23話 『このVTuberの正体は誰か』
シン、と多目的室が静まり返る。
教師も、亜久里や瑠美も、
「……何が言いたい?」
ただ一人……音姫美弥子だけが、声に僅かに動揺の色を滲ませていた。
「そのままの意味です。いま音姫先輩が仰った条件だと、VTuber活動もそれに該当するなと思っただけです」
「……別に、どうでもいい。いちいち個別のジャンルごとに判断する気はない」
「そうですか。分かりました」
「――あの、えっと、袖上君。ちょっといいかな?」
成り行きを見守っていた担任が、おずおずと丞に声をかける。
「その、VTuber……? っていうのは、何なのかな? 何かこの会議に関係があるんですか?」
「あります」
ハッキリとした声でそう断言する丞。
「VTuberは、ヴァーチャルMeTuberの略です。自分の代わりにヴァーチャルアバターを通じて視聴者とコミュニケーションを取る、近年で一気に知名度を獲得した新ジャンルのMeTuberです」
という丞の説明を受けても教師達は全くピンと来ていないようで、隣にいる教師に声を掛け合い、「ご存じですか?」「いえ、この手の話はまったく……」などという話し声が聞こえてきた。
「言葉で説明しても分かりづらいと思いますので、サンプルとして皆さんに見ていただきたいVTubeがいます。――音姫先輩、そのケーブルをお借りしてもよろしいですか?」
「……袖上、何をするつもりだ?」
警戒心を露わにする美弥子の傍まで歩み寄ると、スマホに接続されていたケーブルを抜き取った。
その際に垣間見た丞の視線が、何故かぞくりと美弥子に悪寒を覚えさせた。
「今回皆さんに見ていただきたいVTuberはこちらです」
そう言って丞がプロジェクターのケーブルを、持参したノートパソコンに差し込む。
そうしてスクリーンに映し出されたのは、とあるMeTubeチャンネル――
「――『プリンセス・ミャー』です」
ガタンッ! と激しい音を立てて、美弥子が座っていた椅子が吹っ飛んで転倒する。
美弥子は勢いよく椅子から立ち上がり、わなわなと唇を震わせながらスクリーンを凝視していた。
「――な――な――な――き、きさ、ま……!」
美弥子が産まれてから一度も見せたことがないほどの狼狽。
何事かと部屋にいる者達は周囲の者と顔を見合わせて探りを入れるが、誰も事情を把握できずにいた。
――ただ一人。袖上丞を除いて。
「……どうかしましたか、音姫先輩」
「な、なんのつもりだ、貴様……ど、どうして……」
美弥子の言葉を無視して、丞は『プリンセス・ミャー』のチャンネルにある、紹介動画を再生した。
『――こんばんニャー。皆、初めましてだニャー。私はプリンセスランドのお姫様、プリンセス・ミャーだニャー。このチャンネルでは主にライブ配信をしていく予定だから、皆も遊びに来てね! ミャーと楽しい時間を、いーっぱい過ごしてほしいニャ!』
――シーン、と多目的室にかつてない静寂が訪れる。
画面の中で、金髪ツインテールのロリ巨乳美少女が笑顔で自己紹介をしている映像を、年配の大人達が真剣に観覧している様は奇妙としか言いようがなかった。
丞が動画を停止して、教師達に向き直った。
「このように、架空のアバターを用いて配信を行うMeTuberがVTuberです。実際にはプリンセス・ミャーにも生身の、所謂『中の人』がいるわけです」
「……それは何となくわかったけど、えっとそれで……このVTuberっていうのがこの会議に何の関係があるのかな?」
「それは、」
「――関係ありません」
丞の言葉を遮って美弥子がピシャリと言い放つ。
見ると美弥子の額には脂汗が滲んでおり、あれほど鋭かった眼光は挙動不審に揺れていた。
「この会議は――先生方の貴重なお時間を割いて開かれている。関係のない話で無駄にする時間はない……!」
「いや、ですから関係ありますって」
「今は乾亜久里のチャンネルの話だ! こんな――関係ないVTuberなどどうでもいいだろう!」
「……だから関係ありま――」
「そもそも! が、学校にスマートフォンを持ってくるな! 学校には学業に関係のないものを持ってこないなんて常識だろう! しかも今は四時間目の授業中だ。授業中にMeTubeを見るなど言語道断! 非常識極まりない! スマホもPCも没収だ! 先生!」
