22話 『学生はMeTubeをやるべきではないか』

「袖上さんは乾さんのMeTube配信をよくご覧になっているそうですね?」

「はい、以前から週に二回は見ています」


 え、マジで? と亜久里が意外そうにたすくを見た。

 恥ずかしいからあまり配信は見ないで、という亜久里の頼みを破ってよく配信を見ていたことをここで打ち明けることになってしまったが、これはもう仕方ない。


「ではそんな袖上さんに、乾さんのMeTube配信が公序良俗に反する内容であるかどうかを、客観的な立場からお聞かせ願いたいのですが、その前にハッキリさせておきたいことがあります」

「なんでしょう」

「今申し上げた通り、今この場で求められているのは『客観的な』意見です。逆にポジショントークは最もこの場に相応しくないものだと、十分にご理解いただきたい」

「無論です」

「それはよかった。ご存じの方も多いと思いますが、袖上さんと乾さんは現在交際中の恋人同士。恋人を思うあまり、客観性を欠いた供述をされては困りますからね」


 早速教師達への印象付けを狙う美弥子。が、この程度は軽いジャブのようなものだ。

 丞が亜久里と恋人なことも、亜久里を助けるためにこの会議に参加していることも周知の事実だ。今更念押しされても大した印象操作にもならない。


「では単刀直入に。乾さんの配信の印象は?」


 美弥子にしては漠然とした問いだ。なんでもいいから丞に情報を喋らせてカウンターを狙っているのかもしれない。

 丞はあくまでこのテーマにおける参考人として呼ばれた身だ。与えられた時間は少ない。

 警戒し過ぎて消極的になっても仕方がないので、丞は失言を恐れず踏み込んでいった。


「彼女の配信は非常に人気があり、視聴者とも良好なコミュニケーションが取れている印象です」

「――乾さんが視聴者と言い争うようなシーンを目撃したことはありますか? 怒鳴ったり罵倒したり」


 そんなことは亜久里のチャンネルでは日常茶飯事だ。

 知った上で聞いているのだろう、ここでとぼけても追及されるだけだ。


「……あります。が、それも含めて良好な関係を築けていたように見えます」

「言い争うことが良好なコミュニケーション……?」

「そうです。でなければ俺と乾さんはとっくに破局していたでしょう」


 軽い笑いが起こる。

 教師陣含め、瑠美も丞のジョークにユーモアを感じて笑っていた。

 亜久里はバツの悪い複雑な顔で照れていたが、張り詰めていた場の空気が僅かに弛緩した。


「喧嘩するほど、というやつですか? いささか乾さんに都合のよすぎる解釈のように聞こえますが。一般的に激しく口論する間柄というのは険悪な関係です。リスナーと度々そのような関係になっているという時点で、そもそも乾さんの性格や素行に問題があると感じます」

「……俺は乾さんとお付き合いをさせてもらっていますが、彼女とはことあるごとに口喧嘩をするような関係です。その度に思うのは、人間とはなんてバラバラなんだろうということです」


 ポツポツと、丞は自身の胸の内を吐露していく。


「友人とも。恋人とも。家族とも。好みや価値観や主義、考え方も……俺達は違っています。それが食い違う度に俺達はレスバをして……その度に少しずつ、相手のことを知るんです。一つ意見が違っても、別の一つは分かり合えることもあります」

「丞……」


 亜久里と目が合う。

 そっと微笑みかけると、亜久里も嬉しそうに笑みを返した。


「今回の一件は、乾さんの一側面に過ぎません。それ一つで彼女の人格を疑うというのは、少なくとも学徒を見守り導いていくことを校訓とする昴ヶ咲高校においては相応しくない判断であると考えます」


