天秤の傾きが教えてくれるのは重さだけ

初仕事は?

 木製の大きな扉の真横に掛けられた時計の針は二と三のおおよそ中間当たりを指し示している。


 真新しく大きな木製のドアは大きさ故に妙な迫力があった。


 その大きさは一般家屋のドアと比べると二から三倍はあるだろうか。


 そもそも通路自体が一般的な学校よりも一回り大きいほどの横幅があり、足元の床材は一般的な学校で使われている材質と同じようなモノが使われているし、点々と天井にくっついている電灯も大体学校で使われているようなモノが使われている。


 ゴクリと一度小さく喉を鳴らし、目の前の大きな扉を形式的に三度叩く。


「どうぞ」


 中から暖かみのにじみ出る少しだけしゃがれた声が返ってきた。


 柔らかなしゃがれ声。もしこの声の主が校長だった場合、校長からの言葉の最中に集まった生徒の七割はうとうとと舟をこいだに違いない。


 意を決して扉を開け、


「失礼します。大変遅れて申し訳ありません。太刀上たちかみ奈也人ななとただいま参上致しました!」


太刀上たちかみ奈也人ななと龍公特使局、局長補佐官付きの秘書、太刀上たちかみ溌希はづきです。遅れて申し訳ございません」


 開口一番に二人揃って頭を下げる。


「うんうん、入って入って。さ、そこに座って。悪いねもうお客さんが来ているんだ。彼の正面に座ってくれていいからね」


 お叱りの一つや二つ飛んでくると思っていた二人は真っ先の言葉に少々面食らってしまった。


「はい、失礼します」


 二人はそろって部屋の中央に鎮座している高級感のあるテーブルとソファの片側へと腰かける。


 正面に座って小さな湯呑みからずずっと一口煎茶を口に含んだスーツ姿の男には見覚えがあった。


「……、もしかして椙臣すぎおみか?」


「おう。話には聞いちゃいたが実際にこういう形で顔を合わせるってのは妙な感じだな」


 ぴしっと指を二本だけ立てて茶化した様な敬礼が返ってくる。


 伊森いもり椙臣すぎおみ。いたって普通の黒いスーツに身を包んだ、がっしりとした大柄の男で、肩幅や首のふとさ、手首周りの筋肉の付き方から着衣越しにもその肉体が筋骨隆々であることがうかがい知れる。奈也人ななとにとっては少し年の離れた幼馴染だ。より正確性を期すならば兄貴分と言った方がいいかもしれないが。


「なんだ、顔見知りだったのかい。まあだけれど一応形式的に紹介しておこうか。彼は警察庁、対龍捜査特別任命官、伊森いもり椙臣すぎおみ巡査部長。今回の我々が部外協力するお相手だよ」


