第10話 犬の魔物、ファリニシュ

 木工所で端材をもらっていたら、作業場の裏から悲鳴が聞こえた。魔物が出たみたい。

 元聖女の出番です。倒したら材料を無料で分けてもらおうっと。報酬を想像すると、やる気が出るわ~。

 私は細めの角材を一本借りて、裏口から外へ出た。

 裏にも広い庭があり、荷車が何台か置かれている。ゴミはここで燃やしているんだろう、レンガを積んで焼却場が作られていた。

「わああ、あっちへ行け!!!」

 若い男性が怒鳴りながら、手にした薄い木箱から細かい端材を掴んで投げている。ゴミ箱かな、燃やしに来たのね。


「グルルァア!」

 男性が対峙しているのは、極彩色ごくさいしきで黒、白、青の光を放つキレイな犬で、口から火の玉を吐いた。犬の中では強い魔物だ。

「ファリニシュ! うわー、初めて見たわ!」

「姉ちゃん、火を吐いたぞあの犬!」


「そりゃそうよ、ファリニシュだもの火ぐらい吐くわ。さて、私が相手よ! 慈愛の女神ブリージダ、貴女の信徒に救いをもたらしたまえ。人に仇なす魔を退けよ!」


 私が祈ると光がファリニシュに差し込み、キャンキャンと鳴きながら飛び跳ねて逃げようとする。私は角材を振り上げ、慌てふためく犬の胴体を目掛けて思いっきり振り下ろした。

「うおっしゃあ! もらったあぁ!!!」

「ギャイン!!!」

 角材が当たった部分を中心にファリニシュの身体が反り、反動で地面に叩き付けられる。おお、痛そう。

 倒し切らないよう手加減をしたお陰もあって、ファリニシュは動かなくなったが消えずに済んだ。魔物って基本的に、核だけして消えちゃうのよね。

「姉ちゃん、とどめを刺さねえの!??」

 男の子が扉を掴んだまま、声を掛ける。刺さないのよ。

 不意に男の子が後ろを振り向き、さっと避けた。声もするし、誰か来たみたい。


「魔物はこっちか!?」

「騎士様、私も参ります」

 私が来た裏口から、誰かが今更になって駆け付けたわ。青い髪の騎士に続き、聖女も姿を見せる。

「ラウラじゃない」

「あ、シャロン姉さん! もう魔物は大丈夫ですね」

「もっちの、ろんよ!」

 私はこれで殴ったとばかりに、角材を掲げた。

 ラウラは聖プレパナロス自治国でも仲が良かった聖女仲間よ。私を姉のように慕っているの。どうして彼女が、この国に?


 彼らが通ったその後から、さらに見知った顔が。

「なんだ君か、元聖女。ファリニシュを捕まえに来たのか?」

「え、あれ……? きゃああぁ! 何この吸血鬼、犬なんて問題にならないじゃない!!!」

 さすがラウラ、シメオンの危険性にすぐに気付いたわ。彼女は戦うのは苦手だけど、危険な存在を鋭く関知するのよね。

 後ろに飛び退いて転びそうになるのを、あの失礼騎士が支える。私を元聖女だなんだと騒いで、商売の邪魔をしやがった野郎だ。


「大丈夫よラウラ、彼はシメオンさん。うちの常連さんよ」

「常連と呼ばれるほど尋ねた記憶も無いが……、どちらかといえばこの木工所の方が親しくしている。今日も注文した木製グラスを受け取りに来たところだ」

 なんでここに吸血鬼が、と思ったら、ちょうど木工所へ来てたんだ。

「ウチにも注文してくださいよ」

「家具などは、気に入った職人の作品しか使わない」

 澄ました顔で、あっさりと断られた。気取りやがって、だから吸血鬼ってヤツはよぉ。

「姉ちゃんたち、あの犬まだ動くよ……?」

 男の子の言葉で、視線が再び魔物の犬であるファリニシュに集まった。立ち上がろうと身体をずらし、足を動かしている。

 騎士が剣の柄に手を掛け、足早に近付く。


「すぐにとどめを……」

「ふざけんなこの野郎、人の獲物を奪おうっての!??」

 私は騎士とファリニシュの間で両手を広げた。これ以上、私の邪魔はさせないわよ、ぼけナスが!!!

「こ……この野郎? 元聖女シャロン、魔物を守るとはどういうつもりだ?」 

「エルナンド様、シャロン姉さんは魔に関してスペシャリストなんです。お任せするのが正解ですよ」

 抜こうとしている剣を収めてと、ラウラが騎士を宥める。エルナンドっていうの、大層なお名前をしているわね。


「ファリニシュの毛皮には、水をワインにする力がある。彼女は毛皮を目当てとしている」

「さすがシメオンさん、それですよ。私の店でワインが売れます!」

「……それは密造酒に当たるんではないのか?」

「え?」

 騎士エルナンドによる思わぬ指摘に、目が点になる。

 密造酒……?

