連れていかれた先は?

「う、うぅ……」


 そんなうめき声が暗闇に響いた。


 遅れてそのうめき声は自らが発したものだと、奈也人ななとは理解する。


 頭がずきずきと痛んでいた。というよりもその痛みによって意識が無理やり目覚めさせられたといってもいいかもしれない。


 暗がりで状況の分からない中、身体を動かそうとしたけれど、ジャラリという金属音と首元と手首と足首に感じられる冷たい感触によって、その場からあまり動けないらしいということだけが分かった。


 それがいわゆる手枷足枷の類であるということを理解するのにはさらに数分の時間を要した。


 頭痛によってあまりにも思考が回らなくなっていた。


(これはどういう状況だ……? 思い出せ、思い出せ……、何があったのだっけ……?)


 ひどい頭痛のせいなのか、それとも打ち込まれた薬品の影響なのかは分からないが、前後の記憶が曖昧になっていた。


「すぅ……、はぁ……、すぅ……、はぁ……」


 ゆっくりと呼吸を無理やりに落ち着ける。大きく息を吸い込めばズキズキと頭の痛みが増すような感覚を覚える。しかし息を吐きだすときもやっぱりズキズキと頭の痛みは継続し続けているため、単に痛みの引く間がないというだけのことであるような気もした。


 それでも自分の中に冷静さを取り戻すために、深呼吸をひたすらに続ける。


 口腔上部が冷えて僅かに痛みを感じ始めるほどにゆっくりと息を吸い込み続けて腹部を膨らませ、暗闇で何も見えない視界がチカチカと点滅するほどにゆっくりと長く息を吐きだし続ける。


 そんな深呼吸を十数回ほど繰り返せば、頭痛の酷さは変わらないものの、頭の機能自体は少しハッキリとしてきた。


(思い出せた。薬を打たれて拉致られた、ということで良いんだよな……)


 得体のしれないチンピラに突如襲われ、何かの薬品を注射されて意識を奪われた。そして気が付いたらこの暗闇の中に鎖付きで取っ捕まっているという訳だ。


 きな臭いどころの話ではなく、どう考えてもこんなものは真っ黒けっけも真っ黒けっけだ。


(つーか何を打たれたんだ俺は……? 中毒性のキツイ違法薬物でここから一生ヤクヅケ生活へご案内とかは本格的に洒落にならないぞ……)


 注射を刺されたであろう腕の箇所を手を当てて擦って見たかったのだが、どうも後ろ手に枷を嵌められているらしく、叶わなかった。


 しかし、自分が現在進行形で拉致監禁されているというのにその後の心配を真っ先にし始めるあたり、太刀上たちかみ奈也人ななとはどこかピントがズレているのかもしれない。


 あるいはこの拉致監禁されているという現状から、昏倒させるための投薬以外で人質としての価値を棄損させ得る何かを下されることはないと確信しているのか……。


「つか、ここどこだよ……」


 辺りは完全な暗闇であるため、時間も場所も皆目見当が付けられなかった。あのときから一体何時間が経過しているのかさえも分からない。


 一つだけ確信があることがあるとするならば、特に腹は減っていないということだけ。


(空腹感は感じないし、五時間六時間以上経ってるって線は薄いと考えても良いか……?)


 仮に二〇時間近く昏倒していた場合、頭痛で目が覚めた直後に強烈な飢餓感を同時に覚える羽目になる。頭が痛くて動くのはつらいが、腹の減り具合がもっとしんどくて動かざるを得ないという感じに。


 それがないということは、昏倒させられてからの時間としては経っていて最大で五、六時間あたりが限度だろうと判断を下す。


 後ろ手に拘束された腕を軽く振って見ると、ジャラジャラ、カンカンと金属音がなった。よくよく考えると両手を動かしたときの重さと手首から伝わる冷たさから、金属性の何かで拘束されていることも分かる。


(多分真後ろの鉄パイプを挟み込む形で枷を嵌めることでこの場から身動きできないようにされてるんだろうな)


 背中と後頭部に当たる丸い感触と内側から反響するような金属音とから水の通っていない鉄パイプが利用されていると予想したわけだ。


 もっとも、そんな予想をしたところで一体全体なんになるというのかは分からないが……。


「おおよ、目が覚めたみたいだなァ? 新卒刑事さんよォ? あァ??」


 それは妙に気に障る声だった。高すぎもせず、低すぎもせず、あまり特徴のない平坦な声色なのに、妙に気に障るような不快感の強い声。明確に今目の前にいる相手を嘲るための声。


「……、何か勘違いをしているみたいだから言っておくと、俺は別に刑事じゃないよ」


「は? ああァァァッァ?? そんな言い訳通ると思ってんのかよ!? カカカカッ!! コイツは傑作ゥ!!」


 嘲笑する声に紛れてジジジィィと金属が擦れるような音とそれから特徴的な硬質な靴音が聞こえていた。暗がりの中で相手の顔は見えないが、恐らくはファーストフード店の入口ですれ違った二人組のどちらかだろうと当たりを付ける。


(どう考えたってまともな思考回路をしているような相手ではないよな……)


