24話 『正しいレスバとは何か』
「な――なんだと!?」
「さっきあなたが亜久里にしたことと同じことです。それをこの場の全員に見ていただく」
「よ、よせ! やめろ!」
顔を真っ赤にして美弥子が叫ぶ。
美弥子の脳内時間が加速し、まるで走馬灯のように今まで自分の配信に流れてきたコメントが次々と脳裏をよぎる。
プリンセス・ミャーはゴリゴリの萌え系VTuberとしてのキャラ設定を徹底してきた。今パッと思い出せるだけでも、結構キツいコメントは散見されていた覚えがある。
美弥子が今まで常に放っていたナイフのような鋭い眼光はもはや完全に消え失せ、滲んだ瞳の奥から今にも涙がこぼれ落ちそうな顔をしていた。
「――まずはこちらです」
「やめてえっ!」
半狂乱で叫ぶ美弥子の懇願も虚しく、
一同の視線が一斉にスクリーンに向けられる。だが美弥子は反射的に目を背けた。
そこにどんな下卑たコメント群が並べられているのか、恐ろしくて、恥ずかしくて、とてもじゃないが直視できなかった。
「…………」
美弥子が顔を背け、ぎゅっと目を瞑り……そのまま長い時間が経過した。
誰も何も喋らない。不気味なほどの静寂に耐えかねて美弥子が恐る恐る目を開くと、一同は変わらずスクリーンを見つめていた。
だがその表情はどこか真剣で、亜久里の醜聞を晒したときのものとは様子が違った。
「……?」
胡乱気に美弥子がスクリーンを確認すると、そこには予想外のコメントが表示されていた。
『今日、ミャー姫に言われた通り学校に行ってきました。最初は凄く怖かったけど、皆優しくしてくれました。皆と話ができて楽しかったです。学校に行ってよかった。ミャー姫ありがとう』
「このコメントは、中学校でいじめにあって不登校になった少年のものです。彼は半年以上も部屋に引き籠っていたところをプリンセス・ミャーに出会い、配信中に彼女に相談を投げかけました」
丞がゆっくりと補足を語る。
それを聞きながらも、誰しもがスクリーンのコメントから目が離せずにいた。
「プリンセス・ミャーは何時間も彼の悩みを聞き、彼を励まし、学校に行くよう説得を続けました。その関係は二カ月にも及んでいます。このコメントは、プリンセス・ミャーの説得に応じた少年が意を決して自分の部屋から抜け出すことに成功した、その日のものです」
「……」
てっきり美弥子が亜久里にしたように、下品なコメントを並べ立てて美弥子を辱めることが目的だと思っていた面々は、丞が紹介したコメントの意外さに驚いていた。
丞がキーボードを操作すると、次のコメントが表示された。
『ミャー姫、今日、ついに会社を辞めてきました。先の事は少し心配だけど、今は凄く晴れ晴れとした気持ちです。終わってみれば、自分はどうしてこんなことで悩んでいたんだろうとバカバカしくなりました。ありがとうミャー姫。これからもずっとあなたのことを推します!』
「こちらはブラック企業に勤めていた三十代の男性。仕事のストレスと上司のパワハラから鬱になり、自殺を考えるほど追い詰められていたところにプリンセス・ミャーと出会います。やはりプリンセス・ミャーは彼にも真摯に接していた様子が残されています。
男性は、『プリンセス・ミャーの配信を見ることだけが生きがいだ。あなたの配信を見るために死ぬのをやめる』と言い、自殺を思いとどまり、無事に退職するに至りました。――音姫先輩、覚えていますよね?」
「……」
当然覚えている。さっきの少年も、この男性も、美弥子の配信の常連。
――大切な思い出を共有している者達だ。
『ミャー姫、いつも配信ありがとう。ミャー姫の配信を見た日はいつもぐっすり眠れるので、本当に助かります。最近では寝るとき以外にも、よくミャー姫のASMRのアーカイブを聞いて過ごしてます! 大好きですミャー姫!』
「こちらは長年不眠症に悩んでいた女性です。プリンセス・ミャーの声を聴くと安眠できるらしく、プリンセス・ミャーは彼女が来た配信ではいつもより配信枠を長尺にし、彼女が眠ったのを確認してから配信を終えています。あるときは次の日も学校があるというのに、深夜三時まで彼女のために配信を続けていたこともあります」
「……」
よく覚えている。気絶しそうな眠気の中、頭に冷えピタを張って何とか起き続けたのだ。
