第3話 馬鹿な女の師匠になる
放課後になった。授業から開放された生徒たちが一斉に席を立つ。ある者は友達と駄弁りながら教室を出ていき、ある者は部活の準備を始める。
俺は席に座って美凪の様子を窺っていた。
朱宮と喋っている彼女は俺のほうをチラ見すると、左手を軽く上げた。このまま待てとの合図だろうか。
無言の指示に従った俺は、しばらく窓の外を眺めながら待った。やがて多くの生徒たちが教室を後にして、残ったのは俺と美凪だけになった。
「ごめんね、時間取らせちゃって」
「問題ない」
美凪の表情は先ほどまで朱宮と話していた時と変わりない。いつも通り親しみやすい微笑を浮かべている。教室で二人っきりだが、特に緊張もしていないようだ。
「誰もいなくなるまで待ってもらったのは、矢野くんだけに伝えたい事があるからなの」
「なにを伝えたいんだ?」
ボイスチャット以外での会話に慣れていないせいで素っ気ない態度になってしまう。美凪は気にしていないようで、窓から差し込む夕日に照らされながら言う。
「矢野くんには私の秘密を知ってもらいたいの。VTuberって知ってるよね?」
「ああ……二次元のガワ被った配信者だろ?」
昨日関わったばかりだ。萌え声が鬱陶しいVTuber。ゲームの腕を褒めてくれたのだけは嬉しかったが、それ以外は全く良い印象を抱けなかった。
「実はね、私もVTuber活動をやってるの」
「そうなんだな」
「名前はね、ユイユイっていうんだけど」
「あーはいユイユイね……ええ?」
その名前も昨日聞いたばかりだ。
まさか目の前にいる美凪がVTuberのユイユイで、俺は偶然にも彼女と一緒にゲームをプレイしたなんて。
いや、待てよ?
美凪とユイユイは性格が違うような。美凪は清楚で明るくて誰にも優しいけど、ユイユイは幼稚でワガママで喋り方がアホっぽい女だった。二人が同一人物だなんて嘘だろ?
「昨日、一緒にFPSでマルチしたよね?」
「そうだな……まさか相手が美凪さんだとは思わなかったけど」
「配信では声を作ってるから、学校での私と結びつかなくて当然だと思う」
中の人が美凪唯菜だと特定されないように声を作っているのだという。
美凪は今ここで作った萌え声を披露してみせた。確かに昨日のアホっぽい女と一緒だった。なんか少しショックなんだけど。
とにかく美凪がユイユイであるのは分かった。
だけど一つ疑問がある。
「どうして昨日の野良プレイヤーが俺だと分かったんだ?」
「国語の授業で矢野くんが音読してる声と一緒だったから」
「俺の声なんて覚えていたのか……」
「いやー、なんか妙に滑舌良いなって思ってさ。低いのに籠もった感じがしなくて聴き取りやすかったし。もしかしたら配信者だったりして?」
「いや、違う」
配信は無理だ。指示以外の無駄話をしながらゲームをプレイしたくない。
そろそろ本題に入ってほしい。
そう言おうか迷っていたら美凪が接近してきた。くびれた腰を少し傾け、俺を覗き込むように上目遣いをする。
このポーズに見覚えがある。妹が小遣いをおねだりする時にこんな姿勢を取る。あいつは自分の小遣いを使い切った後に兄の分を毟り取ろうとするのだ。要するにワガママな女が相手に何かを要求する時のポーズだった。
「矢野くんってゲーム上手いよね。相手をどんどん倒して無双って感じで」
「いや、そんなこと……」
「そんなことあるよ。昨日見て凄いなって思ったし。そんなゲームが上手な矢野くんにお願いがあるの」
美凪は小首を傾げ、片目を閉じながらお願いとやらを言い放った。
「私の師匠になってほしいの!」
「師匠?」
「そう、矢野くんにゲームを教えてもらいたくて! お願い!」
美凪は手を合わせて懇願してくる。
ゲームの師匠……めんどくさいな。
なんで俺がタップ撃ちもできない下手くそ女に指南してやらないといけないのだろう。そんな時間があったら一人で黙々とゲームやってたいわ。
まあ、そんなことを面と向かって言えるわけもなく、どうオブラートに包んで断ろうかと脳が必死に回転を始める。
「ねえ、いいでしょ? ウルトラ美少女の私と一緒にゲームできるなんて、陰キャの矢野くんにとって役得だよね?」
「クソ自意識過剰……」
「むむっ、私が言われて嬉しくない言葉ランキング上位! ギャルゲーだったら好感度ゲージ下がってたよ!」
ぷんぷん、と声に出して怒りをあらわにする美凪がウザい。
俺の美凪像が急速に音を立てて崩れていく。学校での清楚な振る舞いは取り繕っていたのか、目の前にいるのはウザい勘違い女だった。
「俺、帰っていい?」
「ダメダメ! 私の師匠になるって頷くまで帰らせないからね!」
「はあ……どうして師匠が必要なんだ」
めんどくさいけど事情を聞いてやったら、美凪は横髪を弄って答えた。
「一ヶ月後にVTuber同士で戦うFPS大会があるの。そこで私は一位を取りたくて。でも今の実力だと絶対に一位は無理だから、矢野くんに鍛えてもらいたいなって」
「どうしても一位を取らないとダメなのか?」
VTuber同士の大会なんて半分遊びみたいなもんで、順位を気にせずに楽しくやれたらそれでいいんじゃなかろうか。
美凪はぶんぶんと頭を振った。艶やかな髪がはためいて、ふわりと甘い匂いが香る。不覚にも良い匂いだと思ってしまった。
「ぜーーったい一位が取りたいの! じゃないと誰も褒めてくれなくて気持ち良くなれない!」
「ガキか……」
「あ、今の私が言われて嬉しくない言葉ランキングのトップ5以内に入ってるから気をつけてね」
「ああ、そうですか……」
ため息を漏らす俺に美凪は懇願を続ける。
つまるところ、大会で一位を取ってちやほやされたいがためにゲームの師匠になってほしいとのことで。
俺に見返りはあるんだろうか。大してなさそうだ。全くないかもしれん。
「断ったら、どうなる?」
「今後の学校生活で矢野くんにジト目を注ぎ続ける」
「それに何の意味があるんだ」
「あれ、注目されるの嫌いじゃないの? てっきり人に見られるのが嫌だから、クラスの誰とも関わらないんだと思ってたけど……」
「別に見られたって平気だから、勝手にジト目でも何でも向けるといい」
あわあわし始める美凪。俺に断られるのが本気で嫌みたいだ。
このままじゃ埒が明かない。さっさと帰りたかった。だから俺は頭をガシガシと掻いて、投げやりに頷いた。
「分かった。師匠になる」
「ありがとー! そう言ってくれると信じてたよ! ちゅっちゅっ!」
「ウザい……もう帰っていいよな?」
「明日からレッスンよろしくね、マイダーリン!」
「黙れ。じゃあ、また明日」
鞄を持って速やかに教室を出た。
馬鹿な女の相手は疲れる。早く帰ってゲームで癒やされたい。
背後で美凪が「待って、私も一緒に帰る!」と言っていたが無視することにした。
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