昔のことは?



 十六年前のその日、川柳瀬かわやなせ守莉まもりは取り壊しになる小学校にいた。そう、あの事故現場に彼女はいた。


 それは彼女がアイドルになるよりもずっとずっと前の話。


 その頃は今と違って龍という種と人が共存出来るとはあまり信じられていなかった。人と龍とどちらの側からもだ。


 そもそもにおいて龍という種は人に比べると圧倒的に長寿だ。人間が一〇〇年も生きれば長生きだと言われるというのに、龍という種は誰も彼も三〇〇年、四〇〇年は平気で生きるし、古龍と呼ばれるようなモノには一〇〇〇年を超えて生き続けているモノだっている。まあ大概の龍は長い時間を生きすぎる結果自らの年齢などという細かなことは忘却の彼方になってしまうのだが……。


 人と龍の命のスケール感の違いにおいてもっとも困るべき点があるとするならば、それは現代の戸籍制度に他ならない。


 今の戸籍制度が出来る前であれば、ふらりと人里に降りてきた龍が人の姿になることでその集落に溶け込み生活することもそう難しくはなかった。もちろん、その集落、集団が過度に排他的でないということが最低条件にはなるが。


 ふらりと人里に降りた龍は、数十年の時を過ごした後に、ふらりとどこかへ去っていく。行方知れずにはなるが、それでも身寄りや身内というモノがいるわけでもないため、いなくなってしまったならばそれまでだとして、大事になることは少なかった。


 何故ふらりと現れてふらりと消えていくのかと言えば、そもそも龍という種が持つ時間の歩みと人間の持つ時間の歩みの速度が著しく違うことと、それから本能的に寂しがりやな側面があるためだ。


 龍が集落から消えていくことは無用な混乱を避けるためという意味合いが強い。


 例えば人間が三〇年生きたとしよう。子供が立派なおじさんになるほどの時間だ。だけれど、龍にとっての三〇年などたかが知れている。人に換算したところでおよそ二年か三年、その程度でしかない。


 だから、まるで老けることのない不死身の存在という怪しい評判が立つ頃にふらりと集落からいなくなる。そうすることが最も波風を立てずに済む方法だと経験則として知っているから。


 人は得体のしれないものに対して恐怖し、嘲り、嘲笑し、攻撃的になる。


 自分たちが共有する常識とは違う、明らかなる異物を前にして、冷静さを保てる人間というのは存外に少ない。


 正体がどうのこうのとは関係がなく、ただ生きる時間が違い過ぎるがために、強い拒絶反応が出てしまう。


 そして人々は自らよりも圧倒的に力の強いものに対して恐怖し、弾圧する生き物でもある。


 人の姿であったとしても、龍の姿であったとしても、人の側が龍の側に歩み寄ることが出来なかった。だから龍は人の形に擬態して、ふらりと群れに混ざっては、ふらりと消えていく。そういう距離感を選ぶしか無かった。


 それは弱者を必要以上に刺激しないための強者の弁でもあり、争いを好まない理性と合理を重ね合わせた結果の帰結でもあり、そして擬態という恐ろしく原始的で野性的な発想でもある。何せ擬態とは結局のところ弱いモノが外敵から身を守るために取る手段の一つでもあるのだから……。


 だからそういう風に人と共存していた龍にとって戸籍制度というのはとても困った代物だった。


 一度戸籍を得てしまえば、嫌が応にもその姿その名前を維持し続けなければならなくなる。それは龍と人との寿命の長さを社会的に浮き彫りにしてしまうことにつながる。


 その上今まで通りするりといなくなれば、戸籍所持者が突如消え去るという事件の発生を意味することになる。


 近代化の黎明期にはそういう事件は実際にいくつか起こった。


 未処理案件としてもしかしたら今でも事件名簿か何かに取り扱いが残ってしまっているかもしれない。


 近代化の波によって戸籍を得てしまった龍の幾ばくかは徴兵され、戦争に参加させられたりすることもあった。


 元来力の強い龍は、だけれど自らの力をみだりに振るうことを良しとはしない。しかし、死に物狂いで戦いに身を投じる人間たちを簡単に見殺しに出来るほど冷たくもなれない。そもそも元々侵略戦争にやってきた敵を土着の龍が焼き払う事例などは日本という国以外でも観測されている事柄だ。愛着を持ったものを守ろうとするのも龍の持つ強い性質の一つでもあるのだから。


