アンチファンタジィ「黒と白 Black and White」

神楽健治

プロローグ

 頭が痛い。

 割れるような痛み。

 意識がぼんやりしている。

 視界は徐々にクリアになっていくが、何も見えない。

 体に力が入らない。

 手の感覚。

 足の感覚。

 意識がはっきりとしてくる同時に、全身に力が入る。ゆっくりとその場に立ち上がろうとして、片手を地面に付いた。思うように全身に力が入らない。踠くようにして手足を動かした。そして、やっと黒い床に手を付き、立ち上がった。

 ここは何処だ。

 黒い床が何処までも続いている。

 上方に視線を動かすと、暗闇が広がっている。

 月も星も輝かない闇夜。

 暖かいわけでも、寒いわけでもない。

 何も感じない。

 ここは何処だ。

 一歩踏み出そうと思った。

 そして、右足が一歩前に出る。

 どうにも思うように体を動かせない。

 何度も同じ問いを繰り返す。

 ここは何処だ。

 見渡す限り、黒一色の闇の世界。

 「闇に堕ちし愚か者よ、汝、その名を申してみよ」

 暗闇から声が届く。

 頭を動かし、前後左右を確認するが、何処から声が発せられているのか分からない。

 「我が問いが聞こえぬのか」

 その声が鋭さを持つと、一瞬で空気が重くなったように感じた。

 「俺の名前は」

 そう言い掛けた時、自分の名前がすぐに出て来ないことに気付いた。

 私は誰だ。

 私の名前は。

 「思い出せぬのか?」

 その声に優しさが含まれて、一瞬で空気が軽くなったような気がする。

 「俺は佐藤、あっ、そうだ、佐藤一晃だ」

 「何故にこの場所におるか理解しておるのか?」

 「訳が分からない。ここは何処なんだ?」

 「人間の記憶とは脆いものじゃのう。汝が現世で何を為したか忘れたと申すのか。罪深き者よ」

 何かしらの気配を感じ、振り返ると、そこには少女が立っていた。長い黒髪の少女。高校生ぐらいだろうか。否、もっと幼いのかもしれない。

 「誰だ?」

 「我が名はエリス。黒の天使と呼ばれている」

 その言葉を発した瞬間、彼女の周りが少しだけ明るくなった。黒のドレスを身に纏っている。

 「佐藤一晃よ、汝は現世において、三人の人間を殺した。そうじゃな?」

 「えっ、あっ、俺が殺した?」

 記憶が混濁している。

 思い出せない。

 思い出したくない。

 片手で頭に触れ、記憶を辿る。

 「目を閉じてみよ」

 その言葉に従う。

 すると、意識の中で鮮明な映像が流れ始めた。

 馬鹿騒ぎする四人の若者。

 運転しているのは自分。

 明らかに酔っ払っているが、自分が一番飲酒量が少なくて運転を買って出たのだった。

 アクセルを踏み込み高速道路を滑走している。

 スピードメータは百二十キロを越えていた。

 そのスピードまま、カーブに差し掛かる。

 車はふらつきながら、カーブを曲がる。

 左手に軽自動車が見えた。

 曲がり切れないと思いハンドルを素早く切ると、車が踊るように後部を振った。滑りながらも必死にコントロールを試みるが、アクセルを踏み込んだままの車は加速したままであった。

 思わず目を開けた。

 「思い出したか?」

 「あぁ、俺は交通事故を。俺は死んだのか?」

 「そうじゃ。追突した相手の車の中にはカップルが乗っていた。その彼女にはお腹に子どもがいたようじゃ。そして、汝の友人三人。交通事故によって、それぞれに生死を彷徨うことになった」

 「俺の運転のせいで、飲酒で、あぁ、誰が、誰が死んだ。俺は死んでも良いんだ、でも他に誰が?」

 エリスと名乗った少女は微笑んだ。否、微笑んだように見えた。

 「それは汝が知る必要のないこと。汝はその事故で最初に絶命したその時点で、現世の情報は、もはや、意味を持たぬ」

 「あいつは死んだのか?」

 その問いを発したが、あいつが誰を示しているのか自分でも分からなくなった。

 「汝は死んでおるのじゃぞ。最早、手遅れである」

 「それじゃあ、俺は、何故、こんなところにいるんだ?ここは地獄の入り口か何か?死んでいるのなら、何故、今もお前と会話ができているんだ?」

 「そう興奮するでない。汝は救いようのない愚か者じゃ。魂などすぐに消滅させて仕舞えば、それで良いのだが」

 エリスはじっとこちらを見つめる。

 「汝は偶然にもこの場所に辿り着いた。我の役目は、汝をこのまま消滅させるか、現世とは隔絶された世界に転生させるか、のいずれかなのである」

 「転生?そしたら、どうなる?そこで何かすれば、生き返れるのか?」

 「愚か者が。現世で死んだ者が生き返ることなど有り得ない」

 エリスはそこで言葉を切ってから、怪しげな微笑みを浮かべる。

 「ただ、その隔絶された世界には人智を超えた存在もいるので、汝の望みを叶える術があるやもしらん」

 「過去を変える術があるかもしれないのなら」

 「それを望むのか?」

 真っ直ぐとエリスの顔を見つめて、強く頷いた。

 「良かろう。それは絶望よりも深い闇であるかもしれないが、構わないのじゃな?」

 「はい」

 エリスが両腕を広げると、光り輝き始めた。

 「では、絶望か希望か、その手で掴んで参れ」

 合掌し、静かに何かを呟いた。

 その瞬間、黒一色の世界は消えてなくなった。

 

 

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