13話 『校則に違反してなければ問題ないのか』

 時間は亜久里への事情聴取が始まる直前まで遡る。

 亜久里が呼び出されたのは第三多目的室。

 ここは多目的室とは名ばかりの、長机がロの字型に設置されているだけの小部屋。もっぱら会議室として使われることが多かった。

 中には校長と担任の二人がおり、二人は向かい合う形で座っていた。


「乾さん、ここに座って」

 担任に促され、担任の隣の席に座る。


「三人だけですか?」

 亜久里が尋ねる。

 もっと大勢の大人が待ち構えているかもと内心怯えていたが、たった二人で拍子抜けした。だが担任は首を横に振った。


「あと一人呼んでるんだが、少し遅れるそうだ。もう少しで来るそうだけど……」

「ああ、噂をすれば来たようですね」


 校長が廊下の奥から近づいてくる足音に気づいた。

 やがて足音は第三多目的室の扉の前で止まると、軽いノックのあと「失礼します」という声と共に開けられた。


「――げっ! あ、あんた……!」


 部屋に入ってきた人物を確認し、亜久里が露骨に顔を歪めて嫌悪感をむき出しにする。

 扉の奥から現れたのは、かねてより亜久里の宿敵……『氷姫』の異名で恐れられる鬼の生徒会長、音姫美弥子おとひめみやこだった。

 美弥子は眼鏡の奥からナイフのような眼光で亜久里を一瞥すると、部屋を進んで校長の隣に座った。


「なんであんたがここにいんのよ……」

「参考人として呼ばれただけだ。何か問題でも?」

「参考人? 何の参考人よ」

「それは僕の方から。正直、僕も校長も、そのSNS? とかっていうの利用してなくて、よく分からないんだよね。MeTubeくらいはたまに見るけど」

「私なんてまだガラケーだよ」


 校長が笑いながらガラケーを見せると、亜久里が「マ!?」と驚愕した。


「だからそういうのに詳しい人に一緒に話を聞いてほしいと思ってたら、音姫さんが名乗り出てくれてね。今回お願いすることになったんだ」

「……別にこいつじゃなくてもいいじゃん。あんたネットとかほんとに詳しいの?」

「人並には。それに生徒会長としてダンス部を承認したのも私だ。そのわずか数か月後にこんな事件を起こされては、私達の沽券に関わる。あまり杜撰な部の運営をしているようならこちらも対応を考えなければならないからな」

