第5話 美少女が家に来る
レッスン当日の朝。気だるげに家を出た俺を愛華が励ます。
「今日頑張れたら私のパンツをあげる。好きなことに使っていいよ」
「死ぬほどいらねぇ……」
妹のパンツなんかでモチベが上がるわけない。もし上がったらヤバい兄だろ。
そう言えば、俺の家と美凪の家はそこそこ近いらしい。昨日の放課後に美凪はわざわざ俺の家にまで付いてきて下見をした。その際に美凪は自宅の大体の位置を教えてくれた。
もしかしたら登校中に鉢合わせるかもしれないと思いつつ歩いたが、そうなることはなく学校に着いた。
靴箱で愛華と別れた俺は教室に行って入室する。今日も数人のクラスメイトが俺に注目した。彼らはドアが開く音がすると反射的に反応する人種なだけで、俺に興味があるわけではない。
何も気にすることなく席に着いた俺。
すると、パタパタとローファーが教室の床を踏む音。ひるがえるスカート。目の前に女子の姿が映り込んできた。
「矢野くん、おはよう!」
「……おいおい」
美凪が普通に朝の挨拶をしてきた。クラスメイトの視線が一斉に俺たちのほうを向く。当たり前だ。今まで接点がなかった陰キャにクラスのアイドルが挨拶なんてしたら何事かと思うのが普通だ。
美凪は誰にも聞かれないように俺の耳元まで口元を寄せる。そして小声で言った。
「今日はよろしくね。それじゃ!」
それじゃ、じゃねぇよ。
美凪はざわつく周囲を気にすることなく満足げな表情で自分の席に戻っていった。そばにいた朱宮が美凪に問いかける。
「矢野っちと何かあるの?」
「ううん、ちょっと挨拶しただけ」
「え〜、怪しいな〜。親友のあたしにも言えないことなのか〜?」
「うーん、私としては言ってもいいんだけど、矢野くんがどう思うか分からないし、やっぱり秘密ね」
人差し指を口元に立ててウインクする美凪。朱宮はそれ以上の言及はせずに普段の何気ない会話に移った。
俺はといえば、クラスメイトの視線が痛いことこの上ない。あの馬鹿女、覚えておけ。今日のレッスンは加減しないからな。
ちょっとしたアクシデントはあったが、特に何事もなく放課後になる。俺は鞄を持って席を立ち、美凪のもとに歩み寄った。
「美凪さん、さっそく部活を紹介してくれ」
「え、部活?」
「クラス委員長として俺にオススメの部活を紹介してくれるんじゃなかったのか?」
話を合わせろと視線で促す。美凪は察したようで、うんうんと頷いた。
「あ〜そうだった。帰宅部の矢野くんにオススメの部活を教えてあげてねって先生に言われてたんだった。じゃあ、行こっか」
美凪が微笑むと、クラスメイトたちの納得と安堵の声が上がった。彼らの中には俺と美凪があらぬ関係かもしれないという懸念を抱いていた奴もいただろう。これで疑いの目も晴れたことだし、俺は美凪と一緒に堂々と教室を出た。
「矢野くんって部活入ってないんだよね。どうして?」
「放課後はゲームやりたいから」
「本当にゲーム好きなんだね」
「美凪も好きなんじゃないか」
「好きだけど、矢野くんほどではないかも」
さっさと校舎を出た俺たちは、校門の前で待っていた愛華と合流する。
「おーっほっほっほ! ご機嫌うるわしゅうございますわ、美凪さま! わたくしはそこの陰気くさいぼっち野郎の妹、矢野愛華ですわ! 以後お見知りおきをですわ〜!」
「エセお嬢様キャラやめろ」
「はは……なんだか個性的な妹さんみたいだね。でも、すごく可愛い」
「やーん、唯菜お姉さま大好き」
容姿を誉められた愛華は秒速で美凪に懐いた。初対面なのに名前呼びをする馴れ馴れしすぎる妹だったが、美凪は気にしていないようで、擦り寄る猫娘の頭を撫でている。
三人で下校し、マイホームに到着したら美凪を玄関に入れる。廊下できょろきょろと興味深そうに視線を動かす美凪。
「わ〜大きな一軒家! もしかして矢野一家はお金持ち?」
「それほどでもないですわ、お姉さま。わたくしたちの両親はファッションデザイナーをやっていますの。わりと大企業の重鎮なので、お給料もがっぽがっぽですわ〜!」
「いつまでエセお嬢様キャラやってるんだ」
愛華の言う通り、俺たちの両親はファッションデザイナーをやっている。アイドルの服とかゴスロリ服とか作ってたはず。最近は仕事がクソ忙しいらしく、会社に与えられた缶詰用の寮から帰ってこない。
「愛華、お前はリビングでお菓子でも食っててくれ」
「ぴえーん、私だけ仲間はずれ」
「お前がいても部屋の中のもので勝手に遊ぶだけだろ……いいからここにいてくれ」
「分かった。琉衣たちが乳繰りあってる間に私は一人寂しくプリンを食べておく。琉衣の分もね」
「俺の分は取っておけよ!」
愛華は「てへっ」と戯けた。妹のジョークに付き合っていたら日が暮れるので、早足で美凪を俺の部屋へと案内した。
「ここが矢野くんの部屋かぁ。意外と片付いてるね」
男の部屋が興味深いのか、美凪は漫画が並べられている本棚やゲームのパッケージが積まれている場所を眺める。彼女の視線は、横に細長いデスクがあるほうに向かった。
「わっ、良いゲーミング環境! このデスクトップPCとか、めっちゃ高いんじゃない?」
「そこまで高価なPCじゃない。ハイスペックとまではいかないし」
親に一年分の小遣いを前借りして購入したゲーミングPC。スペックはそこそこだが、それでも新作ゲームを最高画質でプレイできるぐらいのマシンパワーはある。これ以上のPCを買うとなると学生ではきつかった。
「そうなんだ。私の五十万円ぐらいしたゲーミングPCと変わらないように見えるけど」
「ご、ごじゅうまん……」
「ん、どうしたの?」
さり気なく漏らされた美凪の言葉に戦慄する。こいつこそ本物のお嬢様なんじゃ……?
「じゃあ、さっそくレッスンお願いします、師匠!」
「ああ、分かった」
気を取り直し、俺は美凪と一緒にPCの前へと腰を下ろした。
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