 最後に教師陣への圧を加えて、丞は口上をまとめた。

 ふむ……と教師陣から息を吐く音が聞こえてきた。

 彼らも丞の言葉に一理あると感じたのだろう。


「――それは互いに深く知り合える機会が何度もある場合に限るのでは?」


 しかし美弥子の追求は止まらなかった。

 丞の反論に、美弥子はすぐさま別角度からの意見を見出した。


「というと?」

「配信の視聴者など水物です。些細なきっかけで二度と見てくれなくなるもの。乾さんも、そんな彼らの事を深く記憶してはいないでしょう?」

「は、はあ? いやちゃんと会話してるし! うち超コメントとか拾ってるから。決めつけんな!」

「では常連の視聴者の名前を何人言えますか?」

「…………い、今パッとは出てこないけど、普通に名前見れば思い出すし。時間くれたら二十人くらいは……」


 亜久里が口ごもる。

 これに関しては亜久里も痛い所を突かれたと自覚があるようだ。


「三万人も視聴者がいてたった二十人ですか」

「さ、三万は登録者の数! 実際に見てる人の数じゃないし! 初見さんとかもいるんだからそんなん把握できるわけないじゃん!」


 亜久里の返答に満足したのか、美弥子は改めて丞に向き直って口を開いた。


「今乾さんも認めたように、何度も口論をし理解を深めていく機会など、配信活動では稀なのです。配信における実際のコミュニケーションはほとんどが一方通行。視聴者のコメントというのは、あなたの語る高尚な人間関係とは程遠い、もっとシンプルでストレートなものなんですよ」


「……少々回りくどいですよ音姫先輩。具体的に、何が言いたいんです? この問答の先に何を主張したいんですか?」


 ただ亜久里の配信活動を抽象的な話だけで否定し続ける美弥子。

 業を煮やした丞がその真意を問うと――美弥子の眼鏡の奥で、ナイフのように鋭い眼光がその強さを増した。


 美弥子の口角が僅かに吊り上がる。

 一般にはそれは笑みと呼称されるもののはずだが、その場にいる者には獰猛な獣が牙をむいたように見えた。


「――簡単な話だ。つまりコメント欄を観察してみれば、奴が日頃どんな配信を行っているのかつまびらかになる、ということだ」


 それまでの丁寧な口調を脱ぎ捨て、美弥子が本来の姿を現した。

 ここまでのディベートで勝機を見出した美弥子が、ついにこの勝負に決着をつけるため畳みかけに来た合図だった。


「健全な配信には健全なコメントが流れるもの。逆も然り。その内容が好ましくなかった場合、『今はまだ互いに意見をぶつけあい、分かり合おうとしている段階なのです』などという甘えた言い訳は通用しない。理由は先述の通り、それが長い話し合いの末に改善されることなど稀だからだ」