「ちょっと、ダンス部は関係ないでしょ!? ダンス部に手出さないで! てかルミルミ呼んでよ、あの子と一緒に話した方が早いじゃん」


 亜久里の提案に、美弥子が「駄目だ」と冷たく突き放す。


「奴は今別の部屋でお前と同じように取り調べを受けている。お前達が口裏を合わせないようにな。下手な嘘は吐かない方が身のためだぞ」

「取り調べって……犯罪者みたいな言い方しないでくれる? そこまでのことしてないし!」

「それを判断するためにこの場があることを忘れるな」

「まあまあ二人とも、そんなことを言い合うために集まったんじゃないんだから」

「失礼いたしました。お見苦しい所をお見せして申し訳ありません。初めてください」

「ふんっ!」


 苛立ちを見せながらも、亜久里はぽつぽつと事の経緯を語りだした。

 元々撮影していたのはダンス部の宣伝動画だった。

 その終わり際に、校舎の窓ガラスが割れる音が鳴り、屋上から校庭を撮影した。


 その画面の奥に、いかがわしい行為をしている男女の映像が映りこんでしまっており、亜久里はそれに気づかないままその動画を自分のチャンネルにアップしてしまった。

 動画についたコメントによってそれに気づいた亜久里はすぐに動画を非公開にしたが、既にネット各所で取り上げられてしまっており、炎上。

 それは今もまだ続いており、校内の生徒や保護者の間でも持ちきりの話題となっている。


 ここまでが騒動の経緯だ。

 担任と校長は不明点があると亜久里と美弥子に遠慮なく質問を投げかけ、馴染みのない文化を真剣に学ぼうとする姿勢を見せていた。


「その動画というのが、これだね?」

「はい」


 亜久里が非公開にしている動画を自分のチャンネルで再生。

 スマホに映して全員に見えるように机に置いた。

 その場の全員が既にその動画を見たことがあったが、亜久里の説明を受けながら見ることでより正確に状況を理解することができた。


「まあ、これは気づかなくても無理ないでしょうね」

 担任が軽く笑いながら動画を指差す。

 動画を限界まで拡大しても、スマホの画面ではカップルらしき人影を確認するのも大変なくらいだった。

 校長も「うむ」と腕を組んで頷いた。


「状況は分かった。乾君も、わざとではないんだろう?」

「も、もちろん! ――です! こんなの映ってたなんて知らなかった。嘘じゃないです!」

「当然、ダンス部にもそういった意図はなかったでしょう。これは他の先生方も仰っていた通り、やはり不幸な事故ってやつじゃないでしょうか」


 担任がそう言うと、亜久里の表情は一気に明るくなる。

 問答無用で悪者扱いされるかもしれないと怯えていたが、担任も校長も今回の一件で亜久里を必要以上に責めるつもりはなさそうな様子だ。


「肝心のこの破廉恥な男女についてですが、この二人が誰なのかはまだ特定されていないみたいですね。これだけ騒ぎになってまだなら、今後もおそらくないでしょう」

「何よりだ。特定されてしまっていたら余計に話がこじれていただろうし、その二人にも校内でのふしだらな行為を指導しなければならなかっただろうからな」

 

 特定されていないのなら指導もできない。

 消極的な考え方だが、これは学校のほとんどの教員が思っていることだった。

 亜久里にしても自分の行動が危うく誰かの人生を狂わせてしまったかもしれないと考えると、このカップルの特定など誰にもしてほしくないし、その気配がないことに安堵していた。


「どちらかというと問題なのは、この件で保護者の方々から苦情が何件か来ていることと、ネットで我が校の名前が悪目立ちしてしまったことでしょうかね」


 亜久里が唇を固く結ぶ。

 これに関しては言い逃れのしようもなく亜久里も自身の非を認めるところだ。

 学校に迷惑をかけてしまった以上、ここを突かれると辛い。

 だが幸いなことに、これに関しても担任と校長は亜久里の責任を重く捉えてはいなかった。


「乾さん、ひとまず今後は、騒ぎがある程度落ち着くまでは学校に関する動画をアップするのはやめてもらえるかな」

「え? あ、はい……そ、そんなのでいいんですか?」

「ああ。校舎内での撮影や、そうだな……できればうちの制服とかもアップしないでほしい。そのハイシン? っていう活動でも、できるだけうちの学校名とか、校内での話題とかを出さないようにする、って感じかな」

「うむ。それがいいだろう。とにかく今は我が校に関する話題を提供するのを避け、事態が自然におさまるのを待つべきだ」


 燃料が投下されなければ炎上はいずれ鎮火する。

 担任と校長はSNS文化には疎いが、人生経験から大衆の性質をよく理解していた。

 今は火が強すぎて、どんなネタを投げ入れても燃える状態だ。

 だが時が経ち人々の興味が昴ヶ咲高校から離れればその心配もなくなる。保護者の怒りも一過性のもので終わるだろう。


「では乾さんはSNSでこの件について極力触れないこと。周りの生徒への口外も原則禁止。騒ぎがある程度収まればまた普通に活動再開。ただし再発防止を十分に心掛けること……というのでいかがでしょう校長」