平日のド深夜……視聴者は十人未満だった。それでもプリンセス・ミャーは女性が眠るまで必死に雑談を盛り上げ続けた。
どうにか二時間ほど仮眠を取ったらすぐに学校に行き、居眠りもせず真面目に授業を受け、校内を見回り、遅くまで生徒会の仕事をこなし、フラフラになって帰ってきた。
それでも……アーカイブにその女性から感謝のメッセージが残されているのを見たとき、全てが報われた気持ちになれた。
今日また同じことをやれと言われても、きっと自分はできると思えた。
「音姫先輩、さっき仰いましたね? 配信者と視聴者のコミュニケーションなんて一方通行。深く関わることも、長い対話の末に彼らを変えることも、影響を及ぼすこともできない、と。MeTuberなんて所詮金や数字のことしか考えていない連中だと」
「…………」
丞はそこで言葉を区切り、まっすぐに美弥子を見据えた。
「……どこがだよ。――心にもねえこと言ってんじゃねえ!!!」
力の限り右手を振り下ろし、掌で机を強打しながら吠えた。
バンッ! という激しい音と丞の怒号。それが多目的室の空気を震わせる。
今まで見たこともない丞の激高した姿に、亜久里ですら軽く飛びのいて怯えるほどだった。
だがそれくらい、丞は美弥子のことが許せなかった。
「あんたは知ってたはずだ! 配信者と視聴者はそんな空虚な、浅い関係だけじゃないって。誰よりも視聴者との繋がりを大切にしてたあんたが……なんでそれを否定できるんだよ!」
「……」
「違うって知ってて……間違ってるって分かってて……それでも亜久里を蹴落とすために自分のしてきたことに嘘を吐くのかよ。相手を論破できれば……レスバにさえ勝てれば自分の大切なものまで汚していいってのかよ!?」
美弥子は答えない。ただ、今までで一番辛そうな、何かに耐えるような表情を見せた。
「自分の意見を主張するのはいい。相手の主張を否定するのもいい。相手が好きだから論破するのも、嫌いだから論破するのも勝手にすればいい。日々の憂さ晴らしのためだけに、正義を振りかざして誰かを叩く……そんな奴らも大勢いるだろう」
「……」
「でもな。自分が大切にしてきたこと……自分を大切に思ってくれた人達のことまで否定して、バカにして、それでも誰かを不幸にするためだけに攻撃するような、そんな真似は絶対許さねえ!」
それが丞の怒り。どうしても許せない、音姫美弥子の歪みだった。
いつか節子が語った通りだった。美弥子は自分の意見を主張するのではなく、ただ相手の逆張りをする。
相手の意見を崩すためなら、自分が白だと思っていることもあっさり黒にしてしまえる。
……たとえそれが、自分にとって大切なものであっても。
――論破さえできればいい。
それが音姫美弥子という少女のレスバスタイルなのだ。
「……あんたのレスバは間違ってる。相手も自分も、関わった人みんな傷つくだけのレスバなんて、俺が絶対に論破してやる!」
丞がそう言い切ると、多目的室に数秒間の沈黙が流れる。
丞の剣幕に誰もが気圧され、思わず息を呑んだ。
誰も言葉を発せられないまま数秒が流れ、やがて……
「――はは」
聞こえてきたのは、乾いた笑い。
美弥子はまるで幽鬼のように脱力し、無気力に笑っていた。
美弥子は手をそっと後頭部に添えると、アップに結んでいた髪をほどいた。続いて眼鏡を外すと、くすんだ瞳が疲れた笑みの形に歪んでいた。
セミロングに下ろされた髪を、両手で握ってツインテールの形にして見せる。
それはさながら、スクリーンの中にいるプリンセス・ミャーの姿に似ていた。
「――どうだ、可愛いだろ」
おどけたような声で美弥子が言う。その作り笑いは自虐的な気配を感じさせた。
「VTuberなんかしなくても、私は普通に顔を晒せば人気が出るくらい可愛い顔をしてるんだ。親が化粧や髪型の自由を認めてくれればな」
何かを諦めたように覇気のない声でそう語る美弥子。
確かに普段の厳格なイメージはもはや消え去り、髪を下ろして眼鏡を外した美弥子の容姿は美少女と言って差し支えなかった。
「ゲーム配信もしたい。私は子供向けのホラー映画で悲鳴をあげるくらい怖がりだ。そんな私がホラーゲームを実況すれば絶対面白い配信になる。それが切り抜かれてバズッたりするかもしれない。……でも家にはゲーム機なんてない。親が許してくれない」
ゆっくりと氷が溶け、その雫が少しずつ滴るように、ぽつぽつと美弥子が今までひた隠しにしてきた心の内を明かしていく。
