19話 想定問答
翌日の水曜日。
無論、来たる金曜日の会議についてだ。想定問答はいくらでも考えられる。
特に美弥子は丞に近い論理的なレスバを好む。
彼女がどんな反論をするかは、時間をかければかけるほど丞にも想像できるはずだ。
『――亜久里と瑠美の罰の重さが違いすぎる。動画は共同で作られたもの。一方だけが重い処分を言い渡されるのは不平等だ――違う――教育的でない』
『――では舞原瑠美にも乾と同じ厳罰を課せばいい』
……いかにも美弥子が言いそうな反論だ。この流れはまずい。
『――部活動で悪気なく失敗をしてしまった生徒を、即退部に処した例は極めて少ない。そう考えると今回の亜久里への処分が重すぎることは明白』
……これはいい線な気がする。
正確なデータを調べる必要があるだろうが、正当性のある主張だと丞は感じた。
これに美弥子はどう反論するだろう。
パッと思いつくのは、『問題行動によって廃部になった部も他校に存在する』くらいは言ってきそうだ。
他にも『部活動は学校の管理下にあるが、亜久里のチャンネルは個人のもので比較できない』なども、肉付けしていけば反論として成立させることは可能だろう。
――というようなことを、丞はここ数日ずっと頭の中で考え続けていた。
自分で築き上げた論理を、自分で否定する作業。
穴を見つけてはそれを塞ぎ、今度は別の場所に強引に穴を開けるような、終わりのない自問自答を繰り返す。
そうして破壊と補強を繰り返すと、やがて論理は頑強さを増していく。今はそれを高く積み上げることだけが、美弥子に対抗する術だった。
そして気づけば放課後になっていた。
ここ数日の苦悩で疲れた脳を更に集中させた結果、丞の脳疲労はかなり蓄積していたが、今日はむしろ放課後からが本番だった。
丞は亜久里を連れて図書室を訪れた。もちろん、会議の練習をするためだ。
昴ヶ咲高校の図書室はそこそこ広く、昼休みは利用者も多い。
だが放課後になるとその数は大きく減り、テスト期間中でもない今日は更にまばらだった。
これなら少しくらい喋っても誰も気にしないだろう。
なるべく奥の円テーブルに座り、事前に用意した資料を並べる。
「昨日電話で話した通り、亜久里には会議までに、ここに書いてある台詞と想定問答を全て暗記してもらう。そしてそれを噛まずにすらすら喋れるようになってもらう」
「オッケー、うちの一番苦手なやつね。ばっちこい」
言葉だけは威勢よく振る舞う亜久里だったが、丞が用意した資料に目を通すと途端に冷や汗を流して青い顔を浮かべていた。
「ちなみに、この想定問答はこれからどんどん増えていくと思うから覚悟しておいてくれ」
「……全然問題なしって感じ。あはは……余裕余裕」
丞が自分のために精一杯努力してくれた結果だ、という自意識がなければ亜久里は今すぐ発狂して資料を破り捨てていただろう。
「競技ディベートでは資料を読みながら話すことも可能な場合があるけど、俺達の場合は用意した資料をずっと読みながら話してると心象は悪い」
「あーね。分かるよ。だから覚えるだけじゃなくて、気持ちも込めないとなんだよね? 棒読みじゃ気持ち伝わんないもんね」
文字だけで相手を論破しても意味がない。
あくまで審査員である教師陣の心を動かさなくてはならないというのがこの戦いの肝だ。
美弥子は大人達の心の機微を捉え誘導するのが上手い。事情聴取の際も、その技術で不利なレスバを覆したのだ。
相手の気持ちに訴えかけるのは、感情論で攻める亜久里の得意分野だ。ここで美弥子に後れを取るわけにはいかない。
「それじゃあまずはこのページから。俺が音姫先輩役をやるから、亜久里は暗記した返答をしてくれ」
そうして二人の特訓は始まった。
最初は紙を見ながらでもたどたどしく、丞も思わず頭を抱えたくなるドギツい棒読み具合だったが、根気強く二時間ほど続けるとなんとか会話らしいやりとりができるようになった。
時折、丞の想定問答以外の返答を亜久里が思いつき、それを採用してアップデートを施したりもした。
そんなことをしていれば二時間などあっという間だった。
勉強は十分も集中が続かない亜久里が、二時間もぶっ通しで暗記に打ち込んだのは奇跡的と言えるだろう。
「んー……うーん……」
亜久里が眉間に深い皴を寄せて台詞を暗記している間、丞は想定問答のアップデートを行っていた。
そのとき、丞のスマホにメッセージが届く。
確認すると綱一郎からだった。
『言われた通り調べてみたけど、昴ヶ咲高校で問題を起こして退部処分になった学生は今までで五人もいないらしい。何かと揉めて自主退部はたくさんあるけど、学校が退部を言い渡した例はほとんどないそうだぜ』
「――よし」
今日頼んだ調査だが、綱一郎はもう調べてくれたようだ。
丞が礼を返そうとすると、追加で何かのリンクが送られてきた。
調査資料の類かと思って開くと、全然関係ないVTuberの配信動画だった。
