凶器とご対面?

 伊森いもり巡査部長の運転する車両の中で奈也人ななとが「はぁ……」と大きなため息を吐き出した。


「なんだ、まだ何もしていないってのに随分おつかれの様子じゃないか」


「いや悪い、そういうつもりじゃなかったんだけれど……。これが聞いても良いことなのか分からないんだが……、川柳瀬かわやなせ守莉まもりの解体作業ってもう終わったのか?」


「検死の猶予が短すぎると嘆いているのは聞いたが、そこからどうなったのかまでは聞いてないな……。その口ぶりだと人間に擬態した龍の肉体は死後四八時間で龍の肉体を取り戻すというのは本当らしいな。気になるなら凶器の見分が終わった後で解体場所として封鎖している区域に連れて行ってもいいぜ?」


「……、そうだな。そっちもお願いするよ」


「俺から言い出したこととはいえ、わざわざ見に行くのは酔狂以外の何物でもないぞ」


「否定はしない」


 人通りの少ない通りを進みながら伊森いもりは前から視線を外すことなく缶コーヒーを軽く啜る。


 それからしばらく無言で運転を続けて、飾り気の少ないコンクリートの塊のような建物へと辿り着く。


「着いたぜ」


 コンクリートの塊のような建物の中へと入り、入口の受付フロアをスルーして、エレベータを使って最上階へと登る。圧迫感のある白い廊下を通って会議室のような場所へと辿り着いた。


 そこは雑然としていた。


 いくつか並べられた長テーブルの上にはバラバラと紙の資料が広げられ、厚手の透明ビニールに覆われたいくつかのナイフや、用途のよく分からない何かの切れ端のようなモノが複数置いてある。


「これだ」


 伊森いもり巡査部長がその中から一つを手に取り、奈也人ななとへと差し出す。丁寧にナイフの刃先を指でつまんで柄の部分を向ける形で。


 刃先にべっとりとくすんだ赤褐色が付着した濃緑色のナイフ。


 写真で見た凶器と同じものだった。


 ナイフに付着したままですっかりと乾いてしまったソレはかさぶたを連想させるような色合いをしている。


 現実感がないくせに思わず顔をしかめたくなる何かが、それにまとわり付いているような印象を強烈に突き付けられている気がした。


「素人に前置きもなしでいきなり見せるものではなかったか?」


「正直少々面食らった」


 恐る恐るナイフの入ったビニールの密封袋を受け取り、しげしげと眺める。


 厚手のビニール越しに感じられる柄の感触、室内灯の光を完全に吸収し僅かも光を返すことのない刀身、ややがっしりとした造りの鍔。


「こっちが鞘だな」


 重みや感触を確かめるように裏から表から見回していると、伊森いもりがもう一つ別の密閉袋を持ってくる。そちらに入っているのは言葉通りナイフの刃を治めるための鞘だった。但し、その色は鮮やかなライトブルーをしている。被害者、川柳瀬かわやなせ守莉まもりのイメージカラーでもあるライトブルー。


「……、本当にこれが凶器なのか?」


「それは間違いない。現場で押収されたものだし、これが被害者に突き刺さるところを見た目撃者も複数人いるし、容疑者の指紋も検出されている上に、刃についた血痕も被害者のモノと一致している」


 物的証拠と目撃証言の両面から見て、今、奈也人ななとが見ているモノが凶器であることに間違いはない。


 だというのに奈也人ななとは眉間にしわを寄せていた。


「私にもそのナイフで龍が刺殺できるようには見えないですね」


「……、それはどうしてだ? 材質か? それとも……」


「見たところ柄は龍の鱗、刀身と鍔は龍の爪を、それぞれ切り出したモノ、だと思う。そこんじょそこらのナイフや包丁とは切れ味が違うのは間違いない」


「じゃあどうして?」


「龍の素材を用いて作られたモノが強度的にどれだけ優れていたとしても、それ単体が『龍の防衛能力』を突破する力を持つことはないんだ。それを達成しようとするならば、最低限『龍の核』か『龍の瞳』位は必要になるだけれどこれにはそれらが使われている感じがまるでない」