「配信は両親に内緒でやってるから、できる時間だって変な時間帯に不定期ばかり。そのせいで人が集まらないから人気が出ないんだ。親に居留守を装って、クローゼットの中でこっそり配信したこともあった。真夏にだぞ。脱水症状で死にかけた」
はは、と冗談めかして笑う美弥子だが、彼女以外の誰もピクリとも笑っていない。
ただ美弥子の、悲鳴のような独白を静かに聞いていた。
「学校であった面白いエピソードトークがしたい。でも身バレが怖くてできなかった。普段の私とのギャップを悟られたくなかった。我慢できずにちょっと話をしたら……見ろ、案の定お前に特定された。馬鹿みたいだ」
「……あんた」
ぽつりと亜久里が声を漏らす。
これまで激しくレスバをしていた間柄とは思えない、どこか憐れむような声音だった。
「……お前はいいよな乾。いつでも好きな時に好きな配信をして、その男受けする顔面とデカい胸を見せびらかしてればいくらでも登録者なんて増えるだろ」
「……」
「バカップルな彼氏とのくだらない惚気話を延々垂れ流して、せっかく来てくれた視聴者を気に入らないからって躊躇なくブロック。そんなやり方で……もうすぐ登録者三万人だって? 畜生……ふざけんなよ、畜生……!」
「……じゃあ、あんたが亜久里にキツく当たってたのは、やっぱり……」
瑠美の問いかけに、美弥子は諦めて自供するように鼻を鳴らした。
「乾だけじゃない。他の違反者の生徒も……私が普段不自由な思いをしているのに、あいつらだけ好き勝手やって口頭の注意だけで済まされるなんて不公平じゃないか。だから私が厳罰を下してやったんだ」
それが音姫美弥子という人物の根底にある思想。
そこにはある種、現代社会の縮図とも言える闇が内包されていた。
――誰かが何か悪いことをしたとき、関係のないはずの者達が、何故そこまでと思うほど過剰に攻撃したりする。
秩序のため。社会のため。被害者のため。
……正義の名の下に、無抵抗の相手に罰という名の言葉の暴力が浴びせかけられる。
やがて違反者がボロボロに打ち捨てられると、何事もなかったかのように彼らは次の攻撃対象を探しにいく。
彼らは厳格な秩序の番人なのだろうか。正義の執行者なのだろうか。
……その答えの一端を、いま音姫美弥子という少女が体現していた。
この場の者全員が、溶けた氷の奥から彼女の真の姿を目撃した。
美弥子は過剰に規律を重んじる鬼の生徒会長などではなく、もっと個人的な感情で動いてきた。悪意のある言い方をすれば、ただの俗物。
好意的な言い方をすれば、オシャレや流行に興味のある――ごく普通の女子高生だった。
厳しい親の元、その期待に応えるため自分を律してきた生真面目な少女は、自分だけが多くの事を我慢する傍らで好き放題に青春を謳歌する学友達に、日々堪え難い嫉妬を感じていた。
その妬心が美弥子の性格を歪め、違反者に過剰な罰を課すことで溜飲を下げる快感を覚えさせてしまった。
だがどれだけ他者を攻撃しても自分の環境が変わるわけじゃない。
むしろ違反者とレスバを繰り返す度に、美弥子自身の本音を棚上げして語る卑劣さと醜さに自己嫌悪する日々。
そんな彼女が出会ったのがVTuberという文化。
自分ではない自分になれる世界の存在に、美弥子は強烈な憧れを抱いた。
配信活動は楽しかった。こここそが本当の自分になれる唯一の場所だと感じた。
だがそこでも美弥子を待ち受けていたのは、やはり嫉妬の念だった。
不自由な条件での配信活動にチャンネルが伸び悩む中、同じ学校の後輩があっさりと美弥子を追い抜かして今もチャンネルを伸ばし続けていると知った時に、美弥子の中にまたしても嫉妬の炎が燃え狂った。
それが、音姫美弥子と乾亜久里の因縁の始まりだった。
「――言っとくけどね」
亜久里が静かに、しかし明確に怒りを込めた声で美弥子に言葉を投げる。
「うちだって全然チャンネル伸びない時期あったし、愚痴配信ばっかしてチャンネルが荒れてた時期もあったから。この活動だって、親とか知り合いにも何度も否定された。何度もバカにされた。――でもうちは絶対諦めなかった。あんたと違って」
「……性格の問題だ。誰もがお前みたいに図太い神経を持ってるわけじゃ、」
「違うッ!」
亜久里の怒鳴り声に、美弥子が亜久里の顔を見つめる。
