20話 VTuber『プリンセス・ミャー』

 その日の夜。たすくの作業はまだまだ終わっていなかった。

 図書室で行った想定問答は、美弥子の反論を想定したものが主だったが、美弥子からの攻撃も想定して備えておかなくてはならない。


 美弥子がどこを攻めてくるかを考えてみると、やはり亜久里のMeTubeチャンネルの内容に言及してくる可能性が高い。

 校則や事件性、保護者への印象などももちろん備えておく必要はあるが、節子から聞かされた美弥子のレスバスタイルを考慮すれば、決定的な一撃はここに忍ばせておく気がする。

 亜久里のチャンネルのどの要素が攻撃対象となるのか……正直丞は見当がつかない。


 ということで丞は、亜久里がこれまで投稿してきた動画と配信アーカイブを可能な限り視聴することにした。

 パソコンに三窓で三本のアーカイブを同時にぶん回し、聖徳太子さながらに亜久里の声を聴き分ける。

 それと並行して、節子に添削してもらった想定問答リストにも目を通していく。

 夕飯を食べてからぶっ通しで続け、時刻はもう深夜零時を回ろうとしていた。


「……時間がいくらあっても足りないな」

 さすがに疲労の色が隠せず、丞は背もたれに体重を預けて深く嘆息した。


「……そういえば、父さんもよくこんな風にしてたっけ」

 捜査に行き詰ったときなど、よくコーヒー片手に背もたれにもたれかかっていた。

 今、丞もかつての父の気持ちが少し分かるようになった。


「血は争えないな。……ふぁあ……」

 大きなあくびをすると、途端に睡魔が襲ってきた。

 まだまだ作業はいくらでもあるので寝るつもりはなかったが、それでも耐え切れず瞼を閉じると、丞の意識は急速に落ちていった。



「――――ん」

 やがてどれくらいの時間が経ったのか、丞はヘッドホンから流れてくる亜久里の声で目を覚ました。


「……いけね」

 寝ぼけ眼のまま時刻を確認する。

 するともう三時間以上も眠っていたことが分かった。


 三窓で開いていた亜久里のアーカイブはどれも次の動画をどんどんと流しており、しかも引き続き亜久里の別のアーカイブが流れていたのは一つだけで、他の二つは関係ない動画が自動再生されていた。

 一つは丞のお気に入りの音楽グループのミュージックビデオ。もう一つは、全く見たこともないVTuberの配信のアーカイブだった。


「……誰だこれ」


 どうしてこんなVTuberが自分の画面に流れているのか一瞬分からなかったが、おそらく綱一郎がVTuber関連の動画のリンクを何度も丞に送ったせいで、MeTubeが丞にオススメとして表示させたのだろうと思い至った。

 丞はVTuberには全く興味ないし、綱一郎が勧めてきた動画をほとんど付き合いで見ているだけだ。今画面に流れているVTuberも見たことがないし、見たいとも思わない。


 さっさと消して亜久里のアーカイブを流そうとマウスを動かした――そのとき。

『――あ、そうだ! 皆に聞きたいことがあるんだけど、いいかニャ? 実はね――』



――その数秒後、丞の双眸が見開かれ、眠気が一瞬で吹き飛ぶことになった。




 翌日、木曜日。

 貝田節子は朝早くに、丞に呼び出されていた。


「あ、あの……」

「貝田さん、おはよう」


 節子が教室に入るや否や、既に中で待っていた丞が駆け寄ってきた。

 まだ他にクラスメイトが誰もいない早朝。こんなシチュエーションで丞と二人きりで話すのは節子にはほとんどない経験だった。


「こんな朝早くに呼び出してすまない貝田さん。どうしても急ぎで確認したいことがあって」

「だ、だいじょう……す。あ、の……言われてた、録画……これ……」

「助かるよ。早速見ていい?」


 節子は頷いてスマホを丞に渡す。

 画面には丞と亜久里のやりとりを隠し撮りした録画データがずらりと並んでいる。


 今から一時間半ほど前、突然丞から節子に連絡があった。

 朝一で、節子のスマホに保存されている録画データを確認させてほしい、という内容だった。

 どの録画データのことか尋ねても、丞も具体的な日時や内容を覚えているわけではないとのことだった。

 ただ二、三週間ほど前のやりとりだったと思う、とのことだったので、その付近のデータを丞が直接見て確認すればいいと節子は提案した。


「――――――――」

 丞は食い入るような目でスマホを操作していく。

 その目元には隈が出来ており、昨晩ろくに寝ていないことが見て取れた。


「……なに、探してる……です?」

「……ん……ちょっとね」


 丞は生返事で返答を濁した。だがスマホを確認する目は真剣そのもの。

 スマホから丞や亜久里の音声が流れては消えていく。

 丞の目当てのシーンでないと確認されたらすぐ次の動画に移っているようだ。

 そして数分後……


『――ちょっともぉ~、丞にまでそんな見られると照れるっつーの!』


「来た! あった!」

 丞が喜びの声を上げ、その声の大きさに節子がビクンと身をすくませた。


「……?」

 いつの録画なのかと気になり、丞の脇からひょっこりと画面を覗き込む節子。


「……これは……」

 節子もこのシーンはなんとなく覚えていた。

 が、別に大して面白いレスバがあったわけでもないと記憶していた。


 ――この録画がいったいなんだと……?