 今の短いやり取りだけで確定していることが二つある。まず一つは目の前にいるであろう男がたまたまこの場所に迷い込んでしまった善良な一般人ではないということ。二つ目はその目の前にいるであろう男は奈也人ななとに対して敵意を向きだしでいるということ。


 今、奈也人ななと自身が拉致されているという情報を加味すると、この男が自分を拉致した手のもので、この拉致が組織的に行われているという可能性も示唆することに繋がる。


(いくらなんでもこんなのに拉致られるほど強烈に恨みを買ったような覚えはないんだけどな……)


 Fワードの一つでも毒づきたくなるが、相手を刺激していらぬ怒りを買うとどうなってしまうのかが見当もつかないため、小さく口の中だけでこっそりとため息を吐きだすに留める。


 チカッ!! と目の前でペンライトが瞬いた。


 ずっと暗闇の中を見ていた目には光が堪えた。


「しっかしよォ。つくづくキレイな顔してるなァ? あぁ? おぼっちゃんよォ?」


 今度は光に目が眩んでしまって目の前の状況が認識できない。


 しかし、近づいてくる声と足音と金属によって目で見えないまでも目の前にいるであろう男が近づいてきているだろうということは予想が付いた。


「おいおい、なんだこのお肌はよォ。たまごみたいにトゥルトゥルじゃねーかよ!! あぁっ!! 羨ましいなちくしょうがよォ!!」


 鼻息が掛かるほどに顔を近づけられたかと思えば、即座に革張りの堅いモノが腹部中央に突き立てられた。


「ゴホッ……、うぅ、がぁ……」


 腹を抑えてうずくまりたかったが、腕は後ろ手に拘束されているため、それすら叶わない。


 少し遅れて靴の先端で蹴とばされたのだという事実を認識する。


 相変わらず頭痛も酷い上に、純粋な暴力によって腹部への強烈な痛みが重なった。それによって特に痛みのないような部分まで痛みで軋んでいるんじゃないかという錯覚が生じた。


 無理やりに呼吸を整えながら、何とか慣れてきた目で相手の顔を見上げてみる。


「やっぱり、拉致って来た片割れの人か……」


 そこには不健康そうな細身のプリン頭が不気味に笑っていた。


「おォォォ、よーく覚えているじゃねーかよ。さっすがインテリおぼっちゃまっだぜェ!! かっくいー!!」


 プリン頭の男の顔がまたしてもぐぃっと近づいてくる。


 口元からは思わず表情が歪むほどに酷いタバコのニオイがした。


「テメェみてぇな可愛い顔のインテリお坊ちゃんってのはさぁ……。ちょーっと辱めてやりたくなるんだよなぁ!! プライドをへし折って、心をずたずたにして絶望させたくなっちゃうってわけ、分かるかァ?」


 髪の毛をむんずと掴まれて、鼻先一センチまで距離が近づく。


 明りがペンライト一本だとしてもこれだけ近づけば、相手の目が異様に収縮しているのがいやでも分かる。ギラギラと血走って、獲物を前に舌なめずりをするケダモノの目そのもの。


(辱める……? プライドをへし折ってずたずたに絶望させる……? 単純な暴力か? それとも……)


 カンっ!! と甲高い金属音がなった。今の今まで気が付かなかったが、プリン頭の男は片手に鉄パイプを握っているらしい。


 奈也人ななと自身は手枷と足枷を嵌められた状態で身動きが出来ず、目の前のイカレた男は血走った目で鈍器を握りしめている。


 状況的にはほぼ詰みと言って間違いはない。


「おいおい、アンタ男色家なのかよ」


 そんな状況にも関わらず奈也人ななとの声に震えはなかった。ハッキリくっきり、明瞭に目の前の相手へと言葉を伝える。


 だが――、


「アァ?? オマエには俺が赤とかピンクとかオレンジとかに見えるのかよ? あァ?? チゲーだろうがよォ!! 見てみろ、俺は真っ黒だろうがヨォ!! アァ!?!?」


 話は一切かみ合わなかった。


 ついでに言えば黄色は広義の暖色にも分類されるため、髪の色という意味では暖色を否定できる要素もない。


 ガンッ!! とプリン頭の男は奈也人ななとの脛を金具付きの靴の踵で蹴りつける。


「うぐぁ……っ、ぁぁぁッ!!」


 直後にガァンッ!! と鉄パイプで奈也人の頭の後ろから延びている鉄パイプを殴りつけた。


 鉄パイプへと伝わった衝撃が背中を通して奈也人の身体にも伝えられる。今度はお前の身体にこれを直接叩きこむぞと言わんばかりに。


 明らかなる威嚇行動。


 だというのに、


「別にアンタが何色かなんて聞いちゃいないよ。簡単に言えば……、お前は同性愛者……、男好きなのかって聞いてるんだよ」


 一切の躊躇もなく奈也人ななとは再度言葉を投げつける。


「はァ!? ふざけてんのかァ!? おまえはヨォ!! 俺のどこがホモに見えるっつーんだァ? アァ?? 俺が言ってんのはヨォ、お前みてーなインテリお坊ちゃんをヨォ、辱めてやった時の屈辱に打ち震える表情が見てェって話してんだよ!! それのどこを聞いたら俺がホモって話になるってんだ!! アァ!!」


