一六年前の出来事は?

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 一六年前のその時は夏休みも終わりに差しかかったころの酷く蒸し暑い時期だった。


 市内から小学生を中心とした数百名の児童学童が既に取り壊しが決定されている竜胆町小学校の旧学舎へと集められていた。


 当時六歳だった太刀上たちかみ奈也人ななともその場にいた。


 周りは少しの大人と知らない学校の知らない子たちばかりで、不安と期待と好奇心が均等に心の中にグルグルと渦を巻く。


 この時の彼は人一倍好奇心が強かった。


 ただ好奇心は強かったが、この集団として集められた小学生たちの規模の大きさの不自然さに気が付けるほど、心が成熟していなかった。


 再検診を兼ねた二泊三日のお泊り会という部分についても何ら不思議に思うことはなかった。


 名目上の理由は学校の健康診断の結果として『現在不良は見受けられないが、将来的にある特定の疾患が発病するリスクが懸念される』という診断を受けた子供たちの詳しい再検診をというモノだ。ただそれにしても二泊三日という期間は長いのではないか、として当時の教育委員会への問い合わせが三桁に近い数字に昇っていたことは補足しておきたい。


 つまり、この百数十人の児童生徒たちは行政からの再検査という名目によって一か所に集められたということだ。


 寝起きの採血やパッチテストなどを含む複数回の検診と、小さなビニールカップに入れられたいくつかの透明な飲み物の経口摂取とそれに伴なう身体状況の経過観察というのが二泊三日という期間の中で行われた検診の主だった内容だ。それ以外の時間には課外学習の一環として見ず知らずの相手とグループを組んで特定の課題をこなすことが多かった。ただグループワークに関しては強制ではなく、参加不参加は自由という形が取られてはいた。但し、グループワークに不参加を決めると他の子たちがグループワークに参加している最中は暇になってしまうという点から、ほとんどの子が参加せざるを得ない状況になっていたというのもまた一つの実情ではあった。


 ちなみに当の奈也人ななと少年はというと好奇心旺盛であったため、知らない子たちとのグループという単語にワクワクを抑えきれず率先して参加していた。成績の方はあまり芳しくはなかったが年上の子たちとも積極的にコミュニケーションを取っていたのを大人たちによく評価されていたことは今でも僅かながら記憶に残っている。


 そうして二日を過ごした後の三日目の朝の検診はそれまでとは少し様子が違っていた。


 まず前二日までで見たことのない大人が三人増えた。それと今まで経口摂取していた透明な飲み物摂取量も増えた。


 今まで朝昼晩と一日三回、三カップの透明な飲料の経口摂取をいきなり六回分することになったのだ。


 但し、その分一杯の量は大体三~四〇ミリリットルほどと少なくはなっている。


 それでも一回で二五〇ミリリットルというのは子供が一回で飲み干すには少し量が多い。が、順番に水を飲んでいってどうしてもこれ以上は飲めないと思った場合には中断が認められるとのことだった。


 少年時代の奈也人ななとは他の子たちがそれを飲む様子を何とはなしに観察していたのだが、ほとんどの子が三杯目以降の飲み物に口を付けることがなかったのをよく覚えている。


 そして自らもまたどういう訳か四杯目を口にすることが出来なかった。


 ただ水を飲むというだけなのに、どうして四杯目が飲めなかったのかを正しく説明することは未だに出来ない。体調が悪くなったわけでも、お腹がいっぱいになってしまったわけでもなく、ただただ目の前の液体を飲むことに恐怖を抱いた。そうとしか表現が出来なかった。


 奈也人ななと少年の番が終わると、校内放送で五人の名前が読み上げられ、別室に来るようにと通達が入る。


 当時は分からなかったが、今考えるとその五人はビニールカップに入った飲料を六回分全て飲むことの出来た人間なのかもしれない。


 その全員が当時の奈也人ななとよりも三つ以上年上の子だった。


 なんとなく中の様子が気になって気になって仕方がなくなってしまった奈也人ななとは校舎の外側の窓から中の様子が分かるんじゃないだろうかとこっそりと検査をしている校舎を抜け出し、連絡通路を通って同じ階の別の校舎へと移動していた。


 その移動の途中で突然ドカンッ!! と大きな音が響き、今さっきまでいた校舎が倒壊してしまった。


 そこで何が起きたのかは分からない。


 ただ、好奇心旺盛な奈也人ななと少年はその好奇心によって崩落に巻き込まれずに済んだという事実があるだけ。


 目の前には崩れ落ちた校舎と、そこに生き埋めにされている人、それからつるりとした光沢のある艶やかで太い何かの肢体。


 遅れて十人十色のうめき声と、急に鼻血が出たときのような鉄っぽいニオイとが全身に突き刺さった。


 ガタガタ震えて、足は少しも動かなかった。


 頭の中は自分もあのガレキの山の中に埋もれていたかもしれないっていう想像でいっぱいになってしまう。


 全身から力が抜けて、その場にペタンと座り込んで……、それで十秒か一分か十分か分からないくらいの時間が経ってから、ようやくお母さんから渡されていたキッズ用のスマホの存在を思い出して、震える指で一一〇番通報をする。


 その時、何をしゃべったのかはよく覚えていない。


 ただ、瓦礫の中から聞こえてくるうめき声と、瓦礫の隙間から飛び出した腕がピクリとも動かない様子だけが、今も鮮明に脳裏に刻みついて離れない。



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