9話 『進学かMeTuberか」
一年前の一学期。夏休み前の三者面談の日。
両親の内どちらか片方が子供に連れ添うのが一般的だが、この日、乾家の場合は両親どちらもが参加していた。
父、乾俊。母、乾明里。
なぜ二人が一緒に面談を受けるのか、娘の亜久里は特に気にもしなかった。
このときは進路について両親と連日レスバ漬けだったのもあり、必要以上に会話することを避けていたというのもあるが……面談が行われてすぐに、亜久里は両親の真意を理解することとなった。
「――先生からも娘に言ってやってください。お恥ずかしながら、私達がどれだけ言っても聞かないんですこのバカ娘は」
話題が亜久里の進路についてに変わった途端、父、俊がそう切り出した。
「ちょ――パパ!? はあ!? いきなり何言ってんの!?」
「娘は以前からずっと、進学せずにMeTuberになるとか訳の分からないことばかり言っていて、」
「今それ関係ないじゃん! 意味わかんない!」
「関係あるだろうが。お前の進路の話だ!」
「何、ママも知ってたの? だからわざわざ二人で来たの?」
亜久里の問いかけに、母、明里はバツが悪そうに視線を逸らした。
「なにそれサイテーじゃん! 娘のこと騙して恥ずかしくないの!?」
「亜久里ちゃん、あのね? お母さん達も、できれば私達だけの話し合いで……」
「お前がいつまで経っても言うことを聞かないから、埒が明かないからこうなってるんだろうが!」
「はあ!? なんでうちが悪いわけ!? パパっていっつもそうやってうちをさあ!」
「まあまあちょっと待ってください、落ち着いてくださいよお三方とも」
まだ事情の呑み込めない担任がなんとか三人をなだめる。
それから現在の乾家で起こっている問題を説明してもらい、ようやく事情を把握する。
「……なるほど、娘さんは進学せず、自営業への進路を希望している、と」
「自営業なんて立派なもんじゃありませんよ先生。毎日パソコンに向かってよくわからん独り言を喋ってるだけです。私はもう、娘がおかしくなったんじゃないかと不安で」
「だ か ら!! 何っ回言わせんの!? 独り言じゃないから! 画面の向こうにはリスナーがいんの! リスナーと喋ってんの!」
「お父さん、僕もその、MeTuberとかは詳しくは知らないんですが、そういうのは今の若い子達は皆やってるみたいですよ。ほら、電話もあれ、知らない人からすると独り言喋ってるように見えるじゃないですか。あんな感じです」
「おお、なるほど。ほら見ろ亜久里。こうやって先生みたいに分かりやすく説明してくれればすんなり理解できるんだ」
「なにが『ほら見ろ』!? なんでうちが悪いわけ? 今まで何回説明しても理解しなかったんじゃん! マジキモい!」
「親に向かってキモいとはなんだ!」
「二人とも落ち着いてください!」
気を抜けばすぐに大声で怒鳴り合う父娘をなんとか押さえつけて、担任は咳払いを一つすると脳内で状況を整理した。
亜久里は元から大学進学は考えておらず、中学の頃からずっと希望していたのは、MeTuberやインフルエンサーという……芸術? 芸能? クリエイター? ……とにかくその道へ進むことだった。
だが両親はそれに強く反対。まあそれは当然だろう。
どうやら高校にすら進学しないと言っていたそうだが、さすがに現代日本でその選択肢は論外だと担任も感じた。
亜久里は両親と話し合い、一年受験勉強を頑張って進学校に入学できたら、その後の進路は好きにさせる、ということで落ち着いたそうだ。
その条件を見事にクリアした亜久里は、晴れてやりたかった活動を開始し、進路も決めた。
だがここにきて、両親の要求が変わった。
「先生、娘はやればできる子なんです。中学三年までまったく勉強せず、偏差値も四十くらいしかなかったんです。それがたった一年でこの学校に入れたんですから」
「確かに、それは凄いですね」
その話は担任も今初めて知った。
