第12話 名人に香車を引いた男

 前回、将棋指しの本が好きだと書いたが、中でも升田幸三の「名人に香車を引いた男◆升田幸三 自伝」という本が好きだ。米長邦雄の本は米長の勝負に対する考え方を述べた本だったが、升田幸三の本は自伝と言うだけあって升田幸三の半生が描かれている。そもそもタイトルの名人に香車を引いた男と言うのが謎めいている。他の本も何冊か読んだが、この本が一番インパクトが強かった。本当に小説のような人生である。こんな生き方をした人が本当に存在したのかと疑いたくなるような話ばかりなのだ。

 

 ざっくり内容をなぞってみるが、それって小説のネタですか? と言われるような人生を歩んでいる。まずは十四歳で剣豪の夢を諦め、将棋指しを目指す事となる。ところが母親は将棋指しをばくち打ちの一種だと思っており許してくれない。そこで物差しの裏に「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」と書いて家出をする。ちなみにこの文言はおかしな言い回しになっているが、「勝つため」の間違いである。

 

 将棋の世界で一番強い名人に対して香車一枚ハンデを与えて勝つと言っているのだ。そんな事は藤井聡太でも公式戦では絶対に不可能である。将棋の歴史上において公式の場で名人に香車を引いて勝った人間は升田幸三以外にはいない。

 いや、やっちゃったよ、この人。本当に名人に香車引いて勝っちゃったよ! どうしてそんな事が出来たのか? それはこの本を読めば分かるので気になったら是非読んでみて欲しい。もちろん名人にもなっている。しかも三冠も達成している。何だ、三冠か、と思った人もいるだろう。しかし当時は全部で三つしか棋戦が無かったのである。

 

 戦後、GHQに呼び出された時のエピソードも痺れる。この話はわりと有名なので知っている人もいるかもしれない。確か中田敦彦がやりすぎ都市伝説という番組で語っている。簡単に言うとGHQが将棋を存続させるか滅ぼすかを決めるために有識者である升田を査問したのである。

 普通ならそんな場に立たされたら言いたい事も満足に言えない筈である。升田は徴兵されて実際に戦争に参加している。その占領軍から呼び出されたのだ。

 この問答も本にはしっかり書かれているので是非読んでもらいたい。スカッと痛快な思いが出来るに違いない。当時の日本人には珍しい雄弁タイプの升田が呼び出されたのは日本にとっては非常にラッキーだったと言わざるを得ない。

 

 阪田三吉についても言及している。どうやら阪田三吉に気に入られて一門ではないのに何かと升田に目をかけていたらしい。他の本でもエピソードが語られているのでかなり仲が良かったようである。

 

 棋譜まで入ったかなり分厚い本だが、本当に一本の映画を観るようにハラハラドキドキ、ワクワクした気持ちで読める良い本だと思う。

 風貌も独特で鬼才感満載なので興味があったら読んでみてね。

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