 色々なことが重なりに重なることで、人の中に人でない何者かが溶け込んでいるという事実が急速に広まっていくことになる。


 うわさ話というには証言が揃い過ぎてしまっていた。


 もうどうしようもないほどに龍という存在への疑念が高まった折に、人の側から人の姿をした何者かは龍であるということが公表されることになる。


 元々龍の実在を証明する伝承は事欠かないほどにある。だから、その公表に異を唱える者は驚くほどに少なかった。


 人々も薄々感づいてはいた。そしてそのものたちが悪意があって人の形をして人の中で生きているわけではないのだとも。


 その諸々の経緯の果て、現代において龍の生存を保証する仕組みがあった方がいいのではないかという声がどこかからか上がる。


 その声を後押しするための龍の側の協力者の内の一人が川柳瀬かわやなせ守莉まもりだった。


 元々彼女は自分の正体を明かし、自分の身を研究材料にすることを良しとすることで人に紛れて生きていた。それがどういう感情の元行われていたのかまでは分からないが。


 ただ、彼女はそれが龍の為にも人の為にもなることだと確信していた。


 自らの信じる道を進む。たとえその身を切り刻まれることになったとしても。


 望むものを手に入れるには、自ら身を切るほかに方法はないと考えていたのかもしれない。


 だから、あの実験に手を貸した。


 あの当時、既に一部の人たちから龍の生存権という言葉が囁かれ始めていた時期だった。龍に対する非人道的な実験や検証を秘匿することが難しくなってきていた時期と言い換えてもいい。


 だからあの事故は本当にギリギリの時期のモノだった。


 本来は数か月かけて体を慣らしながら行うような実験を龍本人の協力の下で三日間という短期間で大量に行われたのもそういう事情が関係している。


 結局それでも最終試験を完全に行うことは出来なかった。


 何せ一発で、事故が起きてしまった。


 その時行われていた実験の内容はと言えば、「龍と人とを肉体的に直結させることで人が龍の力を自在に扱えるようにする」というモノだ。簡単に言えば人に龍の力を移植することが可能であるかどうかの検証。


 手順としては人工血管を龍と人との間に繋ぎ、『龍の血』を一万分の一程度に希釈し点滴の栄養液に混ぜて人と直結させる。その後、少しずつ龍の血の濃度をあげることで、人と龍との繋がりを強化し、人が『龍の核』へのアクセス権を獲得できるように調整を施すというモノ。


 人工血管で人と龍を直結させるという点においては成功したと言える。『龍の血』に適合することが出来る適性を持った人物であるならば、その血液の四パーセントを『龍の血』に置き換えることで同一の『龍の核』へのアクセス権を得ることが出来る、それを実証することは出来た。


 が、問題が起きたのはそのあとのことだった。


 まず段階的に『龍の核』の力を引き出そうと試みたのだが、これが失敗に終わった。


 四パーセントの『龍の血』を維持した状態では人間の方の肉体が持たなかったのだ。


 血を提供している側の龍と、血の提供を受けている側の子供の両方が激痛にのた打ち回って結果としてここで人工血管が外れてしまった。


 しかし人工血管が両者の身体から外れた後でも、両者の肉体的な共振状態は持続した。


 血の提供をしていた側の龍の言葉を借りるならば、「お互いの心にお互いが入ってくる。ダメだ、これは、これでは耐えられない」と。


 つまりは精神の同質化。


 意識を失ったはずの子供の方が、龍の精神と同質化されたことで龍本来の身体になろうとしてしまったのだ。


 その結果は、四パーセントの龍の血が混じったその子の肉体は、全身の皮膚組織が鱗化し、極度の皮膚疾患のような状態になってしまった。


 だが真に深刻だったのは龍の方だ。


 精神の同質化現象によって、子供の方が龍本来の姿になろうとしてしまったことで龍の側が制御も効かずに引っ張られた。


 つまり、ゴッ!! と元の龍の姿へとその場で変じてしまったわけだ。全長一四メートル、体重ニ三トンの黄色い鱗を持った巨大な龍の姿へと。


 内側から膨張するように変容することで建物を内部から壊滅的に食いちぎることになる。ニ三トンもの巨大質量が一気に床を壁を押し破る。


 大きな建物全体でならニ三トンという重さは耐えらないほどのモノではないかもしれない。だが、突如膨張するように現れたことと、龍の足の大きさが重さを逃がすための面積としては些か小さかったことが災いした。


 取り壊し予定の木造建築の床が、壁が、完膚なきまでに粉砕されてしまう。


 あったありとあらゆるモノを巻き込んで校舎が倒壊していく。


 それは凄絶なる破壊という言葉に集約するしかない事実。


 誰も彼もが巻き込まれていた。子供たちだけではない、実験に付き添っていた研究者も、同行していた龍の側の協力者も、もちろん川柳瀬かわやなせ守莉まもり当人も。


 当然、怪我人だけで済むものでもない。


 死者も大勢いた。


 彼女はことここに及んで初めて自分の行動の意味を理解することになる。


 それが十六年前の人体実験の事の顛末。



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