「うむ。それで問題ないかと。乾君は?」

「はい! オッケーです! 全然問題なしです!」


 内心で「やった!」とガッツポーズする亜久里。

 処分としては『厳重注意』という形に終わったと言えるだろう。

 亜久里の活動に多少の制約は加えられたが、それも短い期間内の話。亜久里の進路に何かペナルティが課せられることもなく、この程度なら実質ほぼ無傷で事が済んだと言える。


「ダンス部にも基本的には同じような条件を提案することになると思います」

「承知した。まあ何か重大な校則違反があったわけでもなし、その辺が落としどころだろう」


 担任と校長が互いに了承し合うと、場の空気は弛緩し始める。

 思っていたよりもずっと早く事情聴取が終わる気配を感じ、亜久里がほっと一息ついた、そのとき――


「――校則違反があったわけではない、と今仰いましたが」


 氷のように澄んだ、そして冷たい声が放たれた。

 それまで質問や補足を求められたとき以外は黙って成り行きを見守っていた音姫美弥子が、終息しつつあった議論を再び掘り起こした。


「そもそも校内の撮影許可は下りていたのでしょうか?」

 何気ない質問のはずだが、何故か部屋の温度が数度下がったような錯覚を他の三人は感じた。


「……いやだから、あの動画はもともとダンス部からお願いされたんだから、許可されてるに決まってるじゃん」

「それはの許可であって、学校に撮影許可を申請したわけじゃないだろ?」

「それは……でもダンス部がいいって言って、ダンス部しか映ってないんだからいいじゃん。屋上はダンス部の練習場所だったんだし。誰にも迷惑かけてないじゃん」

「おいおい、今回の一件で多くの人間に迷惑をかけているということは忘れるなよ?」

「……っ」


「百歩譲って、仮にあなたの理屈で話を進めるとしても、あなたは屋上から校庭を映した。だが校庭で練習中だった運動部の許可は取っていないだろう? つまり無断で撮影した映像をネットにアップしたことになる」

