第2話 支部長室にて

「それで、今ここにそのような状態でいると……」


 今、私の目の前には白衣を着た女性が座っている。年齢は七十代くらいだろうか。

 髪は白く染まっており、顔に刻まれたシワの数が彼女が生きてきた歳月の長さを感じさせた。

 彼女は机の上に肘を置き、両手を組んだその上に顎を乗せていた。眼鏡越しに見える赤い瞳は睨むようににこちらを見つめている。


「あ、あはは……いや、その、すいません。ちょっと、寝坊しちゃいまして……」


 私は彼女の威圧感に押されながらも必死に弁明を試みる。


「寝坊?」


 その言葉を聞いた途端、彼女の表情が変わった。眉間にしわが寄り、明らかに不機嫌な様子になる。


「貴様、自分が何を言っているのかわかっているのか? 

規則では八時までに出勤することになっている。

それがどうして遅刻なんかできるんだ? 

まさかとは思うが、自分が今日から人類の存続に関わる重大な仕事に就くという自覚ができていないんじゃないだろうな? 

だとしたら困ったものだ。

人類の未来がこんなにも頼りないなんて思わなかったぞ。全く嘆かわしい。

これからお前のような奴がたくさん出てくるのか? 

あぁ、頭が痛くなるな。人類の行く末を憂いて頭痛がするよ」


 矢継ぎ早に出てくる鋭い質問が胸に突き刺さってくる。痛い、苦しい、辛い……。


「いえ、その、もちろんわかっています。

でも、これには深い事情がありまして……」


「ほう、どんな事情だ? 言ってみろ」


 ギロリと鋭く光る眼光が私を射抜く。


「実はですね……め、目覚まし時計が壊れていて……気づいた時には七時半を過ぎていたんですよ。それで、急いで家を出たものの、IDカードを忘れてしまって……」


 自分で言っていて情けなくなる。だが、事実なのだから仕方がない。


「………………」

「………………」


 シーンと静まり返る室内。


「……ほう、目覚まし時計ねぇ」

「……はい、目覚まし時計です」


 ドンッ‼︎


「ひぃ!」


 突然のことに驚いて飛び上がってしまった。


「ふざけるな! 目覚まし時計が壊れたせいで遅刻しましただと⁉︎ 何だそれは! 目覚まし時計が壊れたのはお前の怠慢だろうが! 

貴様は目覚まし時計が壊れてたら起きれないほどの怠け者なのか⁉︎ そんなんでよくこの仕事に就こうと思ったな! 

いいか? ここには目覚まし時計などない! 自分で決められた時間に決められた行動が取れるようにするのが当たり前だ。ミスティックは貴様が起きるのを待ってはくれないぞ! 

わかったら二度と遅刻などするんじゃない。次は縛り上げる程度では済まないからな」


 私はコクコク首を必死に縦に振って答える。


「はぁ、よろしい。ではそろそろ本題に入ろう。私はここ『対霧機関(Anti Mistic Institution《A.M.I.》)日本支部』の支部長を務めている天宮だ。よろしく頼む」


「あ、はい、よろしくお願いします。えっと……私は……」


「あぁ、名乗らなくて結構。君のことは知っている」


 彼女は机の上の書類を手に取るとパラパラとめくっていく。


「アスティルベ=S=エフェメラル、十七歳。カナダ難民の両親を持つ。本人は日本生まれ、日本育ち、母国語も日本語。兄弟は妹が一人。両親と妹は長崎でパン屋を営んでいる」

「は、はい、そうです」


 私は彼女の言ったことを確認するように頷く。


「十五歳の誕生日までは成績優秀で勤勉な"普通"の少女として生きた。しかし、十五歳の誕生日に魔法を発現させる。そして、その後、正式な手続きを経て機関の魔法使い養成施設に入学。二年間の過程を終え、今日、晴れて魔法使いとなる。ここまでで何か間違いはあるかね?」


「……ありません」


 彼女は書類をパタンと閉じると再び私を見る。


「さて、聞く話によると君は魔法史上初めての『回復』の想いを抱いた魔法使いらしいじゃないか」


「は、はい」


 私は小さく返事をする。まだ先ほどまでの恐怖が抜けきっていない。


「君の魔法は特別だ。その魔法があれば継戦能力が著しく向上すると期待されている。機関は君の安全と生活を保証する。その対価に君は魔法使いとしての責務を果たすことを約束してもらうが、構わないね?」


