8話 ハナのわがまま!
『それでは皆さん! 次のたっきゅーと!でお会いしましょう! 気をつけてお帰りください!』
試合はルージュ&ノワールが4対1で勝利した。ルージュ&ノワールによるウィナーライブが終わり、興奮冷めやらぬ中、まばらに観客が席を立ちあがり始めた。
ハナとメグムはくたっと背もたれにもたれ掛かる。とても楽しかった時間が終わり、二人とも気が抜けてしまったみたいだ。
「みんなすごかったね、メグ。メグが前に言っていたこと、私、なんだかわかった気がする」
「ハナ……。えっへへ、楽しんでもらえたのなら私は嬉しいよ」
ハナとメグムは顔を合わせて笑い合う。
メグムは観戦中に使ったグッズの片付けに入る。そのとき、ハナがゆっくりと立ち上がり、口を開く。
「メグ、たっきゅーと!が終わった後って、アイドルの人たちの出待ちとかってできるのかな」
「出待ち……? できなくはないと思うけど、どこからアイドルの人が出てくるのか確信はないよ? あ、もしかしてハナ、サインとかほしくなっちゃったの」
メグムはどこか嬉しそうにハナを見る。
「私は、天使歌羽さんと会ってみたい」
「え、会ってみたいって……?」
ハナは自分のカバンからいつも持ち歩いているラケットを取り出す。
「私は、歌羽さんと試合がしたい!」
「ハ、ハナ……」
メグムはハナの顔を見る。その表情は冗談ではなく、真剣なものだった。
「メグが誘ってくれたフラワーギフト学園の受験の話、もう少しで答えが出そうなの……!」
ハナはメグムに向かって微笑みかける。
「もう……ハナは打ちたがりなんだから」
メグムは小さくため息をつき、そして、席から立ち上がる。
「総合体育館からの出口となると、二階の入り口、一階の正面玄関、裏口、第二体育館の出口があるね。一階にアイドルの人たちの休憩室があるはずだから、わざわざ人目につく二階からは出ないと思う。となると、三択になるね」
メグムは額に手を当て、じっくり考える。
「メ、メグ! 協力してくれるの?」
「えっへへ、当たり前でしょ。私にできることなら手伝うよ、ハナ」
「ありがとう~メグ~」
ハナは感極まってメグムに抱き着く。
「メグ大好き~」
「えっへへ、でも会えるかどうかもわからなし、ましてや試合だなんて99%できないと思ってね?」
「うん! うん!」
ハナはメグムのことをぎゅっと抱きしめる。メグムは人前で少し恥ずかしくなったが、優しくハナの頭を撫でてあげた。
☆ ☆ ☆
ハナとメグムはアイドルたちが出てくる可能性がある場所を二つに絞った。それは一階の正面玄関と裏口付近。地方で行われるイベントの場合、出待ちをするファンはそこまで多くない。アイドルが自分からファンサービスをしてくれる可能性もある。
しかし、やはり混乱を避けるため、裏口から出ることも考慮に入れなければならない。第二体育館の出口も注意が必要であるが、駐車場から少し距離もあり、可能性は低い。
ハナとメグムは相談し、二手に分かれることにした。メグムは一階の正面玄関。ハナは一階の裏口で待つ。
これは二人とも携帯電話などの連絡をとれるツールを持っていないことを考えた上での作戦だった。正面玄関に現れるということは、多少なりともファンサービスを行う可能性が高い。もしアイドルが現れたときは、その間にメグムがハナを呼びに行く。裏口に現れたときは直接ハナが会うことができるという算段である。
正面玄関にはファンがまばらに集まっていた。メグムはその集団の中に入っていく。
ハナは裏口付近に待機する。こちらは正面玄関に比べ人が少なかった。それでも、みんな考えることは大体同じだった。
(きてくれるかな……)
ハナはじっと待った。どれだけ時間が過ぎただろう。メグムも呼びにはこない。そのとき、
「こらこらここは関係者以外立ち入り禁止だよ。アイドルの人は通らないから集まらない」
裏口の扉が開かれ、ハナたち出待ちをしていたファンは警備員の人に注意され、解散させられてしまった。
ファンたちはしぶしぶ正面玄関の方へ向かって行った。
ハナも肩を落として、その集まりについて行こうとしたが、ふと足を止める。
(ちょっとだけ、第二体育館の出口の様子を見に行こうかな)
その少しの思い付きが、ハナを歌羽とめぐり合わせる。
ハナが第二体育館の方へ行くと、周りに人はほとんどいなかった。それでも、ハナの耳には微かに音が聞こえた。
きゅきゅとシューズが床を捉える音。
弾む軽快なピンポン球の音。
ハナは第二体育館で誰かが卓球をしていると気づいた。その音の激しさ、スピードは、どこかで聞いたことがある力強さだった。
ハナは思わず駆け出し、第二体育館の入り口へ向かう。扉には鍵がかかっていた。足元にある小さな出窓にもカーテンがかかっており、中は確認ができない。そこに遠くから数人の慌てた会話が聞こえる。
「おい! 正面玄関からアイドルが出てきたって! 行ってみようぜ!」
携帯電話を見ながら正面玄関の方に向かう数人。それでもハナは行かなかった。
(違う。歌羽さんはここにいる……!)
ハナは周りに人がいないことを確認すると、大きく息を吸った。そして、全身で吐き出した。
「天使歌羽さ~ん‼ 私と試合をしてください~‼」
ハナは自分が出せる最大の声を出した。
(のどが痛い。届け、届いて……!)
