聞き込み調査を再開して?

 ぐるりと車を走らせることおよそ三十分。コンテナ倉庫に近いシャッター街にあるボロボロの貸しビルの二階フロアの前。


 龍の素材を用いた研究会社というよりは素行調査や人探しなんかを請け負う小さな探偵会社のオフィスだとか、あるいはヤクザの事務所だとか言われた方がしっくりくる立地だ。


 安っぽいドアに申し訳程度の金箔塗りで「希龍血」とだけ書かれた看板が貼り付けてある。


「下であいさつしたから分かってると思うが、念のため所轄の刑事たちに応援要請を頼んであるから、何かあったらとにかく声を上げろよ」


「おーけー……」


「キャー暴漢よー、とでも言えばいいのですか?」


「内容はなんでもいいですよ」


 乾いた笑いを漏らしつつ頷く奈也人ななととすまし顔で両手で身体を守るようにし小声でひそひそと首を傾げる溌希はづきに対して、伊森いもりは僅かに苦笑いを浮かべる。心構えとしては足して二で割るくらいが丁度良さそうだった。


 そのままドアを開けようかと一瞬悩んで、安っぽい青いドアをドンドンと手で叩く。


「先日アポイントを取った県警の伊森いもりです。お話お伺いに参りました」


 見渡す限り呼び出しボタンの一つたりともついてはいないため、こうするよりほかにしょうがない。


「カギ開いてんでなぁ!! どうぞ入りなすってくだせぇ!!」


 ドアの奥から返ってきたのは訛りの入ったがなりたてるような声だった。


 声と話し方からだけでも今まで会ってきた社長方とは明確に毛色が違うタイプであることが伝わってくる。


「では、失礼します!!」


 がなるような声に釣られたのか、一段大きな声量で答えた伊森いもりがガチャリとドアを開ける。


 ドアの向こう側はワンフロアを複数のパーティションで緩く区切ったタバコ臭い空間だった。


 このご時世で白い煙がもうもうと室内に立ち込めている貸しビルの一室なんて光景を見ることになろうとは……。


 入口から見えている範囲で言えば室内には五人ほどいる。ただ、パーティションの陰に隠れるような形で他にも人がいる可能性は大いにある。


「いっちゃん奥まできてくれやすかいねぇ!!」


 声と同時にパーティション飛び越えるような格好で白い煙が立ち上った。恐らくはこの中世的なガラガラ声の主がタバコの煙を吐き出したのだろう。


 三人は一度アイコンタクトを取って、それから揃ってオフィスの奥へと歩いていく。


 途中パーティションの横をすり抜けると、その陰で明らかに人相の怪しい男たちがタバコをふかしていたが、見なかったことにした。


 オフィスの最奥へと辿り着きがなり声の主と対峙する。


 派手な黒いサングラスで目元を隠し、首元にはふかふかの真っ白なファーを掛け、艶やかな真っ白いジャケットスーツを着崩して、やはり真っ白いハイブランドのハイヒールを身に着けた、長髪長身の女が、安っぽさのある革張りのソファに足を組んで踏ん反り返っていた。


 がなるような声色が、だけれどどこか中性的であったのにも納得がいく。恐らくは酒やたばこで酷く声が焼けた結果、がなり声になってしまったのだろう。


 真正面のガラステーブルの中央にある灰皿へと加えた葉巻を押し付けながら、


「おー、ゾロゾロと仰山おいでなすってぇ!! どうぞどうぞ、腰かけてくだせって」


 言葉上だけで歓迎を示す。いや、言葉の上でさえ歓迎出来ているとは言い難くはあるのだが……。


「では失礼して……」


 真っ先に伊森いもりが軽く頭を下げてソファに座り、奈也人ななと溌希はづきもそれに倣うように軽く会釈をしてから両隣に腰を降ろす。


 手入れが悪いからなのか、それとも単に古いのか、あるいは環境が劣悪で劣化が早いのか、ソファの座り心地はあまり良くなかった。


「スンマセンなぁ!! お客なんて大層来はりゃーせんのでなぁ!! 対して手入れもしてへんもんでなぁ!! おーい!! 誰でもいいから、早う、茶ぁーもってこんかい!!」


「いえ、お手を煩わせる訳にもいきませんし、お気持ちだけ貰っておきます」


 伊森いもりはもう一度頭を下げながら、やんわりと断りを入れる。


「ほうでっかぁ? ウチも会社やし、市民のモノとして警察はんの力にはならんと常日頃から思っとりますわ。しゃーけど、時間も有限ですんでなぁ!!とっとと本題、入らしてもらいやしょうか。聞きたい話ってのは、一体なんでぇ? 」