『俺が最近ハマってるアイドル系VTuberだ。ホラーゲーム実況のリアクションがほんと可愛いから、ディベートの練習に疲れたら見てくれ。できれば応援してあげてくれよな!』
「……調査、ありがとう……っと」
調査報告に関しては礼を返して、VTuberに関してはスルーした。
綱一郎のこういう布教活動は慣れたものだが、生憎今はこんなものを見ている余裕はない。
だが丞は持ち前の生真面目さから、紹介された動画には一応目を通すようにはしていたので『後で見る』リストに追加しておいた。
ちなみにリストにはもう十件以上も未視聴のアイドルの配信動画が溜まっている。
「――よし、少し休憩しよう」
なんだか綱一郎のせいで緊張が切られてしまった丞。
弱音を吐く気配のない亜久里に変わって、丞が休憩を提案した。
すると亜久里は心から安心したように、地面に穴が開きそうな重苦しい溜息を洩らして机に突っ伏した。
「喉乾いた……午後ティー飲みたい……」
「喋りっぱなしだったからな。待ってろ、自販機で買ってくるよ」
そう言って立ち上がった丞が視線を動かすと、その視線の先で何かが動くのが見えた。
「ん……?」
その何かは丞の視線に気づくと急いで本棚の裏に身を隠したが、急いだせいで何かにぶつかったのか小さな呻き声を漏らした。
丞が近づいて確認すると、貝田節子がうずくまっていた。
本棚に身体をぶつけた拍子に上から落ちてきた本で頭を打ったのか、節子はモップを被ったようなモジャモジャの髪の毛を上から両手で抑えていた。
「貝田さん、何してるんだこんなところで」
「ひっ! あ……す……ません」
相変わらず蚊の泣くような囁き声で聞き取りづらいが、地面に落ちている彼女のスマホが録画モードで起動しているのを見て丞も状況を把握した。
「……また俺達を盗撮してたのか」
「ご、ごめ……なさ……」
怯えた目で謝る節子。
彼女が二人を盗撮するのはもう慣れたものなので今更不快にも思わなくなったが、今回は少し丞も譲れない事情があった。
「悪いけど今録画したものは消してほしい。こっちの想定問答を向こうに知られたくないんだ」
この練習も、周囲に人がほとんど残っていないことを確認して行ってきた。
結果的に熱中して節子の存在には気づけなかったのは情けない話だが。
仮に誰かに聞かれてもほとんど記憶にも残らないから問題ないと思っていたが、録画は困る。
万が一それが美弥子に知られれば、こちらの手の内がバレた状態で戦うことになる。
「そ……! そんなこと、しません。私、二人のこと、売ったり……しません。応援、してます。勝ってほしい……です」
節子は彼女には珍しく覇気のこもった声でそう言った。
「私……二人、のレスバの……ファ、ファン、だから……!」
「そ、そうか……ありがとう」
今更だが、丞も亜久里も、別にレスバなんてしたくてしてるわけじゃない。
互いの性格のせいでそうなってしまっているだけで、できることなら恋人と連日くだらないことで言い争うなんてやめたいというのが本音だ。
そのレスバのファンだと言われても複雑な気持ちだが、節子とはこういう奇妙な友人関係なのだから仕方がない。
「あれ、せっちゃんじゃん。おつ~。何してんの?」
丞が誰かと話しているのが気になったのか、亜久里が様子を見に来た。
亜久里はすっかり節子を友人として認めているが、節子の方は相変わらず亜久里を見ておどおどとしている。
元来、陰キャの極みにあるような彼女にとって亜久里のようなギャルは対極に位置する人物だ。未だに慣れないのだろう。
「あ、あの、本を返しに……それで、二人、見つけ……」
「ああ、そういえばせっちゃんって推理小説めっちゃ読むんだっけ」
放課後に本を返却しに来たら丞と亜久里が何やら言い争っているように見えたからカメラを回したということのようだ。
「わ、私……!」
そこで節子は、滅多に出さないような大きな声(耳を澄まさなくても聞こえるくらいの声量)で二人に声をかけた。
「ふ、二人の役に、立てると、思います……!」
「……というと?」
「私、レスバ、好きで……それで、音姫先輩の、レスバも……好きで……」
なるほど、と丞も納得した。
節子は、『誰かが論破され追い詰められていくのを見るのが好き』という変わったフェチの持ち主だ。その点で言えば美弥子のレスバなど最高だろう。
彼女が容赦なく無慈悲に違反者を論破し、厳罰を課していくのは校内でも有名なのだ。
「それで、あの人も追いかけてた時期、あって……」
「うちらみたいなことしてたんだ?」
「ということは、録画があるのか?」
美弥子が誰かとレスバしている録画が残っているなら是非見たいと丞も興味が沸く。
美弥子の論法やテクニックを事前に知れるのは大きい。
だが節子は悔しそうに首を横に振った。
「ずっと前に、バレて、スマホ没収、されて……それ以降、してません。……すみません」