 今度は頭部スレスレの壁へと鉄パイプが打ちおろされた。


 耳元でガギンッ!! と高い金属音が響いて、視界がクワンと揺さぶられる。


「……、辱めるってのはつまりそう言うことだろ?」


 散々見せしめをするかのように振るわれる鉄パイプを一切無視して問答を続ける。


「くっ、くくくっ……、ははは、アハハハハァ!! まぁ結果を見りゃ確かに俺のいちもつがテメェの尻穴にずっぷり突き刺さってヨォ!! それでお前が泣き叫ぶ様が見れるって話ではあるけどヨォ!! だからってどうして俺がホモって話になるんだよ!! アァァ!! テメェが俺に屈服するって話だろうがァ!! 頭悪いんじゃねーのかァ!! アァ!?」


 ガンガンと鉄パイプで地面を叩き、靴底で奈也人ななとの足を踏みつける。


 高くも低くもなく平坦だった声は、怒気を含んだ高く上擦った声にいつの間にやら変わり果てていた。


「……っ!!」


 足を踏みつけられたが今度は痛みによるうめき声さえ漏らさなかった。


「それは、結局俺の尻の穴を使いたいって話だろうが……」


 無理やりに呼吸を整えながら、吐き捨てるように告げる。


「アァ?? 違うだろーがヨォ!! あー、いや違わねーのかァ……? そりゃ、結果的にテメェの尻穴を使ってセックスをすることにはなるがヨォ!! だからって、何だって俺がホモってことになるんだよ!! 意味わかんねー事ばっか言いやがって!! 俺は単にテメェみてぇな鼻持ちならねー野郎が屈辱に身を震わせて泣き叫ぶところが見たいんだって言ってるだろうがヨォ!!」


 プリン頭の男の言い分からするとセックスはあくまで手段であって目的ではないらしい。


 極論を言えば嫌いな相手のことを貶めるためならば相手の性別を問わずに勃起することが出来るという話なのかもしれない。


 あるいは性欲故に性犯罪に手を染めるわけではなく、ただ相手を貶め辱めるためにもっとも有効な手段がレイプであるから結果的に性犯罪を犯すことになるというロジックか。


 ただ思考過程がどうであれ、出力される結果としては男の尻穴に勃起したいちもつをぶち込むというモノになるのには違いない。


(コイツ性欲と支配欲の境界線ってモノがなくなってるんじゃ……)


 そして同時に感情のブレ方が激し過ぎて人質を取っている意味や人質が人質としての価値を保つこの重要性を理解していないのではないかという予感もあった。


(海外の裏路地じゃあるまいし……、いやでもヘタすると本当にごく当たり前のように殺されるそうでもあるな……)


 まさか日本国内でここまで倫理観の欠如した人物にお目に掛ることになろうとは思ってもいなかった。


 しかしそれでも、


「それじゃあ、お前の尊厳はどうなるんだ? 俺がお前に尻穴をぶち拡げられるってことはお前のモノが俺の尻穴に咥え込まれるってことだぜ? したらお前の尊厳だって傷つくんじゃないのか? お前だって男好きってわけじゃないんだろ?」


 声の調子を一切変えずにまだ問答を続けようとする。


「はぁ? ちいせぇなぁ。本当にちいせぇ。尻の穴くらいちいせぇ考え方だぜ。俺の尊厳なんてのはなぁ、どうでもいいことなんだよ!! そんなもんは誰一人だって必要としちゃいねェんだからなァ!! だけどオマエはちがうだろぉ? オマエみたいなおぼっちゃまのプライドってのは大事だぜぇ?? 何をして生きるにもプライドを破壊されたら真っ当にはやっていけなくなるんだぜェ!! 俺はそれがみてぇんだ!! 俺のプライドなんて犬が食っちまって残ってもいねぇようなモンよりも、オマエのプライドをずたずたに破壊しつくすことの方がはるかに楽しくてはるかに有意義なんだからなぁ!!」


 もう本当に、心の底の底、体の芯の芯から楽しそうだった。


 愉悦が全身から迸っていた。


 今の言葉のやり取りは問答というよりアジテーションに近いかもしれない。


 明確な方法を具体的に言葉にすることによって、これから何が起こるかを明確に相手に想像させる。


 そして事前に予告されたことを想像を超える尺度で行うことでより深い傷を残すことが出来る。


 つまりそれが、プリン頭の男が見たがっている絶望の表情という訳だ。


「にしても、オマエおぼっちゃまにしては随分とハートがつえぇじゃねーの。俺に対してこんなに色々聞いてくる奴は生まれて初めてだぜぇ?」


 嬉しくもない褒め言葉と同時に鉄パイプを持つ手首がスナップした。


 ほぼ同時にゴッ!! と鉄パイプが音を立てる。


 べちゃっと、僅かな血飛沫が地面にシミを作っていた。

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