 その女社長の態度は明らかに来賓や客人の前でするようなモノではなかったが、それでも多少なりとも意識をしている素振りも見え隠れしている。つまりは、意識していてなおこの態度という訳だ。


「ご協力感謝します」


 まず初めにそれだけ言って伊森いもりが再度頭を下げた。つられるように両隣の二人も、軽く頭を下げる。


 それから頭をあげた伊森いもりが口を開こうとするのだが――、


「お、お茶お持ちしました……」


 おっかなびっくりといった調子のオフィスレディの人が木製の盆に急須と湯呑みと茶菓子を乗せて持ってきた。


 その人物は明らかに場違いだった。服装がいたって普通のオフィスレディのモノだからではなく、明らかにこの怪しげなオフィスには似つかわしくない気の弱そうな雰囲気を纏った女性だからだ。


 四人分のお茶とお茶菓子をガラステーブルへと並べ、そしてそそくさとパーティションの陰へ隠れるようにして引っ込んでいく。


 ソファに踏ん反り返る女社長はその様子をニタニタと気味の悪い表情を浮かべて眺めていた。


 配膳された湯呑みを一瞥し、正面に座る女社長にバレないようにしながら小さく息を吐きだす。


 三人が三人とも目の前のそれに口をつける気にはなれなかった。


 このお茶を持ってきた人物が、この会社にそぐわない雰囲気の持ち主だったとしても、正面に座る女社長の怪しさにも、会社そのもの怪しさにも一切関りはない。その上前日には薬を使って拉致され、暴行までされている訳なので、警戒を緩める必要性はどこにもないと言っていい。


「では改めて。まずはそうですね、『龍の死権』周りの話を……。例えば担当者とどういった話をしたか、などお聞かせ願えますか?」


「担当者との話ぃ……? そんなもん、ウチの会社の功績をそっちが認めたからお話もらったに過ぎんじゃろ。深いことなぞ知りゃせんよ。オフィスはこんなだけども、研究棟の方は中々立派なモンもってんけぇねぇ」


 わざわざ付けたままにしていた黒いサングラスを外し、目を細めて伊森いもりのことを睨みつける。


 明らかに今自分が睨みつけているということを伝える意図のある行動。


 威嚇行為の一環と見てまず間違いない。


「では、そちらの研究棟の査察に入らせていただくという訳にはいきませんか?」


「令状持って捜査しに来るってんならしゃーなし、単なる捜査協力って話ならお断りじゃ。ウチにも企業秘密の一つや二つあるんや」


 睨めつけたまま、女社長は伊森いもりの言葉を突っぱねる。


 捜査協力は基本的には任意であって、強制力はないため、断ることは出来る。しかし、だからと言って今このタイミングでそれをするというのはあまりにも肝が据わり過ぎている。


「……、ではこの男に心当たりは?」


 取り付く島無しと判断したのか、あるいは後日に強制捜査に入る算段でも立っているのか、しばしの無言の間を作ってから、懐から一枚の写真を取り出して、さらりと話題を変えた。


