第1話統合版

第1話 惨劇の後には

「はぁ……はぁ……」


 私は息を切らせながら走る。どこに向かっているかなんてわからない。ただ、ひたすら走った。


「はぁ……はぁ……うぅ……」


 背中からは銃声が響いている。彼女がまだ戦ってくれているんだ……。そう考えると、ますます苦しくなった。


「はぁ……はぁ……」


 私は立ち止まると、壁に寄りかかって呼吸を整える。もう体力の限界だった。


「どうしよう……」


 もう銃声も聞こえない。果たして彼女は勝てたのだろうか。私は不安に駆られる。でも、もう私にできることなんてない。彼女の無事を祈るしかなかった。


「大丈夫かな……」


 そう呟いた瞬間だった。


 ドスッ


 足音が聞こえる。明らかに人間のものではない。私は恐怖で身震いをする。


「まさか……」


 私はゆっくりと音のした方を向いた。そこには先程とは別の四足歩行の化け物。


「嘘……」


 私は絶望的な気分になる。


「キィイアァー」


 化け物は奇妙な声を上げながら、こちらに近づいてくる。


「い、いや……」


 私はパニックになりながら自分の体を探って、武器を探す。

 カチャッ

 手に何か硬いものを感じる。ショットガンだ。体から離れず、まだ背負っていたのだ。


「これなら……」


 私は震える右手でショットガンを構える。


「はぁ……はぁ……」


 息を整えようとするが上手くいかない。手が震えて狙いが定まらない。化け物の体がだんだん大きくなっていく。これなら外さないかもしれない……


「死ねぇぇぇ!」


 私は震える指で引き金を引いた。

 ドンッ……

 破裂音が鳴り響く…………………………


「キィィィィィアァアァア」


 外した。化け物の私を嘲笑うような鳴き声でそう理解した。


「あぁ……」


 左手が死んでいるため、弾を装填することもできない。私は右手で装填しようと試みるが、うまく掴めない。その間にも化け物は迫ってくる。


「やめて……」


 私は涙を流して懇願するが、化け物は止まらない。


「お願い……」


 私は諦めて全身の力を抜き、目を閉じる……。もう苦しまなくて済むと思うと、少し気が楽になった。


「あぁ……結局何もできなかったな……」


——————————


 パラパラ……パラパラ……

 何かの音がする。耳を痛めるような激しい音ではなく、静かな音だ。心地よいリズムに乗っているうちに意識が覚醒していくのを感じる。


「うぅん……うるさいなぁ……」


 寝起きの悪い私は目を閉じたまま、その音の発信源を探す。カーテンが閉まっているため、窓から射す光はない。暗い部屋の中で私は枕元に置いてある目覚まし時計に手を伸ばす。


 ……あれ? おかしいな……。

 何度叩いても音は鳴り止まない。それどころかどんどん大きくなっていくような気がする。


 なんだろうこれ……

 ようやく違和感を覚えた私が目を開ける。そこには鳴り響く目覚まし時計などなかった。ただ、カーテンの隙間からは真っ黒に染まった空がのぞいている。


「なんだ……雨か」


 まだ眠い頭をなんとか働かせて状況を把握する。どうやら外は大雨らしい。

 もう一度眠りにつこうとしたところでふと思い出す。そういえば、今何時だった? 

 恐る恐る、先ほど叩き倒した目覚まし時計を見る。針は七時半を指し示していた。


 ………………まずい…………まずい……まずい、マズい! 不味い‼︎


 一気に目が覚める。ベッドから飛び起きた私は急いで着替えを始める。普段なら寝坊してもさほど大きな問題にもならないのだが、今日だけはまずい! 本当にマズい‼︎

 白い制服を着て鞄を持ち上げると部屋のドアを蹴破るように開けて廊下に出る。そして玄関に向かって走り出そうとしたところで足を止めた。そうだ、一応何か食べる物を……


 台所に向かうと冷蔵庫から食パンを取り出してトースターに突っ込む。続いて戸棚からジャムを取り出すとそれを塗りたくって口に放り込んだ。

 咀しゃくしながら洗面所に行き、顔を洗って、桜色に染まった長い髪をとかす。そして最後に自分の深緑色の瞳を見つめながら、ヘアピンをつけて完了だ。所要時間およそ三分。まだ間に合う!


 再び駆け出して今度は靴を履いて外に出た。バシャバシャと水を跳ね飛ばしながら全力疾走で目的地を目指す。

 あぁ〜、こんなことなら昨日のうちに天気予報を確認しておくべきだったよぉ。 そんなことを思いながらも私は足を緩めない。


 しばらく走っていると、左手に目的の建物が見えてきた。研究所とも軍事施設とも見える巨大な建造物は、日本という国にあっては明らかに異質な雰囲気を放っていた。

 私はそこに向けて最後のスパートをかける。正門まであと少し……! だが、そこで無慈悲な電子音が私を阻んだ。


 ピピーッ

 ブザーの音とともにゲートが立ちはだかる。


「えぇー⁉︎ なんで開かないの‼︎ もう時間ないんだけど!」


 私は必死にゲートをバンバン叩く。

『IDを認証して下さい』

 機械的な声が聞こえてくる。

 ID、アイディー……IDカード……確かにそんなものがあった気が……

 ゴソゴソと鞄の中を探る。しかし、それらしきものは見つからない。


「あれ〜、おかしいぞぉ」


 雨の中だと言うのに構わず鞄をひっくり返す。しかしそれらしき物は出てこない。

 嘘っ、慌ててたから忘れたのかなぁ……

 私はその場にへたり込んでしまう。だが、ここで諦めるわけにはいかない。


「お願いします、入れてくださいぃ〜」


 そう言って門にしがみつくが反応は同じだ。

『IDを認証できませんでした。お引き取りください』

 無慈悲なアナウンスが響き渡る。


「そこをなんとかぁ。開けて、あけてよぉ〜。私の人生かかってるのぉ〜」


 涙目になりながら訴えるが、やはり無駄だった。

『IDを認証できませんでした。お引き取りください』

 そうしているうちに段々と不安が怒りに変わってくる。


「おらぁ! あけろよごるぁ‼︎ こちとら魔法使いだぞぉ! キレたら魔法でこんな門、破壊しちゃうぞぉ‼︎」


『IDを認証できませんでした。お引き取りください』

「く、くそがぁ!」


 ゴンッ

 私はゲートに渾身の一発を食らわせてやった。

『…………』

 しばしの沈黙の後、

 ウーン! ウーン! ウーン!

 警報が鳴り始めた。


『警告、警告、不審者を確認。警告、警告、不審者を確認』


「あっ、ちょっ、待って。私危険な魔法使いじゃないです……。門を破壊する魔法を使えるとか嘘ですから……」


 ゲートの内側から足音が聞こえる。


「やばいっ」


 私は大急ぎでその場を離れようとしたが、既に手遅れだった。

 ガチャン 後ろの方で金属音がしたと思うと、次の瞬間、私の背中に強烈な衝撃が走った。


「ぎゃあぁ」


 あまりの痛みに思わず膝をつく。見ると、頑丈そうな鎖が巻きつけられている。


「拘束完了。これより連行する」


「いや、あの、ちょっと、違うんです。話を、話を聞いて……」


 私はずるずると引っ張られていく。


「やめて、離して、お願いだからぁ!」


 こうして私は施設の中に連れ込まれた。


 ***


「それで、今ここにそのような状態でいると……」


 今、私の目の前には白衣を着た女性が座っている。年齢は七十代くらいだろうか。髪は白く染まっており、顔に刻まれたシワの数が彼女が生きてきた歳月の長さを感じさせた。彼女は机の上に肘を置き、両手を組んだその上に顎を乗せていた。眼鏡越しに見える、赤い瞳は睨むようににこちらを見つめている。


「あ、あはは……いや、その、すいません。ちょっと、寝坊しちゃいまして……」


 私は彼女の威圧感に押されながらも必死に弁明を試みる。


「寝坊?」


 その言葉を聞いた途端、彼女の表情が変わった。眉間にしわが寄り、明らかに不機嫌な様子になる。


「貴様、自分が何を言っているのかわかっているのか? 

規則では八時までに出勤することになっている。それがどうして遅刻なんかできるんだ? まさかとは思うが、自分が今日から人類の存続に関わる重大な仕事につくという自覚ができていないんじゃないだろうな? 

だとしたら困ったものだ。人類の未来がこんなにも頼りないなんて思わなかったぞ。全く嘆かわしい。これからお前のような奴がたくさん出てくるのか? 

あぁ、頭が痛くなるな。人類の行く末を憂いて頭痛がするよ」


 矢継ぎ早に出てくる鋭い質問が胸に突き刺さってくる。痛い、苦しい、辛い……。


「いえ、その、もちろんわかっています。

でも、これには深い事情がありまして……」


「ほう、どんな事情だ? 言ってみろ」


 ギロリと鋭く光る眼光が私を射抜く。


「実はですね……め、目覚まし時計が壊れていて……気づいた時には七時半を過ぎていたんですよ。それで、急いで家を出たものの、IDカードを忘れてしまって……」


 自分で言っていて情けなくなる。だが、事実なのだから仕方がない。


「………………」

「………………」


 シーンと静まり返る室内。


「……ほう、目覚まし時計ねぇ」

「……はい、目覚まし時計です」


 ドンッ‼︎


「ひぃ!」


 突然のことに驚いて飛び上がる。


「ふざけるな! 目覚まし時計が壊れたせいで遅刻しましただと⁉︎ 何だそれは! 目覚まし時計が壊れたのはお前の怠慢だろうが! 

