第8話 原作と映画の関係について

 小説や漫画が映画化された時、原作を読んだ人が批判的な感想を語っているのを見る事がある。これに関して、私の考えを語ってみようと思う。

 

 そもそも、映画化する際に原作を読んだ人を満足させる作品になる事はあまり無いんじゃないかと思う。小説にしろ漫画にしろ、もうその時点で完成されているのだから、どんなに頑張っても原作を超える作品になる可能性は少ないのである。

 原作を読んでいる人を満足させる作品がほぼ無いとすれば、何のために映画化するのか? それは原作を知らない人の為なのである。小説を読む習慣の無い人に小説の世界の面白さを映像にして伝える、それが映画化の意義なのではないかと思う。

 

 なので原作を知っている人の映画批判はあまり参考にならない。もちろん、それを加味しても駄作という作品もあるにはある。しかし、原作を知らない人が満足できる作品ならそれは十分に成功と言えるのだ。

 原作を知っている人はそういう目で映画を評価すると良いだろう。自分たちを満足させるために作られた作品でないと思えばある程度許容できるのではないだろうか?

 

 映画を観て原作に興味を持ち、原作を読んでみるという人もいるだろう。そのパターンで私が原作を読んだのは麻雀放浪記という作品である。この作品は原作を知ってても楽しめる、珍しいタイプの映画だったようである。だからこそ私も原作を読んでみたいと思ったのだろう。

 

 作者の阿佐田哲也は色川武大という作家の別名義で、主にギャンブル小説を書く時に用いられたペンネームである。戦後のどさくさという舞台設定も良かったし、ギャンブルを通しての浮き沈みや人間模様などもしっかりと描かれている。

 加賀丈史のドサ健も良かったし、高品格の出目徳も渋かった。名古屋章の上州虎も、加賀まりこのママも……ってほとんど完璧だったんじゃないか?

 阿佐田哲也の書くキャラクターに強烈なインパクトがあったのが、この作品の勝因だったとも言える。

 ついでに言えばこの映画の影の功労者として牌技指導に桜井章一という麻雀打ちがいる。この人に関しては別のエッセイで一本書けそうなのでここではあまり言及しない事にしよう。興味を持ったらぜひとも映画を観てもらいたい。麻雀を知らなくても十分に楽しめる作品になっていると思う。

 

 このように原作を知っていても楽しめる作品と言うのも数は少ないがあるにはある。ただ、原作を知る人間が酷評していたからといって悪い作品とは限らない。そこは自分の目で確かめるのが一番良いだろう。

 まぁどちらかと言うと酷評されがちなのは小説よりも漫画のアニメ化や実写化である。やはり絵がある分、原作を知っている者にとっては許せない実写化、アニメ化というのがあるのだろう、知らんけど。


※懐かしくなって麻雀放浪記を観たら、これも角川が一枚噛んでいた。やけに絶賛してしまったが特に忖度している訳ではありません。

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