お昼ご飯は?

「それにしてもよく社長の娘がアイドル事務所に所属していることなんて知ってたな」


 製薬会社から離れ、公道へと出た頃合いを見計らって奈也人ななとが息を吐きだすようにして伊森いもりに声をかける。


 自分から話しかけようが伊森いもりからの言葉を待とうが結局のところ先ほどの聞き込み調査のディスカッションはしなければならないのだから、自分から口火を切ったっていいはずだ。


「良くあることと言えば、良くあることでもあるからな。ある種の縁故採用に近いもんだ」


「へぇ……」


 それは奈也人ななとに取っては今一しっくりこない答えだった。だが、そういうモノがあるということも頭では理解できている。だから、感嘆符に相槌を任せることにする。


「で、お前から見てどうだった?」


「あー、どうかな。誠実そうな人には見えたけど……」


「なんだそれ以外にもあるのか?」


 奈也人ななとの言葉に少しの濁りを感じたらしい伊森いもりが少し興味深そうにバックミラー越しに奈也人ななとへと視線を送る。


「マイナスな人物評が聞きたかったんなら先に謝っとくな。ただ、何というか機材投資の当たりの話を聞いたときに自分が研究者をやるならこういう人の下の方がやりやすいのかなとは思ったよ。俺はそんなに頭良くないし、前提が破綻してるんだけれども」


「いや、言いたいことはなんとなく分かる」


「人のやりたいことを否定するタイプと否定しないタイプの人間がいるだろ? 肯定するかどうかは一先ず置いておくとして……。で、あの社長からはとりあえず否定しないタイプの人間のニオイがした。そんな感じ」


「その辺りは大体俺も同じ感想だな」


 狭い路地へ進入するために、一旦速度を落として左折する。それに合わせるようにして身体が左側へと傾いた。


「それに、あの社長が話してくれた情報って、基本的には裏取りの整合性を高めるために使うようなモノで、今ここであーだこーだ言ってみてもあまり意味のある類の話ではなかったように思うし」


「それも、まあ大体正解だ。そこまで分かっているなら、次の話に切り替えようか」


 次の話と伊森いもりは言った。


「貝塚工業薬品、ヒイラギ製薬と行ったから……、次は希龍血株式会社か。随分と直球なネーミングの会社だ」


 事前に渡されていた資料から三社目の名前を引っ張り出す。


「この会社は前二つと比べるとかなり怪しいぜ。何しろ調べた限りじゃダミーにしか見えない」


「……、でも『龍の死権』の競売に参加できるくらいの信用情報があるんだろう?」


 細い路地を抜けたと思ったら今度は大通りを迂回するように、小道へと進路を切るために右折する。当然身体は右側に傾いた。


「不思議なことにそうなんだよ。断言は出来ないが……、少し面倒事のニオイがあるぜ……。っと、なんだ? 追われてるかぁ?」


「は……? 急に話飛ばなかったか? 追われてるってなんだよ……?」


「尾行だよ、尾行。後ろ見りゃ異様にぴったりとくっついているのが分かるぜ、オススメはしないけどな。ったく普通警察ってのはする側であって、される側ではねーんだがな」


「ここ専用道路とか郊外の広めの道路とかじゃなくて本当にただの市街地だぞ? 本当にあるのか?」


 走りながら無意味に路地や小道に入っていったのは尾行を確かめる狙いがあったからか。


「問題なのは今の俺たちは覆面車両の上、全員スーツ姿で警官の格好はしていないってことだ。どこかで恨みを買ったか、それともピンポイントで決め打ちしてきているのか……」


