再会は?

「さて、次だ」


 ブレーキがかかって、身体が後ろへ引っ張られる。


 車外へと出ると大きな建物に著しく主張の激しい『ヒイラギ製薬』という立体看板が真っ先に目に入った。


 奇抜な、というわけではない。


 ただただデカいのだ。一文字が大体成人男性一人分くらいのサイズ感がある会社のロゴデザインが立体看板として目の前に鎮座している。


 こういう言い方は良くないのかもしれないが、実に清々しいバカバカしさが感じられた。


 ヒイラギ製薬。


 先日知り合った中年男性、向井むかい寿彦としひこが所属する製薬会社。


 入口の自動ドアをくぐり、受付ロビーに声をかけると貝塚工業薬品グループのときとは違い、穏やかな来賓対応をして貰えた。伊森いもりの心は守られた。もっとも受付の係員が男性だったことには目を瞑らなければいけないのだが……。


 しばらく待つようにと伝えられた奈也人ななとたちが待ち受けフロアでベンチに腰を降ろしていたところ、


「あれ……? もしかして、奈也人ななと君と溌希はづきさんじゃない? どうしてこんなところに??」


 丁度タイミングよく開いたエレベーターの中から見知った顔と出くわすことになった。


 やや小太りで少しくたびれた印象の強い中年男性、向井むかい寿彦としひこ


「こんにちは。なんていうか、成り行き上の偶然とでも言えば良いのかな……」


 軽く頭を下げて挨拶をする。


 先日出会ったばかりのときと比べると随分と顔の血色がよくなったように思える。そう日は経っていないので、きっと彼の中にあった酷いわだかまりが少しは軽くなったのだろう。


「フッ、フフフフ……。ふふ、フフフ……。なんだい、向井むかい君知り合いかい?」


「先日しょげてる僕を見かねて相談に乗ってくれた人なんですよ」


「ほうぅ、ふふ、フフフフ、なるほど。部下の恩人というわけか……。これはワタシもきちんとお礼申し上げねばならないようだな、ふ、フフフ」


 少しばかり不気味な笑い声を漏らしながら小太りの向井むかいの身体の陰から風に揺れる木の葉のような心もとない挙動で痩せぎすの男が姿を現した。


 レンズの大きな眼鏡を掛け、顔立ちは向井むかいよりも気持ち若く、だけれど不健康そうな雰囲気を漂わせている。スーツの上から丈長の白衣を着こんでいるため直接視認することは出来ないがその手足の細さは枯れ枝レベルに思える。特に今は向井むかいと並んでいるため体形の違いが実に顕著だった。


「ワタシは長雨ながさめ。一応このヒイラギ製薬のラボの主任という立場にある。うちの優秀な部下に世話を焼いてくれてどうもありがとうネ、ふふ、フフフ、ふフフフ……」


 この長雨ながさめという男はどうも木枯らしが枯葉を鳴らすような含み笑いをすることがすっかり癖付いてしまっているらしい。


「いえ、そんなお世話だなんてとんでもない。ちょっと世間話をしただけですよ」


 不気味な含み笑いをしつつもしっかりと頭を下げているので、奈也人ななとは少し反応に困ってしまった。真面目に受け取ればいいのか、それともちょっとしたジョークのようなモノなのか慣れていないモノにとっては非常に判断に困るところだ。


「あっ、ととと、自己紹介をしていなかったですね、失礼しました。俺は太刀上たちかみ奈也人ななとって言います」


 奈也人が軽く頭を下げると、長雨ながさめが握手を求めるように手を差し出してくる。


 一瞬どう応じれば良いのか少し迷って、伊森いもりへと視線を流せば、彼は何も言わずただ小さく頷くのみだ。


 それならばと差し出された手を握り返して、


「どうぞよろしく」


 もう一声言葉を重ねる。


「ふ、フフフ、ふふ。こちらこそ」


 大きめのレンズの眼鏡が反射でキラリと輝いた。同時にカカッと足元からやや硬い音が鳴る。


「ふ、ふふ、フフフフ。これは失礼……、実は緊張すると踵で地面を軽く叩くのが癖になってしまっていてね……。ご容赦願いたい……。こう見えてワタシは結構人見知りな性質たちなのでね。ふ、フフ、ふふふ」


「あはは」


 変な癖を持っている人もいるものだなと、あなたが人見知りがちな性質を持っているのはあまり意外でもないな、という二つの感想が即浮かび、声や態度に出ないように即座に押し込め、曖昧に笑っておく。多分それが一番いい。


「にしても何だって奈也人ななと君たちがこんなところに……? もしかしてどこかの提携企業の新卒だったとか……?」


「いや、あー、えぇっと……」


 どこから何をどうやって話したらいいのか、どこまで話してもいいのかをすぐに判断することが出来ずに、助けを求めるように伊森いもりへと視線を投げてみた。


「実は俺たちはこういうモノでして」


 やや苦笑い交じりにため息を吐きだして、それから警察手帳を胸ポケットから取り出し開く。


「け、警察……?」


 目を丸くした向井むかい伊森いもりが提示している手帳と奈也人ななとの顔とを行ったり来たり何度も交互に視線を動かす。そんなあからさまなと思うほどに分かりやすい驚きのリアクションだった。


「つまり、奈也人ななと君は新任の警察官ってこと……?」


「えぇと……。……、厳密には違うんですけど、今の立場だけで言えば、そんな感じでも間違っちゃいないです」


 しっかりと事実を説明しようかと考え込んで、それから口外してはいけないことのラインがどこにあるのかを見極めることが今の自分に出来ようはずもないということにも気が付いて、だからふんわりと適当に言葉を濁して肯定するに落ち着いた。


