疑うべきは?

 案内されるがままにビルの中を進み、最上階へと上がってそのまま社長室の扉の中へと通され、促されるままに革張りの黒いソファに腰を落ち着ける。


 三人は社長室で貝塚工業薬品グループの二代目社長である、貝塚かいづか成久なりひさと対面する。


 背丈は平均よりはやや低めで、腹の周りは小太り気味、少しばかり脂ぎった顔で、黒髪をべったりとオールバックでまとめている。派手なショッキングピンクのスーツに青いシャツと黒いネクタイ合わせて、極めつけに両手の人差し指中指小指にそれぞれ金のリングが嵌められていた。


 成金趣味の権化。


 もういっそ開き直ってわざとそういう格好をしている可能性も否めない。


「こう言っては何なんだがね、私は一応忙しい身の上なんだがね。だからあまり時間は取れないんだが、それでも一市民として警察の捜査には協力するのが義務というモノだと思って、時間を作らせてもらったよ」


 ねっとりしたやや上から目線の言葉だった。


「ご配慮いただき感謝します」


 伊森が真っ先に軽く頭を下げ、二人もそれに続く形で頭を下げる。


「それで私に聞きたい話とは一体なんなんだが?」


「では単刀直入に。近々『龍の死権』による遺骸の競売が行われるというのをどこかから聞き及んでいたりなんてことがあったりはしませんでしたか?」


「……? そんなことあるわけないが……?」


 初め彼は伊森いもりのその言葉にピンと来ていない様子で純粋に質問の意味を考えて首を捻った。


 ワンテンポ遅れて、ぎゅぅっと眉間にしわがよる。


「今の言い方だとわが社か、あるいは私があのセレモニーをぶち壊した件に関係があると思っているかのように聞こえるが……?」


 質問の意図を遅れて理解したようだった。


「これは失礼しました。現状直撃的な疑いを掛けられるほど背後関係が洗えていないものですから……。今は少しでも情報を増やすために話をしてくださる方全員にこういった質問をさせて頂いています」


 全員にとは言ったものの、これが今日一回目の質問である。


 それでも貝塚かいづか伊森いもりの言葉に納得したのか、しわが寄った眉間に指を当てて軽く揉み解すような素振りを見せる。


「直接的にうちを怪しいと見ている訳ではないということでいいのだな?」


「えぇ、現状情報が不足していますので」


「嫌疑や容疑を決め打ちしてきているわけではないというのであればそれで良しとしようじゃないか。しかしそれならば何故うちに話を聞きに来た?」


 どうもこの貝塚かいづか成久なりひさという男は後ろめたさがあるかどうかに関わらず人に疑いをもたれるということを厭う性質たちがあるような気がした。


「今回の調査でもっとも重要視しているのはここ数年で龍関連の研究費がわっと上がっているかどうかですね。この辺りは税務署などと協力しつつ金の流れを追わせて頂きました。それから龍由来の素材に関連する業界の事情にある程度詳しそうなことというのも注視させて貰いました」


 暗に業界大手の情報力に期待していると言っている。


「業界の動きねぇ……」


 テカる顎にゴテゴテしい金の指輪が付いた手をあてて、うーむと考え込む仕草を見せる。


「いや結局他社の事情は他社に直接聞いた方が実体としては正確だろう」


「もちろん最終的には各社に聞き込みをする予定ではあります。その上で今は多角的な情報が必要だと判断していまして……。それに内側から見える形と外側から見える形とでは話の質が一枚違って来るものでもありますので」


 スルリスルリと受け答えの言葉を引っ張り出してくる伊森いもり奈也人ななとは感心していた。他人と話をするときにこんなにスムーズにレスポンスを返すというはそれはそれで難しいものだ。一人でペラペラと画面に向かって話をしているのとは違うのだから。


「そうだな最近で言うと、CTYforRはにはかなり稼がせて貰った。広告企画としても良い数字を出してくれたし、同じ地元企業としていくつかやり取りをさせて貰ったりもしている。うちとしても彼女にはいくつか新製品のPRをやって貰う予定を立てていた。まあ知っての通りご破算になったがね」


 芸能事務所CTYforR。龍人アイドル川柳瀬かわやなせ守莉まもりが所属していた地方の芸能事務所。彼女以外にも幾人かのアイドルが所属しているが、人気の方は現状あまり芳しくない。川柳瀬かわやなせ守莉まもりという屋台骨を失ったことで、人気商売である芸能事務所としてはかなりの苦境に立たされていると言わざるを得なかった。


「後はそうだな……、うちとは直接は関係がないが、ここ最近はヒイラギ製薬さんなんかは随分と景気が良さそうに見えるがね」


 ヒイラギ製薬の名前を聞いて奈也人ななとは「ほぅ」っと小さく感嘆を漏らしそうになって、しかしぐっと堪え、唾を飲み込むに留めた。奈也人ななとにとってヒイラギ製薬という名前は少しばかり馴染みのある名前だからだ。


「もう少し詳しくお聞かせ願えますか?」


「そう言われてもな、こっちは外部だしそんなに詳しくは知らないんだがね。確か、ジェネリックの精度が随分と良くなったって評判が上々で処方箋を中心に業績が伸びているって話だったか」