貴様は目覚まし時計が壊れてたら起きれないほどの怠け者なのか⁉︎ そんなんでよくこの仕事に就こうと思ったな! 

いいか? ここには目覚まし時計などない! 自分で決められた時間に決められた行動が取れるようにするのが当たり前だ。ミスティックは貴様が起きるのを待ってはくれないぞ! 

わかったら二度と遅刻などするんじゃない。次は縛り上げる程度では済まないからな」


 私はコクコク首を必死に縦に振って答える。


「はぁ、よろしい。ではそろそろ本題に入ろう。私はここ『対霧機関(Anti Mistic Institution《A.M.I.》)日本支部』の支部長を務めている天宮だ。よろしく頼む」


「あ、はい、よろしくお願いします。えっと……私は……」


「あぁ、名乗らなくて結構。君のことは知っている」


 彼女は机の上の書類を手に取るとパラパラとめくっていく。


「アスティルベ=S=エフェメラル、十七歳。カナダ難民の両親を持つ。本人は日本生まれ、日本育ち、母国語も日本語。兄弟は妹が一人。両親と妹は長崎でパン屋を営んでいる」

「は、はい、そうです」


 私は彼女の言ったことを確認するように頷く。


「十五歳の誕生日までは成績優秀で勤勉な"普通"の少女として生きた。しかし、十五歳の誕生日に魔法を発現させる。そして、その後、正式な手続きを経て機関の魔法使い養成施設に入学。二年間の過程を終え、今日、晴れて魔法使いとなる。ここまでで何か間違いはあるかね?」


「……ありません」


 彼女は書類をパタンと閉じると再び私を見る。


「さて、聞く話によると君は魔法史上初めての『回復』の想いを抱いた魔法使いらしいじゃないか」


「は、はい」


 私は小さく返事をする。まだ先ほどまでの恐怖が抜けきっていない。


「君の魔法は特別だ。その魔法があれば継戦能力が著しく向上すると期待されている。機関は君の安全と生活を保証する。その対価に君は魔法使いとしての責務を果たすことを約束してもらうが、構わないね?」


「……はい」


「よし、それなら早速だが仕事の話を始めよう」


 そう言うと、天宮さんは机の上に置いてあったノートパソコンを開いた。


「君は今、人類がどのような状況にあるか記憶しているかな?」


 や、やばい……覚えていない……

 私は精一杯頭を回転させて思い出そうとする。


「えーと……確か……生存圏のよ、四割をミスティックに奪われてしまったとかなんとか……だったような気がします」


 ハズレだったのか支部長の顔が険しくなった。


「……違う。現在、人類は生存圏の六割をミスティックに奪われた状態にある。食糧も、天然資源も近いうちに足りなくなる危機的状況だ。

いいか、エフェメラル。どんな知識であろうといつどこで役に立つかわからない。日々アンテナを張り巡らせておくことが重要だ。いざという時に何も知らなかったで済むと思うな。常に情報をアップデートしておくんだ。そうすれば、いざという時慌てることもない」

「は、はい……」

「まぁ、今回は許そう。だが、次はないぞ」

「気をつけます……」

「よろしい。では話を戻そう。現在、人類はミスティックによる侵略の危機にさらされている。そこで君には早速だが戦場に出てもらうことになった」


 え……今なんて言った。戦場に出る? 私が? 嘘でしょう? 私の動揺を無視して話は続く。


「魔法使いは人材不足でな、新米だろうと関係はない。使えるものは何でも使う。それほどに人類の状況はよろしくない」

「ちょ、ちょっと待ってください! 私、戦場に行くんですか⁉︎ 聞いてないですよ! てっきり、怪我をして帰ってきた人の治療でもするものかと……」


 私は慌てて抗議の声を上げる。


「帰還した者の治療など君でなくてもできる。我々が君に期待しているのはそうではなく、戦場で負傷した魔法使いの即時治療による継戦能力の向上だ」


 支部長の表情は全くと言って良いほど変わらない。まるで私の意見なんて初めからなかったみたいに淡々と話が進んでいく。


「君とて、養成施設で一通り訓練を受けて卒業した立派な魔法使いなのだろう? それならばもう戦場に出る準備はできているはずだ」

「そ、そんな……急に言われても……」


 心の準備ができていない。そう言いたかった。でも、さっき叱られた時の言葉が頭をよぎる。

 決められた時に決められた行動を取れるのが当たり前。私を待ってはくれない。

 私はグッと言葉を呑み込んだ。


「そんなに心配することはない。先ほども言った通り、機関は君の安全を保証する。君のような希少な人材を失うわけにはいかないからな。君にはうちの支部でもトップクラスの腕利き魔法使いが二人護衛につくことになっている。彼らが君のことを護ってくれるだろう」

「ご、護衛……」


 そんな話も聞いていない。どうしよう……。不安と焦りが募ってくる。


「そうだ。その二人は君と同じスクワッドに所属することになる。任務中でも任務外でも君の身を守ってくれるはずだ」

「ス、スクワットですか?」

「違う。スクワッドだ。軍隊などで編成される部隊単位のことだよ。六人で一つのスクワッドを作る。軍隊などでは小規模のグループを作ることで、連帯感が生まれて士気の向上につながるらしい。さて、ではなぜ魔法使いもスクワッドを組むか知っているかね?」

「えっと……」


 ……いやいや! 知らないよ! 何でこの人こんな唐突に質問してくるの⁉︎ 私はまた必死に頭を働かせて考える。


「えっと……そ、そう! みんなで戦った方が効率が良いからです!」

「それも正解だ。ただし、それだけじゃない。もう一つ理由がある。それは、魔法が想いを源に発動することに関係する。魔法使いは強い想いを抱いていればいる程強力な魔法を放つことができる。

例えば赤の他人のために戦うのと友人のために戦うのとでは、想いの大きさが大きく異なり、戦闘能力もかなり変わってくる。

そこで我々は常に友人のため戦うような状況を作るため、スクワッドという部隊単位を作ったんだ。せいぜい君も仲間と友情を育めるように頑張るんだな」

「な、なるほど」


 あまり理解はできていないが、なんとなくで相槌を打つ。


「さて、まあ君のスクワッドには護衛の二人以外にも三人ほど居るわけだが、まあ彼らは数合わせだ。特に気にする必要はない」


 私はコクコクと首を縦に振る。正直、数合わせと言う響きはあまり良いものに聞こえなかったが、スクワッドの制度を守るためには仕方ないのかもしれない。


「私からの説明は以上だ。何か質問はあるかな」

「いえ、大丈夫です」

「結構。では、十二時間後に君の初仕事がある。それまでは施設を案内してもらえ。この部屋を出て右にまっすぐ行ったところに案内役がいる」

「わかりました」


 私は椅子から立ち上がり、部屋の出口へと向かう。

「あぁ、最後に一つだけ」


 扉に手をかけたところで後ろから声がかかる。


「はい?」


 私は振り返る。


「想いというものは案外簡単に薄れてしまうものだ。戦場では自分の想いが薄れないように気をつけろ」

「は、はい」


 私は彼女に背を向けると、そのまま退室した。


 ***


「ここらへんにいるのかな?」


 私はキョロキョロと辺りを見回す。ここは機関の建物内の白い廊下だ。言われた通りに部屋を出てからずっと右に歩いてきたはずなんだけど……案内の人どころか誰ともすれ違わない。

「うーん、誰も居ないなぁ」


 本当にこの先に人が待っているのだろうか。不安になってきた。


「もしかして、間違えたのかな……」


 私は恐る恐る来た道を戻ろうとした。その時……


「ばあっ!」

「うわっ!」


 突然、目の前に誰かが現れた。私は驚いて尻餅をつく。


「あははっっ、驚き過ぎ」


 彼女はケラケラ笑っている。


「あははっじゃありません! 心臓止まるかと思いましたよ……」


 私は頬を膨らませて怒る。


「あはは、ごめん、ごめん。君があんまりにも可愛い反応するもんだからついね」


 彼女は全く悪びれることなくそう言った。


「それより、可愛いパンツ履いてるね。白のレースなんて中々お目にかかれないよ〜」


 スカートの中を指差しながら、彼女はそう言ってニヤリと笑う。


「ちょ、ちょっと! 見ないでくださいよ! てか、どこ見てんですか⁉︎」


 慌てて両手でスカートを押さえつける。


「そんな大股びらきですっ転んでたらそりゃ見えちゃうよ」

「うぅ……最悪だ」


 恥ずかしさで顔が熱い……


「ごめん。ゴメン。でも、元気出たんじゃない?」

「……え?」

「ほら、ここに来た時はすごい暗い顔してたじゃん」


 ……そう言われれば少し緊張は解けている気がする。


「まぁ、確かに」

「良かった。やっぱり可愛い女の子は笑顔が一番だからさ」

「……でも、それとパンツ見るのは別問題ですよ‼︎」


 私は思わず叫んでしまった。


「えー、良いじゃん減るもんじゃないし」

「減ります! 私の尊厳が!」

「えぇ〜、ケチ臭いなぁ」


 スカートについた埃を払いながら私は立ち上がる。

「それで……、貴女が私の案内役ですか?」

「そうそう、私が君のガイドを務めることになったからよろしくね」


 改めて彼女の方を見てみれば、医者みたいな服を着ていて、身長は私よりも頭ひとつほど小さい。本物の銀のように輝く髪は肩にかかるくらいの長さで、ツーサイドアップに纏められている。そして、吊り目に輝く青い瞳は悪戯っぽい様子でこちらを見上げていた。


