第64話 レンタルペガサス屋

 ファンレーン行きの定期乗り合い馬車の乗り場には、カゴを背負った商人や旅人、住民らしき人が待っていた。後ろに並んでいると、しばらくして馬車が姿を現した。三頭立てで、定員は二十名。予定時刻より少し遅れているわね。

 馬車を乗り場で止めて、御者が降りて料金箱を手に扉の前に立った。

「行き先はファンレーンです、お間違えのないようお願いします」

 順番にお金を入れて乗り込んでいく。私達の番だわ。ラウラが財布を用意した。

「大人二名、猫一匹です」

「猫は無料だよ」

 この国は猫は無料! これはありがたい。私が払うわけじゃないけど。


「無料なんですか?」

 ラウラは二人分の乗車賃、青銅貨二枚を料金箱に入れる。

「猫は米や保存しておいた食糧をかじる、ネズミを退治してくれるからね」

「そうだぜ嬢ちゃん、この国では以前ケットシーの王国を誘致したほど、猫を大事にしてるんだ。ネズミ交換所もあるよ」

「ネズミ交換?」

 先に馬車に乗り込んだ男性が、御者の説明に補足を加えた。気になるワードね。男性の近くに座り、説明を求める。

「ネズミを捕まえて持っていけば、食糧や雑貨なんかと交換できるよ。国民でも旅人でも、猫でも歓迎さ!」


 ふーむ、なるほど。ネズミ被害に困って、退治させようって魂胆ね。

 ネズミって小さいしすばしっこいから、捕まえるの苦手なのよね……。

 自治国にいた頃、厨房に出たけど退治できずに何日も居座られたわ。私の食糧を食べられたのが頭にきて、厨房ごと焼き払おうとしたら必死に止められた懐かしい思い出。

「ネズミなら僕に任せて。ネズミを捕まえるのも、ケットシー紳士の嗜みだからね!」

 黒猫アークが胸を張る。他の乗客が喜んで手を叩いた。

 同じ方向へ進む護衛や使用人をたくさん連れた馬車の隊列もある。さすが富裕層に人気の観光地、お金持ちが来るのね。

 あの馬車に乗りたいなあ、きっと無料よね。定期乗り合い馬車も、聖女割引きでもあればいいのにな。聖女なら十二割の割引きがあって、二割が還元されるとか。


 アークと乗客がお喋りしているうちに、目的のファンレーンの町に着いた。まずは入り口で止まり、その後は湖まで行く。降りたい場所で声を掛ければいいらしい。

「すみませーん、レンタルペガサスのお店へ行きたいんですけど、どこで降りればいいですか?」

「それなら終点の、レンサス湖の畔で降りればいいよ」

「ありがとうございます!」


 馬車はお店が並ぶ通りを抜けて、広い公園や塔が幾つも立つ神殿、観光地を回って湖へと向かった。湖にはボートがたくさん浮かんでいて、対岸にオレンジの屋根が並ぶ街並みと小高い緑の丘が見える。

 観光客がたくさん。護衛がいたり、お付きの人が何人もゾロゾロと付き従って、奥様にパラソルを差してたりするわ。

 湖の畔の広場に馬車が止まり、最後まで乗っていた客が次々に降りた。

 私達も降りて、レンタルペガサス店の場所を教わった。湖の周囲を五分ほど歩いたところだ。湖を眺めながら食事ができる、レストランがあるわね。


「きゃあ、危ない!」

「ぶにゃあ!」

「ぅぎゃあああ!!!」

 女性の悲鳴と、やたら野太い猫の叫び声が響く。続いて男の子の悲鳴。何かあったみたいね。周囲の意識もそちらに集まっている。

「いやあぁ、血がっ……! だ、誰か、この子を助けて!」

「このタオルを使って! まずは血を止めないと!」

 怪我人が出たんだわ。顔を見合わせると、ラウラが頷く。聖女の出番ね!

「はいはい退いて! 聖女ラウラ様がここにいますよー!」

 パンパンとなるべく大きな音を立てて手を叩き、道を開けさせる。はぐれてしまわないよう、アークには私の肩に乗ってもらった。


 集まっていた人々がこちらを振り返り、徐々に動いて通れるようにしてくれる。

 声のした現場では、十歳前後の男の子がうつぶせに倒れていた。服の背中部分が縦長に破られ、血が流れ続ける。服は血で背中に張りついて、ズボンまで赤く染まっている。

 母親と見られる女性が手を握って男の子に呼びかけ続け、隣にはもう一人の男の子が呆然と立ち尽くしていた。すぐ近くには馬車に繋がれた、牛サイズの猫が二匹。

 馬車ならぬ猫車だ!

 御者が必死に宥める猫の片前足の爪に、血がついていた。

「何があったんですか?」

 ラウラがまだ避けない人をすり抜けて、男の子の元まで駆けつける。


「ううっ……。子供が友達とふざけていて、駆け出した弾みで猫車の猫に、ぶ、ぶつかってしまったんです。……驚いた猫が、爪で、ううぅ、子供を引っかいて……」

 涙ながらに必死で説明する母親。男の子は痛い、痛いと泣いている。ラウラは子供を挟んで母親と向かい合って膝をついた。

「そのまま、手を握っていてあげてくださいね。敬愛する癒しの女神ブリージダ、憐れみに富み、情け深い乙女よ。救いを求める者に手を差しのべてください。祈りの言葉に耳を傾けてくださいますよう。癒したまえ、救いたまえ……」


「慈しみの心を持って」

 私も少し手伝うのだ。ラウラが私の一言の後に続く。

「幼き者の傷を癒したまえ」

 淡い光がラウラが顔の前で組んだ指からあふれ、男の子を淡く包む。

 途端にうめき声が小さくなり、動きが止まった。血が消えるわけではないから分かりにくいけど、傷は完治したわね。

「どうですか? まだどこか、痛い?」

 ラウラが尋ねると、男の子は身を起こして不思議そうに彼女を見上げた。

「もう、痛くない……」

「本当に!? ああっ……、良かった……! ありがとうございます、聖女様」

 母親は泣きながら男の子を抱き締めた。


「すごいな聖女様って」

「一時はどうなるかと」

 聖女の奇跡に感動し、人々が明るい表情で語り合っている。今だ!

