第75話 セイレーンとアーヴァンク

 レンサス湖の湖面はとても静かで、座礁した船の残骸がぷかぷかと気楽に浮いている。セイレーンの姿はなく、現在は湖に潜っていると思われる。

 討伐隊はまだ到着していない。

 ……で、私はどうしたらいいんだろう。これだとできることがないわね。隣を飛ぶシメオンは、ブスッとした表情で湖を眺めている。


「シャロン様!」

 呼ばれて振り向くと、遊覧船の無料招待券をくれた水の巫女姫グレッタが、ペガサスに乗って飛んでいた。焦げ茶色の髪が空に舞う。

「あ、こちらの状況ってどうなってますか? 討伐報酬は出ます?」

「報酬はもちろん出ますが……、そちらの男性は……」

 彼女の視線はコウモリの翼を出して隣を飛ぶ、シメオンに向けられている。

「吸血鬼のシメオンさんです。義憤に駆られて助太刀に来ました」

「君に無理矢理、連れてこられたんだ!!!」

「まあ、ありがとうございます。対応に苦慮していましたの、助かりますわ」


 湖に大きな影が揺らいだ。やっぱり何かいるのね。セイレーンだけなら船を出したり岸に近づいたりしなければ、そんなに問題はないのだ。周辺を立ち入り禁止にして封鎖するほどの何かが確認されたんだろう。

「で、セイレーンだけじゃないですよね? 何が出たんですか?」

 事情を知っているだろう巫女姫グレッタに、率直に尋ねた。

「大きなワニのようなものを見たので、アーヴァンクだと判断して退避命令を出しました。水の底で獲物を待つだけではなく、鉄砲水を引き起こし洪水にさせる、邪悪な水棲生物です」

「ワニ……。見たことはないんですが、確か唐揚げにすると美味しい生きものでしたね」

 なるほど。美味しい危険が迫っているのね。これは退治しないといけない。洪水を起こすほどなら、大きいワニに違いない。唐揚げ食べ放題だ!


「はい。洪水が起きる可能性があると知られれば大きな混乱が起こると思い、現時点で実害のあったセイレーンだけを公表する判断となりました」

「先ほどから見事に答えたいことしか答えていないな」

 何やらシメオンは不満があるようだが、この際だし関係ないわ。

 セイレーンを倒さないと、精神攻撃で討伐隊が瓦解するからアーヴァンク討伐に踏み切れない。まずはセイレーンを倒したいだろう。

 ただし、私なら順番なんて関係ない。七聖人というのは女神ブリージダの加護を受けているわけで、セイレーンの精神攻撃は届かないのだ。もちろん、水の巫女姫であるグレッタも同様。お付きの巫女が同行していないのは、彼女が精神攻撃に耐えられないからね。


「どっちを倒すにしても、水面に顔を出してもらわないと、どうしようもないですね」

「それならば私に任せてください。水の巫女姫ですから、水辺で最も能力を発揮できるのです」

 おお、さすが。こちらはいつでもいいので、早速やってもらう。

 グレッタは深呼吸して両手を合わせ、指を組んだ。


めぐみ多き神、豊饒の女神ディンプナ様。雨は暖かな涙であり、大地を潤す慈悲の御心。豊かなる水よ、我らを害すものを内抱するなかれ。悪しきものよりお救いください。御名が世々にあがめられますように」


 水の巫女姫グレッタの祈りが届き、湖面がゆらゆらと波打つ。そして半人半魚の人魚、セイレーンが自ら顔を出した。長い髪が水に広がり、大波に翻弄されて岸辺に打ち上げられる。

「おおお~、効果てきめん! アレって半分魚よね、魚の部分は食べられるの?」

「食べた人はいませんよ……」

 あらまあ、食べないのね。まあ私もちょっと気持ち悪いかなって思ったわ。

 次は本命、アーヴァンク退治。セイレーンは最大の武器である魅了が効かなければ、さほど怖くもない。


 倒されまいと、必死に歌うセイレーン。私たちにもペガサスにも効果はなく、ただの耳障りな雑音でしかない。

「シメオンさん、セイレーンは任せました!」

「……分かった」

 セイレーンは放っておくと人を殺し続けるから、とどめを刺さないといけないのよね。赤の他人の助手シメオンは、苦々しく私を一瞥して岸でビチビチと尻尾を振るセイレーンへ向かった。

 とりあえず、セイレーンは解決。


 湖の中心から岸辺へ寄せる不自然な波の間に、暗い緑色の生物が見え隠れしている。水を棲み家とする生物が、まるで溺れているかのように、もがいているのだ。

 アレがアーヴァンクだろう。

 人なんて丸呑みしそうな巨体で、小型船くらいの大きさがある。ぷっくら太い前足、水を打って飛沫を立てる立派な尻尾。皮膚はゴツゴツとしていて、とても硬そう。

 今度は私の番よ! 来たれ報酬、金貨銀貨青銅貨!