 製薬会社としては薬の出来が評価されて業績が伸びるのならば万々歳だろう。逆に貝塚工業薬品グループとしてはライバル企業の伸長には苦々しい思いがあるかもしれないが。


「目ぼしい所はそんなものだな。他に何か特別にこの辺りが聞きたいみたいなところがあるのならば、分かる範囲でならば話そうと思うがね」


「一度情報を持ち帰りたいので今日のところは、このくらいにしておきたいと思います。お話色々ありがとうございました。中々参考になりそうです」


「そうかね。それならば精々頑張って事件の裏側を明かしてくれたまえ。こちらとしても水面下で動かしていたプロジェクトがご破算になって色々迷惑を被っているんだ、裏が分からなければ腹の虫が治まらないというモノだよ」


「……、結果について確約は出来ませんが最大限の努力は約束します」


「ふんっ。頼りにならないヤツだな」


「ははは、すみません」


 その後三人は社長室から退室し、先ほどの赤いタイトスーツの女性に受付ロビーまで改めて先導される。


 外へと出る間際にもう一度軽く挨拶をすると今度は軽い会釈を返してくれた。もしかしたら、最初の対応は良くなかったかもしれないと反省してくれたのかもしれない。伊森いもりは挨拶が双方向にちゃんと通じたことでちょっぴり心救われていた。


 三人はそのまま車へと乗り込み、シートベルトを締め、バックミラーの調子を確認し、エンジンを吹かす。


 貝塚工業薬品グループの駐車場から公道へと乗り出す。


「さてと、それじゃあさっきの件どう見る?」


「藪から棒だな」


「捜査の本分はこちらが受け持つ、お前の仕事は得られた情報と龍についての意見を統合して考えて、フィードバック寄こすことだ」


「何とも言えないっちゃ、何とも言えないんだけれど……、彼女の関わっていた経済活動の大きさってのがちょっと予想を超えてたなと」


 本当に月並みで、情報量を一か〇かで表現すると限りなく〇に近い言葉だった。


「生前はアイドルとして、そして死後は研究素体として、可能な限り経済を回しているからな、彼女は」


 事実主義的な言葉だったが、同時に感傷的な側面も持ち合わせた言葉でもある。


 命の生き死にはキレイごとだけでは語れないことも多いが、同時にキレイごとだけを語りたくもなることもある。


「死ぬってことは存外にお金が掛かりますし、その後の処遇が確約されていてそれが経済の循環に繋がっているというのであれば、それは上々と捉えるべきなのかもしれませんね」


 溌希はづきがふっと零した言葉は伊森いもりの語る短い言葉よりももっと直接的で、もっと現実的なドライさを携えていた。


「それは……」


 奈也人ななとは何か、溌希はづきの言葉を否定する材料を探すように口を開いて、そしてそのあとに言葉を続けられなかった。


 ある種否定の余地のない現実主義的な言葉だったから。


 日々を生きるのにはお金がいる。寝床に衣服に食糧に通信に、ただ普通に命をつなぐというだけでもそれなりの金銭が必要になってくる。死んだあとはどうだろうか? まず死者の後始末として肉体の処理がいる。その人が生活していた場所を引き払うことも必要だ。死に方にもよるが、場合によっては清掃業者を頼むことだって必要かもしれない。そして人間の死体は大抵の場合金になることはない。


 何より死後の始末を死者本人が付けることは出来ない。


 だから死んだ後にはほとんどの場合金がいる。


 人が金を使っているのか、あるいは逆に金が人を支配しているのか。


 考えれば考えるほどに袋小路に詰まっていく。


 ただ人の欲望は大抵の場合金で叶えることが出来る。であれば金とは人の欲望の集合体であると言ってしまっても良いのかもしれない。


 ただ結局のところ金というシステムを作り出したのも人である。


 鶏が先か卵が先か。この場合の答えは当然決まっている。


 実は今を生きる人間は本当のところは自由に死ぬ権利を持っていない。


 死んでいい命がないということは、裏を返せばどんな命だったとしても椅子に縛り付けてでも生きる努力をさせねばならないということなのだから……。


「是非がどうとか、良し悪しがどうとかという話ではなく、そういう事実があるということを考えるのも気が滅入るし心が陰るから、あまり深く考えるのは止めた方がいいのではないかということを言いたかったのですが……」


溌希はづきさん、流石にそれは言葉足らずがすぎるぜ」


「そうですか? それは失礼しました」


「すぅー、ふぬぬぬぅぅぅ……。生きるのって大変だ……」


「わっははは、そりゃそうだろ。生きるのが大変じゃなけりゃ人間もここまで進歩しなかったろうしな」


「まあ人間以外の生き物も過酷な生存競争を繰り広げているわけですし、それと比べればこういう社会システムが存在している人間は大分マシでは?」


「それもそうかぁ……」


 笑う伊森いもりとすまし顔で首を捻る溌希はづきの言葉に奈也人ななとは肩の力を抜いて納得する。


 考えても仕方がないことを延々と考えていると気持ちが沈んで心が不安定になりがちだ。だからある程度は割り切ってしまう必要がある。


 しかし、それはそれとして、今の奈也人ななとの職務は川柳瀬かわやなせ守莉まもりの死の真相を究明すること。


 そのために必要になるのであれば、益体もないことを延々考えることを続けなければいけない。


 それが今の奈也人ななとに要求されている仕事なのだから。

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