第23話 シメオン・モンテス・ビジャ

 私の名は、シメオン・モンテス・ビジャ。

 同胞からは『尽きぬ夜をいざなう白銀の真円・ビジャ』と呼ばれている。

 この二つ名を付けられた頃は、吸血鬼と人間が大きく対立している地域がある時代だった。あの頃は、私もまだ若かった。

 現在は人間側に悪事を働かないものまで掃討しようという気概はなく、我々もただの食糧のように人間を見る者は減っている。


 平和な時代になって、私が以前人間に付けられた呼び名の一つ『鮮血の死王』の噂を耳にするようになった。

 誰かが勝手に名乗っているのだ。この町に邸宅を構えたと知っていてなのか、偶然なのか。相手の正体と思惑を探るべく、注意深く探ることにした。

 本来ならば人間が勝手につけた名などどうでもいいのだが、これだけは別だ。


『鮮血の死王』と呼ばれるようになったのは、約二百年前。

 その時、私には一人の友がいた。

 吸血鬼ではあるものの、戦うほどの力もない。ただなぜか人間が好きで、その男は人里に近い森に住んでいた。そして「いつか人と吸血鬼のけ橋になる」だの「人と友達になれるはずだ」だの、堂々と理想を口にする。

 人すら倒せぬ、弱いが故の幻想だ、とあざ笑う者がいても、彼は理想を持ち続けていた。

 私は元々、人と共存すべきだと考えていたが、それは住み分けをすればいいというだけで、過度に交わろうという意図はない。だからと言って彼を否定しようとは思わないし、協力するつもりもなかった。


 ただ、友として時々会い、短い時間だけ会話する。

 そろそろ人の友はできたか、と尋ねることはあったが、興味があるわけでもなかった。苦笑いするだけだった彼が、よく聞いてくれたとばかりに破顔した時は、まさかと信じられなかった。

 そしてそれが、彼の破滅を呼ぶとも知らずに。



 彼、テスナーの住む森の近くにある村で、吸血鬼が人を殺す事件が起きた。

 それは他の村でも起こり、次第に吸血鬼狩りの機運が高まった。私が避難するよう告げると、彼はハッキリと断ったのだ。

「心配してくれてありがとう、シメオン。だけど、以前友達ができたと教えたろう? 彼がかくまってくれるというんだ。相手は聖騎士で、僕が今回の事件に関わりがないと、信じてくれている。絶対に犯人の吸血鬼を探すって。だからシメオン、君こそ気を付けて」

 人間の、聖騎士が友。

 聖騎士は退治の先頭に立つ、敵でしかない。

「私の心配なら、無用だ。……ソイツは信用できるのか?」


「大丈夫だよ。僕を心配して、捜査が行われる場所を教えてくれるんだ。今日はここへは行くなよ、とか。バレたら自分が危ないのに。僕も、彼の信頼に応えないとね」

 確かに助かるが、捜査情報を簡単に漏らす人間が信じられるのか?

 ひっかかるものは感じたが、嬉しそうにするテスナーに、これ以上言うのははばかられた。

 移動する日は私が監視をし、その聖騎士の顔を覚えて探ってやるか。


 彼は結局、どこへ移動するのか詳しい場所を知らされないまま、準備を済ませた。どこまでお人好しなのだ、吸血鬼のクセに。

 近々移動するんだろうな。わざわざ確認に来る私も大概だ、と自分にも呆れながらテスナーの家の近くまで来た時。

 多数の人間が、家を包囲してそちらを注視しているのが分かった。私はいったん霧に変化して木の影に隠れつつ、こっそりと人間に近づいた。変化していられるのは、数秒だけだ。

 人間どもの会話が耳に入る。


「ここが危険な吸血鬼のアジトか」

「よく見つけられたな」

「まずは聖騎士様が一人で向かうとのことだったが、本当に大丈夫だろうか」

「信じるしかない。すぐ援護できるよう、注意を怠るな」


 やはり、騙されたのだ!

