9話 夢咲ハナVS天使歌羽!

 ハナは2球目のサーブを打つ。そのサーブは歌羽が使用した無回転サーブのフェイクに似せたものだった。ハナはたっきゅーと!の試合中、ただ見ていただけではなかった。少しでも二人の技術を吸収しようとした。


(『デビルフェイク』、すごく可愛かったから、一度やってみたかった!)


 自信を持って打ったサーブだった。しかし、歌羽は何の迷いもなく、そのサーブの回転を読み、バックハンドで弾く。ハナはその打球に触れることができなかった。


「自分のサーブの物まねにやられるほど甘くないよ! ハナちゃん」


 歌羽はいたずらっぽくハナを見る。ハナもやられたと小さく舌を出す。


 得点は1-1。試合は続いていく。


(いまの打球、歌羽さんは本気だった。この、ハナちゃんっていう子、確かに、本人を前に私たちのまねをする度胸、それを可能にする技術があって、驚いたけど……)


 ハナは小細工をやめ、自分ができる全身全霊を持って歌羽に向かった。それでも歌羽は甘くない。


(すごく、楽しそうに打つんですね)


 得点を失って、悔しそうにはするもの、笑顔を失わない。そんなハナを見て、茉子は歌羽に少し似ていると感じた。


 試合が進み、得点差がどんどん開いていく。


 歌羽と試合をして、ハナは気づいた。まるで悪魔があざ笑うように、相手の逆を読む『デビルフェイク』。そこに目がいきがちになるが、歌羽が本当にすごいのは、そこじゃない。


 まるで、天使の羽。相手の打球に追いつく、柔らかい無駄のないフットワーク。そして、繊細なボールタッチ。この二つが根底にあるからこそ、余裕を持ってフェイントを入れることができる。球の回転を変えられる。『デビルフェイク』が活きてくる。


 天使のような動きから生まれる、悪魔の技術。


(強い…! 歌羽さんは、本当に強い…!)


 ハナがいままで体感したことがない強さだった。


 得点は9-3。歌羽が試合を支配する。そして、


「じゃあここでアイドルボールを使おうかな」


 歌羽がアイドルボールを宣言する。ハナはそのとき、アイドルボールのルールを改めて意識した。


(アイドルボールは得点を取った人に2点入る! この得点を取らないと、このセットは私の負け……!)


 サーブ権はハナ。いつも手に握っているボールとどこか重さが違うように感じた。初めて感じる2点分の重みが、ハナにプレッシャーを与えた。


 ボールを上げ、いつものようにサーブを打った、はずだったのだが。ボールはネットを超えることはなく、ハナのコートに転がった。


 サーブミス。ハナは自分のミスでセットを失った。


「ラッキー。このセットは私のものね」


 歌羽はひらひらと手をハナに振る。ハナは自分がプレッシャーに負けてしまったことが何よりも悔しかった。


(よしっ! 切り替えよう! 次のセットだ!)


 ハナは頭をぶんぶん振り気持ちを切り替えようとする。タオルで汗を拭い、集中力を高める。


 第2セットが始まる。その瞬間、


「アイドルボールをお願いします」


 歌羽が開始早々、アイドルボールを宣言した。ハナは何が起きたのかわからないという様子だった。


「アイドルボールは早いもの勝ち、いつでも使えるんだよ、ハナちゃん」


 歌羽はハナにウインクをする。ハナはいきなりアイドルボールが使われることなどまったく考えていなくて正直動揺した。


(大丈夫! いつも通り打てばいい!)


 自分にそう言い聞かせるものの、先ほどのミス、アイドルボールの重みが脳をかすめる。


(まだ、序盤。この得点を失っても巻き返せばいい)


 その考えがすでに弱気になっていることに、ハナは気づけなかった。頬を汗がつたう。


 歌羽からサーブが放たれる。歌羽が得意とする、回転がわからないようにフェイクを入れたサーブだった。


(下回転か、無回転……! どっちだ……!)


