僕の欲しかったものは何ですか

春風秋雄

それは、お袋からかかってきた1本の電話から始まった。

「圭介、あんた今彼女はいるの?」

「なんだよ、藪から棒に」

「いいから答えなさい。今彼女はいるの?」

「いないよ」

「そう。なら大丈夫ね」

「何が?」

「あんた、私の友達の加藤のヨッちゃんとこの、美鈴ちゃんを覚えている?」

「小さい頃よく遊んだ美鈴ちゃん?」

「そう、その美鈴ちゃん」

「その美鈴ちゃんがどうかしたの?」

「圭介のところで、しばらく美鈴ちゃんを預かってちょうだい」

「はあ?なにそれ?」


おれは上野圭介。31歳。俺は岡山県の美作市の出身。若い頃ミュージシャンを目指して上京したが、夢敗れ、今は岡山市内のはずれで喫茶店を経営している。いまだ独身。そんな俺にお袋は美鈴ちゃんをしばらく預かれと電話してきたわけだ。お袋と1時間近くの応酬のすえ押し切られた。美鈴ちゃんというのはお袋の小学校時代からの親友、加藤良子さんの娘さん。子供の頃、親子でよくうちに来ていたので、年が近かった俺は美鈴ちゃんとはよく遊んだ。たしか俺より2つ下だったと思う。俺は高校を卒業して家を飛び出し上京したので、美鈴ちゃんが中学生くらいの時に会ったのが最後で、14年くらい会っていない。お袋が美鈴ちゃんを俺に預けようとした理由は、3年くらい前から引きこもりになって、結婚はおろか、仕事もできない状態だという。原因ははっきりしていて、簡単にいうと男性恐怖症だ。3年前まで働いていた職場が男性ばかりの職場で、パワハラ、セクハラのオンパレードだったらしい。とどめは、ちょっとしたミスをしたときに、男性上司から怒鳴り散らされて、恐怖で気絶したとのことだ。それがトラウマとなって男性を見ると怯えるようになり、外を歩けなくなったというわけだ。家族の中で男性は父親と弟がいるが、家族に対しては拒否反応を示さないのが救いらしい。このままでは将来が心配だということで、何とか男性恐怖症を克服させたい。そのためには家族以外の男性とすこしずつ接して慣れていくしかないと考えたとのこと。そこで槍玉にあがったのが俺らしい。美鈴ちゃんから「圭介ちゃんなら大丈夫かもしれない」と言ってきたらしい。


早速、その翌々日にお袋と加藤のおばさん、そして美鈴ちゃんの3人が俺の家へ来る事になった。とりあえずお試し期間ということで、3日間だけ4人で生活し、それで大丈夫ならお袋とおばさんは帰るという段取りだ。俺の家と言っても喫茶店の2階が住居で、店を含めて借りている借家だ。部屋はすべて畳敷きだが、3部屋あるので、ひとりくらいは居候しても問題はない。


美作から3人が車で来た。美鈴ちゃんは29歳になっているはずだ。まずお袋が到着したことを伝えにきて、俺は部屋で待機する。そこへ美鈴ちゃんを連れた加藤のおばさんが入ってきた。驚いた。当たり前のことだが、美鈴ちゃんは大人の女性になっていた。そして、とても綺麗になっていた。女優の福原遥に似た顔立ちで、細身だがスタイルは良く、大人の女の魅力があふれている。当時はお互い子供だったので、異性として意識したことがなかった。しかし、今、目の前にいる美鈴ちゃんは普通の男なら誰でも異性として意識する対象と言えた。こんな女性と二人で同居することになるかもしれないと思うと、俺は怖気づいてきた。

美鈴ちゃんは、部屋に入ってきたが、俺をチラチラと上目遣いに見る程度で、ちゃんと見ようとはしない。ずっと引きこもりだったこともあるだろうが、顔色も良くない。

俺は、とりあえず空いている部屋を自由に使ってと言って、1階の店に戻った。

喫茶店は近所の常連客がほとんどで、来店時間もほぼ決まっている。だから営業時間を午前中は8時から11時半、午後は2時から7時。そして日曜休みにしている。ただし、土曜日だけは午後7時から30分程度、エキストラタイムを設けている。軽食もアルコールもメニューにはなく、唯一、8時から9時までのモーニングセットでトーストを出すだけだ。他の喫茶店経営者から見ると、それでは利益が出ないだろうと思われて当然の殿様商売をしている。普通なら稼ぎ時の日曜日は営業して、利益率が良くて単価の高い軽食もメニューにのせる。アルコールも出せばもっと儲けがあがる。実際、俺の店は儲けがほとんどなく、喫茶店だけで食べていくのは難しい。副業で得るわずかな収入でやっと食べているといったところだ。


