7話 『キラキラネームは悪か』

「――そで、がみ? …………じょう? なにこれ、なんて読むの?」


 亜久里が初めてたすくと会話した日。

 昼休みの教室で、亜久里は丞の名前が読めずに困っていた。


 約束を反故にして進学しろと言う亜久里の両親。

 その正当性について、亜久里はこの男子生徒を論破しないと気が済まない心持ちになっていたが、レスバしようにも相手の名前も分からないのでは話にならない。

 亜久里は彼のノートに書かれている名前を確認するが、『袖上丞』の読みが分からなかった。特に名前。


「『たすく』、だ。『そでうえ たすく』」

 不愉快そうに名乗る丞。彼にとって自己紹介はやや億劫な儀式だった。


 『丞』という名前は、尊敬する彼の父から授かったもの。その名を丞も誇りに思っていた。

 が、正しく読めずに間違えられるという弊害があった。

 小学校の頃から、クラスメイトどころか教師にすらよく読み間違えられ、父の思いを侮辱されたようで丞はいつも不愉快だった。

 入学式の日に自己紹介でちゃんと名前について話したはずだが、亜久里は丞のことなどまったく覚えていなかった。


「へえー、タスク! タスクって読むんだこれで! へえー」


 亜久里が興味深そうに目を見開く。

 両親について反対意見をぶつけてきた丞にやや憤りはあったが、それよりもこの珍しい名前が気になった。

 それに、自分の『亜久里』という名前にも少し親近感を覚えた。


「……まあね。珍しいかもしれないけど」

 そんな亜久里の純粋な反応に、丞も少し心が穏やかになる。

 珍しがられることはよくあるが、亜久里のようにポジティブな語調でリアクションを返した人は少なかった。


「いいじゃん、個性的で。コレで『タスク』って読ませるのはなかなか気合い入ってるし」

「……気合い?」

「やっぱアレ? 『使命に生きる』! みたいな意味? 『自分のやるべきことを見つける人生!』的なやつ?」

「…………ん? えっと……?」


 亜久里が何を言っているのか分からず言葉に困る。

 だが亜久里はかまわず、スマホで何かを検索し始めた。


「えっと、タスクタスク……『仕事』『業務』『課題』……うわ、ちょっとしんどそう。子供につけるにはちょっと重くない、このキラキラネーム?」

「な――ッ!」

 丞の顔がみるみる内に紅潮し、指先がわなわなと震え出した。



「――何を言ってるんだお前は!?」



 バン! と机を叩いて席からイキり立つ丞。

 その剣幕に教室中は一瞬で静まりかえる。

 いきなり怒鳴りつけられた亜久里も訳が分からずに目を丸くしていた。


「TASKじゃない! たすく! 『人を助ける』って意味だ! お前が言ってるのはそれ英語のTASKだろ!」

「え、ち、違うの? てかそんな怒鳴んなくてもさ……」

「全然違うッ! 当て字なんかじゃない、ちゃんとした名前だ! それを……」


 優しく真面目で善良な警察官だった父。息子も同じく、困っている人を助けるような、そんな優しい子に育ってほしいとつけてくれた、『丞』という名前。

 父に憧れ、尊敬する丞にとってこの名前は人生の道標。

 今は亡き父の思いを常に背に感じられる大切な贈り物なのだ。


「それを――キラキラネームだと!? そんなのと一緒にするなッ!」


 何事かと遠巻きに眺めるクラスメイト達も視界に入らず、丞はキッと亜久里を睨みつける。

 だが亜久里も押されたら三倍で押し返す女。

 丞の豹変にやや面食らうも、すぐに立ち直す。


「仕方ないじゃん読めなかったんだから。この漢字一文字で『TASK』って読ませるとか凄いなって思っただけじゃん。なにキレてんの?」

「子供に英単語の名前なんてつける親がいるわけないだろ。そんな読み間違いをする時点でどうかしてる」

「はあ!? 何言ってんの、全然いるし。うちの名前だって『亜久里』なんですけど?」

「亜久里……?」

「そ! 多分これ英語の『AGREE』からきてると思うんだよね。エモくない? 超オシャレ!」


「AGREE……? 日本の子供にそんな名前つけるか普通? 君の家、確か神社だろ? 何か別の意味があるんじゃ?」

「はあ? 勝手に決めんなし! さっきも人の親の気持ち分かるとか勝手に言ってたのあれ何様なわけ? ぜんっぜん分かってないから! てか子供に英単語の名前つける親いないとか言ってたの間違ってたじゃん。実際いるわけだし。謝ってよ」

「お前こそ人の名前をキラキラネーム扱いしたことを謝れ。俺の親が込めてくれた思いも知らないくせに、失礼にも程がある」

「いやあんたこそ、キラキラネームの人に対して失礼なこと言ってんじゃん」


「――――な」

 どくん、と丞の心臓が一度強く跳ねる。

 亜久里の言葉は丞の図星を一刺しにしていた。


「あんたさ、さっきからキラキラネームのこと馬鹿にし過ぎじゃない? ちゃんと親の気持ちとか愛情とかこもってるキラキラネームだっていっぱいあるじゃん。なのにキラキラネームは悪いものだって決めつけて差別してるよね」

