結果、なんとか数メートルは泳げるようになった白亜。一時間ほどで少なくとも水に浮いて前に進むことはできたので、やはり飲み込みが早いと言わざるを得ない。
「はあ、はあ……疲れた。練習はこれぐらいで、あとはなるようになる」
「お疲れ様。帰るか?」
「そうしよう……明日の筋肉痛が怖い」
プールから上がった俺たちは脱衣所で着替えを済ませた。
休憩所の自動販売機で飲み物を買い、俺はオレンジジュース、白亜はコーヒー牛乳を飲みながら会話する。
「明日は何か用事あるのか?」
「ある。とても大事な用」
「VTuber関連だと見た」
「どうして分かるのか不思議……もしかして私のことなら何でも分かる?」
「いや、適当言ってみただけ」
めっちゃ失礼だが、白亜の用事といえば俺や唯菜と遊ぶかVTuber関連ぐらいしか思い浮かばない。
「今きっと私は、普段やることない子だと思われてる……」
「そ、そんなことないって……ちゃんとした用事が明日あるんだろう?」
「そう。事務所でボイトレする」
白亜は自分の歌声に自信がなく、VTuber仲間の冬空スノウに相談した。最近のスノウは歌唱力をめきめきと伸ばしてるので秘訣を教えてもらおうと思ったわけだ。
するとオススメされたのが、スノウの知り合いの超絶歌うま歌い手による個人レッスン。その歌い手はチャンネル登録者数120万人という化け物じみた人気で、圧倒的な歌唱力をもって歌い手界隈を賑わせているという。
そんな実力者に直接教えてもらえるなら、確かに歌が上手くなるだろう。
「120万人ってマジでやばいな……しかも企業に所属してなくて個人勢でその登録者数だろ?」
「やばいよ。スノウが言うには、歌声に迫力ありすぎて空間が震えるらしい……事務所の窓ガラスが割れないか心配……」
「さすがにそのレベルだと、場にいる人間の鼓膜まで粉砕されそうだが……というか、よく事務所でボイトレすることを社長がオーケーしてくれたな?」
「社長、娘にめっちゃ甘い」
「娘?」
「社長はスノウのお父さん」
冬空スノウ、まさかの社長令嬢だった。
スノウが事務所でボイトレさせてと頼んだら社長は快くオーケーしてくれたようで、明日は白亜と唯菜、歌い手が事務所に集ってボイトレに励むらしい。
「琉衣も来る……?」
「いや、俺は無関係だし……」
「関係ならある。琉衣は私の友達」
やけに俺に来てほしい様子の白亜に押された俺は、VTuber事務所に赴くことになった。
白亜の所属する事務所ってことは……もしかしたらハナ神もいるんじゃね? そう思ったら急に明日が楽しみになってきたな。
本日はお疲れ様と言い合い、俺と白亜は別れた。
そして翌日。朝の8時ぐらいに起床した俺は準備を済ませ、鳴り響くインターホンを聴いて玄関に向かった。
「おはよう……ねむ……」
玄関を開けたら日傘を差したゴスロリ服の白亜がいる。
いつもジト目な白亜の瞼は、より一層閉じていた。無理して早起きしたのか。
「唯菜は……まだ来てないね」
「そろそろ来るんじゃないか」
噂をすれば何とやら、明るい声が聴こえて家の前を見ると、朝から元気いっぱいというふうに唯菜がぶんぶんと手を振っていた。
「良い朝だね二人とも! わっ、その服めっちゃ暑くない白亜ちゃん?」
「めっちゃ暑い……茹で上がる……」
「そんなあなたにオススメなのがこれ! 冷却シート~!」
「たすかる……」
唯菜が高そうなバッグから取り出した冷却シートを受け取った白亜は、おでこや首裏にシートを貼り付けた。ひんやりして気持ち良さげに目を細める白亜と一緒に夏の道路を歩く。
「事務所は近くだけど、歩いていくのは辛いね。メイドさんに送り迎えしてもらいたかった〜」
「……今からでも入れるメイド保険ってないか? 俺もクソ暑くて辛いんだ」
「それがないんだよね。今日はメイドさんの定休日なんだ」
「クソ辛い……」
暑い暑いと言いながらも懸命に足を動かしていると唯菜や白亜の自宅がある富裕層エリアに入る。前を歩いていた唯菜が前方を指差した。
「あれが私たちの事務所だよ~」
結構な大きさのオフィスビルだ。まだ建てられて間もないのだろう。清潔感と高級感が溢れる外観の事務所は俺が入るには場違いすぎると思う。
「さっさと入ってクーラーの効いた部屋で涼もー」
「だね」
唯菜と白亜は我が家に入るかのような気軽さで自動ドアを通っていった。俺は若干の緊張を覚えながら二人の後に続く。
エントランスには一人の男性がいて俺たちを出迎えてくれた。
「おはよう、唯菜ちゃん、白亜ちゃん。そしてご友人の矢野くんも、よく来てくれたね」
「初めまして、矢野です……」
この温和そうな男性が社長か……穏やかな目つきは優しげで、一見すると娘の友達を迎えるお父さんといった雰囲気。しかし着用しているスーツは一切の乱れなく整っており、一流のビジネスマンのような一面も窺えた。
社長はボイトレの場となる一室に案内してくれる。
もともと収録で使われる部屋なのか、いくつか録音の機材があった。
俺たちは部屋にあった木造りのオシャレなテーブルとイスの前について一休みすることに。
「今日来る歌い手さんとは初めて会うから緊張するな~」
「全然緊張してるようには思えないぞ」
「そうだね。琉衣のほうが百倍緊張してると思う」
白亜には俺の緊張がバレていた。
こんな本格的なスタジオで超人気歌い手と会うんだ。そりゃ緊張するし場違い感が半端ない。俺ただのゲームオタクなんだけど、ここにいてもいいの?
「あ、スノウちゃんと歌い手さんが事務所についたんだって」
スマホの画面を見た唯菜は、わくわくした表情でドアのほうを見る。やっぱり緊張してないだろ唯菜さん。
ドキドキしながら待つこと一分。
ドアが開かれ、二人の少女が部屋に入ってきた。
「ごめんなさい、少し遅れちゃった」
「あんたが準備にもたついてるせいよ、まったく」
黒髪ロングの大人しそうな娘と茶髪ツインテの強気そうな娘が、俺たちを見る。
「そっちのお方は初めましてだよね。VTuberの冬空スノウです」
「VTuber名義で自己紹介するのね。じゃあ、あたしもあんたにならって……歌い手の藤原麗奈よ。今日はよろしく」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。