 美弥子はポケットからスマホを取り出すと、檀上前に設置されているプロジェクターに歩み寄った。

 ケーブルをスマホに差し込むと、スクリーンに美弥子のスマホの画面が映し出された。

 何事かとざわつく教師陣に、美弥子は「皆さんに見ていただきたいものがあります」と言い放った。


「これは私が収集した、実際に乾さんの配信に書き込まれたコメントの一部です」

 そう言って一枚の画像がスクリーンに表示される。

 その画像には、亜久里の配信のコメント欄を切り抜いた画像がびっしりと集められていた。


『あぐあぐ今日も胸デカすぎ最高』『こんな女子高生が同じクラスにいたら絶対毎晩オカズにする』『このおっぱいで神社の巫女は無理なんだよなあ』


「んなっ――!?」

 亜久里が目を剥いて椅子から立ち上がる。


『彼氏羨ましすぎ。絶対毎日やってるよな』『息子がいつもお世話になっております』『薄着の癖にガード硬すぎじゃね? チラッとでいいから下着見せてくれ!』


「こ、これは……」

 多目的室がざわめきだす。

 やり取りを見守っていた教師陣達が露骨に顔をしかめ、何かをヒソヒソと話し合い始めた。


「まだ序の口です。他にもコメントは多数存在します」

 美弥子がスマホをスワイプすると、同じ様式の画像が新たにスクリーンに表示される。

 そこにも似たようなコメントがずらりと並び、親友の瑠美も、そして当然、恋人の丞も思わず顔を歪めてしまうような文字の羅列が続いた。


「――ちょ、ちょ――や、やめてよ! ふざけんな何やってんのあんた、バ、バッカじゃないの!? こんなのセクハラじゃん! 今すぐ消して!」


 顔を真っ赤に燃え上がらせた亜久里が、美弥子に向かって吠え掛かる。

 だが美弥子はそんな熱気など飄々と受け流し、澄ました顔で反論する。


「セクハラ? これらのコメントを紹介することがか? ならば君は視聴者からセクハラを日常的に受けるような配信をしているということか?」

「ち、違うし! 皆の前でわざわざ晒す必要ないじゃんって言ってんの!」

「皆の前どころか、君の配信は世界中に発信されているぞ」

「ッ! あ、あんたマジで……!」


 怒りと羞恥によって沸騰した亜久里の脳では、もはや美弥子を論破する糸口も掴めなかった。

 そんなやり取りを目の当たりにした教師陣の心象は、一気に美弥子に傾いた。


 彼らはこういったネット文化に疎く、亜久里が日々どのような配信を行っているか知らなかった。

 その実態を晒しだされた今、教育者として、いや一人の大人として亜久里の活動の健全性を疑わずにはいられなくなっていた。

 さすがにこの状況はまずいと感じ、丞が咄嗟に反論を行う。


「音姫先輩、これはあまりにも恣意的なデータです。膨大に存在する全てのコメントの中に、こういうコメントが多少紛れ込むのは避けられません。それだけをピックアップしてバイアスをかけようとするのは卑怯です。議論の公平性を著しく損なう行為だ」

「これらのコメントは確かに私がピックアップしたものだ。対象動画は無作為に選んだ計十八個のアーカイブ。その内、この手のコメントが一切ないアーカイブは一つもなかったぞ。多少は仕方ないと言っても、配信の度に百パーセントというのは多すぎないか?」

「……」


 手元に資料を用意しているわけでもないのにスラスラと淀みなく開示される美弥子のソース。

 先程の亜久里と同じだ。彼女もまたこの会議のために想定問答を用意してきたのだ。

 わざわざ亜久里のアーカイブを調べ上げ、コメント欄に目を通し、こんなデータまで揃えてきた。

 確かに効果は覿面だ。丞や亜久里がどんなに備え、今回の騒動について反省の弁を述べようと関係ない。


 『こんなコメントが流れるチャンネルは不健全だからやめさせた方がいい』。

 その一点だけで教師達を納得させられると美弥子は踏んだのだ。

 実際教師達は……有り体に言えばしている。

 いくら美弥子に反論しようと、教師達の心象を変えないことには状況は好転しない。


「そんなんさ! 何時間も配信してればそりゃこんなコメントの一つくらいつくの当たり前じゃん! それ一個でうちの配信枠が丸ごと不健全判定とかマジ何様なわけ!?」

「乾さんの言う通りです。乾さんの配信は視聴者も多い。その内のごく少数、たった一パーセントの人間がこの手のコメントを書き込むだけでも、あなたのいう『配信の度に百パーセント』という条件は成立する。そんなデータの提示の仕方は卑怯です。この程度は問題ない。十分健全な配信の範疇です」

「そうだよ! ライブ配信なんてそんなもんじゃん!」


 丞と亜久里が二人がかりで怒涛の反撃に転じる。

 美弥子はそんな二人を冷めた目で見遣りながら静かに声を発する。


「『少数の人間の行動だから問題ない』。『下品なコメントがつくのは当たり前』。『ライブ配信なんてそういうもの』……か。

――なあ、思うんだが。『そういうもの』は、やはり学生の内は控えた方がいいんじゃないか?」


「……っ!」

 二人の主張を丸ごとひっくり返す、この議論の根本的なテーマを美弥子は容赦なく突き付けた。


「君達、少し感覚が麻痺していないか? そもそも未成年……現役の女子高生が自分の姿を、顔も名前も知らない何百人もの男性達に向けてカメラの前に晒す……というこのライブ配信というコンテンツ自体がいかがなものかと思うがな」

「……」

「いくら健全だと強弁しようが、どこまでいっても男性の性的需要を刺激し、その対価として金銭を受け取りつつ承認欲求も満たす……そういう側面が孕んでいることは否定できないだろう」

「……」


 これは丞ではなく亜久里自身が否定しなければ意味がない問答だ。

 丞個人としても、恋人として亜久里には「そんなことない」とハッキリ言い返してほしい気持ちが強かったが……その気持ちとは裏腹に、亜久里は歯をギリギリと食いしばったまま反論の言葉が出てこない。


 亜久里も配信活動を始めて一年以上になる。

 伸び悩んだ時期、創意工夫した時期、視聴者と共にチャンネルを伸ばしていく過程の中で、自分に何を求められているかを分析したことは何度もあった。

 自分の長所。武器。需要。それらを全て持ち寄っての現状だ。それまでの活動を否定する気もないし、それを下品なことだなんて思ったことはない。


 が……それは同時に、美弥子の主張を肯定する要素にもなってしまっていた。

 反論できない亜久里の代わりに、丞が懸命に擁護する。


「そんなことを言い出せば、学生がチャンネルを運営することができなくなる。そういう偏見ではなく、あくまで乾さん個人の活動で判断すべきです」

「本当に偏見か? MeTuberなど突き詰めれば楽をして金を稼ぎたい者達が大挙して押し寄せている混沌とした場所だ。金のためなら……数字を取るためならなんでもするような連中の巣窟だろう。乾さんにも少なからずその気があったんだろう? こんなコメントが付くのがだと、感覚が麻痺してしまうほどに」