「あはは、彼らは我々の捜査協力者という名目ですので、純粋な警察官とはまた少し違いますね。元の所属がどこかというのは明かせませんが」


 パタンと手帳を畳んで懐にしまいながら伊森いもりが代わって捕捉を入れてくれた。情報の取り扱い方に未だ不慣れな奈也人ななととしては足を向けて眠れなくなるほどありがたい。


「いやー、なんかもう色々驚いちゃって……、もう、なに、なに……?」


「あはは、気持ちは分かります」


「あぁ、でも警察としての用事というならこれから一緒にお昼でも食べないと誘うのは良くなさそうだねぇ……」


「一応は職務中ですので……」


 伊森いもり僅かに首を横に振った。


「それはまた機会が、あればということで」


「じゃあ、なんの仕事かは敢えて聞かないけれど、頑張ってね。あっ、もしこの会社が脱税とかしてるのであれば、教えてね!! 僕すぐに辞めるから!!」


「ふふ、フフフ、ふふフフ。しゅ、守秘義務は大事だぞ、向井むかい君」


「何言ってるんですか、そんなこと分かっていますよ、主任」


 向井むかいが人のよさそうな笑顔でぐっと親指を立ててから、軽く手を振りながら長雨ながさめの背中を押すようにして社外へと出ていく。


「なあ、溌希はづきさん。ずっっと黙ってたのはなんでだ? あっ、俺も自己紹介はしてねぇな……。あっ、待てよ向井むかいっておっさんが溌希はづきさんの顔を知っている以上俺の方が正体不明の謎の男かぁ?」


「深い意味はありませんよ、なんとなくタイミングがなかったというだけで」


「それは深い意味があった方が良かったんじゃ……?」


「デリカシーという言葉をチリトリで集めて捨ててしまったんですか? あなたは」


「まぁまぁ……」


 溌希はづきに本気で怒っている様子はないが、それはそれとして中々冷たい声が出ていた。伊森いもりとしてはちょっとした冗談のつもりだったのであまりに手痛い反撃にちょっと体が浮いてしまう。


「お待たせいたしました、社長室へご案内させていただきます」


「よろしくお願いします」


 それから案内役の人に連れられて三人は社長室へと通される。


 ドアの中はごちゃごちゃしていた。


 まず目につくのは壁一面に貼り付けられたアイドルポスターの数々。部屋中の壁を埋め尽くしているのではないかと思うほどの大量さだ。その中には川柳瀬かわやなせ守莉まもりのモノもいくつかあった。インテリアとして棚やら机やらにアイドル関連の団扇やペンライト、アクリルキーホルダーにペン立てクリアファイルと、それからメモ帳とボールペンにいたるまで、部屋のほぼ全てがアイドルグッズで構成されていると言ってしまっても過言じゃない有様と言っていい。


 社長室と言われるよりはアイドルオタクの私室ですと言われた方がまだ納得できる。


「いやー、待たせてしまって申し訳ない!! どうぞどうぞ、そちらに掛けて下さい」


 部屋の中央におかれた高級そうな革張りのソファへと奈也人ななとたちを座るように指先をぴしっと揃えて肘から下全体を使って誘導する。指定されているソファはアイドルグッズに囲まれすぎていて、社長室だというのに存在に違和感が生じていた。


「どうも、それじゃあ失礼します」


 伊森いもりが軽く頭を下げ、率先してソファへと腰かける。奈也人ななと溌希はづきもそれに従う。


 特徴の薄い紺色のスーツを纏った男だった。ただし、特徴が薄いのはあくまでスーツだけだ。シャキっとアスパラガスのように尖った黒髪頭の超高身長で筋骨隆々な中年男性。いっそボディビルダーがスーツを着てそれっぽい格好をしているだけだと言われた方がすんなり納得できるかもしれない。


 ヒイラギ製薬代表取締役、東字ライラック。人呼んで服装は地味だが名前と背丈が派手な男。


「まずは急なアポイントだったにもかかわらず快諾して頂いた御礼を」


「そりゃあ警察から話を聞かせてほしい、なんて言われたら時間を作らないわけにはいかないでしょう。小市民としては」


 背丈の大きさに比例しているのではないかと思うくらいに大きな声だった。


 そして、そこで言葉を区切るのかと思えば――、


「って、いや小さくねえって!! 俺で小さかったら他の人らの小ささはなんなんだってなっちまうぜ!!」


 即座に自分自身で言葉を続けて勝手にツッコミを入れだす始末。


 随分とファンキーな人柄であるのかもしれない。


 しかし奈也人ななと溌希はづきはいきなりそんなノリをぶち込まれると適応出来ない。


「確かに!! 社長さんが小市民だったとすれば俺たちはさしずめ小女子こうなごと言ったところでしょうな!!」


 ただ一人、伊森いもりだけがガハハハと豪快に笑う。あまりの豪快な笑いっぷりに奈也人ななとは口をぽかんと開けて呆けてしまった。


「いやー!! 冗談の通じる刑事さんで良かった!! ささ、お茶と茶菓子は用意させてもらってますから、遠慮なく!!」


 言葉と共に東字は三人の真正面のソファの中央へと腰かける。座るときにドカリと地面ががっつり揺れた気がした。やはり体が大きい分質量も大きい。

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