「出た、あいつほんとウザい! 女子高生からスマホパクるとかマジありえな。パンツ盗むより重罪だからそれ。ねえそれ裁判で訴えたらあいつ刑務所行って会議に出れないんじゃない?」
「……でも、音姫先輩の追っかけをしてたってことは、レスバは何度も見てたんだよな?」
亜久里の意見はツッコミどころが多すぎるのでスルーした。
節子は嬉しそうに頷く。
「は、はい……! だから、あの人の言いそうなこと、わかるかも、です」
「よし、じゃあちょっと見てほしいものがある。来てくれ」
丞は節子をテーブルまで案内すると、散らばってしまった資料を集めて節子に渡した。
「ここに、俺達が作った想定問答のリストがある。これを添削してくれないか?」
「は、はい……! やらせて、ください……」
直接関係のない節子にこんな作業を頼むのは気が引けたが、美弥子に勝つ可能性を少しでも高めるためにはこの助力はありがたい。
「マジありがとうせっちゃん! やっぱ持つべきものは友達だよねー」
「と、ともだ……私が……? ――う、うひひっ……」
ほのかに頬を染めながら、節子は嬉しそうにリストに目を通し始めた。
友人と言える間柄の人物など今までほとんどいなかった節子にとって、面と向かってそう言ってくれる亜久里や丞や綱一郎のような者達は本当に稀なケースだった。
「……………………」
節子は早速何かに気づいたのか、テーブルに置いてあった赤ペンを握ると、リストに書き込んでいった。
丞と亜久里がそれを覗き込む。
『部活動で問題行動を起こした生徒を即退部に処した例は少ない』という主張に対する想定された返答――『問題行動によって廃部になった部も他校に存在する』――という文章に赤ペンが入った。
『「関係ない」って言う』
『今までいなかったから今回もナシ、にはならない』
『「なら今後も二度とその処分ができない?」って言う』
「…………なるほど」
「うわ、超言いそう!」
丞が想定していたものより明らかにそれっぽい内容に驚く二人。
この一つだけで、節子のレビューはかなり信用できそうだった。
「あの人の、レスバのスタイル……かなり、キツイ、です」
「キツイ、というのは?」
「あの人は、勝つことが、目的……です」
「? それって普通じゃない? うちだってレスバは勝ちたいし」
「いや、そういうことじゃない。つまり――そうか、あの人は『自分の正しさ』じゃなくて、『相手の間違い』を証明するレスバスタイルってことか」
「そ、そう、そう……!」
節子がモジャモジャの前髪の奥で、楽しそうに目を輝かせるのが見えた。
「あの人、『相手が間違ってる』、って、結論から入ります……最初から、答え、決まってます」
「え、なにそれ。自分の考えじゃなくて、白か黒か……相手が選んだ方の逆張りしてるってこと!?」
自分の感情論が第一の亜久里には理解できない発想だろう。
つまり美弥子の中で、何かに違反した人物はその時点で『悪』にカテゴライズされる。
本来はそこから事情を聴いて罰の程度を決めるが、美弥子はその時点で『厳罰を課す』という結論が既に決まっているのだ。
あとはその結論に帰着するよう、レスバの流れを誘導していく。
「そのためなら、あの人、なんでもやります……。言葉の揚げ足取り……昔の、関係ない、話のこじつけ……人格否定……酷い時は、自分で昔言ったこと……自分で否定まで、します。……なんでもやって、相手が間違ってる……って、印象づけます。それで最終的に、だから反対意見の、自分が正しい……って、なる。……ます」
「…………」
「…………」
丞も亜久里も、神妙な顔で押し黙った。節子の言葉に強烈な心当たりがあったからだ。
亜久里の事情聴取のときも、『校則に書かれていないから校則違反ではない』という意見への反論から反撃が始まった。
その解釈の不備や、校則の不十分さを指摘されて校長も担任もたじたじになったのだ。
だが丞も亜久里も、こうして改めて分析して教えてもらうまでそんなこと考えもしなかった。
これは傍目から何度も美弥子を観察していた節子だからこそ分かることだ。
「貝田さん、ありがとう。君がいないとこれには気づけなかった」
「ほんとマジマジ! せっちゃんのヘルプマジ救われる! ねえねえもっと教えてよせっちゃん!」
「は、はい……! う、うへへひっ……!」
亜久里が大はしゃぎで節子の身体を触ったり揺すったりすると、節子は顔を真っ赤にしながらリストにどんどん赤ペンを記入していった。
少しずつ流れが変わりつつあるように丞は感じた。
対美弥子のレスバの準備は揃いつつある。
あとはそもそもの前提……亜久里の不祥事、処分、美弥子の介入……どれかを崩せるような決定的な『何か』が見つかれば、この勝負に勝つことは決して不可能ではないはずだ。
丞は胸の内で闘志をたぎらせた。
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