 写真に写っているのはプリン頭の男、衣魚根ほんくいもとさい。昨日、奈也人ななとを襲撃した実行犯の一人。


「……、何ねこいつは?」


「暴行の現行犯で逮捕した男です。いま背後関係を洗っている最中でして、何か心当たりがありましたらと思いまして」


「まぁ、いかにもって男やがね、しゃーけど、知らんで、こないなやつぁ」


 白スーツの女社長はしげしげと写真を眺めながら襟元を軽くさすっていた。


 本当にその言葉を額面通りに受け取ることは少し難しかった。


 何せ怪しい。この会社は頭からつま先まで徹頭徹尾怪しさしか詰まっていない。


 ただ、始めから疑いの目で見ているから怪しく思えるということもある。事実今までの女社長の言葉には明らかな矛盾などは存在していないのだから。


「それではこちらに見覚えは?」


「……、こりゃー、薬やろ? なんの薬かはよー分からんが」


 次に伊森いもりが差し出した写真にはシャーレに出された黄色い液体が映っている。それは奈也人ななとへと打ち込まれた薬品を注射器から押し出したモノだ。


 注射器が写り込んでいないにも関わらず、この女社長はそれを言い当てた。


「どうしてそう思います?」


「この手の黄色い色合いはごく少量の龍の血を混ぜることで出るもんじゃ。龍の素材の研究させてもらってる会社の社長なめんといてくださまっか?」


 説明を聞いて、伊森いもりが静かに頷いた。


「なるほど」


「しっかし、こんなもの何に使うんね?」


「注射器を使って直接人に打ち込むタイプの昏倒薬のようですね」


「ほーん、しっかしそりゃ効率が悪いんと違うか?」


「きちんと血管に刺す必要性は必ずしもないモノであるようなので、利便性については左程でもないという話ですね」


「おぉ怖い。ウチの研究員に詳しい話でも聞いてみよかぁ?」


「……、薬の解析自体はもう済んでいますので」


「なんね? 情報の拡散でも怖がってんのけぇ?」


「市民に無用な混乱を与えないのも我々警察の職務であるので……、このことは他言無用でお願いします」


「はー、ご立派な心がけだこってぇ。なぁ!! 他にはなんか聞きたいことねぇんか?」


「えぇ、今日お伺いした用件としては」


「手早く済ませてくれて助かるねぇ。こちとら時間が惜しい!!」


「お手数おかけしました。お話ありがとうございます。では我々はこれで失礼します」


「おう、お仕事頑張ってくんなまし」


 三人は起ちあがってから一度礼をし、踵を返してもう一度パーティションの横を通り抜けて出入り口のドアから退出していく。



 結局ガラステーブルの上に置かれた湯呑みに口を付けるモノはいなかった。誰一人として。


 青いドアを閉じて、三人はビルの階段を下っていく。


「決め付けるのは良くないかもだけどちょっときな臭すぎる……」


「本格的に暴対法案件かもな、こりゃぁ……」


 溜息を吐きだしながら奈也人ななとが小さく呟くと、伊森いもりがそれに頷いた。


 会社のある場所、社長の態度、フロアの様子、社員の人相等々、怪しい箇所が多すぎて、怪しくない部分を探す方が難しい有様。


 むしろこれで単なる製薬会社でしたと言われた方がよほど信じ難く思える。


「これで一応一通り話は聞けた。一度戻って情報を整理するか」


 階段を降りながら話をしていると、


「それなら一か所いきたいところがあるんだけど――、」


 ビル一階の出入口から出た直後に、奈也人ななとの言葉が詰まる。


 視線の先にはビニール袋をぶら下げた男が一人。


 黒いスーツに黒いサングラス、主張の激しい剃り込みの入った短髪の大男が呑気な調子でシャッター街の通りを歩いていた。


「どうした?」


「アイツ、昨日俺のことを襲った二人組の片割れ」


「は……?」


 指さしたと同時に、剃り込みの男が奈也人ななとの方を向いた。


 完全に目が合った。


 お互いの距離はおよそ七メートルと少し。


「あ゛っ」


 剃り込みの男の口の形がそう変化し、直後踵を返して走り出す。


 遅れて伊森いもりが走り出し、さらにそこからもう一拍遅れて奈也人ななとも走り出す。


 剃り込みの男の走行姿勢はキレイだった。


 短距離を走るのに最適化された前傾姿勢で、脱兎の如くアスファルトを蹴り飛ばす。


「アイツ早いな!!」


 伊森いもりが驚愕の声をあげながら、駆け足の速度を緩める。


 それは追いつくのを諦めたからではない。


 剃り込みの男の足がいくら早かったとしても、もう関係がないからだ。


 奈也人ななとよりも、伊森いもりよりも、剃り込みの男よりも早く走り出した溌希はづきがもう既に男の背中を捕まえることが出来るほどまで近づいている。


 剃り込みの男が大慌てで角を曲がって小道に駆けこむも、恐るべき運動能力を発揮した溌希はづきに首根っこを掴まれ、そのまま派手な音を立てて地面に転がされた。


 奈也人ななと伊森いもりが遅れて角を曲がると、しゃちほこのような格好で目を回している剃り込みの男とタイトスカートの裾を軽く払う溌希はづきの姿があった。


「えぇと、ちょっと捕まえたらバランスを崩してゴミ箱に突っ込んで目を回したようです」


 多分嘘だ。


 だけれど、深堀するのもちょっと怖いので目を瞑ることとしたい。


「まっなんにせよ被疑者確保で一旦署に戻るぜ」


「あぁ分かった」

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