 すぐに悟った。匿うだの避難だのというのは、ここから逃がさないための方便なのだ。足止めをして準備を整え、ついに討伐に来た。

「おのれ……人間め……」

「誰だ!?」

 近くにいた者たちの視線が私に集まる。彼らは弓や剣、槍など、持っている武器を私に向けた。

「こいつも仲間の吸血鬼だ……、弓隊、放て!!!」


 飛び交う矢は、霧になった私を素通りする。突いてくる槍を折り、数人を爪で攻撃した。倒れた男の手から離れた槍を拾い、左右に振って二人をなぎ倒し、目の前の人物を貫いて手放した。

 こんなことをしている場合ではない。

 包囲している敵を抜けて、壁の手前で霧になり、家の中へ入った。私を狙った矢が壁に当たって地面に落ちる。


 客間に入ったが、誰もいない。となりの部屋から、壁越しに声が聞こえた。

「なぜだ! 友だと言ってくれた……」

「ああ、いい友だ。俺の出世の役に立ってくれるだろう!」

 ダイニングルームから、テスナーの悲痛な叫びがする。

 一刻の猶予もない。霧になって壁をぬける。


「テスナー!!!」

 彼は片腕に負った傷を反対の手で押さえ、壁を背に座り込んでいた。目の前に立つ騎士が、今まさに剣を振り下ろすところだ。

「シメオン……逃げろ……」

「ちい、新手か!」

 伸ばした私の手は、彼に届くことはなかった。

 目の前で斬られた彼が、サラサラと砂に変わる。


 間に合わなかった。

 私の慢心だ。たかが人間の聖騎士一人、どうにでもできると考えていた……!


 彼を葬った剣を軽く振って、聖騎士はこちらに体ごと向いた。

「……なぜこの男を殺した。彼は人を害してはいない」

「知ってるさ、誰も殺せない弱い魔性だ。だからこそ利用価値がある。危ない橋を渡らずに済む……はずだったんだがなあ」

 聖騎士の瞳には、罪の意識など微塵も浮かんでいない。

「外の連中も、貴様の采配さいはいか」

「危険な吸血鬼を倒すんだ、軍に応援を求めないとおかしいからな」


 聖騎士は剣を構え、私に斬りかかってきた。室内だ、大きくは振れない。私は後ろに下がり、軽く避けた。

「本当に人を殺した吸血鬼は、野放しか? どうするつもりだ?」

「そんなのは知ったこっちゃねえ! ここで事件は解決だ!」

「……外道が」

 振りきった剣で下から斬り上げるのを片手で止め、もう片手で聖騎士の顔を掴んだ。そのまま壁に投げつける。

「ぐっ……、は! ぉ、おい、やめろ! 今なら見逃してやる! 俺を殺しても、外は囲まれてるし、討伐隊が何度も向けられるだけだ!」

 ぶつかった弾みに落とした剣を拾い、情けなく命乞いする男の首に突き立てた。もう喋れはしまい。


 外に出ると様子を伺っていた連中も皆殺しにし、聖騎士の言った通り、その後に派遣された討伐隊を壊滅させた。

 返り血を浴びた私の姿を見た者の証言から、『鮮血の死王』の呼び名は生まれたらしい。


 疲れきった私の前に現れたのが、当代の七聖人の一人である男性だった。腕に刺さった矢を抜き応戦するも、傷や疲労もあり、形勢は押されていた。

 勝利を確信でもしているのか、聖人はなぜ人を殺したのかと私に尋ねた。

 話す必要などない。

 そうも思ったが、もしかするとここで私が破れるかも知れない。そうなると、無実のお人好しは濡れ衣を着せられたままで、真相を知る者がいなくなってしまう。私は無惨に散った友の真実を、誰かに知ってもらいたいと、ふと思ったのだ。