昴ヶ咲高校はそこそこの偏差値の進学校だ。そこに一年で届いたのなら、勉学の素養は十分ある。
地頭はいい子なのだろう。
「だから、今からしっかりと勉強すれば、この子ならいい大学に行けると私達は信じてるんです。なのにこのバカ娘は……何度言っても言うことを聞かない!」
「当たり前じゃん! 最初にした約束破ってるのそっちでしょ!?」
「……ふぅむ」
担任が唸る。双方の言い分は分かった。
進学校に入ったのだから進学しろという両親と、約束が違うと憤慨する娘。
……厄介だ。どちらの主張も担任には納得できる部分があった。
――そういうとき、教師というのは基本的に親の味方をするものだ。
「でもな乾さん。今の時代、大学には行っておいた方がいいと、先生も思うぞ?」
「そうでしょう!? 分かったか亜久里、先生もこう仰ってるだろう」
「そりゃ先生は進学勧めるに決まってんじゃん! 進学せずにMeTuberになれとか勧める先生いるわけないでしょ?」
それはごもっとも、と担任も心の中で苦笑する。
やはりこの子は頭は悪くない。
だが賢いかと聞かれると……彼女が選ぼうとしている選択肢はお世辞にも賢明とは言えない。
このミスマッチがどうにも担任は気になった。
「ならそれが世間の常識ってことだ。お前の言ってることは非常識なんだ」
「なんでそうなんの? パパとママと先生が世界の中心なわけ!?」
親子で顔を突き合わせて、噛みつかんばかりに睨み合い、怒鳴り合う二人。
……これを何カ月間も……中学の頃から何度もやってるのか。
担任の腹の中にゾッとしたものが沸き上がる。彼にも五歳になる娘がいるが……十年後、自分の身にもこの光景が降りかかるかもしれないと思うとますますだった。
「……お母さんはどうお考えですか?」
白熱する二人を一旦放置し、担任は母、明里に話を振った。
彼女はここまで、二人と違って声を荒げたり、売り言葉に買い言葉で応戦するようなこともなく、静かに成り行きを見守っていた。
ただ、かなり疲労している様子は伺える。
この親子のレスバに誰よりも心労を溜め込んでいるのはきっと彼女だろうと担任は察した。
言いたい放題叫び散らすより、しっかり相手を気遣って言葉を選びながら喋る方が何倍も疲れるものだ。
「……私は、娘がどうしてもしたいことがあると言うなら、それを応援したいと思っています」
ぽつぽつと、落ち着いた声で語りだす明里。内容は亜久里への賛同の意味に聞こえるが、亜久里の表情はまだ緩まない。
この流れは乾家で何度もあり、その続きは彼女にとって望ましいものではなかったのだろう。
「ですが……すみません、お恥ずかしながら私、不勉強で……。娘の言うMeTuberというのが何なのか、未だによくわかっておりません。いろいろ調べてみてはいるんですが……本当に、よくわからなくて」
「だからさ! 何回も言ってるけど、」
「乾さん待って、一旦黙ろう。――つまり、応援したい気持ちはあるけれど、何なのか分からないからそれができない、と?」
「そうですね。お仕事、というからには何かお金が発生する仕組みがあると思うのですが、その、広告? というのが動画に流れて……亜久里ちゃん、合ってるかな?」
「そう。で、広告が流れたら配信者にお金が入るの。何回も言ってんじゃん!」
「うん、ごめんね亜久里ちゃん、お母さん物覚え悪くて……でもね? それってつまり、お金のこととか、ルールとか、全部運営の人が管理する土俵の上でお仕事をするっていうことだよね? それって自営業の中でも……うーん、なんていうのかなあ……凄く難しいんじゃないかな?」
「それは……よく分かんないけど、多分大丈夫だから! 皆ちゃんとやれてるし」
「それにね? 皆もやってるって亜久里ちゃん言うけど、そんなに簡単に始められて、皆やってるなら、ライバルも大勢いるよね? その中でずっと勝ち抜いて、お金を稼ぎ続けるのって、すごく厳しい世界なんじゃないかなって思うの」