「……ち、ちが……」

「だから運営からも一度警告をくらい、配信の度にコメント欄には下品な言葉が並び、果ては今回の事件に発展した。――そう考えれば、少なくとも自分で責任が取れる年齢になるまではチャンネル運営の休止……それすら呑めないなら昴ヶ咲高校の看板にこれ以上泥を塗らないために厳罰を処す。この処分が適切であるという私の主張は、やはり正当ではないか?」


 滔々と語られる美弥子の論理。それに立ち向かう弁論ももはや止み、多目的室の空気は完全に美弥子が支配していた。

 教師達は一様に険しい表情で、スクリーンに並ぶ下品なコメントと亜久里を見比べている。

 瑠美は重苦しい表情で下を向き、苦い敗北感を噛みしめていた。


 当の亜久里も、机の上に垂らした両手をギュッと握り、悔しさと羞恥を堪え切れずにいた。肩がブルブルと震え、硬く食いしばった歯からは荒い吐息が漏れる。

 やがて悔し涙が一滴、真っ赤に染まった頬を滑ったそのとき……


「……つまり学生はMeTubeになど手を出すべきではないと?」


 丞が静かに美弥子に問いを投げる。

 怒りに震える亜久里とは対照的に、どこか不気味さすら感じるほど落ち着いた声音だった。

 ……まだやるのか? そう呆れたような眼差しで、美弥子は丞の悪あがきを詰る。


「理想を言えばそうだろうな。手を出さないに越したことはない」

「どんなコンテンツであれ?」

「そこまで極論は言わないが、少なくとも今乾さんがやっているような配信がメインのチャンネルは運営すべきではないだろうな」

「具体的に言ってください。どんなコンテンツは高校生に相応しくないとお考えですか?」

「――――ああ、なるほど」


 やけに食って掛かる丞の態度に、美弥子も彼の狙いを見抜く。

 敗北を悟った丞は、最後の抵抗として苦肉の策を取ってきた。

 それが、『最悪の場合は別チャンネルを作る』という策だ。

 この場で具体的に、厳密に、昴ヶ咲高校が校則として認めないMeTube活動を明言させて言質を取るつもりなのだ。

 その結果今の亜久里のチャンネルは休止することになるかもしれないが、そのルールに抵触しない別のチャンネルを作れば、残りの学生生活中もMeTube活動は続行できる。

 また一からの出直しとはなるが、最悪の結果は回避できる。


「……」

 ここに来て初めて美弥子が返答を迷う。

 丞はこの展開を予期してこんな策を備えていたのだろうか。もし今咄嗟に思いついたのだとしたら大したものだ。


 この切り口は美弥子にとって想定外。この流れに関する想定問答は用意していない。

 もし丞がそこに万全の備えをして待ち構えていたなら、ここを掘り下げるのは逆に反撃のチャンスを与えかねない。

 美弥子のポリシーとしては徹底的に厳罰を課したいところではあるが……ここは丞の奮闘に免じて手打ちに甘んじてもいいかもしれない。


「……『カメラの前に座って長時間、視聴者と雑談をするようなライブ配信』……など、だな。詳細は学校側が決めればいい」


 そう言い放ち、美弥子はこの会議を決着とした。

 あとは丞と亜久里の交渉次第。もっとも今や教師達の心象は最悪だろうから、どこまで譲歩を得られるかは分かったものではないが。


「カメラに向かって長時間の雑談をするチャンネル……」

 丞が復唱する。美弥子が提示した条件を確認しているのだろうか……そう感じた美弥子が丞の顔を注視してみると、


「……?」

 その時に丞が浮かべていた表情は、美弥子の想像とは大きく異なるもの。

 敗北に打ちひしがれた顔でも、最悪の事態を免れた安堵の顔でもない。


「それは例えば……」

 もっと別の――まるで勝機を見出したかのような顔だった。



「――VTuberとかもですか?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る