「なんということだ……。我々は無意味に同胞を失っていたのですか……。ただ一人の欲のために」

 顛末てんまつを聞いた聖人はがく然として、持っていた杖で地面をついた。

「……私の言葉を、簡単に信じるのかね」

「貴方が嘘をつく理由はないでしょう。それにずっと……」

「ずっと?」

「とても……辛そうな表情をしておられる」

 聖人は言いにくそうに、苦笑いを浮かべる。そして、森の彼方に視線を移し、話を続けた。


「……私は両親を吸血鬼に殺され、神殿に身を寄せました。仇を取るべく修行を続け、女神ブリージダ様に聖人にまで選んで頂きました」

 懐かしむように、過去を語り始める聖人。恨みも憎しみも感じさせない、穏やかな瞳だった。

「ならばなぜ、私にとどめを刺さそうとしない?」

「……討伐をしたり、勉学をするうちに、種族でくくるのは愚かだと気付いたのです。残酷な人間もいれば、優しい魔性もいる。私たち聖人の本当の役目は魔を滅ぼすことではなく、人との懸け橋になるのだと考えるようになったのです」


 彼は短い人の生の中で、乗り越えているのだな。

 私も、乗り越えなければならないのだな……。

 それまで暗いものに塗り潰されたようだった未来に、ほのかな明かりが差した気がした。

「……殺されたテスナーも、人間との懸け橋になりたいと、全く同じことを口癖のように言っていた。そんな吸血鬼ヤツもいたのだと、覚えていてやってくれ」

 聖人は一瞬大きく目を開き、神妙に頷いた。

 ……ああ、君たちはきっと気が合っただろうな。


「もう行った方がいいでしょう、ここに残ればまた討伐隊が組まれます。私の手にも負えず逃げた、ということにしましょう。うかつに刺激しないようにと、この国の人々に警告します」

 聖人ですら敵わないとなれば、簡単に討伐隊など送らなくなるな。深追いされる心配は薄い。

「……私の名は、シメオン。シメオン・モンテス・ビジャ。同胞からは“尽きぬ夜を誘う白銀の真円・ビジャ”と呼ばれている」


 私は初めて自ら人に名乗り、きびすを返した。

 去り行く背に、聖人の祈りの声が届く。

「シメオン、貴方に女神ブリージダのご加護がありますように」

 心なしか、体が軽くなった気がするな。振り返らずに、森へ分け入る。

 違う国へ行こう。傷を癒やし、いつか人の町で暮らすのだ。

 今度は私がテスナーに、人間と交流した話を聞かせるんだ。君は驚くだろう。


 灰になり輪廻にも乗れぬ私たちに、巡るはずのない日だとしても。

 君に恥じないように生きていこう。



 あれから二百年。私は人間の町を転々として過ごしている。なかなか友と呼べる人間は作れないな。

「シメオンさん。シャロン姉さんなら、出掛けてますよ」

「特に用事はない、ただ寄っただけだ」

「姉さんがいたら、寄ったら買いものをしろって迫られますよ~」

 店番をしている聖女ラウラが朗らかに笑う。彼女はもうじき、国へ帰るらしい。

「ラウラ~、お昼に安売りパンを買ってきたわよ! あ、シメオンさん。シメオンさんの分はありませんよ」

「必要ない」

 風変わりな元聖女シャロン。彼女がこの店の店主だ。手にした布袋には、大量のパンが入っている。


「姉さん、そういえばライカンスロープの患者さんが来たんで、治療の祈祷をしました。銅貨五枚で請け負うなんで、優しいですね!」

「それは最初のお試しの値段で、次からは銀貨をもらうって言ってあるわよ!? あの野郎、ラウラの優しさにつけ込んだわね……!」

 なぜか腕まくりをして、殴り込みにでも行きそうな勢いだ。思わず私も止めた。

「勘違いしてるだけですよ! 次からもらいましょう。ほら、これがお代の銅貨ですよ~」

 聖女ラウラが慌てて引き留める。五枚の銅貨を見せて、気を静めようとしていた。彼女はようやく、諦めたようだ。


「私の銀貨ー!!!」

 店内に空しく叫びが木霊した。



 テスナー、おかしな聖女がいたぞ。

 君がもし会ったら笑うかな、驚くかな。

 ……人間不信にならないか。

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