ほう、と担任は感心した声を漏らした。
母親の方はかなり落ち着いて、冷静に話ができる人のようだ。
頭ごなしに否定する父親と違い、ちゃんと要点も絞っている。
同じ議論でもこれくらいのテンションならかなり楽だ。
……惜しむらくは、それを押し通す気骨の強さがないことか。
論理的に話せても、相手に認めさせる膂力がないと亜久里が相手では空振りに終わる。
論理的、かつ強気で亜久里に圧し負けない自信を持っているタイプ……そういう人が彼女の傍にいれば、ここまで話が長期にこじれることもなかったのかもしれない。
まあいない者のことを考えても仕方がない。それは今は自分が担うべきだと、担任は自身に渇を入れる。
「乾さん、その広告収入っていうのは、どれくらい貰えるものなんだ?」
「……さあ、よく分かんない」
「? というと?」
「うちのチャンネル……まだ収益化できてないから」
「収益化っていうのは? すまない、先生もMeTubeには全然詳しくなくて」
「……どんなチャンネルにも広告がつくわけじゃないの。運営が決めた条件をクリアしたチャンネルを審査して、その審査に受かれば、そっからはお金が稼げるの」
「その条件というのは?」
「……チャンネル登録者1000人以上。他もあるけど、とりまこれが一番ムズい」
ムズいと言われても担任にはよく分からない世界だった。
まだアラサーの担任でこれなのだ。亜久里の両親にとっては本当に未知の話だろう。
「で、その登録者っていうの、君は今何人くらいなんだ?」
「……300人くらい」
それが多いのか少ないのかもよくわからないが、亜久里の表情を見る限りいろいろと難しいのが実情のようだ。
――そういうことなら、担任の立ち位置は完全に決まった。
「――乾さん。なら、やっぱり今はひとまず進学を考えた方がいいだろうね」
ビクン、と亜久里の肩が震える。
反対意見を出されたからではない。亜久里はその持ち前の感性で、今この瞬間に担任がどちらの側に付いたのか敏感に感じ取ったのだ。
この瞬間から、この教室内は亜久里にとって誰も味方のいない、袋小路と化した。
「そもそもその収益化とやらが出来てないなんて論外だ! 話にならん!」
だって、まだ始めたばっかr――「それに収益化ができても、金をどれくらい稼げるかもわからないんだろう?」
……でもそんなの、どんな仕事でm――「お母さんね、やっぱり亜久里ちゃんには安定した仕事についてほしいな。動画作りはほら、趣味でやればいいじゃない」
「そもそもお前にそのMeTuberとやらの才能はあるのか?」 ……そんなの、やってみ――「才能があるなら、その1000人とやらもとっくにクリアしてるんじゃないのか。ええ?」
そん――「面白くないんだろうが、お前の作るものは。だから人気が出てない。違うか」
……っ……「パソコンに向かって喋ってるだけで金が稼げたら誰も苦労せんわ」だから……広告が――「仕事っていうのはな、汗水垂らして、辛いこともあるが踏ん張って、それでやっと誰かに感謝してもらえる。そういうもんだ。だからこそ尊い行いなんだ」
……そんなの、今と時代が――「お前は社会に出て働いたことがないからそういうことが分からないんだ。そして今の時代、いい仕事に就くためにはいい大学へ進学! これがなんで分からん」
……んで……話、聞いて、くれな――「乾さん、夢を持つのは悪いことじゃない。サッカー選手になりたいとか。歌手になりたいとか。そういう子は他にもたくさんいる。でも、どこかで現実と折り合いをつけなきゃならない」
……っく……「別に進学が全てとは言わないが、まだ高1の内から選択肢を狭めるのは、もったいないんじゃないか?」
……るさい――「いや先生、それは困りますよ。娘にはちゃんと進学を勧めていただかないと」
「え? あー、まあ、もちろん進学がベストは選択だとは思いますよ」
「ね? 亜久里ちゃん、先生もこう仰っているし……あっ」