亜久里は目に涙を浮かべ、懸命に美弥子に何かを伝えようとしていた。
「うちがここまで続けてこれたのは、正面から認めてくれた人がいたから! 『君は間違ってない』って。『君の努力は否定されるべきじゃない』って……何もかもうちと正反対の人が、それでもうちのこと認めてくれたの!」
「……」
美弥子にもそういう人達がいてくれたはずだった。
プリンセス・ミャーと深く関わり、その存在を認めてくれる人達がいたはずだった。
それを否定してまで亜久里を攻撃するのか……丞のその言葉が、今になって何倍もの重圧で美弥子の肩に伸し掛かった。
「他人がなんて言おうが関係ないじゃん! 自分の気持ちに正直になればいい。できない理由ばっか探してないで、あんたもやりたいことやればいいじゃん!」
「……でも」
「親が許してくれないって? うちなんかもっと許してくれなかったし! でも何カ月もレスバしまくってやっと認めてくれたんだよ? あんたは初めから諦めて挑戦もしなかっただけじゃん!」
「……」
「一回でも親に言った? 本気で頭下げた? ガチでこれやりたいんだって、何度も説得した!? 何もしてないくせに、他人のことばっか妬んでもなんも変わんないじゃん! 他の人と自分を比べても意味ないし! うちはうち! 自分の持ってるもんで勝負するしかないの!」
「……私の、持ってるもの……」
「だからうちはうちの意見を絶対曲げない! うちの気持ち! うちの信念! うちが好きなもの。うちが大切にしてるもの。それがうちにとって何より大事! それを認めてくれる人を大切にしたい!」
それはまさしく乾亜久里という少女の、生き様の根幹。
自己肯定。自己愛。それはすなわち、自分を肯定してくれる賛同者も愛するということ。
他人がなんと言おうと関係ない。データもソースも意味を成さない。
それは所詮、無数の他人の集合体。亜久里にとって重要なのは自分の気持ち。自分の想いが、願いが、正しいと証明すること。
それこそが感情論に極振りの、亜久里のレスバスタイルなのだ。
「……なら君の恋人はどうなる。普段君のことを否定し続ける敵じゃないのか」
「……ほんとは嫌だよ、うちとこんなに正反対な価値観の彼氏なんて」
言いながら、亜久里はそっと丞の方を向いた。
好みも趣味も価値観も、何もかも正反対。ことあるごとにくだらないことでレスバを繰り返す、困った恋人。
――でも、根っこの部分では通じ合っている。互いを認め合い、愛し合っている。
困ったときはいつも助けてくれる。今日も丞が隣にいてくれるだけで、どれほど心強かったか。
「でも仕方ないじゃんガチ恋しちゃってんだから。だからうちは丞に、自分の好きなことをこれからも伝え続ける。それでいつか絶対に、丞を論破してみせるの」
自分の賛同者を愛する。ゆえに、亜久里は丞に賛同してほしいのだ。
丞が好きだから、丞をもっと好きになるために論破したい。
それが亜久里の答えだった。
「――音姫美弥子さん」
ここまで成り行きを見守っていた教師陣から、校長が厳かに声を発した。
「あなたの事情はどうあれ、私はあなたの主張そのものが間違っていたとは思いません。しかし、もしあなたの真意がもはやここにないというのであれば、これ以上会議を続けることに意味を見出せない。……いや、いたずらにあなた自身を傷つけるだけに思えます。どうですか?」
諭すような校長の声。
今回の件で最終的なジャッジを下すのは彼らだ。その彼らがレスバの終わりを促したことそのものが、勝負の行方を示していた。
「……」
黙し、両手を握り、肩を震わせ……やがて美弥子の瞳から弱弱しく涙がこぼれ落ちた。
様々な感情にぐちゃぐちゃになった心。
真っ赤に紅潮した顔を涙が伝い、嗚咽交じりの声が多目的室に響いた。
「――私が……間違っていました。……すみませんでした」
レスバにおいて何よりも難しいこと。
それは相手を論破することではない。
――自分の間違いを認め、謝罪すること。
誰もがこれをできないために、人はいつまでも余計に傷つけ合うことになる。
それを成し遂げた美弥子を、もう誰も追い詰めようとはしなかった。
鳴り響くチャイムの音。強まりだした昼休みの喧噪が、レスバの決着を告げていた。
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