「よろしくお願いします……。私はアスティルベ=S=エフェメラルと言います」

「なっが……名前長いよ。アスティでいい?」

「はい、大丈夫です」

「そっか、よろしくねアスティ。私はイリス=ミシェーレ。イリスと気軽に呼んでくれて構わないよ」


 そう言うと、彼女……イリスは右手を差し出した。


「うん、よろしく。イリスさん」


 私も手を伸ばして握手をする。


「さぁ、それじゃあ早速案内を始めようか。どこか行きたいところはある?」

「えっと……」


 私は考える。気になることは山ほどあるけど、とりあえず一番気になっていることはこれだ。


「あの、スクワッドのメンバーに会いたいんですけど……」

「あぁ、いいよ。それならついて来て」


 そう言うと、イリスは歩き始めた。私はその後について行く。


「ねぇ、どんな子達が来るのか楽しみ? 男二人と女三人なんだけど」

「え? 男の子もいるんですか? それはちょっと……」


 私は露骨に嫌そうな顔をしてしまった。


「あはは、安心しなって。みんな良い奴ばかりだし、全員魔法使いのエリートだよ」

「そうですか……」


 魔法使いにも色々といるらしい。でも、ちょっと不安だ。

 しばらく歩いているうちに目的地に着いたようだ。扉の上に『第百十三スクワッド』と書かれたプレートが貼り付けられていた。


「さて、着いたよ。各スクワッドには部屋が一つずつ与えられているんだ。そして、この部屋が君達の部屋になる」

「へぇ、広いですね」


 扉を開けると、広々とした空間が広がっていた。二段ベッドが三つとそれにテレビや冷蔵庫、パソコンまで備え付けられている。中央には大きなテーブルが存在感を放っていて、それを囲むようにソファーや椅子が置かれていた。


「うーん。やっぱりいないか……」


 イリスが部屋の奥の方を見ながら呟く。そこには白い猫耳フードを被った女の子が一人ちょこんと座っているだけで、他に人の気配はなかった。


「とりあえず、あの子を紹介しておくね」


 イリスがその子に向かって話しかけると、その子はビクッと身体を震わせてこちらを見た。私も釣られて視線を移す。


「えっと……こんにちは」

「こ、こんにちは……」


 その子は消え入りそうな声で挨拶を返した。


「この子が君のスクワッドメンバーの一人、ミオちゃん。まあ、ちょっと内気な子だけど人想いの優しい子だから仲良くしてあげて」

「はい、あ、あの、私はアスティルべ=S=エフェメラルって言います! アスティって呼んでください。これから一緒に頑張りましょう!」

「はい……」


 そこで話が途切れてしまう。私は慌てて話のネタを探す。

 すると、私は彼女の前のテーブルにノートを発見した。どうやら絵を描いていたみたいだ。そこに描かれたメルヘンな絵柄の蝶々は今にも動き出しそうなほど精巧で上手だった。


「凄い! この絵、とっても素敵だね」

「……え? えっと……」


 青色の髪の毛に隠れた、彼女の顔が少しだけ綻ぶのが見える。


「あぁ、ごめんなさい。急にこんなこと言っちゃったらびっくりしちゃいますよね」

「い、ぃえ、大丈夫……です」

「そっか、ありがとう。でも、本当に素敵な絵だね。まるで生きているみたい」

「……」


 彼女は何も言わずにただその新緑色の瞳でじっと絵を見つめていた。


「えっと、その、ごめんね」


 流石に調子に乗りすぎたかな……と反省していると、彼女は首を横に振った。


「あ、ありがと……ございます」


 小さな声だったが、確かに彼女は感謝の言葉を口にした。


「……うん」

「よし、じゃあ、そろそろ次行こうか」

「はい」


 私は荷物を部屋に置くと、再びイリスに付いて行った。


 ***


「スクワッドルームにはミオちゃんしかいなかったけど、まあ、施設を回っていればきっとみんなに会えるから、ここからは私が順番に案内していくのでいいかな?」

「はい、大丈夫です」


 イリスの提案に、私はコクコクと首を縦に振る。


「じゃあ、まずはここね」


 イリスが指差したのは、大きな鉄の扉だった。

 扉には『武器庫』と書かれている。


「ここにはいろんな武器が収められているんだ。魔法使いの武器も、そうでない武器も。いろいろとね。アスティは攻撃用の魔法が使えないんだよね?」


 支部長から私の情報を聞いていたのか、彼女はそう確認してきた。


「はい」

「そっか。ならここには頻繁にお世話になることになるかもね。覚えておいて損はないよ」

「わかりました」


 私は扉を押し開ける。ギィという音を立てて開いた扉の向こう側には、予想外の光景が広がっていた。


 ジジジッ


 熱気が立ち込める薄暗い部屋の中、バーナーを持った鉄仮面の少女が一心不乱に溶接作業をしている。彼女は青白い炎を吐き出すバーナーの先に鉄板のようなものを置いており、それを見つめながら何かをブツブツと唱えていた。

 ゴンッ

 足元にあった何かを蹴っ飛ばしてしまった。

 その音でこちらに気づいた、鉄仮面がこちらを睨みつける。


「何者だ!」


 彼女は私に警戒心剥き出しの態度で叫ぶ。


「あ、えっと、すみません。見学に来たもので……」

「ああん? 見学だとぉ? 見え透いた嘘吐くんじゃねえ!」


 彼女は近くにあったショットガンを手に取り、銃口を向けてきた。私は思わず息を呑む。


「あ、あの……」

「うるせえ! 喋るんじゃねえ! ぶっ殺す!」


 彼女は引き金に指をかける。


「ちょっと待ってください! 私たち本当に見学で……」

「黙れ! てめえみたいなガキの顔なんてしらねぇ! てめえさてはスパイだな! このクソアマがぶち殺してやる! 死ねェェェ‼︎」


 バーンッ!


