価値ある死とは一体なんなのか?
迷子の対応はどうすれば?
ダークグレーの厚手のスーツを身に纏った青年、
ネット配信で見たあの映像が頭に焼き付いて離れない。映像とはいえ直で人が刺される(実際には彼女は龍であるのだが、人型をしているということには違いない)リアルな場面に遭遇することなんて現代日本で生きている以上は一生に一度あるか無いか程度の経験に違いない。
あるいはそれは平和ボケと表現されたりするものなのかもしれないが。
けれど、平和なのは良いことだ。そして悲惨な状況を目の当たりにしてショックを受けるというのは倫理観として重要な資質でもある。
普通の感性。当たり前の良心。そういうモノは意外と何者にも代え難い重要なこと。
「はぁ……」
四月だというのに吐き出したため息は白く濁った。
近くの自販機で買った缶コーヒーの熱で白んだ指を温める。
竜胆街駅の駅前裏通りロータリーの人間工学に基づいた野外ベンチの一角。それが今の現在位置である。
十三時に待ち合わせをしていたはずなのに、気が付けばもう三〇分以上もこの場所で待ちぼうけをくらっている。
待ち人の方は手続きやら何やらが煩雑であるためある程度の時間の超過はあり得るだろうなという予想が立っていたので、そう気にはしていないのだが……。
しかし、それでも待たされていることもまた事実であり、そろそろ気が急いてくる頃合いであることも否定できない。
時計付きの電光掲示板の表示が現在時間から『本日、自殺:1 事故:0』という表示へとパッと切り替わる。
気分を変えるために適当に本でも読んでいようかと膝の上に乗せていた手提げかばんの中に手を突っ込むと同時に真正面からの視線に気が付いた。
女の子だった。小学校の新入生くらいの年頃の女の子。白い帽子を被って子供用の白いコートにもこもこのやわらかくて暖かそうなブーツを履いた女の子。
目が合ったというよりは他の誰をも差し置いてじぃーっと見つめられていた。今にも泣き出しそうな表情で。
曖昧な笑い顔を作りながら、少し辺りに視線を泳がせてみるも、目立った人影は特になく、近くのイタリアンカフェのテラス席も閑散としている。
辺りには完全無欠に人がいなかった。だから、何故か少女にしては大股でずんずん寄ってくるその子の目的が
そして、ベンチに腰かける
「えっ、と。どうしたの? 迷子?」
不用意な言葉選びにならないように、ちょっと気を付けつつ
「……、」
言葉での返事の代わりに激しい頷きが返ってきた。どれくらい激しいかと言えば、頭のてっぺんに五〇〇グラムのヨーグルトを括りつけておいたならば、きっと今頃は飲むヨーグルトになっていただろう程度だ。
(親御さんと離れ離れになってきっと心細いんだろうな……)
「近くに交番あるよな?」
大抵駅の近くには派出所があると相場は決まっている。
しかし、
どういうことかといえば、表通り側から商店に入った親子連れが店の中ではぐれてしまった場合、親は当然表通り側の出入口からあちこち探して派出所に声を掛けたりすることになる。一方で子側が裏口側から裏通り側に迷い込んでしまった場合案内版の通りに子が派出所に向かうことになるだろう。するとお互いが別々の派出所に辿り着くという事態が起きてしまうのだ。
最終的には派出所同士の連携によってしっかり合流できる。出来るのだが、今にも泣きそうな幼子にとってみれば知らない大人たちの真ん中でぽつんと親御さんを待つというの行為の心細さったらない。
しかし今の
「えぇっと……? ちょっと距離があるの、……か?」
案内板に目を通しながら軽く首を捻っていると、缶コーヒーをぶら下げた片手にかじかんで冷たくなったぷにぷにの感触がくっついた。
「……? どうしたの?」
その様子を見るとどうもベンチに座っていたいような素振りに見えた。
「大丈夫、大丈夫。一人でどっかに行ったりはしないから」
しかし全体的に白っぽい女の子はそんな言葉では納得できないようで、フルフルと頭を横に振って見せた。
どうもこの女の子、案内板の通りに派出所に出向くことを拒否したい姿勢であるらしい。
「う、うーん……」
「あのね、えぇとね……。ままが迷子になっちゃったの」
どうやら母親の方が迷子になってしまって困っているという体でいくことに決めたらしい。小さな子特有の謎の強がりに
このくらいの年頃の子はこういう強がりを年上の人に笑われるととても傷つくのだ。なんとなくそんな風な憶えが頭の片隅に残っていた。
「そりゃあ大変だ」
「だからね、さがしたいの。でも、一人じゃたいへんだから、手伝ってほしいの」
か細さと明瞭さが奇妙に同居した声色で、あっちこっちに視線を泳がせながらぎゅぅっと
小さな手だ。僅かに震えているけれど、それが寒さのせいなのか別の事情によるものなのかは分からない。
「手伝ってあげたいのは山々ではあるんだけれど……」
