第33話 尼港事件

「尼港......?」

 聞いたことのない地名に、すざくは首を傾げる。

 唯依ゆよりは地図の上に、人差し指でその場所を示した。樺太の北のほどにある町。ロシア領ではあるが、日本人も数多く住んでいるらしい。

「白軍と赤軍が争っていた係争地でもある」

 すっとロシア語の新聞を開く唯依ゆより、視線を紙面に巡らすとため息をつく。

「『現地からの連絡によると、ニコライエフスクは赤軍のパルチザンに包囲されつつあり。日本軍守備隊がいるも、寡兵。無線は途切れて、現在連絡は取れない状況にある』とウラジオストックの新聞は報じている」

 細かく新聞の記事の内容を説明する、唯依ゆより

「ユーリとはウラジオストックの郊外で出会った。雪の中に埋もれ、ボロボロになっていたのを。僕は彼女を手当した。同じ『魔法少女』であることがわかったからね。なかなか口を利いてくれなかったが、心をようやく開いてくれたとき、身の上を語ってくれた。自分はロシア皇帝に仕える、『魔法少女』であると。聞いたことがあった。白軍に『赤い真珠クラースナヤ・ジェームチゥク』という魔法少女がいることを。各地で赤軍と戦い、活躍するが時勢には勝てずに何処かへ落ち延びたとも――」

 今、ユーリは部屋にいる。あの後、熱が出たようで安静にした上で、医者が往診にきて対応しているはずだ。

 二人は寮のだれもいなくなった食堂で、紅茶を飲みながら難しそうな顔を突き合わせていた。

「その後、かなり回復したユーリはまた何処かに消えてしまった。ただ一枚、メモを残して」

 そういいながら、茶色くなった紙を唯依ゆよりは取り出す。そこにはぎこちない筆跡でロシア語の単語が書かれていた。『Спасибо《ありがとう》』と。

「ユーリがどうやって日本まで来たかはわからない。何かをお願いしようとして、乗ったこともない船に隠れて、この東京まで着たんだろ」

 唯依ゆよりは遠い目でそう、つぶやく。

「聞いてみようよ。ユーリに」

 すざくがそう促す。

「ユーリが落ち着いたら、なんで日本に来たかを。もし手伝えることがあれば――」

 くすっと唯依ゆよりが笑う。

「すざくはお人好しだね。初めてあったユーリにそんな優しく――」

「友達だから」

 強い口調でそう、すざくは訴える。

「友達か、そうだね。僕もそうだな。彼女は僕を頼ってきた。それに答えるのも魔法少女の道というものだろう――」

 そう言いながら、紅茶を口に含み立ち上がろうとした瞬間、けたたましい呼び声が響き渡る。

 それは先程、ユーリを往診に来た医者の看護婦であった――

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