 柔らかいしゃがれ声の初老の男が執務机に軽く手を組んだまま情報を補足する。


 その初老の男こそがこの部屋の主であり、この建物内でもっとも人の上に立つ人物、二戸にと左文字さもんじ。肩書は龍公特使局局長。


「……、警察への部外協力ですか?」


「うん、そう。流石にあの一件はあまりにも大きすぎるからね。各所と密に連携を取ってことを調べる必要があるわけだよ」


「経緯は理解出来ました。しかしそういうことは局長の仕事ではないのでは……?」


「うん? 私自身が外部協力員として彼と一緒に事件の捜査にあたるなんて言ったかな?」


「すみません、早とちりしました」


「外部協力員として捜査に同行するのは私ではなく、君だよ」


「あぁ、なるほど。なるほど……?」


 そこで一拍おいてから一呼吸挟んで軽く首を捻り、さらにダメ押しにもう一拍挟んで眉間に力を入れながら、


「俺ですか……?」


 念を押すように確認を取る。


「そう、君だ。今回の件の外部協力員として事件の解決にあたるのが君が私の補佐官になってから一発目の仕事ということになるわけだね」


 丁寧で簡潔な説明だった。


 但し、通常業務の要領さえまともに分からない状況の中で課せられる仕事としては大いに常道を外れてしまっている。


「そういう訳だ。よろしくな」


 伊森いもり巡査部長がニカッと笑って見せたが、奈也人ななとは目が点になってしまってまともにリアクションを返すことは出来なかった。


「と言っても実行犯については現行犯で捕まえているからそこまで気負うようなこともないけどな」


「それでは、わたしたちは一体何の捜査をお手伝いするのですか?」


 朗々とした伊森いもりの言葉に溌希はづきが片眉を上げる。目をぱちくりさせながら放心状態を維持している奈也人ななとの代わりに疑問を言葉にしているような素振りだった。


 伊森いもりと局長が一旦アイコンタクトを挟んで頷き合ってから溌希はづきの言葉に答える。


「主に検証と裏取りだな」


「検証と裏取り……、少し分かり辛いのですが」


「そうだな。分かりやすく言うと、背後関係を洗ってこの件にどれだけの人間が関係しているのかを洗いだすことがまず一つ。後は龍を殺した凶器の鑑定というのがもう一つだな」


 伊森いもり巡査部長はそこまでを説明すると隣に置いていた鞄からいくつかの資料を取り出して目の前のテーブルへと広げて見せる。


「これが凶器の写真だ。流石に実物を持ってくることは出来なかったんだが、お前の目から見てこれをどう見る?」


 資料の中から一枚のポラロイド写真を抜き出して奈也人ななとの前へと差し出す。


 我に返った奈也人ななとは差し出されたそれをしげしげと眺め、そのあとそっと手に取って改めて目を凝らすようにして覗き込む。


 そこに写っているのは全体が濃緑色をした鋭利なファイティングナイフ。比較用に写真内に収められた十円玉で換算するとおおよそ八つ分程度の大きさだろう。


「……、本当にこんなものが凶器なのか?」


「このナイフで龍を刺殺することは難しいか?」


 疑問に問いかけを重ねられた奈也人ななとは一度ちらりと溌希はづきへと視線を向ける。彼女はそれに対してただ小さく頷いた。


「……、このナイフが龍の牙や爪を使って造られたモノだったとしても人の姿をした龍を直接刺突することは恐らく難しい」


「俺はその辺りには明るくないから、理由を聞きたい。どうして龍の身体と同質の素材を使っていても龍の身体を傷つけられない? 人型になっている龍は身体構造上はほぼ人間と同等という話だろう。それがなんでナイフで刺せないということになるんだ?」


 人を殺傷するための刃渡りならば六センチもあれば事足りるのだからポラロイドに写されている濃緑色の肉厚で鋭利なナイフであれば十分に可能なはずだ。


「そりゃ龍が人なんだとしたら刺したら死ぬよ。俺だって刺されたら死ぬし、別に刺されなくても階段で足を滑らせて頭を打ったって死ぬ。ただ身体構造上同じだからと言って、人型の龍が完全に人間と同等かと言われるとそれは少し違う」


「龍の不死に近いレベルの長寿がそうさせるという話か?」


 龍という生き物は長寿だ。人のスケールでは計り知れないほど長い時を生きていく。


 その寿命の長さ故に人の姿に擬態している時でさえも簡単に死することが許されないのか、と言えばそんなことはない。闘争本能に駆られ同種同士で殺し合うことも今となってはほとんどないが、それでも人の歴史にも僅かにではあるが記録が残っている。


 では何故か?


「人に化けた龍の元々の質量が一体どこへ行くか知っているか?」


「元々の質量? それは……、考えたことが無かったな」


 世界最大級の生き物であるクジラよりも大きな巨躯を持ち、ゾウをはるかに凌ぐ重量を有する龍という存在のほぼ全てを一五〇センチメートルから二〇〇センチメートル程度という矮小な人の形に押し込めるためには真っ当な物理法則を捻じ曲げる必要がある。


「通説として元々の龍の質量はその龍を中心とした一定空間内に満ちる特殊な力場を形成することでその存在を維持している。その力場は龍による制御下にあり、意識的か無意識的かを問わずに龍自身を守るために流動するんだ」


「……? ピンと来ないな。つまりなんだ?」


「人型形態の龍には自動無敵バリアが展開されているようなモノってこと」


 この力場は通説として『龍の防衛能力』と呼ばれ質量を伴った盾としての振る舞いの他に人型に押し込めた龍の質量が大地に与える影響を軽減する役割も担っている。この力場がなければ人型の龍は自身が持つ重量によって常に地面に多大なる負荷をかけ続けることになり、階段を上ることさえままならなくなってしまう。