「刀身や柄をその形に成形する過程で何らかの方法で混ぜこんでいる可能性はないのか?」


「そんなことが出来るのであればノーベル賞モノだよ。ある程度の大きさと形を保ったままでないと『龍の核』も『龍の瞳』も力を維持することが出来ないんだ。だから、この形である以上このナイフが『龍の防衛能力』を突破することが出来るとはとてもじゃないけど思えない」


 性質の問題というよりは形状の問題だった。


 例えば刃の部分の厚みが四センチほどある刃物があったとする。それは最早刃物ではなくただの金属製の鈍器だ。凶器として振るう分には十分に人を傷つけられるだろうが、切るということは出来ない。


 例えばおろし金に返しの棘が付いていなければ、それはただのまっ平らで穴の開いた板でしかない。


 それらと同じで『龍の核』や『龍の瞳』と呼ばれるモノも特定の形状を保っているからこそその機能を発揮することが出来る。だから、それらを素材として完全に砕き別の形に成形しなおしたところで混ぜこまれたものの強度が格段に上がる以上の意味はなくなる。


 逆説的にだからこそ、龍という存在が持つ『力』が殊更に強力であるという話にも繋がっていく。


「じゃあこのナイフとは別に龍を殺すための何らかの仕掛けがあると?」


「そう考えるのが現状もっとも自然だと思う」


「結局背後関係をもっと深く洗わないと何も分からないな」


「流石にこのナイフ一本からだけじゃね。ただ、少し気になるのは、このナイフ明らかに現代的な形をしている点なんだけど……」


「その辺りはこちらでも調べている。少なくとも龍の素材を使ったナイフというだけでネット通販なんかで簡単に買えるような代物ではないからな。だからある程度は辿れるはずだ」


 現代では龍由来の素材は人道的な観点から蒐集が難しく希少性が高い。その上特殊な力場を発生させかねない危険な代物でもあるため、流通には強い監視の目が入っている。具体的にいえば、龍の素材を加工することの出来る業者、技術者は役所からの認可書がなければ摘発の対象にされている。


 そして龍の生存権を公に認めることなったこの都市では、さらにいくつかの細かい制度によって龍への物的、精神的な危害も封じられている。


 但し、だからと言って龍由来の素材を入手することが完全に違法になっているわけではない。


 龍という生き物は長寿であり、強靭な肉体を持つため、人のスケールでその生死を考えることは出来ない。けれど、それでも何かしらの理由で龍が息途絶える場面は必ず起きる。だからそういう場合に備える意味で『龍の生存権』には対となるもう一つ、『龍の死権』と呼称されるモノが同時に整備された。技術、流通の制御に生存権と死権。相互に権利を保障し合う形で法的に龍という生き物の尊厳を守る仕組みが成立されているという訳だ。


 つまり、龍の素材を用いて作られたモノそのものがなんであれ、それは行政側に記録が残っていなければならない。もし仮に記録に残っていなかった場合それは密売がなされているということになる。そうであった場合、問題が一つ余計に増えることなるわけだ。


「まあどう動くにしろ、鑑識の結果を待たなくちゃならんから、今日はこんなところでいいだろう。次行くか」


「分かった、頼む」


 密閉袋に入ったままのナイフを長テーブルの上へと戻して三人で頷き合う。


 またしばらく伊森いもりの運転でしばらく街中を流れるように移動していき、辿り着いたのは郊外のスタジアム。あのセレモニーを行っていた場所だ。


「ここで作業しているのか……」


「制度自体は可決されていても龍の遺体を解体する設備もノウハウも蓄積がないからな。消去法なんだよ、広い空間があって封鎖すれば人目から離れられるような場所はこの街じゃここしかない」


「それはまあそうでしょうね。この国でこの件以前に龍の死が明確に確認された記録はギリギリ近代史に乗るか乗らないかくらいの時期のはずですから」


「ご明察。明確な龍の死亡事例が記録されているのは丁度明治維新の頃のモノだったよ」


 キープアウトという文字がループする黄色と黒のバリケードテープを跨ぎながら伊森いもりが頷く。奈也人ななと溌希はづきもそれに習うようにしてテープを超えてスタジアムの中へと進んで行く。