「うわぁっ」


 至近距離で発砲され、私は驚いて尻餅をつく。弾は私のすぐ横を通り過ぎて壁に穴を空けた。


「ひ、ひぇぇ」


 私は情けない悲鳴を上げる。


「ちょ、ストップ! 落ち着いて! その子は本当に新人なんだってば!」


 イリスが私と彼女の間に割って入る。


「はぁ? イリス、てめえもグルか⁉︎」

「ち、違うって! ほら、よく見て! 制服着てるじゃん!」

「知らん! 制服ぐらいいくらでも偽造できるだろ! そんなもの!」


 彼女はそう言うと再びこちらに銃口を向ける。


「もう! 信じてくれよー!」


 イリスが半泣きになりながら叫んだその時、突然彼女の後ろから何者かが現れてショットガンを奪い取った。


「はい、そこまで」


 イリスの背後に現れたのは白髪が綺麗な女性だった。幼げな顔つきだが、そこからは男性にも勝る力強さを感じる。


「シュミット。武器庫の門番ごっこをするのはいいけど、銃を使うのはやめてくれ。爆薬とかに引火したら危ないだろ?」

「ああん? ごっこじゃねえよ! 私は本気でここを守ってんだ!」

「はいはい、わかったよ。とにかく、ここはボクがどうにかするから、君はさっさと持ち場に戻りなさい」

「ちっ、しゃーねーな」


 そう言うと、彼女……シュミットは再びバーナーを手に作業を始めた。


「私が言っても全く聞かなかったのに……」


 イリスがポカンとした表情で呟く。


「災難だったね。新人はみんなシュミットにあんな風に絡まれるんだ。まあ彼女、武器を作るのは得意でも、使うのは下手だから、大抵は大丈夫なんだけど。あははっ」

「あ、あはは……」


 全く笑えない……もし当たったら大怪我どころじゃ済まないよ……


「君は今日からボクと同じスクワットに入ったエフェメラルさんでしょ?」


 そう言って私に手を差し伸べてきた。私はそれを手にとって立ち上がる。


「は、はい」

「ボクの名前はテュベローズ=ファン=デン=ベルフ。君と同じスクワッドに所属してるんだ。ベルでもローズでも好きに呼んでくれ」


 月のように優しく輝く瞳で真っ直ぐこちらを見つめて彼女は言った。


「はい、よろしくお願いします。ベルさん」

「あはは、別に呼び捨てでも構わないよ。それより、見学に来たんでしょ? 案内するよ」


 彼女はダイアモンドのイヤリングをチリンと鳴らして、武器庫の奥に向き直るとついてくるように促した。


「はい、ありがとうございます」


 私はそれに従って彼女に付いて行く。


「ちょっと、それ私の仕事……」


 イリスも慌てて追いかけてくる。


「さっきの子はシュミット。日本支部武器庫の門番さ。本当はそんな仕事ないんだけど、いつもここに入り浸っているから、いつの間にかそんな肩書きがついたんだ」

「そうなんですか……」

「それで、ここが武器庫だ。本当は入り口付近も武器庫だったんだけど、シュミットのワークスペースになっちゃってね……」

「へぇ……」


 私は前の扉を見つめる。先程の扉よりも分厚い鉄製の扉で、そこには手書きで『第二武器庫』と書かれていた。


「武器庫は二重認証で、まずはここで指紋認証をする」


 彼女は扉の横の機械に自分の人差し幅を押し当てた。すると、鉄の扉がゆっくりと開き始める。


「おお……」


 扉の中には無数のロッカーが並んでいた。それぞれのロッカーの上には『001A』『023E』といった文字が書かれたプレートが貼り付けられている。

「そして、中に入ったら自分のロッカーに自分のIDカードをかざして、ロックを解除する。そうすれば、その中にある武器を取り出すことができるよ」

「なるほど……」


 私は恐る恐る武器庫の中に足を踏み入れる。


「汎用の武器とかもあるけど、基本的に魔法使いはそれぞれに合った装備をしているからね。こうして、それぞれのロッカーで管理しているんだ」

「あ、これ可愛い」


 私は棚に飾られていたライフルを手に取った。


「おっと、勝手に触らないでね。それはまだ試作品だし、ちょっと危険な代物でもあるんだ」

「そうなんですか……」


 私は残念な気持ちを抱きながらもそれを元の位置に戻す。


「ここが君のロッカーだよ」

「ここですか……」


 私のロッカーには『113F』と番号が振られてあった。


「うん、じゃあ、開けてみて」

「はい」


 ……ってあれ、そういえば私……


「IDカード……忘れて来ちゃいました……」

「ええ!?」


 イリスが素っ頓狂な声を上げた。


「ど、どうしよう……」

「いや、大丈夫だよ。確か、君は攻撃の魔法を使うわけじゃないんでしょ? それなら今日は汎用装備を使えばいいよ」

「えっと……すみません」


 私が謝ると、ベルは笑顔で首を横に振った。


「気にしないで。戦場ではボクが守るから」


 そう言って彼女は隣にある『113C』と書かれたロッカーを開く。


「この、デ=ミュールで!」


 その中にあった大きな盾を床にドンッと突き立て、自信満々に彼女はそう言った。


 ***


「はあ、武器庫は散々だった……」


 前を歩くイリスが溜息を吐く。


「まあまあ、ベルさんはいい人でしたし……」


 私は彼女を慰めるように言う。


「そりゃ、いい人だったけどさ……」

「それに、武器庫の案内はしてもらえましたから、良かったです」

「まあ、確かにそうかもしれないけど……。はあ、気を取り直して次行こうか」

「はい」


 私たちはエレベーターに乗り込む。


「次はどこですか?」

「んー、ここかな」

 イリスはボタンを押す。すると、ガコンッと音がして、エレベーターが動き出した。

 しばらく沈黙が続く。

 チーンと、目的の階に着いたことを知らせる音が鳴る。

 扉が開くとそこには開放的な空間が広がっていた。


「ここは?」


 私は目の前の光景を見て尋ねる。そこは今までの無機質な空間とは違い、華やかな雰囲気が漂う場所だった。


「ここは食堂」


 イリスが答える。


「食堂?」

「そう。ここの食堂はすごいぞ。何しろ、世界中の料理が食べられるんだ」

「えっ、本当ですか⁉︎」

「ああ、うちは色々な国籍のメンバーがいるからね。彼らに合わせてるんだよ」


 イリスが自慢げに言う。


「そうなんですね……」


 私は興味深そうに辺りをキョロキョロと見渡す。

 カレーやラーメンはもちろん。寿司にフィッシュ&チップスまで。

 和洋中の様々な国の料理のお店が並んでいる。


「うわぁ……」

「利用方法は簡単。好きな店で、好きな料理を買って、好きな席で食べる。それだけさ」

「なるほど……」


 食堂に並んだ大量のテーブルと椅子が組織の規模の大きさを物語っていた。


「本当にたくさんの席が……」


 食堂を一望していると、一つのものが目に入ってそこで視線が止まる。


「…………」


 ど真ん中の席でイチャイチャしているカップルがいる。それも普通のイチャイチャではない。一つのドリンクに無理矢理合成した歪なストローを通して、二人で飲んでいるのだ。


「あの、あれは……」

「ああ、あれはアスティのスクワッドメンバーだよ」

「え゛」


 私は思わず変な声で聞き返す。


「いや、だから、君と一緒に戦う仲間だってば」

「そ、そうなんですか……」


 私は恐る恐る二人に近づく。


「あ、エフェメラルだー。そういえば今日からだっけ」


 片方の女性が私に気づいて手を振ってきた。彼女は赤髪のショートカットで、背が高くスタイル抜群だ。胸元の開いたTシャツからは豊かな谷間が見えている。年齢は二十歳前後だろうか?


「お、おはようございます」


 私はぎこちない挨拶をした。


「私、ペチュニア=ルーメン。スクワッドリーダーなの。よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

「ほら、ルルも」


 彼女は隣の男性を肘で小突いた。彼はその衝撃で手に持っていたグラスを落としそうになる。


「あ、あぁ、俺はルル=エンティールだ。一応こいつの彼氏だ。よろしく頼むよ」


 金色の短髪で色白の青年だ。身長は平均的だが痩せ型なので少し頼りなさげに見える。年齢は恐らく隣の彼女と同じぐらいだろう。

 二人は向かい合うように座っており、テーブルの上のカップは空っぽになっていた。


「あはは……よろしくお願いします」

「いや〜しかし……あんたが噂の新入りか……へぇ〜」


 ペチュニアがまじまじと私の顔を見つめてくる。なんだか恥ずかしいな……


「エフェメラルは回復の魔法が使えるんでしょ⁉︎ いや〜すごいなぁ、こんな子がうちのスクワッドに入るなんて! いやー、ラッキーだな!」

「あはは……」


 私は苦笑いを浮かべる。


「エフェメラルもここに何か食べに来たの?」

「いや、私は案内してもらっていただけで……」

「そうなんだ。じゃあ、一緒にどう?」


 彼女はグイッと顔を近づけてきた。


「えっ?」

「そうだな。せっかくだからご馳走するぜ」

「いや、でも……」

「遠慮すんなって」


 そう言って彼らは私の腕を引っ張って無理やり近くの店に連れて行った。


「はい、エフェメラルちゃん。あーん」


 そう言って、ペチュニアさんはハンバーグをフォークに刺してこちらに差し出してきた。


「い、いえ、自分で食べられますから……」


 私は慌てて断る。


「いいから、いいから、ほら、あーん」「あっ……」


 私は抵抗虚しく口に運ばれてしまう。


「美味しいかい?」

「はい、とても……」

「あはは、よかった」


 そう言って彼女は嬉しそうに笑った。


「い、いや、ちょっと待ってくれよ……」


 横で見ていたルルが慌てて口を挟む。


「何よ、ルル。文句あるの?」

「い、いや、俺以外にあーんするのは……」

「別にいいでしょ。相手は女の子だし」

「い、いや、それはそうかもしれないが……」


 そう言われると何も言い返せないようで、ルルは口をつぐんでしまった。


「もう、うるさいな。じゃあ、ルルにもやるから」

「えっ、ちょっ、まっ……」


 ルルの静止も聞かず、彼女は彼にも同じことをする。


「どう? おいしい?」

「う、うん……うまいよ……」

「そう、良かった」


 彼女は満足そうに微笑んだ。

 ……とても賑やかな人たちだ。少し話しただけでも、疲れてしまうほどに……

 本当に彼女たちとやっていけるのだろうか……。私は少し不安になった。


 ***


「はあ……」


 私は食堂から出ると、溜息を吐いて、壁に寄りかかった。


「大丈夫か? アスティ」


 隣でイリスが心配そうな顔をして尋ねてくる。


「は、はい……」


 私は弱々しく返事をする。


「よし、じゃあ次に行こう。そこで休憩もできるから」

「はい……」


 私はヨロヨロと歩き出した。


「ここが医務室。私の根城だ」


 イリスは扉を開く。中は清潔感のある白い部屋だった。


「ここが……」

「そう、ここは主に戦闘で負傷したメンバーの治療を行う場所さ」

「なるほど……」


 私は周りを見渡した。奥にはベッドがいくつも並んでおり、手前には薬品棚や医療器具が並べられたカウンターがある。


「といっても、今は誰もいないんだけどね」

「いいことじゃないですか」

「えぇ〜負傷者がいないとヒマなんだよぉ。そのせいで案内役にまでさせられるしさぁ」


 イリスは不満そうな顔をした。


「すみません……そんな理由で案内役してくださってたんですね……」

「いや別にいいけど。暇だし。……あっ、そうだ。アスティ、私に注射打たれて行かない?」

「えっ!?」


 突然の提案に私は驚く。


「えっと、その……」

「大丈夫大丈夫。痛くしないから」


 彼女はそう言うと、私の腕を掴んで強引に引っ張っていく。


「いや、私別に元気ですし……それに……」

「いいからいいから」


 私は彼女に連れられ、奥の部屋へと連れて行かれる。そして、そこにあった診察台に拘束されてしまった。


「い、いや、本当に結構ですから……」

「まあまあ、遠慮しないで」


 彼女は慣れた手つきで、注射の準備をしていく。


「いや、あの……それ、なんですか……」

「じっとしててね」


 なんというか、この部屋に来てから、初めて会った時の悪戯っぽさが復活している気がする。きっと、さっきまでは、彼女よりも強い個性の人たちにそれが押さえつけられていたのだろう。