ハナはただ祈ることしかできなかった。すると、先ほどまで聞こえていた卓球をする音が第二体育館の中から聞こえなくなった気がした。
そして、ハナの目の前の扉からガシャンという大きな音がしたかと思うと、扉は開かれ、トレーニングウェアに身を包んだ天使歌羽が顔を出した。
ハナは望んでいた出来事が唐突に実現し、言葉を出すことができなかった。口をパクパクと開き、歌羽を見る。
「すごく可愛い声が聞こえたけど、さっきの声はあなた?」
歌羽は少し首を傾げながら、優しくハナのことを見る。
「は、はいそうです!」
ハナは歌羽の表情を見て少し緊張が解けたのか、なんとか声を絞り出す。
(うわぁぁ近い! 本当に可愛い人だなぁ)
さっきまでステージに立っていたアイドルに直接出会い、ハナは胸がドキドキした。
「私の名前が聞こえた気がしたけれど、よくここがわかったね。サインがほしいの?」
歌羽は優しくハナの頭を撫でて緊張を解こうとしてくれる。そんなとても親切な対応に感謝しながらも、ハナは自分がここにきた理由を思い出す。
(言わなきゃ……とてもわがままで、失礼なことかもしれないけど……)
この機会を逃したら、絶対に後悔してしまう。ハナは勇気を振り絞って歌羽を見た。
「歌羽さん! よかったら、私と試合をしてください!」
ハナの予想外の言葉に、歌羽はきょとんとなる。
「試合って、卓球の?」
「は、はい! そうです! わ、私も卓球をやってて、歌羽さんのたっきゅーと!を今日見て、歌羽さんと打ってみたくなりました……!」
ハナは一生懸命に、正直に歌羽に思いを伝える。返事が怖くて目をつむってしまう。
歌羽はそんなハナの様子を見て、一つ質問する。
「えっと、あなたの名前はなあに?」
「わ、私は夢咲ハナです……!」
ハナは目をつむりながら答える。そんな様子が愛らしく、思わず歌羽はくすりとする。
「あと一つだけ質問。ハナちゃん。あなたはいま小学何年生?」
「六年生です……!」
「なるほどね。うん、ありがとう!」
歌羽はハナの髪を優しく撫でる。そして、
「よしっ! じゃあ試合しよっか! ハナちゃん!」
少しいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「え、いいんですか?」
ハナは予想外の歌羽の軽いノリにどぎまぎしてしまう。
「うんうんいいよ! まだ時間に余裕もあるし、いまトラちゃんとお互いの近況を報告し合いながら打ってただけだしね。こっちおいで?」
歌羽はハナを第二体育館に招き入れ、扉の鍵を閉める。
「これで、よし。おーいトラちゃん!」
第二体育館の中には中央に一台卓球台が置かれ、そこに歌羽と同じトレーニングウェアを着た、茉子シュバインシュタイガーがいた。
「歌羽さん! その子はどうしたんですか?」
茉子は歌羽が連れてきたハナを見て驚く。
(わわ! 茉子シュバインシュタイガーさんだ……! 綺麗……!)
ハナは目の前の茉子の美しさに息を飲む。
「私、いまからこの子と試合をするから、審判をお願いしてもいい? 5セットマッチ!」
「お話がうまく呑み込めませんが……」
「さっきハナちゃんに試合を申し込まれたの! 逃げるわけにはいかないでしょう?」
「試合を……? この子が?」
茉子は首を傾げ、ハナを見る。
ハナは茉子に見つめられ再び緊張感が高まる。
「あ、あの私、二人の試合を見て感動して……! 私も試合をしたくなったというか、けじめというか……!」
ハナは慌てて自分が何を言っているのかわからなくなる。
「こらトラちゃん! ハナちゃんをいじめないの!」
「な! いじめてるわけじゃないですよ! ご、ごめんなさい」
茉子は顔を赤くしてハナに頭を下げる。
「い、いえいえ! 私こそお二人の時間にお邪魔してごめんなさい!」
ハナもつられて深々と頭を下げる。
「もう二人とも何やってるの。よし、ハナちゃん顔を上げて台について、始めましょう。試合を」
歌羽はハナに卓球台につくように促す。ハナはカバンからラケットを取り出し、言われるがまま台につく。
「よし、トラちゃん審判よろしく! ルールはアイドルボール適用の5セットマッチでいい?」
「……! アイドルボール……! わ、わかりました!」
ハナはアイドルボールが適用された試合を行うのは初めてだった。それだけではない。プロの人と試合をすることも。
「サーブはハナちゃんからでいいよ!」
「は、はい!」
目の前に歌羽がいる。ハナは緊張感がもっと高まると思っていた。それでもラケットを強く握ると、浮かび上がってくるのは好奇心だった。
(不思議な気持ち。本当に目の前に歌羽さんがいる。私の卓球はどこまで通用するかな)
自然と口元が緩むのを感じる。
(思いっきりぶつかろう。私の全てで!)
ハナはサーブを放つ。そのサーブは茉子が先ほどの試合で打ったモーションと同じ、高速横回転サーブだった。
歌羽はそれに驚いたのか、反応が少し遅れた。ラケットの角度を合わせきれず、回転を殺すことはできなかった。ふわりと浮かんだ球が、ハナのコートに入る。その球をハナはフォアハンドでスマッシュした。
打球は軽快な音をたて、歌羽のコートに決まる。
「よしっ!」
ハナは得点が決まると小さくガッツポーズを作る。
(へぇ~。ちょっとびっくりしたかも。でも面白い子ね)
歌羽はハナを見る。そして、集中する。まるでたっきゅーと!の試合に挑むように。
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