 節子は質問してみたくなったが、丞があまりに熱心に録画を確認しているので怖くて聞けなかった。

 そして、やがてスマホの画面にとある映像が流れると、


「――やっぱり、そうだ」

 ぼそりと丞が呟く。

 やっぱり、と言う割には彼の表情には『信じられない』といった感情がハッキリと浮かび上がっていた。


「じゃあ、やっぱり……そういう、ことなのか? でもまさか……いや、でも……これは……そういう、ことになるんだよな?」

 ぶつぶつと独り言を繰り返す丞に、節子は余計怖くなって話を聞けなくなった。


「――――貝田さん。この録画データ、俺のスマホに送ってもらっていいかな?」

「い、いいです、けど、もちろん……」

「ありがとう。君のおかげで勝てるかもしれない。本当に助かった。君と友達でよかった」

「え……!? そ、う……あぅ……それ、ほどでも……うひっ……」


 急に褒められて赤面する節子を意に介さず、丞はその後も虚空を見つめながらずっと何かを考え込んでいた。




「綱一郎、ちょっといいか?」

 昼休みに丞は綱一郎を屋上に呼び出した。

 綱一郎も丞の様子から、明日の会議がらみの話だと察したようで、快諾して屋上についてきた。


「このVTuberについて教えてほしい」

 だが屋上に到着して開口一番に丞がそう言い、綱一郎は目を丸くした。


「……てっきり明日の会議の話だと思ってたけど、まさかお前からVTuberの質問をされるとは思わなかったぜ。なんだ、俺がオススメした中に推しでも見つかったか? ワハハハ!」

「そういうわけじゃないんだけど……とにかく見てほしい人がいる」

「いいぜ。どれどれ……」


 綱一郎は興味深そうに、丞のスマホに表示されているMeTubeチャンネルを確認した。


「えっと……『プリンセス・ミャー』……悪いけど、知らないな」


 ――『プリンセス・ミャー』。

 それが丞が綱一郎に確認を頼んだVTuberの名前だった。

 目の覚めるような金髪ロングを、サイドツインテールにまとめている。かなり小柄でありながら、胸は不釣り合いなほど大きい。

 フリフリのピンクのゴシックドレスを身にまとい、頭にはモフモフの猫耳が生えていた。


「なんか、今どき珍しいキャラデザだな」

「奇抜なのか?」

「いや逆。コテコテ過ぎる。一周回って斬新に思えるレベルだぜ。まあ俺は嫌いじゃないけどな。――で、このVTuberがどうしたんだ?」

「知っていたら教えて欲しかったんだ。ちょっと気になることがあって」

「ふーん。でも悪い、まったく知らん。登録者は……730人か。新人さんかな。――――ん? いや、違うな。もう一年以上やってるのかこの人」


 綱一郎がチャンネルページを調べ、チャンネルの開設日を見て意外そうな声をあげた。


「一年以上っていうのは、何か驚くようなことなのか?」

「うーん、なんとも言いにくいな。VTuberってここ数年で生まれた文化だから、いろいろ判断基準が難しいんだが、一言で言うと……あんま伸びてない。この人配信間隔は不定期みたいだけど、頻度はそこまで低くないから……」


「普通なら一年やればもっと伸びてる?」

「何をもって普通と言うかにもよるけど、俺の個人的な意見ではそんな印象だな。ま、別に伸びることだけが全てじゃないしな。この人は事務所に所属してるわけじゃないっぽいから、趣味でやってるだけの個人勢なんじゃないか?」

「……趣味、ねえ」


 綱一郎が適当なアーカイブを再生すると、スマホからプリンセス・ミャーの声が流れだした。


『――こんばんニャー。今日もミャーのライブ配信を見に来てくれてありがとニャー』


「声小さっ……実家で撮ってんのか?」

「え、そんなことまで分かるものなのか?」

「確証はないけど、たまにあんだよ。実家でド深夜に撮ってるせいで声全然出せないみたいな配信。プロは防音室とか作るらしいけど、個人勢じゃな」

「亜久里は実家で配信してるけどよく怒鳴ってたぞ」

「そりゃ乾が特殊なんだよ。実際よく怒られてたろ?」

「まあな。そうか……実家……深夜……」


 丞が何かをブツブツと呟いて考えている間にも、ミャーの配信は進んでいく。


『山ちゃんさん今日も来てくれてありがとニャー! あっ、甘酢あんかけさん五日ぶりだニャー! 楽しんでいってニャー。……『ミャー姫の声聞きながら寝ます』、mrニンジャさん久しぶりニャー。ゆっくりしていってニャー。『ミャー姫結婚してくれ』、ツナカンさんこんばんニャー。正式にお断りするニャー。