「よし」


 彼女は素早く作業を終えると、再び悪戯っぽい笑顔を見せる。


「ほら、いくよ〜」

「い、いやだから、私は元気ですし……」

「えい」


 プスッ


「ぎゃあああああああ」


 私の意識はそこで途切れた。


 ***


「ハッ!」


 目を覚ますと、私は医務室のベッドの上にいた。


「あれ……」


 私はゆっくりと起き上がる。身体に痛みはない。

「お目覚めかな? 眠り姫」


 声が聞こえたのでそちらを見ると、イリスが立っていた。


「な、何を打ったんですか……」


 私は身震いしそうになるのを堪えながら尋ねる。


「ああ、ただの睡眠薬だよ」

「ただのって……」

「まあ、気を失うほどの量を入れたのは確かだけど」

「ひぃ……」


 私は思わず悲鳴を上げる。


「でも、お陰で疲れがとれたでしょ?」

「えっ……」


 確かに彼女の言う通り、なんだか体が軽くなったような感じがする。


「って、そういう問題じゃないですよ!

 いきなり眠らせるなんて!」

「あはは、ごめん、ごめん」


 イリスが笑う。全く反省している様子はない……

 その時、私はハッとする。まずい、もしかして、寝過ごした⁉︎

 医務室の中に時計を探す。すると、時計は任務の1時間前を指し示していた。

 よかった……。まだ遅刻じゃない。次遅刻したら縛り上げる程度では済まないのだから気をつけないと……


「私、そろそろ行きますね」


 私は立ち上がってそう言った。


「そうか、そうか。なら、私の案内はここまでだな」


 そのわざとらしい物言いに私の中に一つの疑惑が生まれる。


「もしかして……案内をサボるために私を……」


 私が疑いの眼差しを向けると、そっぽを向いて口笛を吹き始めた。


「い、いや、違うぞ! 私はちゃんと案内するつもりがあったさ」

「本当ですか?」

「ほ、本当だ」


 彼女は必死になって否定する。怪しいなぁ……


「まあいいですよ。ここまでは案内してもらいましたし。ありがとうございました」

「そうかそうか。では、頑張ってくるといい」

「はい」


 お礼を言って。私は部屋を後にした。


 ***


「はあ……」


 私は溜息を吐きながら、階段を降りていく。今日は初めての任務なのに、私、本当にやれるのかな……そう思いながらも、足は前に進んでいく。

 やがて、最初に案内してもらったスクワッドルームの前に辿り着いた。ドアをノックする。


 コンコン


「失礼します」


 恐る恐る扉を開く。

 そこには……今日会ったメンバーの人たちが勢揃いしていた。皆、一斉にこちらを振り向く。


「おお、来たか」

「いらっしゃい〜」


 ルルとペチュニアがこちらに近づいてくる。


「あ、はい、よろしくお願いします」

「よし! あいつ以外全員揃ったしブリーフィング始めるか!」


 ペチュニアが高々と宣言する。


「えっ⁉︎」


 私は驚いて聞き返した。


「ん? どうした?」

「いや、だって今……」

「あー気にすんな。いつものことだから」


 ルルが呆れたように言った。


「は、はぁ……」


 私は苦笑いする。あいつさんはいなくてもいいのだろうか……?


「あー、それでね……」


 ペチュニアは困った顔で頬を掻いた。


「今回の任務は至って簡単。最近千葉県に発生した霧の除去だ。規模は小さいから大した敵はいないと思う」


 彼女は地図を広げて説明を始めた。


「だいたいここからここの半径6キロが霧に包まれてる。だから、このポイントにミストリムーバーを配置するだけだ」

「みすとりむーばー?」


 私は首を傾げる。


「霧を消すことのできる装置だよ。こいつがあれば、奴らに奪われた土地の奪還も夢じゃない」


 彼女は得意げにそう語った。


「へぇーすごいですね……」


 私は感心して相槌を打つ。


「まあ、これはうちの研究所の叡智の結晶だからな。すごくないわけがない」「そうなんですか……」

「まあ、作戦はそれだけだ。目標にはバギーで向かう。以上!」

「ええ゛⁉︎」


 私はまたもや驚きの声を上げた。


「なんだよ。何か不満でもあるのか?」

「いや、なんか細かい作戦とかないのかなあって? ほら、地形の確認とか……」

「はあ? そんなもん必要ねえよ。俺らは魔法使いなんだから」


 ルルは不機嫌そうに答える。


「で、でも……」

「大丈夫」


 横にいたベルが口を挟む。


「今回はアスティの初陣だ。不安になるのも仕方ない。うちのスクワッドも昔は作戦立ててたんだけど、みんな従わなくてね。でも、うまくいってる。だから、心配しないで」

「はあ……」


 不安だ……ものすごく。


「じゃあ、全員装備した後、第一格納庫に集合! 解散!」


 適当なブリーフィングを気掛かりに思いながらも、私は溜息を吐いて立ち上がった。


 ***


「うぅ……」


 私は武器庫で装備を整えていた。


「一体何を持っていけばいいんだろう……」


 拳銃を片手に悩む。こんな小さい銃でミスティックを倒せるのかな。そもそも、私に扱えるのかな……。不安は尽きなかった。


「おいっ!」

「ひっ!」


 突然後ろから声をかけられ、私は飛び上がった。振り向くと、そこにいたのはシュミットだった。あの時は銃を突きつけられて気づかなかったが、改めて見ると薄い黄色の髪の毛とトパーズのような色の瞳がとても綺麗な女の子だと気付く。それどころか、私よりも身長が低いため、かわいらしくすら見える。なんというか、まるでリスみたいだ。


