Episode 1-1 廃墟の街で

 血の匂いがする。

 腐臭が鼻を突く。

 動けない。

 手と足の感覚はあるのに。

 動けない。

 否、自分の身体に上に何かが覆い被さっているようだ。

 重い。

 手を動かし、伸ばしてみる。

 その先に光が見える。

 ここは暗闇の世界ではない。

 

 「おい、お前、大丈夫か?」

 驚いた顔をした男が問い掛けてくる。

 仰向けに寝かされていた。

 身体を動かそうとすると全身に痛みが走るが、それは生きているという証拠でもある。

 「無理に動くなよ、死ぬぞ」

 そう言って、彼は水を差し出した。

 「名前は何て言うんだい?」

 口を開こうとしたが、咄嗟に自分の名前が出て来なかった。

 「おい、カイン、ボヤッとしてるんじゃねぇ。さっさと済ませないと、夜までに街に戻れないぞ」

 「あぁ、分かってる」

 そう返事をしてから、カインと呼ばれた男は小声で言った。

 「そこで休んでな」

 彼は呼ばれた声のほうに向かって走って行った。


 目の前に広がる光景をようやく認識できた。

 至る所に死体が転がっている。腐敗し始めているものも少なからずあるようだ。蠅が集っている。

 視線を動かすと、壁に寄りかかっている自分の傍に男性の死骸が横たわっているのに気付く。蛆が沸き始めている。

 ここは何処だ。

 それに、自分の名前も思い出せない。

 自分の身体を観察すると、血塗れだが不思議と痛みはない。どうやら深傷を負っているわけではないようだ。

 ゆっくりと立ち上がり、辺りを見渡す。

 死体と瓦礫の山が混在した廃墟という印象だった。明らかに戦争の後である。剣や槍が突き立てられた死骸がまだ残っている。矢が突き刺さったままの死骸もある。

 廃墟の中を歩き始めた。声が聞こえてくる方向へと自然と進んで行った。

 「おっ、意外と怪我は大したことないのか?」

 カインはこちらに気付くとそう声を掛けてきた。彼は死骸から衣服を剥ぎ取ったり、武具を回収したりしていた。彼の仲間と思しき面々も数名、同じような作業をしていた。

 「で、名前はなんて言うんだっけ?あっ、俺の名はカインだ。取り敢えず、宜しくな。って、お前の名は?」

 思い出せないことを説明したが、自分の言葉が通じていないようだ。

 「うん?その言葉は聞き慣れないな。お前、その兵装はクライナ王国のものだろ。俺の言葉は通じているのかい?」

 彼の言っていることは理解できているが、自分の置かれている状況をまだ全く把握できていない。しかし、取り敢えず、強く首を縦に振った。

 「そうか。行く当てはあるのかい?」

 首を横に振って答える。

 「じゃぁ、取り敢えず、俺たちと一緒に来いよ。俺たちは一応、名ばかりの傭兵団なんだ。まぁ、実際のところは汚れ仕事も多いけどな」

 カインは笑いながら言った。

 「さっさと仕事を終わらせよう」

 太陽がまだ空高く輝いていて、廃墟ですら神々しく照らしている。死骸ですら、その光を浴びて、崇高さを備えるような錯覚を覚える。

 回収作業は長時間に及んだが、他に何をすべきか分からないので、カインに従って作業をこなしていた。

 カインの他に五名の仲間がいたが、自己紹介をしている時間はなかった。夕暮れ時にようやく回収が終わった。

 最後に残った回収物を運ぶ馬車の一団に一緒に便乗し、カイン達は街に戻ることになった。

 荷台で座り込み、夜風に吹かれていると心地良かった。馬車はゆっくりと森の中を進んでいた。陽が沈む前にこの森を抜けて、街へ向かうと聞いている。

 「名前がないのは不便だよな」

 隣に座っているカインは言った。

 記憶はまだ戻っていない。

 「自分の持ち物とかに手掛かりは?」

 そう言われて、自分の服やズボンを探る。少し前にクライナの兵装だと指摘されたが、軽鎧というよりも厚手の防護服といった感じである。防護服にはポケットがあって、その中に手を入れると指が入っていた。黒銀の指輪で意匠は単調なものだった。

 「名前とか刻んであったり?物語なら、そんな展開も多いよな」

 カインは笑った。

 指輪を観察すると、何かしら文字が刻んである。

 文字を声に出して発音するが、カインには通じないようだ。

 「うん?どうした?何か書いてあるのか?」

 カインは指輪を手に取ると、文字を読む。

 「KAZの三文字かぁ」

 指輪をこちらに返すと、彼は少し大きな声で言った。

 「取り敢えず、お前のことをカズって呼ぶことにするよ」

 周りの仲間たちが、カズと呼ばれた自分に注目する。

 「もうすぐ到着する。アジトで休養すれば、そのうち何か思い出すかもしれない。まぁ、今はそれ以外になす術がない」

 同意を示すために頷く。

 遠くに明かりが見えてきた。馬車は減速して進んで行く。所々に決壊している砦跡にカイン達は辿り着いた。

 「目下、ここが俺たちのアジトだ。取り敢えず、ウチの団長に挨拶しておくか」

 カインは他の仲間に指示を出して、自分は団長のところに行くと告げる。

 選択肢など無い。

 物語なら、この展開に素直に従うものである。

 言葉が通じないことに少し苛立ちを覚えながらも、カインの後に付き従う。砦の中は賑やかで騒々しい。

 昼間に見た壮絶な光景とはあまりにも掛け離れていて、どちらが現実なのか分からなくなりそうだ。

 否、どちらも疑うことなき現実なのだが。

 

 

   

 

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