ケヤキ並木の先にある大社-恋と御縁の浪漫物語・さいたま編-

南瀬匡躬

軽音部の真美と新聞部の僕

 埼玉県さいたま市。まあ正確には大宮区。ちょっと昔は大宮市だった、と言いたがる人が僕の横を今歩いている。小学生の時に大宮と浦和、与野は合併して政令指定都市になった。

 今年二十八歳になる波瀬川真美はぜがわまみさん、通称ハゼさんは、当時、軽音部の敏腕ギタリストとして、僕の高校では有名だった。さらさらの髪に美白フェイスで、着崩した感じの制服もトレードマークにしていた。学園祭の時の彼女のギタープレイは伝説になった。その様子を新聞部だった僕は、写真部の友人とともにシャッターにおさめ、校内紙の記事にした記憶がある。


「ねえ、何処まで連れて行く気よ、鮒来ふなき君」

 気怠げな顔のハゼさんは、僕、鮒来隆夫の顔を見ながら、少し眉をしかめた表情に変える。呼び出されたあげく、氷川参道を延々と歩かされているからだ。吉敷町から高鼻町は結構な距離だ。一キロ以上は歩いただろうか?

 僕の家は与野、彼女の家は大宮。でも徒歩で行けるほど近い距離なのだ。呼び出しに快く応じてくれた彼女は、今こうして僕の横を歩いている。でもそろそろ疲れてきた感じだ。

 今僕の横にいるハゼさんは、髪の色こそ昔と同じブラウンだが、かつてのようなギャル感はほぼない。

「団子屋」と場所だけをぶっきらぼうに告げる僕。

「神社の入口近くの?」とハゼさん。

「うん」

 僕の返事に「何で?」と角口をするハゼさん。

「約束だから」とやはり短く答える僕。

 頭を掻きながら「約束?」とハゼさんは不思議な顔をした。

 そんな不思議な顔をするのは無理もない。僕たちは高校を卒業してからもう十年たった。ともに二十八歳。そんな昔の話、十年前の細かい約束など覚えているはずもないのが普通だ。だが僕は覚えている。なぜなら彼女のことが好きだったからだ。今更告白などする気は毛頭ない。彼女にも、もしかしたら恋のお相手がいてもおかしくない年齢だ。迷惑をかける気も無い。なので約束を果たして近況を知ったら、さよならをするつもりでここに呼んだのだ。

 見慣れないお淑やかなワンピースに身を包むハゼさんは、カッ飛んでいた高校時代とは違う大人の女性だ。

 参道のケヤキ並木の向こう、通りを挟んだ向かいにその団子屋はあった。

「懐かしいわね。よくここでお茶したわよ、私」

「うん」

 そう言いながら、僕は手元のセカンドバッグの中から札入れを出す。

 店の前で「済みません、ひと折り下さい」と店員に声をかける。


 支払いを終えて、折詰め箱の入ったレジ袋を、「ん」と彼女に差し出す。

「私に?」と不思議顔の彼女。

「約束だから」

 彼女は不思議そうに「ありがと」と首を傾げた姿勢でそれを受け取る。彼女はぶら下げていた籐で編んだトートバッグにそれを入れた。そして一息つくと、

「そろそろ教えてよ。私と何の約束したのよ」と困った顔で僕を見る。

 僕はニヤリと笑うと「本当に覚えていないんだね」と肩をすくめる。

「ごめん。あの頃の私、細かいこと気にしない性格だったから」と舌を出す。変わらないその愛らしい仕草に、一瞬忘れかけていた僕の中の恋慕の情が蘇る。

「高三の三学期。掃除当番」とヒントを出す僕。

 彼女は再び僕の横をゆっくり歩調を合わせながら真剣な面持ちで思い出そうとしていた。


 十年前。僕らの高校時代。それも卒業前の頃。当時、僕の学校は高三の三学期は年明けの始業式を終えるとすぐに自宅待機期間になった。受験などで忙しい三年生は一月から二月、三月はそういう名目で卒業式まで学校に行かなかった。

 だが掃除当番がローテーションで決まっており、毎回三人ずつ週一回だけ午前中に登校して教室の掃除をすることになっていた。僕の班はハゼさんと沖亜美おきあみの三人だった。

 沖は素行不良の劣等生と名高い生徒で、教師も手を焼くほどの問題児。その問題児を上手く操ることが出来たのがハゼさんだった。教師が沖を僕らと同じグループにしたのもそんな思惑が垣間見えた。案の定沖は来ていない。ずる休みだ。


