8話 ナギとしずく!

 小学生のころ、冬川しずくは人見知りだった。


 大好きなのは、一人で小説、漫画、アニメを嗜むこと。現実とは違う物語の世界に入り込むことが楽しくて。


「禁忌に触れるでない。凍てつく炎に身を焦がされようぞ」


 ついつい、セリフを持ち出しては、自分の世界に入り込んでいるような少女だった。


「しずくちゃん、何言ってるかわかんないよ……」


「いこ、読書の邪魔しちゃ悪いよ」


 一人でいるのが好きだから一人になったのか、一人になってしまったから、一人で遊ぶことを覚えたのか、思い出すことはできない。


 それでも、しずくは一人で遊ぶことが苦にならなかった。


 そういう点では、人見知りというよりも、もともと、それほど他人に興味が持てなかったのかもしれない。


 他人から自分の好きな物語をからかわれたり、否定されたりするのは大嫌いだった。


 しずくはいつも一人だった。


 このときから、しずくの心には冷たい氷の壁が生まれ始めていた。


 ある日、卓球経験者の母親から進められ、小学校から卓球を始めた。同学年の子と、もっと交流させてあげたいという母親の優しさだったのかもしれない。


 しずくには幸か不幸か卓球の才能があった。所属クラブの誰よりも上手くなり、愛想を振りまかない、他人と関わりを持とうとしないしずくは、冷ややかな目で見られた。


(卓球が個人種目でよかった……)


 しずくはいつもそう思った。


(人と関わらなくていい。私には、物語の世界があるもの)


 しずくは団体戦用の傭兵として、所属クラブから重宝された。チームメイトも、試合にただ勝ち続けるしずくに、何も声をかけることはなかった。


 試合に勝つ、卓球の実力が上がるに連れ、しずくの心は凍り付いていった。


 とある団体戦の決勝戦。しずくはシングルスに出場。


(今日も勝っておしまいね……)


 そんなしずくの運命を変える出会いがあった。


「ふーん。あなたが氷の女王って噂の子ね!」


 試合前に声をかけられる。初めての経験に、しずくは思わず対戦相手の顔を見る。


 自分よりも一回り小さい身長の女の子。可愛い顔立ちとは裏腹に、自信に溢れた表情をしている。


「あなたが女王と呼ばれるのも、今日が最後よ! 何故なら私があなたを倒すから!」


 勝気な少女は、しずくに人差し指を突き付ける。


「あ……」


 しずくは呆気に取られるものの、少女の挑発を静かに無視する。


「! 無視とはいい度胸ね……! 絶対かーつ!」


 勝気な少女は、ぐぬぬと、しずくの背中にそう叫んだ。


(変な子……でも……!)


 少女の実力は、その自信通り相当なものだった。小さな身体全身でプレーするその卓球には、卓球をする喜びが現れていた。


(楽しそう……私は、どうして卓球をしてるんだろう……)


 卓球で勝つこと自体は悪い気はしなかった。でも、それは本音じゃない。いつも独りぼっちのしずくは母親の優しさに少しでも答えたかった。安心させてあげたかった。


(私は、自分のために卓球をしていない……こんな姿を見せても、ママは喜んでくれない……)


 それなら、自分が卓球を続ける理由もない。


 しずくは、久しぶりに試合で敗れた。


 そんなしずくに声をかけるチームメイトは誰もいなかった。


「ふう……癒しの時」


 団体戦。自分の試合が終わると、しずくはチームメイトの試合を見ない。人気のないところで、一人で身体を休めていた。


「……もう卓球、辞めようかな……」


 これ以上、卓球を続ける意味を見出すことができない。また一人で遊ぶ日常に戻るだけだ。


(ママには悪いけど……)


 先ほどの試合の試合を思い返す。久しぶりに試合に敗れた。


(あの子があんなにも強いのは、きっと卓球を楽しんでいるから……?)


 もしそうだとしたら、あの子に勝てる日はやってこない。チームメイトにも、いつか必ず追い越されるだろう。


(おもしろく、ない……あれ……?)