「……はい」


「よし、それなら早速だが仕事の話を始めよう」


 そう言うと、天宮さんは机の上に置いてあったノートパソコンを開いた。


「君は今、人類がどのような状況にあるか記憶しているかな?」


 や、やばい……覚えていない……

 私は精一杯頭を回転させて思い出そうとする。


「えーと……確か……生存圏のよ、四割をミスティックに奪われてしまったとかなんとか……だったような気がします」


 ハズレだったのか支部長の顔が険しくなった。


「……違う。現在、人類は生存圏の六割をミスティックに奪われた状態にある。食糧も、天然資源も近いうちに足りなくなる危機的状況だ。

いいか、エフェメラル。どんな知識であろうといつどこで役に立つかわからない。日々アンテナを張り巡らせておくことが重要だ。いざという時に何も知らなかったで済むと思うな。常に情報をアップデートしておくんだ。そうすれば、いざという時慌てることもない」

「は、はい……」

「まぁ、今回は許そう。だが、次はないぞ」

「気をつけます……」

「よろしい。では話を戻そう。現在、人類はミスティックによる侵略の危機にさらされている。そこで君には早速だが戦場に出てもらうことになった」


 え……今なんて言った。戦場に出る? 私が? 嘘でしょう? 私の動揺を無視して話は続く。


「魔法使いは人材不足でな、新米だろうと関係はない。使えるものは何でも使う。それほどに人類の状況はよろしくない」

「ちょ、ちょっと待ってください! 私、戦場に行くんですか⁉︎ 聞いてないですよ! てっきり、怪我をして帰ってきた人の治療でもするものかと……」


 私は慌てて抗議の声を上げる。


「帰還した者の治療など君でなくてもできる。我々が君に期待しているのはそうではなく、戦場で負傷した魔法使いの即時治療による継戦能力の向上だ」


 支部長の表情は全くと言って良いほど変わらない。まるで私の意見なんて初めからなかったみたいに淡々と話が進んでいく。


「君とて、養成施設で一通り訓練を受けて卒業した立派な魔法使いなのだろう? それならばもう戦場に出る準備はできているはずだ」

「そ、そんな……急に言われても……」


 心の準備ができていない。そう言いたかった。でも、さっき叱られた時の言葉が頭をよぎる。

 決められた時に決められた行動を取れるのが当たり前。私を待ってはくれない。

 私はグッと言葉を呑み込んだ。


「そんなに心配することはない。先ほども言った通り、機関は君の安全を保証する。君のような希少な人材を失うわけにはいかないからな。君にはうちの支部でもトップクラスの腕利き魔法使いが二人護衛につくことになっている。彼らが君のことを護ってくれるだろう」

「ご、護衛……」


 そんな話も聞いていない。どうしよう……。不安と焦りが募ってくる。


「そうだ。その二人は君と同じスクワッドに所属することになる。任務中でも任務外でも君の身を守ってくれるはずだ」

「ス、スクワットですか?」

「違う。スクワッドだ。軍隊などで編成される部隊単位のことだよ。六人で一つのスクワッドを作る。軍隊などでは小規模のグループを作ることで、連帯感が生まれて士気の向上につながるらしい。さて、ではなぜ魔法使いもスクワッドを組むか知っているかね?」

「えっと……」


 ……いやいや! 知らないよ! 何でこの人こんな唐突に質問してくるの⁉︎ 私はまた必死に頭を働かせて考える。


「えっと……そ、そう! みんなで戦った方が効率が良いからです!」

「それも正解だ。ただし、それだけじゃない。もう一つ理由がある。それは、魔法が想いを源に発動することに関係する。魔法使いは強い想いを抱いていればいる程強力な魔法を放つことができる。

例えば赤の他人のために戦うのと友人のために戦うのとでは、想いの大きさが大きく異なり、戦闘能力もかなり変わってくる。

そこで我々は常に友人のため戦うような状況を作るため、スクワッドという部隊単位を作ったんだ。せいぜい君も仲間と友情を育めるように頑張るんだな」

「な、なるほど」


 あまり理解はできていないが、なんとなくで相槌を打つ。


「さて、まあ君のスクワッドには護衛の二人以外にも三人ほど居るわけだが、まあ彼らは数合わせだ。特に気にする必要はない」


 私はコクコクと首を縦に振る。正直、数合わせと言う響きはあまり良いものに聞こえなかったが、スクワッドの制度を守るためには仕方ないのかもしれない。


「私からの説明は以上だ。何か質問はあるかな」

「いえ、大丈夫です」

「結構。では、十二時間後に君の初仕事がある。それまでは施設を案内してもらえ。この部屋を出て右にまっすぐ行ったところに案内役がいる」

「わかりました」


 私は椅子から立ち上がり、部屋の出口へと向かう。


「あぁ、最後に一つだけ」


 扉に手をかけたところで後ろから声がかかった。


「はい?」


 その声に振り返る。


「想いというものは案外簡単に薄れてしまうものだ。戦場では自分の想いが薄れないように気をつけろ」

「は、はい」


 私は彼女に背を向けると、そのまま退室した。

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