「……いや、でも……」
担任の視線が、美弥子の長机の上に置かれているスマホに向けられる。
彼女自身、先程まで自分のスマホに入っていた画像をプロジェクターで映していたばかりだ。
その視線に気づいた美弥子が、「ぐっ……」と唸り声を漏らす。
「――こ、これも没収だ! 私のスマホも! だからあいつのスマホとPCも没収すべきだ!」
支離滅裂な理屈。
突如豹変した美弥子の姿に、丞以外の者達は訳が分からず面食らうしかなかった。
「ま、まあ落ち着いて音姫さん。……そ、袖上君? この話はちゃんと今回の会議に関係あるんだろ?」
「もちろんです。そんなに仰るならスマホもPCも没収してもらって結構ですよ。ただし、この会議の後でです。あなたは既にご自分のスマホを使って意見を言った。なのにこちらにだけ許さないなんて、――フェアじゃない、ですよね音姫先輩?」
「そ、そうだそうだー」
亜久里が援護射撃を行う。
状況は全く把握できていなかったが、とりあえず丞の意見に賛同しておいた。
教師まで味方につけられては成す術なく、美弥子は歯噛みしながら丞を睨みつけた。
「本当はもっとちゃんと流れを作りたかったですが……そんなに急かすならいいでしょう」
そうして丞は、このレスバの勝敗を決定づける、最後の切り札を放った。
「音姫先輩。このプリンセス・ミャーの正体――あなたですね?」
「はあ!?」
亜久里が素っ頓狂な声をあげる。
いや、亜久里だけではない。瑠美も担任も教師陣も、皆一様に丞の言葉の意味が分からず目を丸くして呆然としていた。
「……な、なに、を……」
唯一、音姫美弥子だけは顔面蒼白になり、指先をプルプルと震わせていた。
「ば、馬鹿馬鹿しい……何を根拠に……ふざけたことを言うな!」
他の者達も同じ気持ちなのか、しきりに美弥子の姿と、スクリーンに表示されているプリンセス・ミャーの姿を見比べる。
声も口調も、もちろん姿形も。何もかも美弥子とは似ても似つかない、かけ離れたものにしか見えない。
学校中の者から恐れられる鬼の生徒会長と、プリンセスランドのお姫様が全く結びつかずに混乱するしかない状況だった。
「根拠ならあります。この動画です」
だが丞はあくまで堂々とした態度を崩さない。
パソコンを操作し、目当ての動画をクリックして再生する。プリンセス・ミャーの雑談配信アーカイブの一つだった。
「この動画を見つけたのは偶然です。ただ、この配信の中でプリンセス・ミャーが気がかりなことを言っていたんです。――ここです」
丞が目当ての場所でシークバーを止めると、プリンセス・ミャーの音声が流れた。
『――あ、そうだ! 皆に聞きたいことがあるんだけど、いいかニャ? 実はね――ミャー、今ずっと探してるお守りがあるんだニャー。でも全然見つからなくて……誰か知ってる人いたら教えてほしいニャー』
「お守り……?」
亜久里が首を傾げる。
他の者達も話の流れが読めずにただ見守るしかない。
『どんなお守りかっていうと、生地の色は白で、形は四角なんだけど、上の方に猫の耳が付いてあって、金色の刺繍で猫の顔が縫われてるんだニャー。ミャーみたいでとっても可愛いのニャ! それでピンクの花模様があって、青い紐で結ばれてるんだニャー。学校の知り合いがつけてて、すっごく可愛かったんだニャー。ミャーも欲しいけど見つからないんだニャー……』
「え……?」
亜久里が驚愕の表情を浮かべ、思わず美弥子を凝視し、続いて丞の方を確認する。
丞は亜久里と目を合わせて一度頷くと、ズボンのポケットを探り、
「――音姫先輩、あなたが探しているのはこれですか?」
手には、今まさにプリンセス・ミャーが話した特徴と完全に一致するお守りが握られていた。
「あ、そ、それ……」
まさか丞が持っているとは思っていなかったのか、美弥子は意外そうな表情を浮かべた。
「これですよね、音姫先輩」
「……し、知るか。探してるのはそのナントカミャーって奴だろ。私はそんなお守り、見たこともない」
「いいや、あなたは間違いなくこのお守りを見たことがある。その証拠があります」
そう断言する丞は、パソコンを操作して別の動画を開いた。
『――ちょっともぉ~、丞にまでそんな見られると照れるっつーの!』