 一瞬の気の迷い。ハナの判断が遅れる。サーブの回転がわからず、とりあえす、球をツッツキで返そうとする。しかし、球はコートに弾むと、急激にハナの手元で横に曲がった。


(うそ……! 横回転……!)


 ハナのラケットに当たった打球は、相手のコートとは別のところに飛んでいってしまった。ハナは歌羽のサーブを返すことができなかった。 


 アイドルボールにより、2得点が歌羽に入る。


(さぁハナちゃん。ここからどうする?)


 気にしなくていい。そう自分に言い聞かせるが、ハナは心を立ち直すことができない。強張った表情で打球をただ追う。それは、歌羽にとって、ただのカモだった。お得意の『デビルフェイク』で、ハナをさらに惑わす。


 ハナは自分のミスを連発し11-1で2セット目も落とした。


(まったく、意地悪なのはどっちですか歌羽さん。彼女から笑顔がなくなってしまったではありませんか)


 ハナの様子を見て、茉子は同情をしてしまう。


(おそらく、アイドルボールを経験したこともない子に、あんなにアイドルボールで揺さぶりをかけて。彼女、たっきゅーと!のことを嫌いになってしまいますよ)


 茉子は少し、抗議をする意味合いも込めて歌羽のことをにらむ。それでも、歌羽は涼しい顔をしている。


 ハナは落ち込んでいた。自分から勝負を挑んで、自分らしいプレーもできずに何をやっているのだろう。力なくラケットを握る。


(歌羽さんはもちろん強い。でも私が情けない……)


 わざわざ二人の時間をもらって、メグムにも協力をしてもらったのに。


「ハナちゃん、一つだけアドバイス」


 そんなハナに歌羽がふと声をかける。ハナは下を向いていた顔を上げる。


「1セット目は、そんな顔してなかったよ。楽しむこと、笑顔を忘れないでね」


 ハナはそう指摘され、自分がひどい顔をしていたことに気づいた。1セット目はもっと歌羽と試合できることに、卓球ができることが嬉しくて、楽しかったはずだ。


(確か、メグにも前に、笑顔が好きって言われた……)


 あのときはすごく照れたけれど、嬉しかった。


(いまメグが私を見たら、何て言うかな)


 そう考えると少しハナの口元が綻ぶ。そうだ。せっかくもらえたこのチャンスを楽しまない手はない。


(少しでも長くこの時間を! それで歌羽さんに勝とう……! そしたら、きっとメグはびっくりするはず!)


 ラケットをいつものように優しく握りしめる。いま思えば1セット目も、歌羽と試合ができることで、力が入りすぎていたのかもしれない。


(ここからだ、私の卓球は!)


 ハナはボールを高く上げ、サーブを放つ。短い下回転サーブで試合の展開を作る。歌羽がツッツキで返した球をハナも短くツッツク。


(歌羽さんは、フットワークとボールタッチが天使の羽みたに軽い。そして、余裕を持たせてしまうと、『デビルフェイク』がくる。それなら、純粋な打球反応の速さで勝負する!)


 ハナは茉子がたっきゅーと!の試合で決めた、角度打ちを思い出す。ボールをラケットの角度で打ち込む強力な打球。


(いまだ!)


 何球も続いたツッツキ合戦の中で、少しだけ高く浮いた球。ハナはそれを見逃さなかった。打球を歌羽の身体のミドルの位置に打ち込む。歌羽はなんとか返球したものの、高く打球が浮いてしまう。


(スマッシュがくる……!)


 歌羽はハナのスマッシュに備えて軸足を後ろに下げる。しかし、スマッシュは飛んでこなかった。ハナはスマッシュを打つフェイントをして、優しく打球をネット際に落とす。2バウンド以上した球は、歌羽のコートに転がった。


 その相手の逆をつく、鮮やかなフェイントは、歌羽の『デビルフェイク』を連想させた。


「よしっ!!」


 ハナは笑顔でガッツポーズした。


(楽しい……楽しい!)