「聖女ラウラ様は旅の途中なのです。皆様も寄進して徳を積みましょう」

 怪我を治療した男の子の母親が、喜んで、と銀貨を数枚くれた。近くの人も、続いて銅貨や青銅貨を私が広げた袋に入れてくれる。コインに足が生えたかのように、私に集まってくるのだ!

 あとでラウラの取り分も用意しなきゃ。

「ボクの踊りで、元気を出して」

 馬車で踊れなかったのが不満だったのか、アークは私の肩から降り、ここぞとばかりに踊り始めた。私は再びおひねりを待つ。

 ザラザラと降る、銅貨、銅貨、銅貨、時々お菓子。

 お祭り気分でとっても楽しい!


 いつの間にかアークが注目の的になり、人々が笑顔で手拍子をしている。

 ラウラは喧騒をよそに、猫車へ近寄った。

「猫さんにケガはありませんか?」

「ありがとうございます、聖女様。この子たちは平気です。スプリンター・キャットといって、木の幹も引き裂くような猫なんです。大事にならなくて、本当に良かった……」

「ぶにゃあぁん」

 御者が猫の首を撫でる。猫はすっかりおとなしくなっている。

 猫車には乗客はおらず、仕事が終わって戻るところだった。子供達が飛び出してきてぶつかったのに驚いて、反射的に引っ掻いてしまったみたい。

 おとなしく頭の良い猫で、通常は襲われたわけでもなければ攻撃しないそうだ。


 まあ魔物の猫を驚かせた子供が悪いわよね。助かって良かったわ。

 私たちは本来の目的である、レンタルペガサス店を目指した。湖の上空を低く飛んでいたペガサスが高度を下げ、建物を目指している。

 その先にあるのがレンタルペガサス店ね。

 本当に近くだったわ。集まった人々も徐々に散り、みんな思い思いの場所へ移動する。私はレンタルペガサスはこちら、という看板に従って敷地内に入った。

 右手にペガサスの厩舎、左手に店舗の建物がある。一階は窓が多く、中で接客をしているのが見えた。

「こーんにーちはー! ペガサスを借りに来ました~!」

「ほいほい、お待ちよ~」

 入り口で声をかけたら、若い女性が返事をした。


「こちらを預かっています」

 ラウラがオジキからの紹介状を渡す。女性は受け取ると、宛先と差出人を確認した。

「待っててね、店長を呼んでくるから。店長、お客さんだよー」

「……俺に? 珍しいな……」

 女性は奥に引っ込んでしまい、気だるげな男性の声がした。

 店内は殺風景な喫茶店のようで、テーブルで客が説明を受けている。声がはっきり聞こえてるわ。


「時間になると、ペガサスはこちらへ戻ります。お客様は一緒に戻っても、その場で別れても構いません。予約している宿や、行く予定の店の付近で降りると便利ですよ」

「なるほど」

「人の多い場所や繁華街の道、羽を広げるゆとりのない場所には降りられないので、ペガサスが降りるのを拒んだら、必ず従いますよう」

 客は頷いている。様子を眺めていたら、奥から戻った店員の女性が、私たちを外へ誘導した。彼女について、厩舎へ入る。広くて清潔な厩舎に、十頭以上のペガサスがのんびりと過ごしていた。

 真っ白や薄い緑色など、色は白に近くて白鳥のような翼が背中に生えている。


「たくさんいますね」

「ペガサス君は機嫌が良さそうだ」

 アークが手を振ると、ペガサスはプイッっとそっぽを向いた。代わりに隣の一頭がヒヒンと返事をする。うん、一筋縄ではいかなそうね。

「こちらにいる子たちは、いつでも出られる子です。通訳さんなんですよね? 扱いに困っている子のところへ案内しますね。まずは全然言うことを聞かない、一番厄介なリーダー格の馬から」


 並んだペガサスを眺めながら奥へ移動する。客の目に入らないよう区切った区域には、まだ数頭のペガサスがいた。

「こちらです」

 ひときわ大きなスペースに、退屈そうに絨毯に伏せるペガサスの姿がある。他のペガサスより大柄で、つやつやの真っ白い毛並みが高貴な印象を持たせる。

「こんにちは、ペガサス君。ボクはケットシー紳士のアークさ。君の不満を教えてくれるかい?」

「ヒヒン、ヒヒヒン」


 アークはペガサスの言葉に頷き、会話を続けた。

 見守っていたら、オジキより少し若い男性が姿を現した。髪をオールバックにして、後ろで束ねている。

「どうだ、何か分かったか? こいつは手放そうかと考えてたくらいだ、説得できたら無料で貸すよ」

「む・り・ょ・う!!!!!」

 これは是非ともアークに頑張ってもらわなければ……!


「うーん、とりあえず」

「とりあえず」

 みんながアークの次の言葉を待つ。

「下等な人間が、下等な猫を連れてきたって嗤ってるよ」

 ……こいつぁ~強敵だ。

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