第4章 間違ってるから論破したい
17話 『唐揚げにレモンをかけるか』
先週に教師による
そして金曜日に亜久里の恋人の
その翌日からの連休に、亜久里が極めて珍しいことにSNSを全く更新しなかったというのも、亜久里と親しい仲の友人達の間で話題になった。
もしや、ついにいつものレスバが一線を越え、二人の仲に亀裂が走ったのではないか。
あるいは既に破局してしまい、丞は美弥子に恋人を乗り換えるのではないか。
だからここ数日亜久里に元気がないのだとすれば、これは大変なことになる。
クラスメイト達がそう身構えて恐る恐る登校した、週明けの月曜日……。
「えぇ~、丞は唐揚げにレモンかけないんだぁ~」
「そうだな、やっぱり衣のサクサク感がなくなるのがもったいなく感じるかな」
「そっかぁ、じゃあうちもこれからはもうかけなぁ~い♪」
「え、でも亜久里はレモンをかける方が好きなんだろ?」
「うん、うち酸っぱいの超好き! レモンかけてマヨネーズもかけるレベル! これほんと美味しいから!」
「はは、なら俺も今度レモンかけてみようかな」
「え、うそ、うちに合わせてくれるの? 丞優しすぎ……しゅき♪」
「俺もだよ亜久里」
――思ってたのと違う!
教室に登校してきたクラスメイト達は誰しもが内心でそう驚きながら着席した。
もしかすると二人は週末の内に破局しているのでは……などと心配していたのが馬鹿らしく思えるほど、二人はいつにも増して激甘なイチャつきムードをまき散らしていた。
――実は皆が登校してくる数分前に、二人はそれぞれ別の理由で音姫美弥子を訪ねており、そこで打倒美弥子を誓って結束したところだったのだ。
その後にクラスメイトを待ち構えていたのは、それはもう史上最高にラブラブなバカップルの姿。
しかもいつもと違うのはイチャつき具合だけではない。
「ねえ、それじゃあ今度うちで唐揚げパーティしようよ! でさ、うちの食べ方と丞の食べ方どっちも試すの!」
「いいなそれ。ちなみに二度揚げはする派?」
「えーしないかも。メンドくない? 丞はする派なの?」
「ああ、やっぱり衣の仕上がりが全然違うからね」
「そっかぁ、丞がそう言うならうちもやる~」
「いや、どっちの食べ方も試すなら、どっちの作り方も試そう。いつも亜久里が作ってくれるお弁当の唐揚げも美味しいから、あれも食べたいな」
「嬉しい~! もう、超美味しく作るから期待しててよね!」
なんと、二人は今日一度もレスバをしていない。
『唐揚げにレモンをかけるか否か』。
丞と亜久里でなくとも激論になる可能性があるこのテーマにおいて意見が対立したにも関わらず、二人は和やかに会話を続けている。
いつもなら、
『――おいおい、唐揚げにレモンをかけるなんてありえないだろ、何考えてるんだ』
『はあ!? これが至高の食べ方なんですけど? この良さが分かんないとか味覚音痴じゃん』
『何のために二度揚げして衣の食感をよくしてると思ってるんだ。レモンなんて掛けたら全部が台無しになるだろ』
『そもそも二度揚げなんかしないから関係ないし。そんなに衣が好きなら皮だけ食べれば? うちはレモンとマヨネーズの味まで含めて唐揚げなの!』
……などと益体もないレスバを繰り広げていたはずだ。
だが実際にはそんな気配はなく、二人のバカップルぶりはいつもより一層水っぽかった。
それから授業を消化し、昼休みを終え、午後の授業が始まってもその状態は続いた。
途中何度か、あわやレスバに発展するのではと周囲がピリつく瞬間があったが、当の二人はそんな心配などどこ吹く風と、ずっとベタベタと甘い空気を醸し出し続けた。
そんな二人を見て訝しむクラスメイト達。
その話題は他クラスの生徒にまで波及し、少しずつ面白半分の推測が加熱していった。
気になった亜久里の友人が、たまらず直接亜久里に探りを入れると、今週末に今回の亜久里の処分を決める会議が開かれるという情報を引き出すことに成功。
その情報が生徒間で共有されると、今度は音姫美弥子もその会議に出席するという話も浮上する。