「さすがのお前もいい加減分かっただろ。いつまでも子供みたいなこと言ってないで――亜久里?」
膝の上で硬く握りしめた両手の甲に、ぽつぽつと雫が落ちる。
大人達三人は亜久里の顔を凝視しながら、二の句が継げずにいた。
「うっ……ひっく……ふぅう……!」
俯き、歯を食いしばって嗚咽を漏らす亜久里。
プライドの高い亜久里は、人前で悔し涙など滅多に流さない。
俊と明里も、娘のこんな姿を見たのは何年ぶりか分からなかった。
「……な、んで……うっく……なんで、否定ばっか、すんの……?」
涙で声をしゃくり上げながら、亜久里は精一杯の思いを口にした。
「うち、やりたいこと、見つけて……今、頑張ってんじゃん……えぐっ……ちょっとずつ……進んでる、途中じゃん……。なんで信じてくんないの……? できないって……ぐすっ……親が決めつけたら……子供、頑張れないじゃん……味方いないの、辛いよぉ……」
思えば亜久里のここまでの人生は、親の求める子供像になんとか抗って脱しようとする人生だった。
神社の家に生まれ、巫女として育てられながらも、そこに自分のやりがいを見出せなかった亜久里。
そこから少しでも遠ざかろうとするように、派手なファッションや言葉遣いを愛用するようになった。自分が本当に求めるものを探すのが楽しかった。
だがレールから逸れようとする度に親や学校、社会からの反発があった。
亜久里も負けじと反発した。するとまた反発された。どちらも退かなかった。
やがて反発は否定になり、罵倒になり……自分が何を言っているのか、相手が何を言っているのかも分からなくなった。
でも否定した。相手が何を言っているのか分からなくても否定した。
自分の言葉がよく理解できなくなっても、自分の正しさは信じていた。
賛同が欲しかった。否定してくる奴は敵に見えた。
賛同を友人に求め、クラスメイトに求め、視聴者に求めた。
……でも、気づけば誰も庇ってくれなくなっていた。
味方のいないたった一人の戦場で、それでも亜久里は自分の正しさを信じて、ボロボロになりながら誰かを否定する。
「……ひっぐ……マジサイテー……大人が、子供に……三人がかりで……えぐ……恥ずかしくないわけ?」
「……お前がいつまでも聞き分けがないから悪いんだ。泣いたら済むと思うな」
「亜久里ちゃん、あのね? お母さん達はね、本当は応援してるんだよ? でも亜久里ちゃんの将来が心配で……」
「そうだ。お前のためを思って言ってるんだろうが」
「乾さん、僕も教師として、君の将来に責任を感じているから言ってるんだよ」
――うるさいうるさいうるさい!
うちのこと知らないくせにお前のためとか言うな。
うちのこと信じてないくせに応援してるとか言うな。
うちの選択肢を奪いながら将来の責任とか言うな。
何を言っても大人達は聞いてくれない。涙でかすれた声はもう誰にも届かない。
亜久里が自分を否定し、間違いを認め、「はい。わかりました。すみませんでした」と言うまで大人達は大勢で寄ってたかって子供を否定し続ける。
その暴力に耐え続けるも、亜久里はもうボロボロでとっくに限界だった。
……誰か助けて。
言葉にならない嗚咽を漏らした、そのとき。
――ガラッ、と教室のドアが開けられた。
四人の視線がドアに向けられる。
ドアを開けた何者かは、「失礼します」と落ち着いた声で一礼してから、だが誰の許可も取らずにツカツカと教室の中に入ってきた。
突然のことに大人達が面食らう中……亜久里は乱入者の姿を確認して、より一層深い絶望に叩き落された。
「……袖上……
この学校における、亜久里にとって最大の宿敵。
初めて会話したその日から今日まで、何かある度にいがみ合い、互いを否定し合ってきた相手。
そんな男が、よりにもよってこの敵だらけの教室に姿を現した。
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