 口の中で含むように言葉を発しながらカーナビで近くのコインパーキングを検索する。


「ではこれからどう対応するのですか?」


 黙って車に揺られていた溌希はづきが表情一つ変えないままで問いかける。


「一旦車を降りて、向こうの出方を見る。場合に寄っちゃ公務執行妨害でしょっ引く」


 最寄のコインパーキングの場所へと進路を変更しつつ、相手方の出方によってのプランを共有する。


 ただ、しょっ引くと言ったところで警察としての仕事をしっかり理解してこなせるのは伊森いもりしかいない。だから彼だけが頼みの綱だ。


 パーキングに止めて、降りると先ほどまでぴったりとくっついて来ていた黒塗りの外車の姿は無かった。


 尾行をしているのであれば同じ駐車場に直後に躊躇なく車を止めることはないのだから当たり前と言えば当たり前ではある。


「さて……、様子見も兼ねて一旦、昼でも食べるか」


 伊森いもりが道を挟んでパーキングの真向かいにある赤と黄色の見慣れた看板のファーストフード店を親指で指し示し、くいっと顎を動かす。


 出入口が店舗の側面側についていたため、一度ぐるりとそちらまで回ってからでないと中に入れなかった。


「俺が適当に注文して来るから、お前達はこの場所が見える位置の座席を確保しておいてくれ」


 今は昼飯時を少し過ぎた時間であるため、店内はやや閑散として落ち着きがあった。これがもう少し早い時間であってももう少し遅い時間であっても、込み合っていただろうことを考えればタイミングが良かったというほかない。


 伊森いもりが注文をしている間に奈也人ななと溌希はづきで窓際の座席に腰かけ、外のパーキングの様子を伺う。


「にしても、驚きました。本当に尾行なんてあるのですね。私はてっきり探偵ものの物語の中だけの話かと思っていましたよ」


「気持ちは分かるけど、でもストーカーだって深刻なつきまとい事案があったから問題化したのだし、物語に描かれうるモノっていうのは基本的に人間の想像力の範疇な訳だから、きっと大体元ネタみたいなことがあるモノなんだろうね」


「いうに事欠いて事件を元ネタ扱いし出すのは流石にどうかと思いますけどね」


「尾行を否実在性だと思っていたヒトに言われたくない」


「ではお互い様ということにしておきましょう」


 注文に行った伊森いもりを待つ間、二人はそんなことを話しながらコインパーキングの方から極力目線を離さないようにしていた。


 こちらが降車したのを認識して後から同じところに止めないとも限らないと思っていたから。


「待たせたな。適当に好きなのを食べてくれ」


 ポテトが三つに、季節の限定ハンバーガーが三つ、カップのコールスローサラダが三つとホットコーヒーが三つ、それから瀬戸内オレンジのパイが三つ。好きなのを食べてくれと言いつつ好きなのを選ぶバリエーションは全くなかった。もしかするとパイ二つとサラダ二つにコーヒーという組み合わせを取っても良かったのかもしれないが、奈也人ななと溌希はづきもそんな切り分け方はせず大人しく一種類ずつ手元に引き寄せていた。


「ミルクと砂糖が足りていませんが……?」


 溌希はづきは、フム? と首を傾げながらも奈也人ななとの分のポーションミルクとスティックシュガーを早々に確保している。


「あぁ、俺もブラックで飲むからこれも使っていいですよ」


「どうも」


 驚くほどあっさりと伊森いもりが自分の分のミルクと砂糖を寄こして来たので、受け取った溌希はづきの方がさらに首を傾げていた。


「なるほどな、お前が昔っからコーヒーも紅茶もなんも入れんで飲んでた理由がこれか」


「そうだよ。いっつも、無言でヒトの分まで勝手に使ってゲロ甘にしたがるんだ」


「なっ……!?」


 溌希はづきはどうやらここまで隠し通せていると本気で信じ込んでいたらしい。


 動揺してぱちくりぱちくりと、瞬きを繰り返してしまう。幸いにも奈也人ななと伊森いもりもコインパーキングの方へと視線を集中していたために、表情の変化に気が付かれることはなかった。


 秘密にしていたと思い込んでいたモノが実は周知の事実だったという衝撃は計り知れない。


 しかしそれでも頭の中の冷静な部分が、「ここで変に反論したりなんかすると逆に傷を広げることになる」、と告げていた。だから思い浮かぶ全ての言葉を喉の奥、お腹の中に、蹴り返しに蹴り返して事なきを得ることに成功する。


