16話 『なぜ論破したいのか』

 週明けの月曜日。

 まだ登校している生徒もまばらな早朝、たすくは生徒会室を訪れていた。


「失礼します」

 ノックをすると、数秒の沈黙の後、奥から「どうぞ」と声が返ってきた。

 丞が中に入ると、音姫美弥子が中で書類にペンを走らせているところだった。


「君か。どうしたこんな朝早くに。私に何か用か?」

「はい。毎週月曜日は音姫先輩は生徒会室にいると聞いていたので」


 生徒会長として真面目に働く美弥子は、月曜日の早朝と金曜日の放課後に生徒会室で事務仕事を行っている、というのは以前から知っていた。

 この時間なら他の生徒も少ないから好都合だ。


「それで、要件は?」

「先日いただいたアドバイスを俺なりに熟考してみて、答えを出しました。そのご報告に」

「そんなものは君の胸の内に留めておいてくれればいい話だ。わざわざ口頭で伝えなくてもいいんだが……」


 じろり、と美弥子のナイフのような眼光が丞の身体を撫でる。

 だがそれにも一切怯むことなく直立する丞を見て、美弥子もおぼろげながら彼の胸中を察したようだった。


「直接伝えたいことがある、ということか?」

「はい。お時間をいただいてもよろしいですか?」

「好きにしろ。聞くだけは聞いておこう」


「では単刀直入に。――俺も今週末の会議に出席させてもらおうと思っています」

「何のために?」

「亜久里の擁護をするためです。彼女に妥当な処分を求めるつもりです」

「つまり、先日の会話を聞いた上で、君は私の判断が不当だと考えたということか?」

「いいえ、音姫先輩の主張も正しいと思います」

「……?」


 丞の言葉が理解できずに首を傾げる。


「あなたの主張も正しい。亜久里の主張も正しい。見方を変えれば、きっとどちらにも正当性がある。俺はそう思います」

「なら静観したまえ。どちらが正しいか分からないのに乾を擁護する必要もないだろう」

「それは違います音姫先輩。誤解しています」

「……ほう?」

「どちらが正しいか分からないんじゃありません。俺はと言っているんです。俺は会議で、亜久里の正しさを先生方にアピールするだけです」

「……」


 美弥子の目がすっと細まる。

 前回の昼休みでの議論の際にはわずかに垣間見えた、丞への親愛の念が薄まるのを感じた。


「先日の話でもしたと思うが、今回に限って過剰に介入するというのは乾への依怙贔屓になるんじゃないか?」

「そうかもしれません」

「ではそこにどんな『正しさ』がある? どんな合理性がある?」

「ありません」

「……なに?」


 ぽかん、と美弥子が目を丸くする。

 いつも鋭い目つきを絶やさない彼女が滅多に見せない表情に、丞が苦笑する。


「俺のやってることは、確かに依怙贔屓かもしれません。それを否定はしない」

「……つまり、正しくないと分かっていながらする、と? 何故そこまでする。自分の信念を曲げてまで乾だけを庇う理由はなんだ?」

 そう尋ねてくる美弥子をまっすぐ見返しながら、丞は堂々と言い放った。


「――好きだから」


「……は?」

「亜久里のことが好きだから、亜久里の味方をします。理屈じゃない」

「……」

「依怙贔屓と言われても構いません。実際、俺にとって亜久里は特別な存在です。彼女の泣いてる姿は見たくない。亜久里が笑顔でいるために、俺は彼女の味方をします」


 美弥子の放つ気配が見る見る重くなっていく。

 険しく鋭い表情で丞を睨みつける美弥子を、丞は一切物怖じすることなく見つめ返すことができた。

 それを自覚して、丞は自分が間違っていないことを確信した。

 少なくとも、彼の本心は『自分は正しいことをしている』と自信を持っていた。


「……残念だよ袖上。君のことは買っていたんだがな。だが、結局君も他の連中と同じ、自分だけのくだらん正義を並べ立てる愚か者だったか。そんな馬鹿な動機で私と対立すると言うなら容赦はしない。覚悟しておけ」

「あなたはあなたの正しさを主張すればいい。馬鹿な動機だと思うなら笑えばいい。どんなにバカなカップルだと言われても俺は亜久里が好きだ。だから――必ずあなたを論破してみせる」


 最後にもう一度だけ視線を交わらせる。互いに一歩も退かないと、互いの眼光が雄弁に語る。

 これは宣戦布告だ。たった一つの正解を追い求めて議論をするのではない。

 自分の正しさをため、相手を論破する。

 ――紛れもない、レスバトルだ。


「時間を取らせてすみませんでした。失礼します」


 そう言い残して、丞は生徒会室を後にした。

 美弥子に宣戦布告をかました直後だが、丞の胸中はどこか晴れ晴れとしていた。

 理屈に合わない、不合理な行動。

 だがそれでも丞の心は、この行いは『正しいこと』だと受け入れていた。

 きっと亡き父を前にしても、丞は胸を張って言えるだろう。


「――亜久里か?」


 廊下の奥、曲がり角に向けて声をかける。

 角から少しだけ見えていたスカートの端がビクンと揺れる。

 数秒後、亜久里がひょっこりと顔を出した。

 生徒会室を出た直後から誰かの気配を感じていたのでカマをかけてみたが、どうやら当たったようだ。

 おそらく今の丞と美弥子のやりとりを生徒会室の外から聞いていたのだろう。


「丞……」

「もしかして、音姫先輩に直談判でもしにきたのか?」

「……」


 沈黙はすなわち肯定だ。

 丞に見放されたと思った亜久里は、チャンネル存続のために美弥子に許しを請おうと、月曜日の早朝を狙ってやってきたようだ。

 それは亜久里の性格から考えれば何よりの屈辱だっただろう。

 そうまでするほど、亜久里にとって自身のチャンネルは大切なものなのだ。


「……」

 それを、丞は十分分かっているはずだった。ずっと見守ってきたはずだった。

 なのにあっさりと諦めてしまった。

 くだらない理屈や合理性を並べて、大切な恋人を見放して泣かせてしまった。

 そして亜久里が屈辱的な選択を思いつめるほど追い詰めてしまった。


 それを『』などと勘違いしていた馬鹿な自分と――丞は今こそ決別する。


「そんなことはしなくていいんだ」

 不安そうに眉を寄せる亜久里の頭を、優しく撫でる。


「――勝とう、亜久里。俺は君の味方だ。俺が君を必ず勝たせてみせる。だから一緒に戦おう」

「丞……!」


 目尻に涙を浮かべながら、亜久里は満面の笑みで丞の胸に飛び込んだ。

 それを優しく抱き留めながら、丞は心の奥で静かに必勝を誓った。



第3章 好きだから論破したい 完

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