15話 『妥協か徹底抗戦か』

 ――放課後、話がしたい。そう言って亜久里を屋上に呼び出した。

 神妙な面持ちのたすくに、亜久里も不安そうな顔で頷いた。

 放課後の屋上……ちょうど亜久里が問題の動画を撮影した場所からグラウンドを見下ろしながら、丞はしばらく無言のままだった。


「……あいつとなんか喋ったの?」

 その後ろから、躊躇いがちに亜久里が尋ねる。


「やっぱり分かるか?」

「ってか、友達から聞いた。今日のお昼に丞とあいつが中庭でご飯食べてたって」

「ああ、君の……次の会議のことについて、ちょっとね」

「あ、そういえば先生から連絡あったよ。次の会議、来週の金曜だって」

「今日が金曜だから、ちょうど一週間後か」


 七日後、亜久里の高校生活を大きく左右する会議の場が開かれる。


「そこに音姫も出てくるんでしょ? マジウザいよね。いちいちでしゃばんなっつーの!」

「……そうだな」

「でも、丞がガツンと言ってくれたんでしょ? 丞って親だろうが教師だろうが容赦なく論破しちゃうもんね。ねえねえどうなったの? あいつ、自分の間違い認めた?」

「……いや、駄目だった。説得しようとしたけど、レスバになって……音姫先輩には勝てなかった。先輩は来週の会議にも出席して、同じ条件を主張するらしい」

「…………そ……っか」


 自分の背後で亜久里がどんな顔をしているのか、丞は振り向いて確認する勇気が持てなかった。

 逃げるようにただグラウンドを見下ろしていた。


「――うん、ま、しょうがないよね! あの陰湿メガネ、ほんっと頑固で負けず嫌いだから、絶対自分の意見曲げないんだよね。マジ迷惑なやつ――って、それはうちもか。アハハッ」

「……」

「うんうん、しゃーなし! ね、じゃあ会議に向けて作戦会議しようよ。どうやればあの陰湿メガネをぎゃふんと言わせられると思う? うちはね、やっぱ数の力が最強だと思うんだよねー。ほらあれ、なんていうの? ショメーカツドーっていうの? うちの友達にも声かけて、『横暴を許すなー』って、」

「――亜久里」


 言葉を遮り、丞が勢いよく振り返る。

 屋上に来てから初めて視線を交わした二人は……互いに、そんな顔をしている恋人を初めて見た。

 不安そうに怯えた目で、必死に空元気な声を絞り出す亜久里。

 眉を寄せ、まるで痛みに耐えるように……あるいは詫びるように、悲痛な面持ちで語り掛ける丞。


「とにかく、先生方には反省の気持ちを強くアピールするんだ。悪気はなかったこと、事故の要素が強いことを精一杯繰り返し主張する。そして――チャンネルの休止期間に、温情的な措置を求めるんだ」

「……え? オンジョー……? って……どういう意味?」


「減罰を求めるってことだ。卒業まで、つまり二年は長すぎると強調する。そう、例えば……『高校生の内にもう一度チャンネル運営を再開させないと、反省をしっかり活かせたかが判断できない』とか、そういう理屈で押し通すんだ。そしたら休止期間を一年とか、上手くいけば半年とかまで軽減でき――」

「ちょ、ちょっと待って! 待って待って! え? た、丞……それってつまり……うちはもう、負け確ってこと? チャンネルが休止するのは決まりってこと?」


「…………」

 亜久里の言葉に、丞は顔をしかめて視線を逸らすしかなかった。


「なんで……やだよ! 一年って、全然軽くないよ! そんなにチャンネル休止したら登録者超減っちゃうじゃん! せっかく三万人目前で……こっからじゃん! やっとチャンネル伸び始めたのに、こんなとこで止まりたくない!」

「亜久里……」


「まだやりたい企画いっぱいある! 夏も、秋も、冬も……イベントいっぱいあるじゃん。一度しかない高二の思い出、形に残したいよ! 丞との思い出話、リスナーの皆にしたい! こんな楽しいことあったって皆に伝えたいよ!」

「……」

「もううちだけのチャンネルじゃないじゃん! リスナーの皆も、丞とかコウ君にも手伝ってもらって……今じゃうちのパパとママだって見てくれてるんだよ? それを……なんであんな女のせいで壊されなきゃいけないの!?」