そこから、先週末の丞と美弥子の中庭での昼食の件なども話が繋がっていく。
そんな話題が一日かけて生徒達の間で醸成され、翌日の火曜日、朝のホームルームが始まる前には既に、学校中を一つのトピックが席巻した。
――今週の金曜日。学内一のレスバカップルと、鬼の生徒会長が激突する、と。
校内で知らない者はいない三人。原因はこれまた校内を騒がせた、例の亜久里の動画の件。
亜久里のチャンネルが存続の危機にあるという情報まで広まり、それを助けるために丞が立ち上がった、という流れまで正確に伝わっていた。
愛する恋人のために、誰もが恐れる『氷姫』音姫美弥子に宣戦布告する丞の男気は、年頃の女子高生達の恋愛脳を激しく刺激した。
さながら一大ラブロマンス漫画のクライマックスを予想し合うように、女子の間で持ち切りの話題となった。
一方で男子生徒達はこのマッチアップそのものに大きな関心を見せた。
教師すら恐れさせる、どんな言い訳も氷の眼差しで容赦なく論破する最強の生徒会長。
対するは連日周囲を巻き込んでレスバを繰り返している迷惑なバカップル。
いったいどちらが勝利するのかという議論が男子生徒達の間で盛り上がり、中には賭けすらしている者もいると噂が流れてきた。
当然そんな話題は教師陣の耳にも入り、どんどん加熱していくこの話題をどう扱ったらいいものか……また週末に行われる会議をどのような形で終結させるべきか。
今から教師達も頭を悩ませることとなるのだった。
「ワハハハ、なんだか凄いことになってるな丞」
火曜日の昼休み。丞は屋上で綱一郎と昼食を採りながらからかわれていた。
「厄介な話だよ。おかげで亜久里は今質問攻めに合ってる所だ」
丞が辟易したように焼きそばパンにかじりつく。
今日も亜久里と一緒に昼食を採ろうと思っていたのだが、今校内で持ちきりの話題について話を聞きたいと亜久里の友人達が押し寄せ、その相手で手一杯のようだった。
仕方なく綱一郎と二人で昼食を採ることにした今も、屋上にいる他の生徒達からチラチラと横目で見られながらヒソヒソと噂話をされている。
「ちなみに俺も完全に興味本位で聞くんだが、噂はほんとなのか? 今週末に三年の音姫先輩とやり合うって」
「……まあ、な」
「しかも正面からぶつかるって? あの『氷姫』の異名を持つ生徒会長と?」
「そうだ」
はっきりと断言する丞を見て、綱一郎は一層興味深そうにヒュー、と口笛を吹いた。
「それって、乾のためなんだよな? 例の件で」
「ああ。ほんと、たった一日でよくそこまで噂が広がるもんだ」
「そりゃネタとしては最高だからな。俺だって興味津々だぜ? ぶっちゃけ、勝算のほどは?」
「……正直言うと、今はまだ勝ち目は薄い。だがまだ時間はある、なんとかするさ」
「レスバって時間でなんとかなるもんなのか? 想定問答でも用意するのか?」
「それももちろんあるが、まず次の会議で行われるのはレスバじゃない。それよりもう一つ踏み込んだ――そうだな、ディベートに近い」
「ディベート? なんだそれ」
「特定のテーマに沿って、主に賛成と反対の二つに分かれて議論をすることだ。今では競技としても認められてて、ちゃんとルールを定めて大会が開かれたりもしてるんだ」
「へえ。でもそれってお前らがいつもやってることと同じじゃん。何が違うんだ?」
綱一郎の言う通り、レスバも広義の意味では議論・討論の一種だ。
味噌汁を白米にかけて食べるのに賛成か反対か。結婚式は教会式か神前式か。キラキラネームに賛成か反対か。唐揚げにレモンをかけることに賛成か反対か。
議論のテーマとしてはこれも十分に成り立つ。
同じく、『乾亜久里の処分として、卒業までチャンネル運営の休止は妥当か否か』が、次の会議で議論されることになるという状況だ。
「厳密な意味での細かな差異はともかくとして、少なくとも俺達が普段しているレスバと今回の会議の大きな違いは二つある。一つ目は『審査員がいること』だな」
「審査員? ――ああ、先生か」