 お酒は製造販売に許認可が必要で、酒税を払わねばならないとか。そんなぁ……、水を簡単にワインにして儲ける作戦が。何をするにも、お金が掛かりすぎる!!!


 とにかくファリニシュを縛ろうとしたら、シメオンが止めた。

「私が側にいれば、人を襲わせはしない。このような犬は、強者を嗅ぎ分けるものだ」

 さすが強い吸血鬼の自負があるわ。自分で歩かせるので、ラウラが軽く回復をかける。念の為に回復しすぎないようにする。


「慈悲なる女神ブリージダよ、癒やしの力を与えたまえ。優しきかいなにて、傷つきしものを包みたまえ」


 黄緑色の柔らかい光に包まれ、ファリニシュがスッと立ち上がった。ヨロヨロしていたのがウソみたいだわ。まあ私が痛めつけたんだけれども。

 ファリニシュの処遇やラウラが来た理由を知りたいので、とりあえず場所を移す。木工所の裏で話し込んでしまっても迷惑だから。

 シメオンが注文の品を受けとり支払いを済ませて、案内をしてくれたスラムの子供たちと別れてから、犬も入れる喫茶店へ移動した。


 聖騎士が同行しているだけあって、店員がやたら丁寧だわ。個室に案内され、メニューを広げる。料理の名前しか書いてないわ、文字が読めるそれなりの層を相手にする店ね。

「先に言っておくけど、私は銅貨一枚だって払わないわよ」

「……俺が全て支払う、遠慮せずに注文してくれ」

「じゃあ、とりあえず全部」

「食べる分だけ注文しろ!!!」

 騎士エルナンドに怒られた。

 せっかくの奢りだ、できるだけ高いものを選ぼう。メニューを一通り眺める。知らない料理もあるわ。いっそ挑戦するのもいいかも。


「私は自分で払う」

「いや、一人分だけ出さないのも、俺の気が済まない。今回は全て俺に負担させてくれ」

「……では遠慮なく。赤いワインと、トマトとチーズのカプレーゼを頂こう」

 相変わらず気取ってるな、吸血鬼は。食事はそんなにいらないんだっけか。

 全員のメニューが決まったので、ベルを鳴らして店員を呼ぶ。ここはそういうシステムなのねえ。

「私はステーキ! 一番分厚いヤツ! パンとサラダもちょうだいね」

「シャロン姉さん、お肉好きですね。私はクラブハウスサンドとオニオンスープをお願いします」

「俺はナスのトマトソースパスタと、サラダで。あとこの犬に、豚肉でも持ってきてやってくれ」


 注文が終わり店員が出ていくと、エルナンドはシメオンの足元にうずくまるファリニシュに視線を移した。

「……その犬はどうされるおつもりで?」

「私の屋敷の番犬にする。毛皮で作ったワインは密造酒になると言うが、自分や仲間に振る舞うくらいなら許されるのだろうか?」

「ええ、個人で消費する分には問題ありません。販売しなければ」

 やたら疑うような眼差しが私に向けられる。犯罪までして稼ごうとは思わないわよ。

「いいわ、シメオンさんにお預けします。売れないものを世話する趣味はないわよ」

 支出しかないなんて、とんでもない。ファリニシュの毛皮で作るお酒を売っても儲かるか分からないと知っていたら、あのままとどめを刺したのに。


「逃がしたり人に危害を加えないよう、注意してくれ。何かあったら、次は俺が始末する」

 エルナンドは厳しい声色こわいろで告げた。

 魔物を退治するのは使命だと思ってそうだから、生かしておくのは不本意なんでしょうね。

「しっかり躾をしよう」

 自分の命運を話し合っているのも分からず、ファリニシュは床に寝そべって目を閉じていた。シメオンといると吠えもしないし、本当に大人しいわ。


「それにしても、魔物まで金儲けの糧にしようとは……。とんでもないな、だから聖女を剥奪されるんだな」

 うわー、嫌な感じ! 聖女の称号の剥奪と、お金儲けは関係ないのに!

 私はそっぽを向いて無視した。お肉まだかなー。

「ふっふっふ。序の口ですよ! シャロン姉さんは“強欲のシャロン”の二つ名を持ってるんですからね!」

「強欲の……シャロン?」

 胸を張って人差し指を立てるラウラに、エルナンドが間抜けな表情で繰り返す。

 そうなのだ。私には強欲のシャロンという、立派な二つ名があるのよ。聖プレパナロス自治国の聖人、聖女の二つ名は、七聖人しか持てない特別なものなの。


 エルナンドは呆れたような瞳をしている。ああ、この素晴らしさはアホ聖騎士には難しかったわね!

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