 そのとき、しずくは自分の頬を伝う汗とは別の雫に気が付く。そして、


「あなたは、卓球辞めるの?」


「え……?」


 しずくに思わぬ声がかかる。顔を上げると、そこには、


「もう顔を忘れたの? 氷の女王、あなたに勝った、雪凪ナギよ!」


☆ ☆ ☆


「ど、どうしてここに……」


 団体戦はまだ続いているはずだ。しずくは突然現れたナギに目を丸くした。


「それはこっちのセリフよ! せっかく私が高らかに勝利宣言をしようと思ったら、すぐにいなくなるんだもの」


「そ、それだけのために……?」


「そうよ、悪い?」


 ナギは堂々と腕を組み、そう言い放つ。


「そんなことより、あなた、卓球辞めるの?」


「……!」


 先ほど独り言で漏らした言葉が、ナギに聞こえていたのだ。


「……辞めるつもりだよ。卓球、楽しくないし」


 しずくは、もうどうでもいいと、半ば投げやりに言葉を零す。


「そう。確かに試合中のあなたは、冷めていたわね。氷の女王って呼ばれてるのも、それが理由かしら」


 しずくは黙って応えない。


「楽しくないなら、無理に続ける必要はないんじゃない? でも、あなたなら、私のライバルになってくれるかもって期待したんだけれど」


「……期待?」


 しずくは僅かに顔を上げる。


「だって同年代で、私と渡り合えるのってあなたくらいじゃない。あなたが本気になってくれれば、私たちはもっと強く、楽しく卓球ができる。そう、思ってた」


 少し寂しそうな表情を見せるナギに、しずくは思わず質問を零す。


「……あなたは、どうしてそんなに卓球を楽しめるの?」


 そう、発言してから、しずくは驚く。


 これまでに、他人に興味を持つことなんて、ほとんどなかったのに。


(この子は、本当に楽しそうに卓球をしていた……)


 自分とは真逆な少女。何が彼女をそうさせているのか。


「いい質問じゃない。私はね……」


 すると、ナギはゆっくりと立ち上がり、手に持ったマイクを口に近づけるポーズをする。


「たっきゅーと!のアイドルになりたいの!」


「たっきゅーと……?」


「な! あなた、たっきゅーと!を知らないの!? たっきゅーと!っていうのは……」


 二人は、暫くの間、試合中ということも忘れ、たくさんのことを話し合った。


(この子……すごく、きらきらしてる)


 自分の夢を夢中に話す少女の姿は、とても輝いていて。


(私も、こんなふうに輝けるのかな……)


 しずくは心の中の氷が、ゆっくりと溶けてくいくように感じた。


 二人が試合会場に戻ったときには、丁度決着がつく瞬間であった。


「……いつもどこ行ってるの……」


 試合に負けて、準優勝が決まる。チームメイトからいつも心無い声が聞こえる。


(私なんて、いてもいなくても変わらない……)


 そう言い返したくなるが、試合を見ていなかったことは事実。しずくは口を手で塞ぐ。


「おめでとう~みんな!」


「何、言ってるの、ナギちゃんがいたからだよ!」


 相手チームを見ると、歓喜の輪の中に、少女、ナギの姿が見えた。


(いいな……)


 ナギの近くにいるチームメイトまで、すべてが輝いて見える。


(私も、あの子の、ナギちゃんの傍にいたら、変われるかな……)


 しずくはもう一度、静かに涙を流す。


(卓球も、楽しめるかな……)


 一度は、辞めてしまいたいと思った。でもいまは、


「……ナギ、ちゃん!!」


 思わず、しずくは大きな声を出していた。


 その声に、ナギも振り返る。


「つ、次は、負けない……!」


 そう叫んだ、しずくに、


「次も、その次も、勝つのはずっと私よ!」


 ナギはそう不敵に笑い返して見せる。


 その後、二人の戦いは、同大会の個人戦、フラワーギフト学園入学試験、そして、フラワーギフト学園レギュラー戦へと続いていくことになる。

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