被疑者との対面は?
「事前に渡した資料の内容は頭に入ってるか?」
「名前は
「よし。俺も一度尋問に同席したがどうにも口を割らないヤツだった。だからお前の知識を活用して尋問に協力するようにとのお達しだ」
「……、いや頑張っては見るけれど、あまり期待されても、正直困る……」
「何らかのとっかかりを引っ張り出せればそれで御の字だから別に気負う必要はないぜ」
建物の中へと入り、通路を進んでいく。
辛気臭い空気が充填されいる空間。
「にしても自分がこんなところに出入りする日が来るとは思ってもいなかったよ」
「自分の人生設計に留置所に来ることを織り込めるようなヤツは大分変りモノだろうよ」
将来の進路として司法や警察関係を志望しているような人物だったとしても、そこからその関係で拘留所や留置所といった場所にも縁が出来ることを事前に想定はしていないだろう。そして逆にいわゆる不良少年やヤンキーと言われるような人達においても、自分たちの行動の結果としてそういう場所に留まることを想定してはいないはずだ。
存在は知っていてもいざ自分自身が厄介になる可能性があるということを現実的な目線で想定することが難しい。例えば警察に捕まるかもしれないという意識を持っていたとしても、明確に捕まった先が拘留所や留置所になるということがすぐにはピンと来づらい。
施設というよりもその概念が意識の盲点によってふんわりと包み隠されてしまいがちな場所。盲点というよりも単にその存在に目を向けることを無意識に避けたがっているだけなのかもしれないが。
「ここだ」
地下二階、閉じ切られたシャッターの真横に作られたドア前で
「中に入る前にもう一度お前のやることを確認しよう」
「
「じゃあ中に入る前に俺から少しアドバイスといこうか」
「助かる」
「相手に会話の主導権を握らせないってことがまず一つ。それから……、お前がどういうスタンスで望むのかは知らんが出来る限り感情を悟られないようにした方がいいというのがもう一つ。そして最後に焦らないこと」
「……、あんまりピンと来ないんだけれど……?」
「油断するなってことだよ。相手に飲み込まれると出来ることも出来なくなる」
「まあなんとなく分かった」
まるで伽藍洞のような空間だった。
中央から細かな小さい穴が開いた強化アクリル板と備え付けられたカウンターで仕切られた空間。手前側にはいくつかのパイプ椅子が壁に立てかけられているのみで、他には何もない。
そして奥側。強化アクリル板の向こう側には女が座っている。
事前に資料で見ていた顔つきよりも一層粘度の高い、コールタールの沼のような淀んだ表情をしている。
(油断するな相手に飲み込まれるっていうのは、こういうことか……)
たった一瞥、表情を見ただけだというのに明らかにまともじゃない相手だと全身の神経が訴えかけてくるような悪寒が走った。
思わずふぅっとため息を吐きだしそうになってしまい、誰にも気が付かれないように一度生唾を飲み込んでから細く息を吐きだしていく。
壁に立てかけてあるパイプ椅子を一つ掴むと椅子に腰かけてこちらを観察している
その動作から目の前のこの女と言葉を交わすのは本当に自分一人だけなのだという実感が湧いてきていた。
「一応確認しようか。君が
「……、」
返答の代わりに音が鳴りそうなほどの睨めつけがあった。
「まあ黙秘権もあるし、無理に話をしろとも言えないか。そうだな、何から話せばいいかな……」
気の弱い人であれば今すぐにでも逃げたくなるほどの、喰い入るような眼光を受けた
相手から威圧されるということ自体は想定出来ていた。だからそれにペースを崩されず、尚且つあちら側の想定している尋問の枠からズレた形に自分を作っていく。
「まずは……、そうか。君だけ一方的に素性を知られてた状態っていうのもフェアじゃないし、こちらから自己紹介をさせてもらおうかな。俺は
まだそんなに仲良くなれていない知人にこっそりと秘密の話を共有するような声色だった。
「どこまでが話していいラインなのか正直自分でもあんまり把握していないんだけれど、俺は新設された龍公特使局の局長補佐官っていう立場なんだよね。だから警察への出向っていう形になっているわけ。……、いやこれだと一応今は警察関係者ってことになるのか?」
次の言葉ではピクリと上瞼が反応していた。
(なるほど、こっちが探っているのと同じように向こうもこっちのことを探りたがっている……、のか?)
一度、間をおいて
だから少しわざとらしく困ったように片眉を持ち上げて、口元に曖昧な笑みを作って見せる。
そうしたならば、何を笑み何ぞ作っていやがるのか、とでも言いたげに眉間にしわが寄った。
「さてと、そろそろ本題に入ろうか。君が
どうせ相槌も頷きも返ってこないことはもう明白なため、
「一体何を根拠にしてそんなことをいうのかって思った? いや、答えてくれないから、勝手にそういう風な返答が来たと仮定して話を進めさせてもらうんだけれども。なんでってどんな業物を持ち出したところでそう簡単に龍を殺すことが出来ないなんてことは歴史が証明しているんだよね。有名なところで言えばインディアン戦争時に出現した土着の龍による先住民たちの守護だとか、オーストラリア先住民へのハンティングに対する土着龍の逆鱗だとか、そういうのは枚挙に暇がないでしょ。龍という長大な武力の抑止力によって守られた人たちと殺された人たちと両方いる。でも、その話の中で一度だって人が完全に自力で龍を殺せたという逸話が残っていることはないんだよ」
まくし立てるわけではなく、だけれど一方的に言葉をぶつけながら相手のことをつぶさに観察する。
青筋が立っていないか、奥歯に力が入ったような筋肉の動き方をしてはいないか、見の僅かな強張りが起きていないか、はたまた何かを笑うような素振りを見せたりしないか、等々。
「……、」
「正確な数は分からなくとも、数十万人単位で人が殺し殺されしていたことは確かで、その何十万人をもってしても結局土着の龍の討伐が謳われたことは一度だってないんだ。時代が違う、技術力が違うと言えど、単純な殺し合いなんてそう劇的な変化があるわけでもない。だから、たった一振りのナイフだけで龍を殺すことが出来る、出来てしまうとは到底信じ難い」
ふぅっと息を吐きだして、それからカウンターの上に乗せた透明なペットボトルのキャップを上げてゴクリと喉を鳴らして水を飲む。
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