 今にも泣きそうな声で叫ぶ亜久里。彼女の主張は、いつも通りほとんどが感情論だった。

 コレがしたい。コレはイヤだ。ただそれだけの主張。ただそれだけの……亜久里の心からの願い。

 いつもの癖とでもいうのか、彼女の主張への反論が瞬時に丞の脳裏によぎる。

 亜久里に論理的な説明をし、合理的な妥協案を提案する。亜久里の間違いを指摘し、その結果彼女を論破することも可能だろう。


「……」

 ……だが、どうしてもできなかった。

 そんなレスバを亜久里に突き付けることに、何の意味も見いだせなかった。

 ただ、亜久里を慰めてやれない自分が不甲斐なかった。


「……ごめん」

 その謝罪の言葉で、亜久里もそんな丞の胸中を察したようだった。


「……うちのこと、助けてくれないの? 音姫の方が……正しいって思ってるから?」

「……あの人を論破するのは容易じゃない。この前の服装チェックの時とは話が違う。今回は亜久里に多少なり非がある。もし会議で正面からぶつかって負けたら……それこそ卒業までチャンネルが止まる可能性がある」

「だから最初から負ける前提で、傷を浅くするってこと? そんなの……イヤ! 悔しすぎだし! なんで勝負する前から負け確でやんなきゃいけないわけ!?」

「イヤとか悔しいとか、そういう感情論の話じゃなくて……」

「感情論の何がいけないの!?」


 涙声の混じった亜久里の糾弾に、丞が胸を押されたように後ずさる。


「丞にとってうちの感情は……うちの気持ちはどうでもいいことなの!? ルールの方が大切なの!?」

「そ、そういうわけじゃ……」

「そうじゃん! 丞は彼女よりルールの方が大切だからうちのこと助けてくれないんでしょ!? うち……うちそんな悪いことした!? 彼氏にこんな見放されなきゃいけないようなことしたの?」

「……」

「友達の部活を応援したくて動画撮っただけじゃん……校舎の隅で誰かがヤってたとか知んないし……そんなんヤってた二人が悪いんじゃん。なんで……うちがこんな目に遭わなきゃいけないの……?」