7時に店を閉め、2階に上がると、お袋たちがすき焼きの準備をして待っていた。

「待たなくても、先に食べておけばよかったのに」

と俺が言うと、

「美鈴ちゃんを慣れさせるには、一緒に食べなきゃ意味ないだろ」

とお袋が言った。

美鈴ちゃんは、おばさんやお袋とは会話するが、俺と会話することはない。それどころか、顔を見ようともしない。さっきから横でお袋が何か話せと目配せしてくるが、何を話せばいいのかわからない。


寝るのに、来客用の布団が一組しかないと言っておいたら、車で布団を二組持ってきていた。寝る前にお袋が俺の部屋にきた。

「どう?久しぶりに会った美鈴ちゃんは?」

「綺麗になったね。驚いたよ」

「さっき聞いたら、圭介のことは怖くはないと言ってたよ。まあ、何とか頼むよ」

「本当に二人で暮らすの?男と女なんだから、何か間違いがあったらどうするの?」

「そんときは、男性恐怖症を克服したということだから万々歳じゃない。あとは、あんたが責任とって結婚してやればいいだけのことだろ?そうなりゃあ、ヨッちゃんも私も大喜びだよ」

この親に何を言ってもダメだと思った。


二日目になると、美鈴ちゃんも少し慣れたようで、朝の「おはよう」から始まって、少しずつ会話をするようになった。夕方には試しに3人で少しだけ店に下りて、客席でコーヒーを飲んでもらった。それほど混んではいなかったが、それでも何人か男性客はいたが、コーヒーを飲み終わるまでは座っていられたようだ。


お試し期間最終日の3日目。幸か不幸か、俺は無事合格したようで、本採用となった。お昼を食べたら、お袋と加藤のおばさんは美作へ帰るという。おばさんの帰り支度を美鈴ちゃんが手伝っているとき、お袋が俺の部屋にきた。

「圭介、これがあんたのミッションだから、段階を追って実行しな」

そう言ってお袋が紙を渡してきた。

「ミッションって、なんだよ?」

俺はとりあえず書かれていることを読んだ。

1、目を見て会話できるようにする

2、一緒に街を歩けるようにする

3、一緒にいれば知らない男の人と会っても平気になるようにする

4、手を繋いでも怯えない

5、肩を抱いても怯えない

6、同じ部屋に寝ても怯えない

7、一緒の布団で寝れるようにする

「なんだよ!この4番以降は!まるで恋人になる手順じゃないか。7番に至っては、何考えてんだよ!」

「7番は、私とヨッちゃんの願望だね。まあ頑張って」

そう言ってお袋は荷物を持って1階へ下りていった。

それから、俺と美鈴ちゃんとの奇妙な同居生活が始まった。


美鈴ちゃんは、家事をまめにしてくれた。食事の支度、洗濯、掃除、俺が店にいる間にすべてやってくれた。さすがに下着まで洗濯させるのはと思ったが、弟ので慣れているからと気にせずやってくれた。ただ、外には一歩も出ようとしない。買い物はすべて俺がやった。店に下りてくることもなかった。コーヒー飲みに下りておいでと言っても営業時間中は頑なに下りてこなかった。

美鈴ちゃんが来てから初めての土曜日。毎週土曜日は営業時間終了の7時からエキストラタイムとして、俺が弾き語りをしている。3曲か4曲歌う。ミュージシャンを目指していた頃はバンドでエレキギターを弾いていたが、趣味で歌うようになってからはアコースティックギターに持ち替えた。最初は土曜日の営業終了後に一人で歌っていたのだが、たまたまそれを店の外で聞いていた常連客が中で聞かせてくれと言って入ってきたのがきっかけで、それから口コミで広がったのか、毎週観客が少しずつ増え、毎週土曜日の定番となってしまった。

演奏する曲は、客層が年配の人が多いので、自然と昔のフォークソングが中心となる。1曲1曲歌い終わるたびに、盛大な拍手をもらう。俺はプロのミュージシャンは諦めたが、この拍手をもらうために利益もあがらない喫茶店を続けているようなものだ。その日のラスト曲として選曲したのは、吉田拓郎の「流星」だった。この歌を歌うとき、いつも最後のワンフレーズが俺に突き刺さる。

