Interlude "What do you want?"

 気が付けば、ここにいた。

 黒一色の世界。

 以前にもこの場所には訪れたことがある。

 黒いドレスの少女が椅子に座っていた。その前にテーブルが置かれていて、読書をしているようだ。

 彼女の名前は。

 確か。

 エリス。

 黒の天使だと名乗っていた。

 彼女がこちらを向いた。

 「早かったではないか?」

 微笑んでいるようにも見えるが、そこには優しさよりも畏怖を感じさせる何かが含まれている。

 「黒銀の指輪を百個集めた者は、汝が初めてじゃ」

 「集めた者が元の世界に戻れるっていう話は本当なのか?」

 エリスは本を閉じて、椅子から立ち上がった。

 「昔、そういうルールを作ったが、誰も達成できなかったから、今し方まで忘れておったが」

 「俺は、戻れるのか?」

 エリスが静かにこちらを見つめている。

 もう一度、同じ質問をしようとした時、彼女は口を開いた。

 「戻りたいのか?」

 「あぁ」

 「現世に戻るというのは、生き返るということではないぞ」

 「えっ、それは?」

 「以前にも伝えたように思うが、汝が自分と同一の肉体で生き返ることは不可能じゃ。戻るというのは、転生するということで、それは汝がつい先程まで経験したことと同じようなもの」

 「これまでの記憶は?」

 「ほとんどを忘れることになる。まぁ、転生する先の身体の状態にもよるが」

 沈黙。

 静寂。

 この場所は時間の感覚が狂うのか、そもそも時間の概念がないのか、一瞬が永遠のように感じられ、永遠が一瞬のように感じられる気がする。

 「逡巡しておるのか?黒銀の指輪を集めし者に敬意を表して、その時間は無限に授けよう。だが、汝の選択肢は三つだ。」

 現世の世界に転生し、記憶を失い、新たな生を得る。

 異世界にもう一度転生し、その世界の住人になる。

 いずれも選ばずに消滅を望む。

 「もう一度、戻れるのか、あの世界に」

 「戻りたいのか?」

 その質問の口調は先ほどと同じ。

 「あの後の、仲間たちがどうなったのか、どうなるのか」

 「気になるのか?」

 「あぁ、俺はあの世界では死んでいない、それなら」

 「その通りじゃ。ただし、現世の記憶は二度と戻らない。そして黒銀の指輪は消滅する。あの指輪は現世のプレイヤー限定のものであり、この場所への鍵ともなっている。まぁ、もはや、汝に細かい説明をしても仕方あるまい」

 「カズとして、傭兵として、まだ戦わなければいけないんだ、俺は」

 「そうか。その決意、これからも見届けさせてもらうとしよう」

 エリスは両腕を広げ、詠唱を始めた。

 「絶望か希望か、願わくば汝に祝福を」

 黒一色の世界が光に満たされた。

 最後に、黒の天使エリスの表情が見えた。

 微笑んでいるように見えた。


 あれ、ここは何処だろう。

 真っ暗だ。

 何も見えない。

 見渡す限りに広がる黒一色の景色。

 頭が少し痛い。

 自分のお腹に触れる。

 違和感を感じた。

 あれ、妊娠していたはずなのに。

 あれ、自分の名前が思い出せない。

 ふと前方に目をやると、その場所だけ少し明るかった。

 黒いドレスの少女が立っていた。

 「ねぇ、あの」

 声を掛けると、彼女は振り返った。

 「ここは何処?」

 「この場所に名前はないが、強いて言えば、黒の世界とでも呼ぼうか」

 彼女の声は見た目よりも大人びていて、その言葉は力強い。

 「汝は、名前を思い出せぬのか?」

 「汝って、あぁ、私の名前は」

 あれ、やはり自分の名前が思い出せない。

 彼女はこちらに微笑む。

 「現世で事故に遭った。その事故で、汝は自分の子を失った」

 「現世?事故?子どもが死んだ?」

 その言葉が引き金となったのか、頭の中で事故の光景が見えた。

 暴走した車が自分が乗っている車に衝突し、どちらの車も大破した。運転席にいる男は、彼は婚約者だ、既に絶命していた。悲鳴を上げるよりも先に、この車から抜け出すことを本能的に考えた。 

 「あれ、交通事故に遭って、それで」

 病院のベッドに横たわる自分の姿が見える。既に目覚めている。傍の医師が何かしら説明しているようだ。

 回想の場面が切り替わった。病院の屋上。自分の顔が見える。その顔に生気はない。ゆっくりと屋上の端に近付く。そして、そのまま、最後の一歩を踏み出した。

 「あぁ、私は、自殺したんだ」

 思い出した。

 「私は、遠藤楓は自殺したんだ。でも、まだ生きてるの、私?」

 自分の身体に触れると、確かに存在しているように感じる。

 「汝は死んでいる。ここにいるのは、現世の言葉で言うところの思念体のようなものかな。ともかく、我は、汝を導かなくてはならない」

 黒いドレスの少女は、じっとこちらを見つめた。

 「長話をしている場合ではない。そう言えば、まだ名乗っていないな。我が名はエリス。黒い天使と呼ばれている存在じゃ。汝に、最後に残された選択は二つ。一つはこのまま消滅して永遠の無となるか、あるいは異世界に転生し、そこで新たな生き方を模索するか」

 「もう生きるのに疲れた」

 「消滅を望むか?」

 もう何も望むものはないに、生きていても仕方がない。

 「異世界に行けば、汝に絶望を与えた者に出会えるかもしれないが、それでも、消滅を望むのか?」

 これまで感じたことないほどの憎悪が生まれた。それは絶望を凌駕するほどの大きさとなって、自分の心を黒く染めていくように感じる。

 「異世界で、そいつを殺す」

 自分の声が一オクターブ低くなったような気がした。

 エリスは両腕を広げた。彼女の周りに光が溢れ、それが大きくなって広がっていく。

 「復讐のその先に何があるのか、汝、その答えを見つけて参れ」

 次の瞬間、光に包まれて黒い世界は消えてなくなった。

 

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