「はあ!? そ、そんなん言ってたら撮影なんかできないじゃん!」

「だから、普通はしないんだ校内の様子を撮影なんて。ましてそれをネットにアップロードなど」


 その美弥子の言葉に反応したのは、亜久里よりもむしろ担任と校長だった。

 今まで議論の観点だったのは、亜久里の不注意や、放課後の空き教室で盛っていたカップルの存在。保護者やネットの反応といったものだった。


 だが今美弥子が提示したテーマはもっと根本的なもの。

 すなわち、『そもそも校内で動画の撮影などしてはいけなかったのではないか?』というもの。

 それは二人の価値観では存在しなかった問題提起だった。


「いや皆やってんじゃん! あんたが陰キャで友達いないからやらないだけでしょ? 休み時間に教室の様子を映してSNSにアップしてる子とかもたくさんいるじゃん!」

「ほう、そんな生徒がいるのか。それは聞き捨てならないな。その不届き者の名前は?」

「え……い、いや……それは……」


 そういう生徒がいるのは本当だ。

 SNS利用者はもちろんのこと、亜久里以外にも配信者や動画投稿者はいる。

 実際にこの場で数名の生徒の名前を挙げることは可能だ。だが……


「……そんなん言えないし。友達売れるわけないじゃん」

「売る? つまり校内での撮影は悪しき行動だという自覚があるという意味だな?」

「そんな風に決めつける人には教えたくないっつってんの! 揚げ足取んないでよ! てか許可許可言ってるけどさ、そんな校則あんの?」

「さあ? 私もそこまでは知らん」


 あっけらかんと言い放つ美弥子。

 てっきりそういう裏付けをして話しているものだと思っていたので亜久里は若干拍子抜けした。


「ほら知らないんじゃん。なのになに偉そうに言ってんの?」

 当然亜久里も知らないのは同じだ。だがとにかく反撃がしたくて美弥子を責め立てる。


「気になるなら調べてみようか?」

 担任はそう言うと、スマホで昴ヶ咲高校のホームページを検索し始めた。

 昴ヶ咲高校の校則はホームページに全て記載されている。

 亜久里と美弥子のこのレスバの行方もそれで明らかになる。


「……」

 平静を装いつつも、亜久里は内心で若干ビクビクしていた。

 『知らないくせに偉そうなことを言うな』と美弥子に言ったが、それは亜久里にも言えること。

 担任がスマホを操作する音が多目的室に流れる。

 亜久里は背中に冷や汗を隠しながら。美弥子は澄まし顔で静かに座りながら担任の報告を待った。

 やがて……


「――――ありませんね。校則として厳密に記載はされていません」

 担任の言葉に亜久里が目を見開く。


「他の校則を拡大解釈しても……そうですね、今回の件に該当するとは思えません」

 緊張していた亜久里の表情が、あからさまにニヤリと歪んでいく。

 先程まで口ごもっていた姿はどこへやら。

 亜久里はずい、と机に身を乗り出して美弥子に顔を近づける。


「ほーら! 書いてないじゃん! ねえあんた、さっきから偉そうに何突っかかってたわけ? 誰も校則違反なんかしてないんですけど」

 盛大にドヤ顔を見せつける亜久里と、涼しい顔でそれを見返す美弥子。


「こら乾君、よしなさい。音姫君は君のために時間を割いてくれているんだぞ」

「……はーい。すみませーん」

 言葉だけの謝罪にも美弥子は眉一つ動かさない。


「えー……では、音姫さんも、そういうことでいいかな? 乾さんは校則違反はしてなかったってことで、問題ないわけだし」


 担任がそう尋ねると、傍らの亜久里も得意げにふふんと鼻を鳴らした。

 美弥子は小さく嘆息すると静かに瞳を閉じた。

 それを見た他の三人は、それが美弥子の「異論なし」の合図だと受け取った。


 ――だが美弥子の反撃はここからが本番だった。


 閉じていた目を静かに開く美弥子。

 その眼光が、いつにも増して危うい鋭さを放っていた。


「なるほど、校則違反ではないから問題がない……先生方もそうお考えなのですね?」

「当たり前じゃん! ね、先生」

「そうですか。なら――いずれ同じ事件が起こるのも時間の問題でしょうね」


 ぴくん、と担任と校長の肩が揺れる。

 美弥子の発言の意図を瞬時に察し、ハッとした顔を浮かべる両者。


「は? なに決めつけてんの。適当なこと言わないでくれる? うちはもうこんなミスしないし」

「あなたがしなくても、他の生徒がするだろう。何せ他にも校内を無断で撮影している生徒は大勢いるそうだからな」

「っ……それは、」

「そしてそれを止める術はない。何故なら。今回のようなことは今後も起き続けるでしょう」

「……音姫さん、我々も別に、無条件に認めているわけではないですよ? 一般常識的に……モラル的には、許可は必要だという認識です」


 取り繕うように笑って誤魔化す担任。

 だがそんな作り笑いは、『氷姫』の前では一瞬で凍り付く。


「ルール化されていない、ただのモラル違反では罰則は設けられませんね。罰則のないなど生徒は守らないでしょう。平気な顔で今後も校内の様子は数百人の生徒のスマホに晒される」

「……」

「次は個人が特定され、『校内でいかがわしいことをした』と一生ネットに名前が残るかもしれませんね。あるいはイジメに発展したり、ショックで精神を病んでしまったり。そのときこそ昴ヶ咲高校は、一度起きた事件に学ばず対策を講じなかった責任を追及されることになるでしょう」

「そんなん悪い方に考えすぎじゃん! 実際今回だって特定とかされてないんだし」


 一気に場の空気、特に担任と校長の気配が変わったのを亜久里も感じ取った。

 それを嫌った亜久里が反論するが、美弥子はものともしなかった。


「あなたにとってはラッキーなことかもしれないが、心当たりのある当人にとっては気が気ではないだろう。いつ自分だと特定されるのか、そのときにどんな羞恥を受けるハメになるのか、今も一人で怯えているかも」