「そりゃ本当か? 現に川柳瀬かわやなせ守莉まもりは刺殺されているんだぜ?」


「その事実が逆に恐ろしいよ。確か海外の研究レポートに軽機関銃六台による一二〇秒間の一斉射撃を無傷で耐えきったというのがあったはず。だからその写真のナイフにはそういう類の力をこじ開ける何かが秘められているということになる」


 龍の持つ圧倒的な防御能力をたった一本のナイフが無力化させてしまったというのが事実であるならば、それは恐ろしいことだ。


 龍を簡単に殺すことが出来る武器が存在しているとするならば、それは龍が殺せる以上の意味合いを確実に有してしまう。『龍の防衛能力』と言われる力場を無力化することの出来る武器とは、つまり物理法則を捻じ曲げる力をさらに捻じ曲げられる力を持っているも同然なのだから……。


 現在の人類が完全に解明することの出来ない『龍の力場』を相殺するだけの力を持った武器、あるいはなにかしら。


 人が力を欲して龍に挑みかかった事例の多さは歴史が照明している。その悉くは龍によってあしらわれているが、稀に何らかの事情によって龍の何某かを得た者もいる。そういった者の多くが歴史を大きく前進させるほどのモノを手に入れている。


 龍を殺傷することの出来る武器とはつまりそういうレベルの代物だ。


 それが高々一振り分のナイフという形で今この世界に存在しているということになる。銃の形でもなければ爆弾の形をしているわけでも、巨大な質量兵器の形をとっているわけでもない。


 誰にでも簡単に扱えて流通もしやすいナイフという形状をしているということに意味がある。


 どういう経路で制作されたものなのか、仮にこのナイフが龍由来の素材で造られたものであるのならば、その製造技術がどうなっているのか、量産出来てしまうのか。何か特殊な手順を踏まなければ『龍の防衛能力』を突破できないのかそれとも抜き身のナイフ一本を振るっただけで本当に易々と突破してしまうのか。


 あらゆるブラックボックスがこのナイフという形状には込められている。


 そして何より、銃器でも炸薬でも大量の兵士を動員しての白兵戦でも成しえなかった攻撃性能がナイフ一本分の形をしているという事実が恐ろしい。


 何せそのナイフを握って刺すことが出来る者であるならば、年も体格も鍛錬も一切合切関係なく龍を殺すための力を手に入れられるということになってしまうのだから。


「実物も見ず推論をぶつけ合ったところで得られる答えもないでしょうから、実物を見られるよう取り計らって貰いましょうかね」


「それもそうですね。ですが、鑑定の結果もまだ出ていない上に、件の凶器は機密物として厳重な保管が為されていますから、今すぐに確認するということは出来かねると思います」


「では私の方からも少し掛け合って見ましょうか」


 二戸にと局長は執務机の中央に閉じられていたノートパソコンを開いてカタカタとキーボードを鳴らす。恐らくはどこかにメッセージを飛ばしているのだろう。


 ほどなくして、


「うん。今から保管場所に行ってきてください。許可が降りましたよ」


 軽く頷きつつ口元を綻ばせる。


「一体どんな手を……」


「詮索すると出世に響きますよ?」


 伊森いもり巡査部長が思わず口にした言葉に対して穏やかな口調で軽い諌めの言葉が返ってきた。


「失礼しました!! では、我々はこれより件の場所に移動したく思います!!」


 焦ったように立ち上がって敬礼をする伊森いもり奈也人ななと溌希はづきも追従し、立ち上がって局長に頭を下げる。


「出来る限り早急な決着を期待していますよ」


「はい!!」


 ビシッと背筋を正した伊森いもり巡査部長は声を張って返事をする。


(あまり期待されても、少し困るな……、)


「最善を尽くして参ります」


 ワンテンポ遅れて奈也人ななともしっかりと頭を下げる。溌希はづきは何も言わずに奈也人ななとに合わせるように頭を下げるだけだった。

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