「なんだよ。ジロジロ見やがって」

「あっ、すみません……」


 私は慌てて謝る。


「ふんっ」


 彼女は不愉快そうに鼻を鳴らすと、私の持っていた銃を取り上げた。


「あっ……」

「てめえ、こんな豆鉄砲で奴らと戦おうとしてたのか?」


 彼女は馬鹿にしたような口調で言う。その態度には腹が立ったが、事実なので何も言い返せない。


「待ってろ。てめえの装備を見繕ってきてやるよ」


 彼女はそう言うと、私の返事を待たずにどこかに行ってしまった。


……10分後


「ほれ」


 彼女は私の目の前に装備一式を置いた。


「ありがとうございます……」


 私はおずおずとお礼を言う。彼女はまたフンッと鼻を鳴らした。


「まずはその洒落た制服を着替えな。そんな服を着て戦場に行ったんじゃあ。一瞬で死ぬぞ」

「えっと……」

「早くしろ!」


 彼女は怒鳴ると、私に無理やり服を押し付けた。私は仕方なくそれを着ることにする。

 生地が分厚い。まるで軍隊が着ているような戦闘服だ。


「よし、似合ってるじゃないか」


 彼女は満足そうに笑った。


「そ、そうですか……」

「ああ、そうだ。次にアーマープレートとヘッドセット。それと靴、それにリグも忘れるな」

「は、はい」


 私は急いでそれらを身につける。


「よし、少しは魔法使いっぽくなったな」

「いや、どう見ても、軍隊とか特殊部隊のそれなんですけど……」

「馬鹿言うな! 現代の魔法使いってのはこう言うもんなんだよ!」

「は、はぁ……」


 彼女の勢いに押されて私は生半可な答えを返す。


「あとは……」


 彼女は私をジロリと睨んだ。


「銃はコイツがいいな」


 彼女が手に取ったのは、一丁のショットガンだった。私はそれにものすごく見覚えがある。


「あ、あの、それって私を撃ったやつじゃ……」

「ああ、そうだ。なんか文句あるか? コイツは私の力作なんだぞ」


 彼女の有無を言わさぬ視線に私は黙り込むしかない。


「銃の扱いは養成所で習っただろ」

「まあ、一応……」

「なら問題ない。奴らは射撃場の的よりでかいからな。大体三メートルぐらいのやつまでならコイツの魔弾で殺せる」

「は、はい」


 私はおどおどしながら答える。


「よし、じゃああとはグレネードにそれと弾と……」


 彼女は次々と必要なものをリグやバックパックに詰めていく。その手際の良さには思わず見惚れてしまったほどだ。


「これで全部だな。魔弾は貴重なものだから無駄撃ちするなよ」

「お、重い……」


 20キロ近くありそうな装備に私はよろけそうになる。


「てめえ、その程度の装備でよろめくんじゃねえ。もっと大規模な作戦の時はもっと重くなるんだぞ」


 彼女は呆れたように言った。


「そ、そうですか……」


 私はげんなりとした気分になった。これからずっとこれなのか……


「最後にコイツだ」


 目の前にガスマスクが差し出される。


「これは?」

「霧を直に吸いすぎると奴らの仲間に成り果てるからな。戦場に行く時はソイツを持っていくのが基本だ」

「なるほど……」


 私は恐る恐るそれを受け取る。


「まあ、最初は慣れないだろうがすぐに使いこなせるようになるさ」

「は、はぁ……」


 私は曖昧に相槌を打った。


「よしじゃあ行ってこい。私の作品たちを無くしたら承知しないからな」


 彼女はそう言って笑うと、私の背中を叩く。


「あ、ありがとうございました……」


 私はお礼を言ってその場を後にした。


 ***


「遅い!」


 私は第一格納庫でペチュニアから叱責を受けた。


「す、すいません……」


 私は頭を下げる。

 ペチュニアは腕を組んでこちらを睨んでいる。怖い…‥


「まあまあ、ペチュニアさん。初陣なんだし大目に見てあげようよ」


 そう言ってペチュニアを宥めたのは、ベルだった。


「はあ、次からはもっと早くしてね。いい?」

「はい……」


 私は消え入りそうな声で返事をする。ペチュニアは食堂の時とは違って真剣な表情でこちらを見つめている。


「さてと、今日はエフェメラルの初任務だ。まあ、あんまり緊張するな」


 ルルが笑いながら話しかけてきた。


「はい……」


 私は弱々しく返事をした。


「大丈夫。言ったでしょ、ボクが守るから」


 隣にいるベルが優しく語りかけてくれる。


「はい……」


 しかし、それでも私は不安だった。正直、私なんかが生きて帰れるか分からない。


「よし。全員乗れ」


 ペチュニアさんが全員に指示を出す。

 私たちは目の前にある、タンカラーの装甲が分厚い車に乗り込んだ。

 車内は静寂に包まれていた。みんなの装備を見てみると。私とは違った。

 ペチュニアさんとルルさんはかなりの軽装だ。防具はリグのみで、腰にはナイフとハンドガンがぶら下がっているだけ。

 一方ベルさんの装備は重そうだ。シルバーのプレートを全身につけており、背中には大きな盾を背負っている。もし私が装備したのなら動くことすらでき無さそう。

 ミオさんはなんと言うか……さっきまでとの違いがわからない……パーカーの中に何かあったりするのだろうか?

 そして、初めてみる人が一人。おそらくあいつさんだ。彼は黒いコートを着ており、ガスマスクをつけているため顔はよく見えない。ただ、その体格から男性だということはわかる。背中には黒いゴツゴツとした大剣を背負っている。なんとなくだが、強そうだ。


「じゃあ、出発するぞ」


 車が動き出す。目的地までは車でニ時間かかるらしい。それまでは暇だ。


「あの……」


 私は思い切って口を開いた。


「ん? どうした?」


 ルルがこちらを振り向く。


「えっと、ミスティックってどんな姿なんですか?」

「なんだ、そんなことも知らねえのか」

「はい……」

「はあ……仕方ねえな。教えてやるよ」


 ルルは溜息をつくと話を始めた。


「奴らの姿は、基本的に寄生したものに依存する。植物だったらウネウネとした触手みたいなやつになったりするし、犬だったらケルベロスみたいな奴が生まれたりする。ただ、人間は例外らしい。人間の場合は予想もつかない異形の怪物になることが多い」

「へぇー」

「お前もそうなりたくなかったら、霧が濃いところでマスクをつけなかったり、傷を露出したりはしないことだな」

「はい」


 私は素直に返事を返す。


「ところであなたは……」


 再び黒コートの人に視線を戻す。


「俺のことか?」

「はい」

「俺はレンだ。天宮レン。おまえの護衛をすることになっている。よろしく」

「はい。よろしくお願いします」


 私はぺこりと頭を下げた。

 そういえば護衛なんて話しもあったなぁ。二人いるって話だったけど。もう一人はだれだろう。私は車内をキョロキョロと見回す。


「もしかして護衛が誰か探しているのかな? それだったらボクだよ。言ってなかったっけ?」


 そう言って微笑みかけてくるのはベルだ。


「えっ、そうだったんですか⁉︎」

「うん。ボクが君を守るよ」


 彼女は優しい笑顔を浮かべる。


「あ、ありがとうございます……」


 私は顔を赤らめて俯いた。


「話しててもいいけど、着いた頃にはもう疲れましたはやめろよ。奴らとの戦いで足を引っ張られたりしたらたまったもんじゃない」


 ルルが厳しい口調で言う。


「は、はい」


 私は慌てて姿勢を正す。


「まったく、ルルは心配性だなあ」


 ベルが苦笑しながら言う。


「うるせえ。いいから、休んどけ」

「は〜い」


 ベルは間延びした返事をしたのを最後に車内は静かになった。


 ***


「……きて」

「うぅ……」

「おきて」


 私はベルさんに体を揺さぶられて目を覚ます。いつの間にか寝てしまっていたようだ。外を見ると景色は全く別のものに変わっていた。ビルの立ち並ぶ都会の風景が今や瓦礫と化した廃墟だらけの荒野へと変わっている。


「ついたよ」

「あっ、はい……」


 私は急いで車から降りる。


「よし、じゃあさっさとリムーバー起動してずらかるよー」


 ペチュニアはそう言うと、四角い機械を取り出して地面に設置し始めた。


「それがミストリムーバー?」

「そうよ」


 彼女は短く答えると、作業を続けた。


「よし。できたわ。じゃあみんな帰ろうか」


 ペチュニアのその言葉にみんなは車へと戻り始める。


「えっ、これだけですか?」

「そうよ」


 彼女は何を言っているんだという表情だ。


「えっと……他にやることとかは?」

「ないけど?」


 彼女は不思議そうな表情で首を傾げる。


「リムーバーを起動したから任務完了だろ?」


 ルルが呆れたように言った。


「え、でも……」


 まだ何もしていない気がする。


「まあ今回は運が良かったんだよ。ミスティックに遭遇しなくて」


 ベルが私の肩に手を置いて慰めるように言った。


「そう……ですね……」


 私はしゅんとして答える。遭遇しなかったのならそれに越したことは無い。でも、なんと言うか、拍子抜けだ。


「まあ気にすんな。危険なことがなかったんだから。それでいいだろ。お前はラッキーなやつだ」

「はい……」


 私は小さく呟いて、車へと戻った。


 ***


「帰ったら、エフェメラルの初任務成功祝いをしようか」


 ペチュニアが運転をしながら唐突に言い出した。

「え、私のためにですか?」


 私は驚いて聞き返す。


「そうよ。だって今日が初めての任務だったんでしょ?」

「え、まあ、そうですけど」

「なら、祝わないとね!」


 ルームミラーに彼女のニコニコとした笑顔が写る。


「あ、ありがとうございます……」


 私は照れくさくて俯いた。


「いや、べつにいいよ。これが伝統みたいなものだから」

「そうなんですね……」

「まあ、あんまり気負いすぎなくてもいいからね」


 ベルが私に笑いかける。


「はい」


 私はぎこちなく笑って見せた。

 パーティーか……彼女たちとやるそれはなんだかとても疲れそうだけど、その分楽しそうだ。帰るのが少し楽しみ……

 そのとき、レンがポツリと呟いた。


「敵だ」

「え?」


 私は思わず声を漏らした。


「まずいな……」


 ペチュニアが舌打ちをして、車を急加速させる。


「十時の方向! 真っ直ぐ突っ込んでくる!」


 ルルが叫ぶ。


「クソッ!」


 ペチュニアが悪態をついてハンドルを切った。タイヤが地面を削りながら横滑りしていく。


「マズい! 全員衝撃に備え……」


ドスンッッッ‼︎


 次の瞬間、車は何かと衝突して跳ね飛ばされた。


 ***


「大丈夫かい。ミオ」


 ベルは車が吹き飛ぶ前にミオを抱えて、なんとか脱出していた。


「…………うん」


 ミオは辛そうに返事をする。


「立てる?」


 ベルはミオの前に手を差し伸べる。


「立て……る」


 ミオその手を取って立ち上がった。

 バギーは高速道路の上を走っていた。しかし、先ほどの衝突で下まで突き落とされてしまったようだ。

 辺りを見渡してみるとレンと自分、ミオ、そして……ミスティックしかいない。考えるまでも無い。他は車に乗ったまま下に落ちてしまったのだ。


「くそっ……とりあえずコイツはどうにかしないと……」


 ベルはそう言って目の前にいる四足歩行の怪物を見る。その体は赤黒く、ところどころに緑色の斑点がついている。顔は醜く歪み、目は虚で焦点が合っていない。口は大きく裂け、そこからは鋭い牙が覗いている。体長は四、五メートルほどだ。