 地面に膝を折り、ついに亜久里ははっきりと涙声を漏らした。

 足元でくずおれ嗚咽を漏らす亜久里に、丞は何も言葉を返すことができなかった。

 論破されたわけでも言い負かされたわけでもないのに……何も言葉が出なかった。


「……ごめん」

 やがて、ようやく一つだけ零れた言葉が、それだった。


 亜久里の恋人として、彼女に最善のアドバイスをしたつもりだった。

 勝ち目の薄い美弥子との正面衝突を避け、少しでも傷を浅くするのは今の局面では最も無難な戦略のはずだ。

 結果、亜久里が多少の罰を受けるのも、やはり仕方のないことだと感じていた。


 経緯はどうあれ亜久里はよくないことをした。

 美弥子の言い分は間違っていない。学校の判断も理解できる。

 だが亜久里のことが大切だから、せめて罰が軽くなるようにしてあげたい。そのためのアドバイスを授けた。

 合理的だ。丞のロジックは筋が通っており、淀みなく説明することができる。

 丞は今、間違いなく『正しいこと』をしているはずだ。


「……ごめん、亜久里……」

 なのに、丞の口からはそんな言葉しか出てこなかった。




 翌日の土曜日。丞は一日中部屋でゴロゴロとしていた。

 真面目な彼にしては珍しい休日の過ごし方だった。

 授業の予習復習もせず、健康な身体作りのために運動やトレーニングをするでもなく、撮り溜めしたお気に入りの刑事ドラマもまだ今週分を見ていない。


 そういう休日は大抵亜久里とのデートがある日なのだが、今日はその予定もない。

 デートがない日は亜久里からLINEが来たりして、メッセージを送り合ったりしているが……今日はそれもない。

 本当に、何の予定もなく、そして何もする気になれない一日だった。


「……」

 ベッドの上で何時間も寝転がりながら、馬鹿みたいに天井を見つめる。

 そして考える。自分という人間について。あるいは正義について。

 父の遺した言葉について。今回の一件について。音姫美弥子の主張について。

 ……乾亜久里という少女について。


「……」

 いずれにおいても何の答えも出ないまま、ただ時間だけが空費されていく。

 やがて日が暮れて夜になり、丞はMeTubeのアプリから通知が来ないことに違和感を覚える。

 いつも土曜日の夜は亜久里が配信を行っていた。だが今日は休みのようだ。


 Twitterを確認しても休みの告知はされていなかった。

 昨日のことでまだ落ち込んでいるのだろう。

 いつもこの時間は亜久里に内緒で配信を見守っていたから、いつも以上に余計に手持無沙汰な気分だった。


「……アーカイブでも見るか」

 そうして、適当なアーカイブを再生してダラダラと眺める。

 画面の中では亜久里が満面の笑みで、今日あった出来事や映画の感想などを話している。

 中には丞と行ったデートの話題や、丞としたくだらないレスバについてぷりぷりと怒っている様子などもある。

 だいたいどのアーカイブも同じような雑談配信がメインだ。


 正直、丞は亜久里の配信をあまり面白いとは思っていない。

 まあそれは今更だ。食べ物や映画やファッションの好みも正反対なのだ、配信の好みだって違うだろう。

 でも、こうして楽しそうに笑う亜久里を見るのは好きだった。

 配信の内容なんてどうでもいい。彼女が日々どんな体験をし、どんなことを感じたのか。それを共有することが楽しかった。

 そう思っている人達が、丞の他にも三万人もいるということが誇らしかった。

 彼氏として。亜久里の一ファンとして。彼女の成長を見届けたいと思う。


「……」

 だが自分が今やろうとしていることはその真逆だ。

 彼女の活動を阻害しようとする者に共感し、それに加担しようとしている。

 そんな自分の現状が嫌になって、丞はアーカイブを閉じて背もたれに体重を預けて天井を仰ぐ。

 目を閉じると、疲れてもいないはずなのに、ずん、と疲労が瞼の裏に落ちてくるような感覚があった。


〝――丞。お前は正しく生きなさい〟

 ここ最近、よく父のこの言葉を思い出す。


 父はかつて直属の上司に命令され、不正の隠蔽に加担したらしい。

 それが原因で処罰されキャリアを失い、やがて心労によって倒れた。

 具体的にどのような不正だったのかは、当時小学生だった丞には理解できなかったし、今も詳しくは覚えていない。今改めて調べることもできるだろうが、そんな父の人生の恥部を掘り起こすような真似はしたくなかった。


 事件の詳細を把握していない丞ではあったが、一つだけ確信していることがあった。

 それは、その当時、父は父なりにをしようとしていたはずだ、ということ。

 もしそれが明らかな悪事なら……たとえば上司の私欲を肥やすため、あるいは保身のためだけの不正ならば、きっと父はその隠蔽に手を課そうとはしなかったはずだ。


 たとえ親しい間柄、恩義のある上司の命令だったとしても――いや、そんな相手であればあるほど、父は不正を止めようとしたはずだ。

 父が手を貸したということは、父をたぶらかした上司の言葉に一定の理があったのだろう。

 父は悩み、最終的には生涯その決断を悔やむことにはなったが、当時の父は自分の行いには正しい部分もあると信じていたはずだ。


「……俺と亜久里も、きっとそうだ」


 二人は日々くだらないことでレスバを繰り返すレスバカップル。

 どちらも自分の正しさを信じているからレスバに発展するわけだが、もし絶対的な正しさが存在するのならそもそもレスバなど起こらない。

 仮に起こっても必ず正しい方が勝利するはずだ。


 だが実際はそうではない。

 論者がみな、正しさを追求し、そのゴールへ向かって進んでいるわけではない。

 そうではなく、『自分の正しさを相手に納得させる』ことこそがレスバの本質。は、実は二の次なのだ。

 実は今回の一件で問われているのはそれなのではないか、と丞は思い至る。


「……確かに、音姫先輩の主張は正しい」

 少なくとも丞はそう感じた。

 丞が重んじる合理性の秤は間違いなく音姫美弥子に傾いている。


「――でも、亜久里の主張だって正しいはずだ」


 力強い声で自分自身を鼓舞するように呟く。

 美弥子の価値観や主張に理解できる部分が多いように、『そんな厳罰を課されるほどの悪いことはしていない』という亜久里の主張にも共感できる。


 大抵の物事というのは、善悪どちらも孕んでいるものなのかもしれない。

 どちらの言い分にも理があり、見る角度を変えればどちらも正義になりうる。

 だからこそレスバが起こるのだとすれば……、


「――俺のやるべきことは」

 どちらが正しいのか、などということを追い求めるのではなく、


 ――亜久里の正しさを証明してやることなのではないのか。


 丞は目を見開き、椅子から力強く立ち上がった。


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