♪僕の欲しかったものは、何ですか?♪

俺はこの言葉をいまだに自分に問いかけている。

歌い終わって、ふと見ると、一番隅の席に美鈴ちゃんがいた。観客のほとんどは男性なのだが、それでも自分から下りてきて聴いていたようだった。


「さっきの歌、何ていう曲なのですか?」

「吉田拓郎の流星という曲だよ」

「良い曲ですね。ふと、私の欲しかったものは何だったんだろうって考えちゃった。何でこんなことになったんだろうって」

「今からでも欲しいものを見つけて、それを掴みにいけばいいよ。あせることはないさ」

その日以来、美鈴ちゃんは毎週土曜日の弾き語りの時は、2階から下りてきて客席に座るようになった。そして、俺と話すとき、正面から目を見て話してくれるようになった。


1ヶ月くらい経過した頃に、美鈴ちゃんから買い物について行きたいと言ってくれた。車で近くのスーパーへ行った。本格的に外に出るのは引きこもって以来初めてとのことだった。美鈴ちゃんの場合、外に出るのが嫌なのではなく、男性に出会うのが嫌なので、朝早くとかにお母さんと一緒に家の近所を少し散歩することはあったらしい。スーパーに入り、買い物かごをカートに乗せ、食品売り場を見て歩く。平日の昼間は、基本的に食品売り場は女性客ばかりなので、安心して見て回ることができる。ところが、鮮魚コーナーへ差し掛かったとき、鮮魚担当のお兄さんが品だしをしている最中だった。それを見た美鈴ちゃんは立ち止まった。顔が真っ青になっている。俺はどうしようか迷った。引き返して、担当のお兄さんが奥に引っ込んだ頃に戻ってもいい。しかし、俺は思い切って進むことにした。俺は美鈴ちゃんの肩を抱いた。そして、ゆっくりと鮮魚コーナーへ近づいた。ちょうど陳列の前に来たとき、お兄さんは奥へ引っ込んだ。

「大丈夫?」

俺は美鈴ちゃんの顔を覗き込んで尋ねた。美鈴ちゃんは引きつった顔をしていたが、頷いた。俺は美鈴ちゃんの肩に置いた手に少し力を込め労わるように引き寄せた。

帰りの車の中で、俺は美鈴ちゃんに言った。

「買い物はまだ早かったね。もう少し色々試してからにしよう」

「いいえ、圭介ちゃんが一緒なら大丈夫です。体は怖がってたけど、圭介ちゃんが肩を抱いてくれて、気持ちはものすごく安心していました」


少しずつ、少しずつ俺は美鈴ちゃんに色々なことをチャレンジさせた。まずは、昼間に喫茶店の客席でコーヒーを飲むことを日課にした。最初は、おとなしいお客さんが来る時間帯にした。その時間帯に来るお客さんは、黙ってコーヒーを飲んで帰るか、パソコンをひたすら操作する人や本を読んで時間を潰すだけのお客さんだった。とにかく、知らない男性がいる同じ空間に居ることに慣れてもらおうと考えた。それに慣れたら、常連さんの中でも、必ず俺に話しかけてくるお客さんがいる時間帯にした。うちに来るお客さんは自分から他のお客さんに話しかけたりする人はいなかったので、そのへんは安心だった。


3ヶ月もすると、美鈴ちゃんはかなり慣れてきたようだ。休みの日曜日には必ず二人でどこかへ出かけ、人通りのある場所を歩くようにしてみた。歩くときは手を繋いであげた。前から男性が歩いてきたとき、最初はスーパーの鮮魚担当の男性の時のように立ち止まったり、顔が青ざめたりしたが、俺が肩を抱いてあげると安心して男性とすれ違えるようになった。

半年くらい経過した頃には、一緒にスーパーへ行っても別行動ができるようになった。PTSD(トラウマ)に関して、俺は特に勉強したわけではないが、克服するのには個人差があるだろう。美鈴ちゃんの場合、どちらかと言えば、せっかく働いた場所で、自分の居場所がなくなった、私の欲しかったものは、こんな場所ではなかったという絶望感が強かったのではないかと思う。それが男性社員のパワハラ、セクハラとリンクして男性恐怖症となったのではないかと、素人考えをした。


普段は、夜10時になるとそれぞれの部屋に分かれ寝ることにしている。それ以降の時間にお互い相手の部屋へ足を踏み入れることはなかった。その日は10時半頃になって美鈴ちゃんが俺の部屋の前で俺の名前を呼んだ。俺はヘッドフォンをして作業をしていたので、最初は気づかなかったが、音楽の途切れ目で美鈴ちゃんの声がしたのでヘッドフォンを外して襖を開けた。