 ガラガラと戸を開けて担任教師が教室に入ってきた。

「あれ鮒来? なんでお前ここにいるんだ」と第一声。

「何でって、掃除当番だからですよ」と当たり前に答える僕。

 教師は青ざめて、

「お前、今日、慶立大の文学部の試験だろ!」と言う。

「え? 今日、二月の第一月曜日だったっけ」と僕。

「うん」と箒を抱えながら頷くハゼさん。

 僕は教師に時計を見せられる。

「間に合うぞ! 急げ、受験票は持っているか? なくても何とか会場に入ってしまえ」と教師は焦りを隠せない。

 筆記用具をハゼさんが僕に渡す。可愛いキャラクターの描かれた布製の筆入れだ。そしてスカートのポケットからハンカチとティシュを取り出して「はい」と手に持たされた。

「でも、掃除……」と言うと、

「大丈夫、私がやっておくよ」と笑うハゼさん。

 そして「あの茶屋の氷川団子で手を打つよ」とウインクをしながら笑った。

「分かった」

 僕はそう言って、教師に深々とお辞儀をすると全力で走り出した。僕の住む与野という町からは田町まで京浜東北線の電車で三十分あれば着く。全ての受験校の受験票はずっと財布に入れていたため持っていた。

 ハゼさんは鼻歌交じりにモップで床掃除をしていた。校門に向かって、校庭を全力で走る僕。振り向きざま、校舎の窓から僕の教室が見えた。横目でそれを確認しながら駅に向かって一目散で走った。

 あの思い出が今日のこの再会を、僕に計画させたのだ。


 僕は団子を渡した後、やはりセカンドバッグから布製の筆入れとあの時のハンカチをピュッと彼女の前に差し出す。

「返すのすごく遅くなってごめん」

 その持ち物を見て彼女はようやくピンときたようだ。

「ああ、あの時の! 懐かしい筆入れ」と笑う。

 そして「急に電話してくるから何かと思ったらこういうことね。義理堅いわね、あんた」と目尻が緩むハゼさん。

「結局あんた、風の噂で慶立大の文学部に受かったって聞いたけど、その後どうしてたのよ」と笑う。

「うん。音楽関係の出版社に入って、編集の仕事しているよ」と返す僕。

「音楽? 新聞部のあんたが?」と面白がっているハゼさん。

「うん、ダメかな?」と苦笑いの僕。

「わお! そうじゃ無いのよ。私たち真逆の人生になったわあ」と笑うハゼさん。独り合点で思い出し笑いをしている。

「何で?」

 僕の問いに答えるハゼさん。

「私、一浪して日東大の社会学部に行ったのよ。そこで何故か新聞社の評論文コンテストに応募したら大賞をとってしまったの。それでその新聞社にご縁あって就職したの」

「軽音部のハゼさんが新聞記者?」と僕。

「うん。地方紙だけどね」と笑うハゼさん。

「そっか、新聞部の僕が音楽関係で、軽音部のハゼさんが新聞記者か」

 そう呟くと、僕も思わずおかしくなって、「あはは、こりゃいいや。何か運命を感じるよ」と笑った。彼女の一人笑いの意味が分かった。

 ハゼさんもクスクスと拳で口を押さえながら笑う。

「だから昔みたいなボーイッシュな格好でなくて、ワンピースなんて着ているんだね」と僕が言うと、

「それは違うの」と恥ずかしそうに俯く。

「なに?」

 僕の問いに、

「昔、憧れていた鮒来君に会えるからめいっぱい私レベルでだけど、おしゃれしてきたんだ」と照れる仕草が可愛らしかった。

「そうなの?」

 思いもよらない回答に戸惑う僕。

「うん」

 恥ずかしそうにする彼女に、

「じゃあ、このままデートに行きませんか? 美しいハゼさんと夜景を見て食事がしたいな」と僕が言う。

「いいの?」

 上目遣いに微笑む彼女の言葉に、「僕は女縁が薄くて未だ一人なんだ。女性とデートしても焼き餅を焼いてくれる相手なんていないから大丈夫」と返す。

 威張って言うことでもないが、なぜか堂々と答える僕。

「じゃあ、その焼き餅を焼く相手に名乗り出ようかナ?」

 小さく挙手した彼女の仕草がまた愛しく思える。

 縁結びの大黒さま、出雲系のお氷川さん、今日の良き日が運命の日になり、僕たちはその後結ばれた。神前式での結婚式は、勿論お礼をかねてこの神社で行うことにした僕たちだった。

                             (了)


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ケヤキ並木の先にある大社-恋と御縁の浪漫物語・さいたま編- 南瀬匡躬 @MINAMISEMasami

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