ディベートも両サイドの議論を聞いた上でジャッジを下す審査員がおり、彼らの投票によって勝敗が決する。
今回で言えば、会議に参加する教師陣がその役割を担う。
それに付随して、『必ず勝敗が決まる』というのもレスバとの違いだ。
レスバはどれだけ劣勢で、傍目には論破されている状況でも、本人が負けを認めさえしなければ勝負は続行できるし、そのままドローで逃げ切ることも可能だ。
だが今回の会議では、必ずなんらかの形で亜久里の処分が決定される。
それがそのままこのディベートの勝敗の結果となる。
「逆に言えば、先生を納得させれば、必ずしも音姫先輩にレスバで勝つ必要はないってことか」
「そう、そこが一番重要な観点だな」
おそらく、通常のレスバで美弥子を論破することは不可能だろう。
議論の力量という点でもそうだが、美弥子は丞にどれだけ詰められようとも自分の信念を曲げないだろうし、自分が間違っているとは認めないだろう。
それは丞や亜久里も同じ。
丞が美弥子に伝えた通りだ。どちらにも正しいと思える点がある以上、決定的な勝敗が付くことは稀だ。
だから丞が訴えかけるべき相手は美弥子ではなく、それを傍聴している教師陣ということになる。
極論、丞と亜久里が美弥子に徹底的に論破されたとしても、教師や校長が亜久里の処分を改めると決定さえすれば丞の勝利となる。
今の段階では、どうすれば美弥子を論破できるか、よりも『どうすればより教師達の共感を得られるか』という視点で論理を組み立てるのが無難だ。
「それで、もう一つの違いは?」
「テーマが決まってること。つまり、『準備期間がある』ってことだ」
「ああ、確かにレスバで事前準備なんておかしいもんな。ワハハハ!」
綱一郎の言う通り、一般的に『レスバ』と呼ばれるような口論は、基本的には突発的に発生するものだ。
何月何日にどこどこでレスバするぞ、なんていう予定はほとんどの人類にとって起こり得ない。
だが今回の会議は事前にテーマが決められている。
故に想定問答を組むこともできるし、自分の主張や論理をじっくりと構築したり、それを実際に口に出してプレゼンする練習も行える。
「理屈っぽいお前にとっては、時間をかけて情報を集められるのは有利だな」
「……有利、か。……まあ、これを活かさないと勝てないのは確かだな」
データやソースを元に討論するのが丞のレスバスタイルだ。
その準備時間をたっぷり取れるのは確かにありがたい。
……ただこれが丞にだけ有利かというと、おそらくそうではない。
宿敵である音姫美弥子もまた、丞と同じかそれ以上に理詰めの論法を得意としている。
彼女もまた入念な準備で会議に臨むだろう。彼女にも時間を与えることは危うい条件だ。
いったい美弥子はどんな論理を展開してくるだろう。
どこを攻めてきて、逆にどこを攻められると予期し守りを備えるだろう。
こんなことはどれだけ考えても限界のある詮無いこと。そういうときにできることは限られている。
それは、『同じ情報を集める』こと。
テーマに関するデータを可能な限り集めることで、美弥子が用意しうる論法もある程度予測できる。
それは美弥子も同じ。互いの手札をある程度看破し合った状態で、なお相手の予測を外すような角度から攻め、相手のロジックを崩す。それしか丞に勝ち目はない。
つまり丞のすべきことは、ここから金曜までの三日間、徹底的に事件を捜査し、それをソースとして亜久里の正当性と美弥子の主張への反論要素を見出し、それが教師陣にしっかりと伝わるよう十分にプレゼンの練習をすること。
――それが彼のタスクだ。
「それで、まずはどこから調べるつもりなんだ?」
「とりあえずできるところからだな。一つ一つ、この一件の最初から。――『捜査は足で。聞き込みは対話で。どちらにも大切なのは粘り強い心』。父の言葉だ」
丞は決意の言葉と共に、パンの最後の一口を口に放り込んだ。
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