「それは……」

「だが特定されていないため、学校からのケアもできない。誰にも相談できない。そんな彼女に、あなたは謝罪すらできていないだろ?」

「……」


 全て図星だった。

 女子生徒が特定されていないことを、亜久里も含め学校側も幸運だと思っていた。この不幸な事故の、せめてもの救いだと。


 だが美弥子はそのデメリットを指摘した。

 『特定されていないのだから』と感じるのは外野の意見。当の本人は今美弥子が語った通り不安な日々を送っているかもしれないし、それをケアすることもできないのも事実。

 何よりも、その事実にこの瞬間まで思い至らなかったということが亜久里の罪悪感を刺激した。

 ――同時に、この議論における教師陣の心象にも大きく作用した。


「音姫君の意見は分かった。確かに今回の件を受けて、学校も規則を見直すべきかもしれない。だがもう済んでしまったものは仕方がない。それで乾君を執拗に責めるのは酷じゃないか?」

「お言葉ですが、まだ何も済んではおりません。むしろ逆。を論じるための会ではありませんか」

「……うーむ」


 ――それは、本来は違う。

 この場はあくまで亜久里から事件の事情を聴くための場だ。

 だが美弥子はそれを捻じ曲げ、亜久里の審判の場に仕立て上げた。

 そして美弥子の空気に呑まれた三人はそれに気づけない。


「……では、君はどんな懲戒処分が適切だと考えているのかね?」

「今回の一件は文章化すると、『学校に無断で校内の様子や人物を撮影し、それを無許可でインターネットにアップロードした』ということになります。このような事態は今後も発生する恐れは十分にありますが、今回の被害は、想定される中でも甚大な部類と言えるでしょう」

「ふむ……」

「その乾さんを厳重注意で済ませたなら、当然他の生徒はそれ以下の処分になる。違反が孕むリスクに対し、抑止力は極めて小さいと言わざるを得ません」

「あんた……」


 そこまで聞いて、亜久里もいよいよ美弥子の真の目的に気づく。

 美弥子はただ亜久里に難癖をつけたいだけではない。


 ――美弥子は、亜久里に厳罰を課したいのだ。


 この事情聴取の付き添いに申し出たのもそれが目的かもしれない。

 厳重注意でまとまりかけていた場の空気に対し反論を……いや、を仕掛け、無理矢理に亜久里の責任を重くしようとしているのだ。

 美弥子の言葉を聞いていた校長が、悩ましそうにうめき声を漏らした。


「そうなると……停学、かね? 厳重注意以上となるとそうなるが……」

「ちょ――ちょっと待ってよ! いくらなんでも重すぎるでしょそんなの!」


 焦燥感に突き動かされ、亜久里が思わず机を両手で叩く。

 厳重注意と停学は懲戒処分としては全くレベルが違う。

 厳重注意は、もちろん指導という意味では重く受け止めるべきだが、実質的に生徒にとって傷となるようなものはつかない。

 だが停学となれば内申にも響くし、学校からの推薦も受けられない。学生にとって痛手となる。


「確かにそれは……」

 担任も眉をひそめる。


 この一件で亜久里にも不注意があったのは自他ともに認めるところだが、酌量の余地はあると多くの者が思っていた。

 悪気があったわけでもなく、淫行の見落としも不可抗力と言える部分もあった。

 その亜久里に対し停学は、あまりにも酷だと担任と校長が心を痛めた……ちょうどそのタイミングを見計らったように、美弥子の言葉が滑り込む。


「――では、そもそもの発端となった、乾さんのMeTubeチャンネルとやらを、卒業まで休止するというのは?」

「はあ!? なにそれ!」


 いきなり思いもしない角度から提案を突き付けられ、亜久里が素っ頓狂な声を発する。

 だが加熱する亜久里とは対照的に、美弥子はいたって真面目な表情で……あるいは氷のような鉄面皮で話を続ける。


「チャンネルがなければ動画もアップできなくなる。つまり物理的に事故の再発を防げます。それでこそ『二度と同じ失敗を繰り返さない』という決意と反省の表れと言えるでしょう」