「キィイイ」


 ミスティックは奇怪な鳴き声を上げると、こちらに向かって走り出す。その速度は車をも勝るものだった。


「危ない!」


 ベルは咄嵯に盾を構えて、ミスティックの攻撃を防ぐ。盾に激しい振動が伝わってきた。しかし、ベルの力も凄まじく、その体は一ミリたりとも動かない。


「まったく……随分暴れん坊だな!」


 やがてベルはミスティックの体を弾き返した。その巨体が宙を舞い、背中から落下する。


「ギィイ」


 ミスティックは苦しげな声を上げるが、また起き上がる。


「ベルフ。コイツは俺が処理する。お前は落ちた奴らを助けに行け」


 レンが剣を抜いてそう言った。


「……大丈夫なのか?」

「ああ、この程度なら俺一人で狩れる」

「わかった。任せるぞ」


 レンは剣を構えると、ミスティックに飛びかかった。


 ***


「う……」


 体が熱い。痛い。苦しい。なにこれ……

 私は体を襲う痛みに耐えかねて目を覚ました。

 ここは……車の中だ……そうだ、私たちはミスティックに襲われて……


 私は自分の状況を確認する。全身が熱を帯びており、左腕の感覚が無い。折れているのかもしれない。頭からは血が流れていて、口の中は鉄の味がする。でも、死んではいないみたいだ。


「うぅ……」


 私は弱々しくうめきながら周りの様子を伺った。車内には誰もいない。その状況に急激に不安が押し寄せ私は慌てて立ち上がろうとする。


「ぐっ……」


 途端に激痛が走る。私は再び倒れこんだ。

 どうしよう……このままじゃ死ぬ。私は必死に腕を動かそうとする。


「だめ……」


 でも、全く動かない。まるでそれは自分のもので無いかのようだ。


「そんな……」


 私は絶望して泣きそうになる。


「うぅ……」

「エフェメラル! 大丈夫か⁉︎」


 突然車の外から大きな声で呼びかけられた。


「え?」


 私は声の方を見る。そこにいたのはルル……ではなく、ペチュニアだった。


「ひどいな……」

「ペチュ……ニアさん……」


 私は安堵のあまり涙をこぼす。


「安心しろ。すぐに助けてやる」


 ペチュニアはそう言って、ドアを破壊するべく銃を構えた。


 ドンッ……ドンッ……


 しかし、彼女の放った弾丸は車体の装甲を貫くことができず、跳ね返されてしまう。


「クソが……」


 彼女は舌打ちをすると、銃を構え直す。


「出し惜しみはしていられないな……」


 ペチュニアの右手に想いが宿る……


「私を阻む全てを穿て……」


 彼女は引き金を引いた。



万物を穿つ弾丸シルバーブレット‼︎」



 放たれた銃弾は銀色に輝き、空気を切り裂いて飛んでいく。

 ドアに着弾したそれはまるで豆腐のように鋼鉄を貫いた。


「よし……」


 ペチュニアは小さくガッツポーズをする。そのまま車内に入り込むと、私を抱きかかえた。


「さあ、行くぞ」

「うぅ……」


 体のあちこちがひどく痛い。もはや体は限界だ。

 その体が車外に引きずり出される。やっと、この状況から解放されるんだ……。私はそう思ってホッとする。


「あぁ……」


 しかし、新しく私の目に入ってきたのは車内なんかよりももっと酷い光景だった。

 ルルの死体が転がっている。私の掠れた目でもすぐに分かった。首があらぬ方向を向いており、手足はおかしな方向に曲がっていて、口からは大量の血液を流しているのだから。


「嘘……」


 声が震える。


「ルルはもうダメだ……」


 ペチュニアはそう言うと、私を地面に下ろした。私は力無く地面に崩れ落ちる。


「あ、あ、あ……」


 私の頭の中は真っ白になった。視界がグルグルと回り、平衡感覚が無くなる。


「モルヒネを打つ。これで少しはマシになるはずだ」


 注射器が私の太腿に刺された。それと同時に、体がスーッと軽くなるような感じがした。


「あ、ありがとうございます……」

「礼なんて言わなくていい」


 彼女はぶっきらぼうに言う。


「あの、ルルさんは……」

「アイツは死んだよ」

「そう……ですか……」


 実感が湧かない。あまりにも一瞬の出来事過ぎて理解が追いつかない。


「見たところ左腕は折れているけど、血は止まってるし、傷は浅い。生きて帰れるよ」


 ペチュニアさんは優しい声で話す。


「はい……」


 私は小さく返事をした。


「あの……他の人は……」

「ああ……きっと脱出したんだよ。あいつらは強いからな。すぐに助けに来てくれる」


 ペチュニアさんは表情を変えずに答えた。


「そうですか……」


 私は小さく呟いた。本当は聞きたいことがたくさんある。でも、今は聞くべきじゃないと思った。私は唇を噛み締めて黙り込んだ。

 しばらく沈黙が続く。

 時間が経つにつれ冷静さを取り戻し、自分の役目を思い出す。


「あの……ルルさんに回復の魔法を……」

「ああ、そういえばエフェメラルの魔法はそんなのだったな」


 ペチュニアはハッとした様子で答える。


「はい……」


 私はゆっくりと立ち上がると、ルルさんに手をかざした。


「………………」

「………………」


 ダメだ。恐怖や悲しみ、そして後悔といった感情が溢れ出して想いを紡げない。私の右手に想いは宿らない……


「………………」

「…………もういいよ」


 ペチュニアが優しく呟いた。


「でも……」


 私は振り絞るように言葉を返す。


「いいんだ。たとえ、魔法を使えたとしても、きっとルルは助からない」


 ペチュニアの瞳は悲しげだ。


「そんな……」


 私はその言葉を聞いて、また力が抜けて座り込んでしまう。


「ごめん……なさい……」


 涙が溢れてくる。自分が情けない。自分はみんなを助けるためにここに来たはずなのに、自分だけ助けられて。いざ役目を果たせと言われたら何もできなかった。それが悔しくて、申し訳なかった。


「気にするな。お前のせいじゃない」


 ペチュニアはそう言って、私の頭を撫でた。その優しさが辛い。私は声を上げて泣いた。


「私が……弱いから……こんなことに……すみません……本当に……すみま……せん……」


 私は嗚咽混じりに謝罪の言葉を繰り返す。


「自分を責めるな。生きていただけでも、お前はよくやってるよ」

「うぅ……」


 ペチュニアさんの慰めにも私は涙を流すことしか出来なかった。


 ***


 どのくらい経っただろう。助けはまだ来ない。車を燃やす炎だけが私のことを照らしている。


「……」


 私は一人俯いていた。もう心も体もボロボロだった。このまま消えてしまいたいとさえ思う。


 コロンッ


 そのとき、足音のようなものがした。限界に達した私の脳みそはそれを助けが来たものと認識し、体を動かす。

 足音が聞こえてきた方へふらつく足で歩いていった。


「待て! エフェメラル‼︎」


 背後からペチュニアの声が聞こえる。でも、私はそれに構わず歩いた。


「……」


 私は無言のまま歩き続ける。やがて、目の前に影が現れた。


「えっ」


 しかし、それは人のものではなかった。

「キィィィィィアァー」

 醜い鳴き声と共に現れたのは、怪物だ。

 体はドロドロとしていて、頭は巨大な球体になっている。そこから無数の触手が生えており、その先端は人間の手のような形をしていた。体は赤く染まっていて、まるで血の海の中から生まれたかのような姿だ。


「あ……あぁ……」


 私は声にならない声を上げる。

 怖い……恐いコワイこわい……いやだ嫌だ……死にたく無い……死にたくない


「ギィイイ」


 その化け物は奇怪な鳴き声を上げた。


「あ……ああ……」


 私は腰が抜けてその場に倒れこむ。


「ギィィイ」


 化け物がこちらに向けて触手を伸ばしてくる。


「い、いや……いゃ……」


 私は泣きながら必死に後ずさりする。しかし、後ろは壁だ。逃げられない。


「い、いや……」


 触手はどんどん迫ってくる。


「いやぁぁあ!」


 私は叫び声を上げると、目を瞑った。


 バンッ……


 何かが弾けるような音がする。


「相手はこっちだ……この化け物!」


 薬莢が地面に落ちる音と共にペチュニアが叫んだ。彼女の手には再び銀色の弾丸が出現していた。弾丸は凄まじいスピードで飛ぶと、ミスティックの頭部を貫いた。だがコイツはドアとは違う。ミスティックはその攻撃に耐え、反撃すべく触手を荒ぶらせる。


「くっ……」


 ペチュニアはそれを咄嵯に回避する。


「逃げろエフェメラル! コイツは私がなんとかする!」


 彼女はそう叫ぶと、ミスティックに向き直る。


「うっ……」


 私はよろめきながらも立ち上がると、その場から逃げ出す。本当は『置いていけない』みたいなことを言いたかったが、もはやそんな余裕は無かった。


「ここは私に任せて早く行け!」


 ペチュニアさんは振り返らずに言う。

 私は何度も振り向こうとしたが、思い留まった。今は逃げるしかない。


「はぁ……はぁ……」


 私は息を切らせながら走る。どこに向かっているかなんてわからない。ただ、ひたすら走った。


「はぁ……はぁ……うぅ……」


 背中からは銃声が響いている。ペチュニアさんが戦ってくれているんだ……。そう考えると、ますます苦しくなった。


「はぁ……はぁ……」


 私は立ち止まると、壁に寄りかかって呼吸を整える。もう体力の限界だった。


「どうしよう……」


 ペチュニアさんを置いてきてしまった。もう銃声も聞こえない。果たして彼女は勝てたのだろうか。私は不安に駆られる。でも、もう私にできることなんてない。彼女の無事を祈るしかなかった。