 競技スペースへと進入するための通用口を進んでいくと、外気よりも一層寒々しく、だというのにやけに生暖かいニオイが漂ってくる。


 通路を通り抜けて中に入ると、そこで作業着を来た数人の男たちが五〇センチほどの高さで四方四〇センチ程度の大きさの白い箱の蓋を閉じているところに出くわした。


 その様子から先ほど龍の肉体の解体作業が一段落したばかりであろうということと生暖かいニオイの正体が強烈な生々しさを感じさせる血肉のニオイであるということが窺えた。


 伊森いもりたちが通用口から顔を見せたことに気が付いた作業員の一人が軽く頭を下げながら寄ってくる。


「刑事さんご苦労様です。解体作業は丁度先ほど終わりましたよ。核から瞳から爪から血肉、骨まで余すところなくしっかりと移送させてもらいましたわ。まあこれからこの場所の清掃をしないといけないので作業自体はもう少しありますがね」


「お疲れさまです」


 どう返答すべきか分からなかった奈也人ななとが真っ先におずおずと軽く会釈をし、妙に柔和な笑みを表情に張り付けた伊森いもりが短い言葉と共に小さくお辞儀をする。


「わざわざここまで来るなんて、何かご用向きでもおありで?」


「いや、作業が終わってるならいいんだ。邪魔してしまって悪かった。奈也人ななと戻るぞ」


「あ、あぁ」


 柔和な笑みを表情に張り付けた伊森いもりがお辞儀から体勢を直してすぐに親指を立てて元来た道を引き返すようにジェスチャーをする。


 伊森いもりの先導通りに即座に引き返す。通用口をしばらく歩き作業員の人達からある程度距離が離れたことを確認したのち、伊森いもりがふぅーっと長く息を吐きだした。


「悪いなこちらの想定よりも解体作業の進みが早かった」


「それは良いんだけど……、いいのか? もう少し話くらいはしていっても良かったんじゃ?」


「お前がどういうつもりでここに来たいって言ったのかについては深くは聞かないが、それはそれとして事後処理の清掃作業を眺めていても意味がないのは間違いない。その時点で長居する選択肢はない」


「それは一理あるけども……」


「何か言いたげだな?」


「らしくないんじゃないかと思って」


 奈也人ななとの知っている伊森いもり椙臣すぎおみという男は筋をしっかり通すことを信条としていた。同時に誰に対しても分け隔てなく誠実であろうとする人の良さも兼ね備えた人物だった。少なくとも奈也人ななとから見た伊森いもりはそういう男だった。


 だが、今のやり取りの中で伊森いもり奈也人ななとの見たことのない仮面を被って人と接していた。人に対して誠実であろうとする男がわざと仮面を被って人と接する所など見た記憶がなかった。


「仕事柄人の死体とかには慣れたんだが、龍の遺骸は何というか……、直面した時の存在感の強烈さが未だに受け入れられなくてな……。お前はあの場所に入った時に何も感じなかったのか?」


「俺は……、」


「いやいい。実際に見た俺と実物がなくなった後で現場に入っただけのお前じゃ感じ方が違って当然だ。変なこと言って悪かった」


「いや、こっちこそゴメン」


「いいよ。それよりお前達は今日は直帰だろ、このまま送っていくぜ」


「そこまで気を遣わせるのは……」


「良いじゃないですか、奈也人ななと。こういうときは人の好意に甘えるべきです」


 奈也人ななと伊森いもりの申し出を断ろうと口を開いた瞬間に、これまでずっと沈黙を守っていた溌希はづきが割り込むように口を挟む。


「いや……、でも」


「俺が良いって言ってるんだ、素直に送られろ」


「良いですか奈也人ななと。人の好意に甘えることも一つの人助けのようなモノですよ」


「……、二人がそこまで言うならありがとうお願いしますということにする」


「それでいいんだよ、それでな」


 そして三人はまた車に乗って夕焼けの街を走っていく。

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