「さ、差別なんかしてない! 俺はただ……一緒にするなと、」

「いやしてんじゃん! 『』って、それがもう差別じゃん! 『俺の親が込めてくれた思い~』、とか言ってたけど、あんただって他の親の気持ち知らないじゃん! なのになんで悪いって決めつけんの?」


「……っ」

 丞が歯噛みして口ごもる。

 ……確かに、言われてみれば亜久里の言葉に正当性があるように丞も感じた。

 大切な名前をキラキラネーム扱いされて取り乱したとはいえ、柄にもなくデータやソースも何もない感情論や決めつけをぶつけ、キラキラネームは下等なものだと公言してしまっていた。

 普段の丞なら、それを素直に認めて謝っていたかもしれない。


 ――が、レスバで熱くなっているときというのは、『自分の間違いを認める』というのが一番難しいことだったりするのだ。


「……お前に親の気持ちがどうとか言われたくないね」

「は? あんたより分かってるし」

「分かってないから毎日レスバしてるんだろ?」

「うっ……あ、あんたに関係ないじゃん! 人の家庭の事情に首突っ込まないでくれる!?」

「先に話を振ってきたのはそっちだろ。自分の考えを親に納得させることができないからって、その鬱憤を友達に毎日愚痴っておいて、何が『親の気持ち』だ」

「~~!」


 羞恥と悔しさで亜久里の顔が紅潮していく。

 今や二人とも顔を真っ赤にさせながら至近距離で相手を睨みつけていた。

 その剣幕は、周囲のクラスメイトも迂闊に介入できないほどの迫力だった。


「だから! パパとママは約束破ったの! うちは二人がしつこく言うから、二人のために一年間必死で勉強してこんな進学校に入学してあげたんだよ? なのに入った後で約束破るのが最悪って言ってんの! 何回も言わせんなっつーの!」

? 何ふざけたこと言ってるんだ、勉強は自分のためにするものだろ。学校に通えるのが当たり前だと思ってるのか? その学費は誰が出してるんだ」

「……っ!」


 今度は亜久里が言い淀む番だった。

 その言葉はまさに、両親とのレスバにおいて父親から何度も言われたこと。

 それを改めて丞に面と向かって言われたことで、先程までの『親の気持ち』云々の話がそのまま亜久里にブーメランさながらに戻ってきた感覚に陥った。


「うちは勉強なんかしたくなかったの! それを無理矢理やらせるのは親のエゴじゃん!」

「だからそれは子供の将来のために!」

「でもそれは親の願望でしょ!? 親が子供にしてほしいって思ってることをうちは叶えたじゃん! なのになんでうちのしたいことを認めてくれな――」


 ――キーンコーンカーンコーン。


 限界まで加熱したレスバも、そこで強制終了となった。

 さながら試合の終了を告げるゴングのように、校内に鳴り響くチャイム。

 二人のやりとりを呆気にとられたように眺めていたクラスメイト達も我に返り、慌てて机の上を整理しだす。


 喧噪を取り戻した教室に、いくつものヒソヒソとした話し声が紛れ込む。

 クラスメイト達は二人を横目で遠巻きに眺めながら、何事かと周囲の者と話し出した。

 中には二人のレスバについて「自分はこう思う」と持論を語りだす者も何人かおり、良くも悪くも教室の中心は変わらず丞と亜久里だった。


「「…………」」

 そんな二人はチャイムが鳴ってからも、しばらく無言で睨み合っていた。

 まだまだ言いたいことはあった。自分の意見が正しいとどちらも信じていた。それを不本意なところでぶつ切りにされて不完全燃焼……心に黒く重いモヤモヤが残ったままだった。


(なんなのこいつ……マジでうざい! マジで超最悪なんだけど!)

(……こんな奴に何をムキになってるんだ俺は。馬鹿馬鹿しい。放っておけばいいんだ)


 やがてどちらからともなく視線を外し、自分の席に座る二人。

 そのまま大人しく授業を受け、その日の科目を全て消化した。

 その間、二人は一度も目を合わせなかったが、意識は常に互いを向いていた。

いつまで経っても胸のムカムカは収まらず、なんならその日眠りにつくまで、頭の中でずっと相手を論破する妄想をしていた。

 あのときこう言えばよかった。あの反論にはこんな矛盾点があったのに。そんな反省点が次々と脳裏によぎっていた。


 ……その日以降、二人の仲は日増しに悪くなっていった。

 相手のことが気に食わないなら、無理に関わらなければいい……そんなことは二人とも分かっていた。

 でも何故か無視できず、連日くだらないことでレスバに発展した。


 亜久里の友人や、綱一郎などがそれぞれ二人を何度もなだめようとしたが、どうしてもレスバはやめられなかった。

 何故かは二人にも分からなかったが、相手を論破したくてたまらなかった。


 それが一年生の一学期。

 ――嫌いだから論破したい。

 そんな理由で連日レスバに明け暮れていた頃の話。


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