 ――『声可愛い』、銅像さん、こんばんニャー! 新規さんかニャ? 声褒めてくれてありがとニャー! とっても嬉しいニャー! お礼にミャーのプリンセスランドへのフリーパスをあげるから、またいつでも配信に遊びに来てほしいニャー!』


「……どういう世界観なんだこれ」

「ヴァーチャルの世界だからな。こういう設定はよくあるぜ。にしても、随分丁寧に対応するんだなこの人。――ああ、それでか。登録者の割にコメントが多いから、根強いファンが多いんだろうな。これだけ丁寧な配信を一年以上やって登録者伸びてないのは可哀想だなあ。よし、俺も登録しとくぜ」

「……」


 丞はしばらく沈黙したまま、プリンセス・ミャーの雑談を聞いていた。

 その視線が徐々に険しくなっていくのを見て、綱一郎も事情を聴かずにはいられなくなった。


「で、このプリンセス・ミャーの、何が気になるんだ?」

「…………すまない。まだ言えない。俺も、まだいろいろと確証を得られてなくて」

「そうか。ま、それなら詮索はしないぜ」


 こういうところであっさり引き下がれるのが綱一郎の美徳だと丞はいつも思っていた。

 誰とも反発しない。反論しない。否定もしない。

 丞や亜久里、美弥子とは真逆ではあるが、こういうレスバのスタイルもあるのだろう。


「その上で申し訳ないんだが、このVTuberに関する情報を教えてほしい」

「情報って? 何が知りたいんだ?」

「なんでもいい。俺はこのVTuberっていう文化には全く明るくない。だから、何か気になる点があれば片っ端から教えてくれ。お前が気になった点。このプリンセス・ミャーっていうVTuberの特徴を、思いつく限り頼む」

「特徴ねえ……」


 訳の分からないまま、綱一郎はプリンセス・ミャーのチャンネルを見ながら思いついた情報を丞に伝えた。

 丞は真剣にその話に聞き入り、度々疑問点を綱一郎に投げかけた。

 結局その作業は昼休み中ずっと続き、丞は授業中もずっと上の空だった。




「え、今日は一緒に練習しないの?」

 放課後、一緒に図書室に行こうと誘った亜久里。

 元は二人でそういう予定を立てていたのだが、丞はその誘いを放課後になってからいきなり反故にした。


「すまない。他に調べなきゃいけないことができた。今日も貝田さんに手伝いを頼んでるから、二人でやってくれ」

「う、うん、わかった……丞、大丈夫? なんかすごい疲れてるみたいだけど……」


 亜久里から見ても丞に疲労が溜まっているのは一目瞭然だった。

 そしてそれ以前に、今日一日、丞はずっと何かを考え込んでいた様子だった。

 会議のことや想定問答を練っているのかと最初は思っていたが、恋人として丞をよく知っている亜久里はどうやらそれとはまた違うらしいと察していた。


「大丈夫。心配してくれてありがとう。……とにかく明日が本番だ。ちゃんと練習して、会議で緊張しないように準備しておいてくれ」

「うん。……丞、あんまり無理しないでね? うちのために頑張ってくれるの、嬉しいけど……」


 心配そうに眉を寄せる亜久里。その頭をポンポンと撫でる。


「分かってる。今日は程々で切り上げてさっさと寝るつもりだよ。肝心の本番でフラフラだと本末転倒だからな」

 そう言って丞は微笑んだ。



 ――が、結局丞の作業はその日の深夜まで続いた。

 帰宅してすぐ簡単に食事や入浴を済ませると、そこからはずっと部屋に籠りきりでパソコンを睨み続けていた。

 ちゃっかり夜食も持ち込んでいたのだから、長期戦を想定していたのは明らかだった。


「…………」

 丞が険しい面持ちで睨みつける画面には――やはり『プリンセス・ミャー』のアーカイブが映し出されている。

 その配信をチェックしながら、気になった部分をノートにメモしていく。

 今まで捜査した情報と照らし合わせ、もうノートが半冊ほどもメモで埋まっていた。


「……なんでだよ」


 知らず、丞の口からそんな言葉が漏れていた。

 今日一日だけで、丞の感情はどんどんと変化していった。

 疑念。動揺。憐憫。……今ここに至っては、『怒り』が一番大きな感情だった。


 その感情は晴らされることなく、もう日が昇り始めた頃……丞がようやく作業を終わらせて眠りにつくまで続いた。



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