「すみません。爪切りを貸してもらえませんか?」

「爪切りですか?ありますよ」

そう言って俺は引き出しを漁って爪切りを渡した。

「何をやってるんですか?」

美鈴ちゃんは俺のパソコンを見てそう聞いた。

「ああ、これのこと?アルバイトなんだ」

「アルバイト?」

「今やっている作業は、採譜と言って、譜面が書けないミュージシャンに代わって、録音を聞きながら楽譜を起す作業。他にもセミプロやアマチュアのミュージシャンのアレンジなんかもやってるんだ。アレンジといっても、イントロや間奏、エンディングのギターのメロディーを作るだけだけどね」

「それでお金になるの?」

「プロのアレンジャーに比べたら微々たるものだけど、それでも生活の足しになってるよ」

「ちょっと見てもいいですか?」

「いいよ」

美鈴ちゃんは部屋の中に入ってパソコンを覗き込んだ。

「楽譜って、紙に書くんじゃないの?」

「今はパソコンで楽譜を作ることが多いね。その方が綺麗だし、見やすいからね。完成したらメールで送付して終わりです」

美鈴ちゃんは、ふと机の横に置かれている台の上の紙を見た。

「これは?」

「あ!それは・・・」

それはお袋が置いていったミッションが書かれた紙だった。

「それはお袋が置いていったやつ」

美鈴ちゃんは、それをじっくり読んでいた。

「今日、この部屋で寝ていいですか?」

それはお袋が書いたミッションの6番目だ。

「え、でも・・・」

美鈴ちゃんは俺の返事を待たず、自分の部屋へ戻り、布団を持ってきた。そして空いているスペースに自分の布団を敷いた。俺はベッドで寝ているので、隣り合わせということではないが、同じ部屋で一緒に寝ると思うとドキドキする。

「俺、イビキがうるさいかもしれないよ」

「父のイビキで慣れているから、大丈夫です。圭介ちゃんは気にせずお仕事を続けて下さい」

美鈴ちゃんはそう言って、布団にもぐった。それからの仕事はほとんど進まなかった。


美鈴ちゃんが俺の部屋で寝るようになって1ヶ月ほど経過したが、俺は一切、手を出さなかった。男性恐怖症はかなり良くなったとは思うが、そのような行為は別物だと思うので、恐怖症がぶり返してはいけないという意識が働いた。しかし、それよりもっと大きな理由は、お袋が言っていた“責任”がとれないことだ。俺の今の収入ではとても家族を持てる余裕がない。今は加藤のおばさんから美鈴ちゃんの生活費を送金してもらっているので、何とかなっているが、仮に結婚となったら仕送りをもらうわけにはいかない。そうなると、とても養っていけないのが実情だ。責任をとって結婚するなんて、とうてい無理な話だ。だから、俺は自分の欲望を無理やり押さえつけていた。


美鈴ちゃんが来てから8ヶ月が経過した。男性恐怖症はかなり良くなった。今では店を手伝って、男性のお客さんにコーヒーを運んでくれている。車を運転して一人で買い物にも行けるようにもなった。表情も明るくなって、ますます綺麗になった。もう俺の役目は終わったのではないかと思った。これ以上、一緒にいたら俺は・・・。


