第342話 運動会打ち上げで思ったこと

 本当は運動会と打ち上げ合わせて一話完結の予定だったが、書いてみると思ったより文字数が嵩んでしまったので別の話にする事にした。

 

 運動会の撤収は機材の片付け、机、椅子を体育館に運んで脚を拭いて片付け、入場門、退場門の柱を体育倉庫へ片付け、テントを畳んで片付ける。

 

 あらかた終わった頃になってグラウンドにブラシをかけ始める。いやいや、撤収と平行してやろうや。人数は十分いるんだからさ、効率的に動こうぜ。

 

 運動会は私の所属するボランティア団体が主体となってやる為、会長が異常に張り切ってやいやいと指示を出す。役員たちはそのテンションについて行けず、辟易とした様子であった。

 

 とりあえず無事に終わり、いったん家に帰って汗だくの服を着替えて集会所へ向かった。すでにほとんどの人が集まって、すぐに打ち上げが始まった。

 

 町内会の打ち上げなのでほとんど高齢者ばかりだろうと思っていたら、予想外に若い世代が多かった。もちろん、私自身が高齢者に足を突っ込みかけているという事実も受け入れるしかないのだが、最年少の十三歳がかなり平均年齢を下げている。

 

 思ったよりも和気藹々とした場で、楽しく飲み食いできた。こういう雰囲気ならボランティアも楽しくやっていけるんだろうな。久しぶりに発泡酒ではない本当のビールを飲み、焼肉も非常に美味しかった。

 

 罰ゲームみたいなボランティアをするのはアホらしい。遊びの延長みたいなボランティアが本来のあるべき姿なんじゃなかろうか? 自分が負担無くやれる活動で他人の為になるボランティアが探せばきっと見付かるはずである(保護猫を飼うのも立派なボランティアだ)。

 

 勘違いしないで欲しいが、ボランティアは別に苦行ではない。出来る範囲でするのがボランティアの基本である。断りきれずに自分を殺してやっていると、先週の私のようにブチ切れ寸前の不愉快な思いをするハメになってしまう。

 

 今回の打ち上げの居心地の良さでようやく本質に目覚めたような気がする。自分が楽しくないのに無理してボランティアなんてする必要ないんだよな。

 

 私が所属するボランティア団体は二つあるのだが、一つは有償ボランティアなので多少の無理は避けられない。しかし、もう一つの団体は無償なのでやりたくなければやらないという至極当然の選択肢が用意されているのである。

 

 副業とボランティアに忙殺されて本業の執筆が全然出来ないなんて本末転倒だ。せめて創作のきっかけになるような刺激を得られるようにしたいものだ。その意味ではあの不愉快な一日も無駄ではなかったが、出来る事なら楽しい事や嬉しかった事などをネタにしたいものである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る