「ダメなの……?」
歯切れの悪い彼の態度に女の子の表情が不安げに曇った。
「一緒にいる分には構わないといえば構わないんだけれども……、ご時世的に、その俺が君くらいのこと一緒にいるとなると……、その誘拐とかを疑われかねないと言いますか……」
「おじさん、ゆうかいするの?」
「いいえ、しませんけれども……」
「じゃあ!!」
「待って!! じゃあこうしよう。あのベンチに座って一緒に君のお母さんを待つ!!」
しかし、それはそれとして警察の御厄介になる可能性だけは何としても避けたかった。
(というか、おじさん……。おじさんかぁ……バリバリに新卒なんだけれどなぁ……)
おじさんといわれるにはまだ早いと思っていただけに内心では若干のショックを受けつつ、少女を人間工学に基づいて作られたステンレス製のベンチへと促し、内ポケットから白いハンカチを引っ張り出してベンチの上において着席させる。いくら人間工学に基づいて疲れにくい野外ベンチを作ったとしても、アルミやステンレスなんかの金属を使っているとシンプルに外気の影響をもろに受けてやたらと冷たくなったり熱くなったりして座るに座れなくなってしまったりする。形状に工夫が凝らされていたとしても素材そのものが受ける影響の方まではあまり考慮されていない辺りが帯に短しタスキに長しという感じで古き良きお役所仕事感があった。
女の子を座らせた後で
プラプラと足を振りながら横に振れる白い少女は手持ち無沙汰なのかかわいらしく鼻歌を歌いだす。
そのリズムには聞き覚えがあった。
「おじさんは、まもりちゃんがどこに行っちゃったのか知ってる? なんでも急に遠くに行っちゃったんだってままが言ってたの。でもあんな風に突き飛ばされて、ケガとかしてないといいなぁ……」
彼女の鼻歌のタイトルは『絶対錯綜、暴走葛藤Dマインド!!』で、
「うっ、うぅぅぅ……」
新進気鋭のドラゴンアイドルと世間からも注目の的だったのだ、このくらい小さい女の子が知っていても全然不思議じゃない。だけれど、女の子から無邪気に飛び出してきたその話題にモニター越しに見ていた光景がフラッシュバックしてきて僅かに息がつまる。
「……? どうしたの? お腹いたい?」
「いや、何でもないよ。ちょっとしゃっくりと戦ってただけ」
「えぇ!? しゃっくりって一〇〇回すると死んじゃうんだよ!?」
「大丈夫、勝ったから」
「痛みに満ちた、勝利だったんだね……」
「そうだね」
「でも、おじさんはすごいね。痛くてもがまんするんだもんね」
「大人だからね」
「大人は、がまんしなくちゃいけないの?」
「まあそうだね。子供と違って人前で急に泣き出したりすると白い目で見られたりする」
「つ、つらい……」
「それに、大人だから子供の前で情けない姿を見せたくなかったりもする」
それは彼なりの生きる指針みたいなモノだ。
自分よりも幼い相手のお手本になれるように、精一杯虚勢を張って強がって、前に進んでいく姿を見て貰う。それが良いか悪いかの判断は横に置いて、誰かの前で格好悪い姿を見せない。それが大人になった、大人になりたい自分の姿だと思うから。
「えぇー? なんでー?」
「なんでって言われても……、なんとなくそういうモノだと思っているから、としか言えないかなぁ」
幼いころの自分がそういう何かに憧れたからとしか言えないし、そんなことをこの子に語ってみてもきっと要領は得ないだろう。だから、深く言葉を繋げることはしなかった。
「そっかぁ。じゃあやだなぁ。大人になりたくないなぁ」
「勝手になっていっちゃうモノだからなあ。俺自身別に自分が大人になったとはとても思えちゃいないしなぁ」
「えぇー? でもおじさんもうおじさんだよー?」
「流石にそんなにおじさんじゃないよ、多分」
一回くらいは否定しておきたかった。
「えぇー? おじさんだよー?」
しかし、女の子の感覚では彼は完全におじさんであるらしく、発言の撤回は一切望めそうになかった。子供故の残酷さだった。
「でもわたしはおじさんでも辛いときは辛いって言っていいし、泣きたいときは泣いても良いと思うの」
「そっか」
「だから泣いてもいいよ? 大丈夫、わたしがなぐさめてあげる!!」
フンスと胸を張って女の子は得意げな表情を見せる。
何故かそれにきゅぅっと胸が締め付けられる思いがした。この子は自分が好きなアイドルがもう既にこの世にいないことを知らないままで、それを知っていて傷心している自分をなぐさめてくれようとしている。
それが
「ありがとうね。でも大丈夫、そう言ってもらえたから少し元気出たよ」
グッと表情筋を固めて笑顔を作って親指を立てる。
「ほんとう? なら良かったー!!」
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