「大丈夫かな……」


 そう呟いた瞬間だった。


 ドスッ


 足音が聞こえる。明らかに人間のものではない。私は恐怖で身震いをする。


「まさか……」


 私はゆっくりと音のした方を向いた。そこには先程とは別の四足歩行のミスティック。


「嘘……」


 絶望の感情が私の心を一瞬にして染め上げる。


「キィイアァー」


 化け物は奇妙な声を上げながら、こちらに近づいてくる。


「い、いや……」


 私はパニックになりながら自分の体を探って、武器を探す。

 カチャッ

 手に何か硬いものを感じる。ショットガンだ。体から離れず、まだ背負っていたのだ。痛みで気づかなかった。


「これなら……」


 私は震える右手でショットガンを構える。


「はぁ……はぁ……」


 息を整えようとするが上手くいかない。手が震えて狙いが定まらない。化け物の体がだんだん大きくなっていく。これなら外さないかもしれない……。


「死ねぇぇぇ!」


 私は震える指で引き金を引いた。

 ドンッ……

 …………………………


「キィィィィィアァアァア」


 外した。ミスティックの私を嘲笑うような鳴き声でそう理解した。


「あぁ……」


 射撃場なら絶対に外さない距離なのに……。


「あ、あ、あ……」


 左手が死んでいるため、弾を装填することもできない。私は右手で装填しようと試みるが、うまく掴めない。その間にも化け物は迫ってくる。


「やめて……」


 私は涙を流して懇願するが、化け物は止まらない。


「お願い……」


 私は諦めて全身の力を抜き、目を閉じる……。もう苦しまなくて済むと思うと、少し気が楽になった。


「あぁ……結局何もできなかったな……」


 私は小さく呟いた…………

………………………

…………………

……………

………

……

「そんなことはないよ……」


 誰かの声がした。優しい。とてもやさしい声だ。


「尊きを守れ……ボクの金剛石……」


 ドンッッッ!!


 風切り音の後、地面に何かが叩きつけられる音が響く……。



一切を通さぬ金剛壁ダイアモンド=イージス!」



 その言葉と同時に、地面からキラキラと輝く壁が突き出す。その高さは五メートルはある。ミスティックが必死に破ろうとするがその壁には傷ひとつつかない。まるでダイアモンドで作られた壁のようだ。


「間に合って良かった」


 私の前には大きな盾を持った白髪の少女が立っていた。……ベルさんだ。彼女は笑顔でこちらを振り向いている。


「ベ、ルさん……」


 涙が溢れてきた。嬉しかった。こんな状況だというのに、私は心の底から安心していた。


「立って。ここから脱出するよ」

「はい……」


 私は涙を拭うと立ち上がった。


「グォオオオ!!」


 ミスティックは怒り狂って金剛石の壁をバンッバンッと叩いている。


「まったく……。感動のシーンに水を差すんじゃないよ」


 ベルさんは呆れた様子で呟いた。


「砕け散れ……」


 その一声で目の前にあった金剛石の壁はバラバラに砕け、ミスティックを襲う散弾と化す。


「ギィィアァァアアア」


 ミスティックの体がズタズタに切り裂かれていく。そして、断末魔と共にそれは霧となって散った。


「綺麗……」


  思わずそう呟いてしまった。霧を引き裂く金剛石のつぶてはそれほどに美しかった。


「ありがとう……ございます」

「安心するにはまだ早い……ここら辺には何匹も奴らがいる。急いで逃げよう」

「はい……」


 私は力を振り絞って、ベルさんの後を追った。


 ***


「はあ……はあ……」


 私は息を切らしながら道路を走っていた。


「もう少しだ……」


 もう目の前に私たちが落とされた高速道路の入り口が見えている。そこまで行けば、きっと助けが来るはずだ。


 私は無我夢中で走り続けた。


「キシャァァァアァ」


 背後から奇怪な鳴き声が聞こえる。


「しまった……」


 私たちは慌てて後ろを振り返るが、もう遅かった。私たちの行く手を阻むように現れたのは、またしてもあの化け物だ。しかも今度は一体ではない。何匹もいる。


「こんな時に……」


 私は焦りながら周囲を見回す。だが、他に道はない。


「くそっ……やるしかないか……」


 ベルさんは盾を構えて戦闘態勢を取る。


「君は下がってて。こいつらは私が倒すから」

「でも……」


 流石に数が多すぎる。いくらベルさんでも、一人でこの数を相手するのは無理。そう思いショットガン片手に戦おうとしたとき…………


「みんな…………私に力を貸して……」


 小さくて聞き取りづらいが、間違いなく力のこもった声が響いた。



幻想世界の粛然たる女王ローン=ファントム=ミストレス……!」



 次の瞬間、ビルの上からメルヘンな見た目の生き物たちが大量に降ってきた。「キャー」「ウゥ〜ン……」「ワフッ」

 その数およそ100体。様々な動物を模した彼らは、まるで軍隊のように整列すると、一斉にミスティックに飛びかかる。


「ギャァァア」

「ギィイイイ」

「キィイ」


 ミスティックたちは悲鳴を上げて逃げ回るが、瞬く間に取り押さえられ、倒されていく。


「すごい……」


 私は驚きながら、ビルの上を見る。そこにはノートを持った青髪の少女が立っていた。


「ミオちゃん……」


 彼女はこちらを見ると微笑んで、手を振る。

 そして、ミスティックが殲滅された頃、ビルを降りてこちらに向かってきた。


「よか……た。無事で……」

「うん……」


 私は泣きながら彼女の胸に飛び込む。


「うぅ……」

「よしよし……」


 彼女が頭を撫でてくれる。私は泣き止もうとするが、なかなか泣きやめなかった。


「もう……大丈夫」


 彼女は優しく語りかけてくれた。私はしばらく彼女に抱きついて泣いた後、ゆっくりと離れる。なんだか恥ずかしかった。


「ごめんなさい。いきなり抱きついてしまって……」

「いいの……。それより、もう……大丈夫?」

「はい……」


 私は涙を拭いながら答える。


「よかった……」


 彼女はそう言うと、小さな笑みを浮かべた。


「まさかこんな簡単に殲滅してしまうなんて……驚いたよ。ミオ」


 ベルさんはそう言いながら、彼女に近づく。


「うん……。エフェメラルさ……助けたかった……から」

「えっ……」


 私は驚いて彼女の方を見た。彼女はこちらの視線に気づくと、照れた様子を見せる。


「そうか。君のアスティを守りたいと言う想いがあれを紡ぎ出したんだね」

「うん……」


 その時、私たちの下に朝日が差し込んだ。まるで惨劇の終わりを告げるかのように……。


「帰ろう……」


 ベルさんのその声で歩き出そうとした時だった。私の瞳に信じられないものが映る。


「ペチュニアさん‼︎」


 陽光は私たちだけでなく、彼女をも照らしていた。


「なにっ⁉︎」


 ベルさんも慌てて振り返る。


「ペチュニアさん!」


 私は必死に呼びかけながら駆け寄る。だが、ベルさんの手がそれを阻んだ。


「待った……」


 彼女は冷静にそう告げると、ペチュニアさんを凝視した。


「何してるんですか⁉︎ 早く助けないと!」


 私は彼女の腕を掴んで揺する。だが彼女は断固として離さない。

 そして、ゆっくりと目を閉じると、つぶやくように言った。


「あれはもう…………ペチュニアじゃない……」

「えっ……」


 私は耳を疑った。


「霧に……侵されている……」


 ベルさんの言葉の意味がわからなかった。いや、正確にはわかりたくなかったのかもしれない。でも、私の視覚が嫌でも現実を理解させてしまう。そこには変わり果てた姿のペチュニアがいたのだ。肌の色は灰色に染まっており、所々からは植物の芽のようなものが見える。顔や手足など身体中の至る所には大きな花が咲いており、目や口の位置にも蕾があった。もはや人間の形すら保っていない。


「そんな……」


 私は膝から崩れ落ちる。


「まだ完全に霧化したわけではなさそうだが……。このまま放っておけば、いずれ強大なミスティックになる」


 ベルさんは厳しい口調で言う。


「どうして……こんなことに……」


 私は絶望的な気分になる。あんなに強かった人が……。私を守ってくれた人が……。なんで……


「ボクが処理する」


 そう言って、彼女は盾を構える。


「ダメです!」


 私は叫んだ。


「お願いします。ペチュニアさんを元に戻せる方法を一緒に考えてください……」


 私はベルさんにすがるように懇願した。だが、彼女は目を伏せる。


「そんなものは……ない……」


 ベルさんは私を振り払い、前へと進んでいく。


「あっ……」


 力無く地面に倒れ込む。


「ベルさん!」


 ペチュニアさんの打ってくれたモルヒネの効果が切れたのか、もう体が動かない。私は這いつくばってベルさんを追いかけようとするが、途中で力が抜けて動けなくなった。その間にもベルさんは前は前へと進んでいく。


「せめて苦しまないように……一撃で殺してやる!」

「やめてぇぇぇ‼︎」


 ドンッッッッ………………


 惨劇の後にはただ、金属音の余韻だけが響いていた。

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