 担任と校長が興味深そうに美弥子の話を聞き入る。

 美弥子の提案自体に一理があるようにも思えたし、反省を形として表すという文句も教育的な意義があるように感じた。


 何より、担任と校長は亜久里に停学処分を下すことを快く思っていなかった。

 教師の心情としても可哀想に感じるし、学校としても重すぎる罰だと感じていた。

 だからこそ、代案として浮上したこの話は非常に『ちょうどいい』と思わせる魅力があった。


 ――だが、亜久里にとっては到底呑める条件ではなかった。


「そんなんこじつけじゃん! てかMeTubeじゃなくたって動画はアップできるし!」

「おや、それらも使用禁止にしてほしいという意味か? 殊勝な心がけだな」

「ふざけんな! 女子高生がSNS使えなくなったら死ぬっつーの!」

「それだけの痛みを被るからこそ、まだ名前も分からない女子生徒へのせめてもの慰めになるだろう」


「そ、そんなの……!」

「直接ケアすることができないならせめて、そういった形で『乾さんは深く反省している。学校も二度と同じことを繰り返されないよう重く受け止めている』とメッセージを伝えるべきです。その女子生徒……ひいてはこの件の顛末を見守っている保護者へ。当然、逆を行えばそのように伝わるでしょう」


 それがほぼ決定打となって担任と校長を打ちのめした。

 保護者の話を持ち出されると教師というのは辛い。

 美弥子はその性質をいやらしいほどに承知していた。


 SNSに詳しくない担任や校長にとっては、MeTubeチャンネルの休止がどの程度の話なのかよく分からないし、停学に比べれば大したことはないように思えるのも事実。

 それを嫌がる亜久里こそワガママを言っている……美弥子の言葉はそのような印象すら二人に植え付けた。


 だが亜久里はやはりこの条件を呑めない。

 両親と連日レスバし、地獄の猛勉強を乗り越え、やっと始めたMeTube。

 それも初めは上手くいかず、両親にも否定され、苦しんでいた時にたすくに助けられた。

 その後もいろいろあって、一年かけてやっと三万人になるまで育て上げた大切な宝物なのだ。

 それを二年も休止なんて冗談ではない。


「ちょっと待ってよ……そこまですることないじゃん」

「ほう? あなたは先程から自分のことばかり気にしているようだが、被害を受けた生徒やイタズラに傷をつけられた昴ヶ咲高校の評判は気にしないのか? 君の不注意によって負った彼女らの痛みを、今度は自分が痛みを負うことで少しでも和らげよう……そういう風には思わないのか?」

「……」


「それは責任を感じていないからでは? 反省していないからでは? 事の重大さを理解していないからでは? ――なら、また同じことを繰り返すのでは?」

「……そんなこと」


 亜久里の胸中などお構いなしに、美弥子の言葉は氷のナイフとなって次々と突き刺さった。

 何より厳しいのは、美弥子の言葉は決して言いがかりではなく、亜久里にしても心当たりがあることだった。

 美弥子の言葉に論破されつつあることを、亜久里自身が半分認めてしまっていた。

 審判の秤は完全に美弥子に傾いた。誰の目からも勝者は明らかだ。


 厳重注意で終わるはずだった判決を、美弥子はレスバ一つで覆してみせた。


「もういい、わかった。二人ともそこまでにしなさい」

 校長の一声で、二人のレスバは終了となった。


「双方の言い分は承知した。だが今この場で結論を出すことはできない。まだダンス部の事情聴取の結果も聞けていないことだしな。――よって、後日改めて議論の場を設ける。そこで再び双方の意見を聞き、他の先生方とも協議を重ねた上で結論を出すこととする。異論はないね?」

「はい」

「……はい」

「音姫君、何度も付き合わせてすまないが、君にももう一度意見を聞くことになる。よろしいかな?」

「もちろんです」


 涼しい顔で返答する美弥子。

 対する亜久里は冷や汗を流しながら、思わぬ窮地に俯きながら身を震わせるしかなかった。


「では今回は以上。各人、ご苦労であった。詳細は追って通達する。解散」


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