「水に潜みし悪意、人の営みを害する災いとなるもの。癒しの女神ブリージダよ、我らに仇なすものから全ての善良なる客を救いたまえ。悪しき生命を御身おんみの浄化の光で包みたまえ。我が報酬のかてとなれ!!!」


 私が女神ブリージダに真心を込めて祈ると、アーヴァンクはまばゆい白い光に包まれた。

「フシャアアアアアァ!」

 叫び声が意外と高い。大きく裂けた口をバクバクと動かし、腹を見せて湖面に突っ伏した。白い蛇腹に水がかかる。

 バンッと何かが弾けるような音が響き、アーヴァングは波に運ばれてセイレーンの横へ転がった。

 セイレーンは巨大なワニの魔物アーヴァングを恐れ、肘を使い必死に這って距離を取った。口は布で塞がれている。シメオンがとどめを刺していないわね。歌えないようにして、始末は任せるってトコかな?


 私たちも岸へ向かう。警戒に立っていた兵が手を振ってるわ。

「さすが強欲の二つ名を持つシャロン様、あっという間に片づきましたね!」

「ふっふっふ、朝飯前の夕飯後よ! あ、言い忘れるところだった。私に会ったのは、プレパナロス自治国には教えないでほしいのよ」

 ぼうっとしてられないわ、口止めしないと。捜されているのをうっかり忘れかけてた。

「はい、……しかし今回の討伐は聖女様に手伝っていただいた、という事実は伝えませんと。民を安心させる為にも、事実を公表したいのです」

 確かにそうね。討伐隊の到着より先に倒しちゃったもんなあ。

 ラウラが浄化は得意じゃないのは、自治国側も把握しているのよね。うまく誤魔化せる言いわけを考えないと。


「じゃあ聖女ラウラとそのお付きの……、そうだ! シメオンさんも役に立ったし、“筋肉村で改心させたマッチョ未満吸血鬼が協力してくれて、討伐は無事に済んだ”とか、こーんな感じで周知してくれないかな」

「筋肉村で筋トレをしていたと思われそうだ。やめてくれ、とんだ濡れ衣だ」

 寝転がっているセイレーンの頭側に立つシメオンにも会話が聞こえていて、拒否されてしまった。もっと離れている時にお願いしておくんだったわ。

「心得ましたわ、シャロン様!」

 筋肉村に住んでいたと誤解されたくないのは分かるが、ここは私のために我慢してもらおう。これにて一件落着!


「ヒヒンヒヒッン」

 通訳がいないと、ジェシーが何を伝えたいかは全然分からないわ。きっと討伐成功が嬉しいのね!

 討伐隊はまだ、町の入り口から辛うじて見える距離だそうだ。セイレーンはこの町の兵に託し、自警団にはアーヴァンク唐揚げ食べ放題の準備をしてもらった。

 封鎖が解かれ、逃げていた人々が戻ってくる。

「巫女姫様、ありがとうございます!」

「ひー、でっかい魔物だ!」

「私だけではありません。聖女様と、吸血鬼の方が討伐に協力してくださいました」


 グレッタがシメオンに視線を送ると、集まってきた兵や自警団員も注目した。シメオンに意識を集めちゃう作戦だ。

「マッチョじゃない、筋肉大好きでもない吸血鬼だ」

「うわー、普通の吸血鬼!」

「いいねえいいねえ!」

 狙いどおり、シメオンの周囲に人が群がる。しかしおかしな反応をしているわね。この町の人の吸血鬼のイメージまで狂わされてるわ。

 筋肉教祖、恐るべし。

 セイレーンはとりあえずは殺さず、収容所へ兵が運び込んでいた。たらいを用意して、水を張る。水がないと生きられないからね。

 唐揚げは揚がり次第、広場で配るとか! 楽しみだなー!


「シャロン様。報酬は町長と話し合って決めますので、明日までお待ちください。宿も用意させますわ」

 グレッタは私に告げてから、集まってきた兵の内の命令を飛ばしてる偉そうな人に話しかけた。相手は相好そうごうを崩し、片手を頭に当てて何度か頷く。宿の手配と、私の案内を頼んでいたわ。

 若い女性の兵が呼ばれ、私に紹介された。オレンジがかった黄色の髪をポニーテールにした、元気な娘さんだ。


「マーガレットです。メグと呼んでください」

 手を差し出してきたので、握手した。人懐っこい笑顔をしてるわね。

「サンキュー、メグ! 私はシャロンよ、よろしくね。こちらの非マッチョ吸血鬼はシメオンさん。それとペガサスのジェシーよ」

「ヒヒヒン」

「わ~、細い吸血鬼って、魔性っぽくていいですね! マッチョだと怪異って感じでした」

「やっぱり吸血鬼は細い方がらしいわよね」

 分かる分かる。吸血鬼がマッチョだと、何か違う生き物になるわ。

「らしくともらしくなくとも、私は吸血鬼なわけだが」

「わ~、喋り方も吸血鬼っぽい! すごーい、誰かの血を吸って見せてください!」

「断る!」


 まあまあ、早くも仲良しさんね。美しきかな。私は目を細めて見守った。

 さてと、ラウラと黒猫アーク、ついでにペガサスのアレックスとも合流しなきゃ。あっちは治療、終わったかしら。

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