その夜、俺は美鈴ちゃんと話をすることにした。

「もう男性は怖くなくなった?」

「ええ。まだ不安はあるけど、圭介ちゃんのおかげで、日常生活は大丈夫だと思う。もう少ししたら働きに出ようかとも思っています」

「無理をせず、女性だけの職場とか、人に会うことがない仕事とか、探せば色々あると思から、じっくり就職活動すればいいと思うよ」

「ありがとう。そうします」

「それで、俺が見ても美鈴ちゃんは、もう大丈夫だと思から、そろそろ美作に帰るかい?」

一瞬、美鈴ちゃんは驚いた顔をした。そして聞いた。

「帰った方がいいですか?」

「お母さんも心配しているだろうし、いつまでもここにいても仕方ないと思うから、帰った方がいいと、俺は思うよ」

美鈴ちゃんはしばらく下を向いて黙っていた。それから、下を向いたまま小さな声で言った。

「わかりました。明日美作へ帰ります」

その日は、俺の部屋へ布団は持ってこず、自分の部屋で寝たようだ。

翌日、午前中の営業中に美鈴ちゃんは荷物を持って下りてきて、コーヒーを淹れている最中の俺に

「長い間、お世話になりました」

と言って出て行った。俺は追いかけて

「駅まで車で送るよ」

と言ったが、

「大丈夫です。バスで駅まで行きます。これもリハビリになるので」

と言って歩き出した。俺はその背中を見送るしかなかった。


美鈴ちゃんがいなくなって、俺の心の中に、ぽっかり穴があいたようだった。でも、これで良かったんだ。元の生活に戻っただけなんだと、自分に言い聞かせていた。

3日後の夜にお袋から電話があった。美鈴ちゃんのことでお礼の電話かなと思って出てみると、その第一声が

「あんた!何考えてんの!」

「えー?何が?」

「何がじゃないよ!何で美鈴ちゃんを帰したのよ!」

「だって、もう大丈夫だろうと思ったから」

「全然大丈夫じゃないよ。美鈴ちゃん、帰ってから部屋に引きこもったまま、出てこないらしいじゃない」

「何で?あれだけ明るくなったてたのに」

「あんたが追い出したからでしょ!」

「追い出したつもりはないんだけど・・・」

「それで、ミッションはどこまで実行したの?」

「一応、6番までは」

「7番は?」

「さすがに、それは出来ないよ」

「何で?」

「俺、責任はとれないもん」

「圭介は美鈴ちゃんのこと好きじゃないんだ」

「いや、好きとか嫌いではなくて、俺の収入では養っていけないってこと」

「好きなのは好きなんか?」

「まあ、可愛いし、良い娘だと思ってるよ」

「煮えきらん奴じゃなあ!好きなんかと聞いとるんじゃ!」

「・・・好きです」

「だったら先のことなんか考えず、男なら行ったらんかい!」

「いやいや、そうは言っても」

「お前もちゃんと立派なモンつけとるんじゃろ?母ちゃんがあんたを産んだときは、ちゃんとついとったぞ!どこかでちょん切ってきたんか?」

何ちゅうことを言うんだ、この親は。

「ちゃんと今もついてますけどね」

「明日、美鈴ちゃんを迎えに帰ってこい!」

「明日?店があるから無理だよ」

「店なんか、表に臨時休業の貼り紙するだけだろ。何なら母ちゃんが書いてFAXしたろうか?とにかく帰ってこい!」

そう言って電話は切れた。しばらくして、本当に『本日臨時休業』と大きく書かれたFAXが送られてきた。


美作へ帰って、加藤さんの家へ行った。美鈴ちゃんはこっちに帰ってから、トイレとシャワー以外、部屋から出てこないらしい。食事も半分ほどしか食べてないそうだ。俺は美鈴ちゃんの部屋のドアをノックした。

「俺だけど、圭介だけど。中に入れてくれないかな?」

しばらくして、ドアが開いた。美鈴ちゃんはやつれた顔をしていた。それを見て、俺は涙がでそうだった。

「引きこもっていると聞いたけど、どうしたの?」

美鈴ちゃんは恨めしそうに俺を見た。

「私、自分の欲しかったものを思い出したの」

「欲しかったものって何?」

「私、子供の頃、圭介ちゃんのお嫁さんになりたいと思ってた。でもそんなこと忘れてた。子供の頃の想いなんて、憧れみたいなものだから。でも、この数ヶ月、一緒に暮らしてみて、すごく幸せを感じてた。ずっと圭介ちゃんと一緒にいたい。これが私の欲しかったものなんだって思った。でも圭介ちゃんは、もう帰った方がいいって言うし、やっぱり私の欲しかったものは手が届かないんだって思ったら、何もするきになれなくて」

俺は目頭が熱くなってどうしようもなかった。

「美鈴ちゃん、一緒に帰ろう。俺の家に」

俺を見る美鈴ちゃんの目から涙がこぼれた。


「大丈夫?怖くない?」

一緒に車に乗って岡山に帰り、その夜、俺たちはベッドの上で同じ布団に横たわっていた。美鈴ちゃんが「怖くない」というように頷くのを確認して、ゆっくり唇を重ねた。

「怖かったらいつでも言ってね」

美鈴ちゃんは首を振った。

「私が怖がっても最後までして」

俺は、できるだけ優しく、そしてゆっくりと美鈴ちゃんの反応を見ながら進めた。緊張をほぐすために会話もした。

「お店のメニューに、ランチの軽食と、夜だけアルコールも出そうと思ってる。手伝ってくれる?」

美鈴ちゃんが俺の目を見て頷く。

「営業時間も少し延ばして、休みも日曜日ではなくて、月曜日に変更しようと思ってる。日曜日にどこかへ出かけられなくなるけど、いい?」

美鈴ちゃんは、俺の手の動きに反応して、切ない顔をしながら目をつむって頷く。

そして、長い時間をかけて俺たちはやっとひとつになった。美鈴ちゃんに対する愛おしさがこみ上げて、この上ない幸せを感じた。その瞬間、俺の頭の中に「流星」のサビがリフレインした。

俺は、“僕のほしかったもの”を、やっとみつけたようだ。

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