 駄々を捏ねて自分の名誉を傷つける代わりに、ただ無言でコーヒーにポーションミルクとスティックシュガーをダバダバ投入して、プラスチック製のマドラーでかき混ぜる。グルグルぐるぐるとかき混ぜる。白と黒のグラデーションを渦状に混ぜていく作業をただただ押し黙って続ける。


 コインパーキングの監視などもうそっちの気だった。大丈夫、奈也人ななと伊森いもりがしっかり見ているから、大丈夫。


 グルグルとコーヒーをかき混ぜながらもそもそとハンバーガーとポテトとパイを口にする。


 秘密が知られていたというショックが大きすぎて、ハンバーガーの味はちょっとよく分からなかった。ただポテトの塩気とカフェオレの味のコントラストだけが舌先に残っている。


「それっぽい動きは無しか。それともどこかからこっちの動きを見ているのか……」


 一旦コインパーキングから目を離し、店内を軽くぐるっと見渡しながら伊森いもりがため息を吐きだす。


「こういう場合はどうするんだ?」


 奈也人ななとは食べ終わった包み紙やポテトの箱を適当に折りたたんでトレイの上にまとめつつ、カップに残っていたコーヒーをゴクリと飲み干す。


「とりあえずは予定通りに先方とのやり取りに向かう。吉と出るか凶と出るかは分からんが……」


「了解、それじゃあ俺が片付けて来るから、二人は先に車に戻っててくれ」


「分かりました」


 溌希はづきは備え付けられている紙ナプキンで口元を拭きつつ頷く。


 車へと戻る二人を横目に奈也人ななとが三人分のトレイを返却口に戻してから、店内の手洗い場へと向かう。


 要するに、トイレを済ましておきたかったのだ。




 ことを済ませた後に、ハンカチで手をふきながら自分も車へと戻るために自動ドアをくぐる。


 その時妙にスーツのに合っていない二人組とすれ違った。


 いや似合っていないというよりは完全にチンピラの着方をした二人組だったというのが正しいか。


 黒スーツに金のネックレスを三重に下げ白い革靴を履きプリン頭のやや細身の男と、短髪に派手な剃りこみを入れたサングラスと黒スーツに黒い革靴の筋肉質の男。


 どう考えても関わり合いになったらマズイ人種ですと頭からつま先まで主張しているその男たちに軽く会釈をしながら真横をすり抜けるようにして、店の外へと出る。


 幸い奈也人ななとの会釈に対して男たちも軽く会釈を返しそのまま店の中に入っていく素振りなので、特別何かが起きるという訳ではなさそうだった。


 やはり挨拶は大事だ。挨拶は偉大だ。挨拶イズゴッド。


 そう思った矢先のことだった。


 バチリっと強烈な音が背中から聞こえる。


 痛みと強烈な熱さがあった。


 声は出なかった。横隔膜が痙攣して吸った息を吐き出すことが出来なくなっていたからだ。


 遅れて「スタンガン」という文字が頭の中に躍る。


 それでも意識が飛ぶほどではない。


 身体も何とかバランスを保って立っていられる。


 だからもつれる足を無理やり動かして、伊森いもり溌希はづきのいる車へと走ろうと我武者羅に踏み出した。


 けれど、踏み出した足はまともに言うことを聞いてはくれなかった。


 がくんっと膝から力が抜け落ちて頭からカラーレンガで舗装された歩道へとつんのめる。近くに身体を預けられそうな壁はない。にもかかわらず衝突は来なかった。


 二人組の男たちが腕を捕まえていた。


(何か、される……?)


 直感的に理解したが、まともに体は動かないし、横隔膜の痙攣が治まらず声もろくに出ない。


 さっ、と着ているスーツの袖を捲り上げられた。


 疑問に思う隙もなく、どこかからか取り出された注射器がズプりと浮いている血管に突き立てられる。


(薬……?)


 何をどう考えても命に係わる要素しか見当たらなかった。


 すぅっと注射器を押す指の動きがゆっくりと、非常にゆっくりと視えた。


 抗いようは、無かった。


 ぐりんっと視界が暗転し、太刀上たちかみ奈也人ななとの意識は寸断される。

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