次に聞こえてきたのは亜久里の声だった。
スクリーンを確認すると、学校の廊下で丞と亜久里、そして美弥子が何やら話し合っている様子が映し出されていた。
この映像は、その様子を校舎の柱の影から隠し撮りしたもののようだった。
『――動くな、チェックできない』
『――は? 知らないし。てかいつまでジロジロ見てんの? シッシッ』
「あ、これもしかして、せっちゃんの……?」
亜久里の言う通り、これはまさしく貝田節子が、面白いレスバになるのではと盗撮したものだった。
以前丞が風紀委員の仕事として生徒達の服装チェックをしていたときに、美弥子と亜久里が邂逅。亜久里の服装チェックを行うことになったのだ。
『――どーよ。ケチつけれますかと。しょっぴけますかと』
美弥子は亜久里の服装に指導すべき点を見つけることができず、この場はお咎めなしとなり、それで波乱もなく終わったはずだった。
――だがこの映像の中に、美弥子にとって思いもよらない大誤算が紛れ込んでいた。
『――それは?』
『――え、これ?』
美弥子が亜久里のポケットから覗く青い紐を見つけ、指摘した。
「あっ!」
多目的室の者達が、誰ともなく驚きの声をあげる。
そう、まさしくそのとき亜久里がポケットから取り出したものこそ、今丞の手の中に握られているお守りと同一のものだった。
「ご覧になっていただいた通り、音姫先輩は間違いなくこのお守りを見たことがあります。そうですね、先輩」
「……だ、だからなんだ。そんなもの、私以外にも全国いくらでも見たことある奴が……」
「いいえ、それは有り得ません。何故ならこのお守りは、乾さんの手作り――つまり非売品なんですよ」
「なっ……!?」
美弥子の額から大粒の汗が流れ、顎を伝って床に落ちた。
そう、亜久里は子供の頃から実家の神社の手伝いをしており、その一環としてお守り作りも得意としていた。
実家の神社で売られているお守りの中には、実際に亜久里お手製の品があったりもする。
「そしてこの青い紐のお守り……これは乾さんが俺のために作ってくれた特注品。この世に二つとありません。そしてそれをこの日のデート中に俺にプレゼントしてくれました」
「そうそう! うちのは赤い紐だから!」
亜久里がポケットからお守りを取り出す。
丞のものと全く同じデザインだが、唯一紐だけが女性用の赤色になっていた。
「これを貰ってからも、俺はお守りを鞄の中に入れてわざわざ誰かに見せるようなことはしませんでした。――つまりこの青い紐のお守りを見ることができたのは、この服装チェックを行った日だけなんです」
それを探していると口走ったプリンセス・ミャーは、少なくとも昴ヶ咲高校の人物で、この日お守りを亜久里に見せてもらった人物の内の誰か、ということになる。
ざわつく多目的室。信じられないといった視線が美弥子に集まる。
「――あっ、もしかして」
不意にここまで沈黙を続けていた瑠美が、何かに気づいたように声をあげた。
「『プリンセス・ミャー』って――音【姫 美弥】子……からきてるってこと?」
「――あ」
丞と亜久里が同時に間の抜けた声を漏らした。
なるほど……と丞が顎に手を当てる。
名前の由来なんて丞は考えもしなかったが、言われてみれば確かに出来過ぎた繋がりだ。
丞は客観的なデータやソースを集めるのは得意だが、こういう謎かけのようなタイプは苦手だった。
「……ま、まだ、私と決まったわけじゃない、だろ」
震える声を絞り出す美弥子。
多目的室中から説明を求める視線を投げかけられるが、何の釈明もできないまま、美弥子はただ中身のない否定をするだけだった。
「この動画を撮ってるやつだって容疑者の……!」
「じゃあスマホ見せてよ」
単刀直入。一切の容赦なく亜久里の言葉が美弥子を貫いた。
「あんたも配信者ならスマホでMeTubeくらい見るでしょ? もしプリンセス・ミャーのアカウントでログインしてるなら、スマホを見れば一発で分かるじゃん。ほら見せてよ」
「――ッ!」
亜久里が机の上のスマホを指差すと、美弥子はバナナを奪われそうになった猿のように勢いよくスマホを手に取って胸に抱えて隠した。
「音姫さん、えっと……どうなんでしょう?」
「……」
担任の呼びかけにも答えない美弥子。
はぁはぁと荒く息づき、眼鏡の奥の瞳孔が危険なほど揺れていた。