 心が、身体が喜んでいるのを感じた。もっと、もっと打ちたくなった。


 そんなハナの様子を見て、歌羽は茉子にウインクをする。


(はぁ。わかりました。歌羽さん。あなたの言いたいことは)


 茉子は小さくため息をしてハナを見る。


(ハナちゃんか……)


 そして、少しだけ誰にも気づかれないように笑みを見せた。


 ハナはその後も歌羽に喰らいついた。リードを許しては追いつく展開。自信を持ってプレーをするハナの打球は面白いくらいに相手のコートに向かった。


 9-8。歌羽が一点リードした状態で迎えた次の得点。ハナの打球はネットをかすめ、歌羽のコートに転がった。ネットイン。ハナは9-9の同点に追いついた。


(ここでアイドルボールを使うのもありだけど、いまみたいなネットインされると3セット目を失う可能性もあるよね。どうしようかな)


 そう歌羽が一瞬考えた瞬間だった。


「アイドルボールをお願いします!」


 笑顔で何の躊躇もなく宣告したのは、ハナだった。


(この得点を取れば、このセットは私の勝ち。取られれば私の負け……)


 プレッシャーがかかる場面であることをハナはわかっていた。でもさっき負けてしまったこのプレッシャーに、自分に打ち勝ちたい。


(笑顔を忘れるなハナ。楽しむんだ。だって、卓球は楽しいものだから!)


 歌羽はハナのアイドルボール宣告に驚くが、すぐに笑みを浮かべる。


 そして、歌羽がサーブを放つ。ハナはそのサーブを打ち出すラケットの角度、これまでのフェイクのパターンから、下回転だと冷静に判断する。『デビルフェイク』を破った、そう思った。


(この短時間で『デビルフェイク』についてこれるようになったのは本当にすごいね、ハナちゃん。でも、『デビルフェイク』は、試合を決めるための必殺技じゃない。自分の卓球をするための布石なんだよ)


 歌羽は軽やかなフットワークで回り込み、3球目攻撃を仕掛ける態勢を取る。ハナは、サーブをツッツキで返すように誘導されていた。この3球目攻撃につなげるために。力強いスマッシュがハナのコートに打ち込まれる。ハナはその打球に必死でラケットを伸ばす。


(お願い、当たって……!)


 ラケットに、ぎりぎりのところで球が触れる。歌羽のスマッシュの勢いを利用して球が歌羽のコートへと返る。その球は台の角に当たった。エッジボール。打球の角度が変わり、その打球をハナは見守る。


 そのとき、歌羽に天使の羽が生えているようにハナは見えた。


 落ちていく球の先に、歌羽のラケットがあった。無理やりしゃがみ込み、歌羽はエッジボールを打ち返した。


(すごい……やっぱり、歌羽さんはすごい)


 態勢の崩れていたハナは、逆サイドに向かう打球を見送ることしかできなかった。


 試合が終わる。セットカウント3-0で歌羽が勝利した。


(終わっちゃった。私、負けたんだ)


 ハナはたっきゅーと!の試合を見ていたときから、歌羽の方が自分より強いことはわかっていた。試合に臨むことが無謀なことも。それでも、


(あれ、なんでだろう。わかってたはずなのに……)


 ハナは頬を伝おうとする涙を、歯を食いしばり堪えようとする。でも我慢はできなかった。


「悔しい、なぁ……!」


 ハナは泣いた。もちろん試合は楽しかった。でも悔しい。


「ハナちゃん……。よしよし」


 歌羽は泣き出すハナを優しく抱きとめる。


「歌羽さぁん……ありがとうございます……」


 ハナはその後少しの間、歌羽の胸の中で泣いた。歌羽と茉子は何も言わず、ハナを見守ってくれた。

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