「『プリンセス・ミャー』…………ふーん、登録者730人? へー……あ、でも結構長くやってるんだね。――――あ、そっか。はぁ~ん、なるほど……分かっちゃった」
亜久里は何かに気づいたのか、流し目を更に細めて美弥子を見た。
「去年の夏休み明けくらいから、なーんかあんた、やけにうちにダル絡みしてくるなーって思ってたけど、そっか……あんたのチャンネルの登録者数抜いちゃったからか」
「……ッ!」
美弥子の表情がここにきて見たこともないような形に歪む。
蒼白だった顔が一転して急速に紅潮していく。
美弥子にとってはプリンセス・ミャーの秘密を暴かれるよりも、今の亜久里の言葉が何よりも効いた証拠だった。
「悔しかったんだ? うちがあっさりあんたを追い抜いて、何倍も登録者増やしたから。だから潰したいんだうちのチャンネル。……そんなくだらない動機で……騒動をここまで大事にしたんだ……」
「ち、ちがう……」
「いーや違わない! そうに決まってる!」
ビシッ! と美弥子を指差して言い放つ。
亜久里の十八番。感情論全振りの『そうに決まってる論法』が炸裂する。
そしてこの論法が繰り出されるとき、かなりの高確率で的中していることを丞は知っていた。
「か、勝手に決めるな」
「違うならうちの目を見て違うって言ってよ! ほら早く!」
「…………ち、ちが……」
「ほら目逸らした! 絶対そうじゃん! はい確定だから! ――あ、ほらまた目逸らした! はいこれで二百パー!」
あまりにも強引なレスバ。だが美弥子は先程までの勢いを失いたじたじになっている。
自分に非がある時にこれをやられるとキツいんだよなあ……と身に染みている丞はしみじみ思った。
亜久里の決めつけは、おそらく真実に手をかけている。
論理性を重んじる丞ならここまで強引に美弥子を追い詰めることはできなかっただろう。
だが亜久里の本質を見抜く直観と、絶対に相手に食らいつく膂力が合わされば、たちまち美弥子ですら圧倒する威力を発揮する。
「……あんた達」
隣で丞と亜久里を眺めていた瑠美は、呆れたような笑みを一つ零して、痛感する。
――この二人は本当に、最強のレスバカップルなのだと。
「――だ、黙れ黙れ黙れ! 仮に! 私が! 万が一! この、プ……プリ、セ……ミャー……だとして! ――だからなんだ!? それが今回の一件と何の関係がある!? 乾! ここはお前のやらかした不始末の処分を決める場だ。私の個人的な話などどうでもいいだろ!」
「でもあんたさっき、『カメラに向かって長時間雑談するようなライブ配信は高校生には相応しくない』って言ってたじゃん。なのに自分でやってんのおかしいでしょどう考えても!」
「ぐっ……て、撤回する! それでいいだろ。もともと具体的な基準は学校側が決めること。私はあくまで、生徒会長という立場から一般論を口にしたに過ぎない!」
「っ、あんたまだ……!」
「その通りです音姫先輩。あなたの言い分は正しい」
不意に丞がそう言い放った。亜久里も美弥子も、面食らったように丞を見遣る。
「確かにあなたが陰でこっそりVTuberをやっていようが、この件には関係ない。それを論拠としてあなたを追い詰めたところで、亜久里の件が正当化されるわけじゃない。だから俺はこのデータも、あなたの出方次第では使わずに済まそうと思っていました」
「……な、なら」
「でもあなたはさっき、絶対に見過ごせないことを口にした。それを聞いた以上――悪いが音姫美弥子、もうあんたに遠慮する気は失せた。ここからは徹底的にやらせてもらう」
「み、見過ごせないこと……? な、何の話だ」
丞が激しい怒気を露わに凄んでくるが、美弥子は丞が何に怒っているのか見当がつかなかった。
「音姫先輩、先程仰いましたね? 配信のコメント欄を見れば、そのチャンネルがどんな運営をしているのかつまびらかになると。……奇遇ですね。実は俺も同じことを考えてたんです」
丞はそう言って、何やらノートパソコンを操作しながら……、
「――だから、あなたの配信のコメント欄からいくつか気になるコメントを抜粋してきました」
とんでもないことを口にした。
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