6話 バカップルと愉快な仲間たち
「はーい、
ある日の昼休み。昴ヶ咲高校の屋上には、甘ったるいピンク色の空気が充満していた。
設置されたベンチに並んで座る丞と亜久里。
亜久里は自分の膝の上に開かれた弁当箱から唐揚げを箸で摘まむと、丞の口元に持っていく。
「あむっ。――うまっ。亜久里やっぱり料理上手いよな」
それを躊躇なく口に入れ、丞は亜久里の唐揚げにご満悦だった。
「だって愛情が超入ってますしぃ~」
「へえ、どれくらい入ってるんだ?」
「パないよ。ビッタビタに入ってる。お醤油と一緒に漬け込んだから。アハッ!」
「ああ、どうりで冷めてもジューシーだと思った」
「やっだもぉウケる! 丞面白ぉい! はいキンピラゴボウもあ~~ん」
「あむっ。――うまっ。というか亜久里の弁当、よく見たら俺の好物ばっかりじゃないか?」
「わ、丞さすが! めざとーい! どれを丞に「あ~ん」してもいいように、丞の好きなものばっかりにしてるんだー」
「おいおい、そんなことしたら君の食べたいものが食べられないだろ」
「えへへ、いいんだ。うち、丞が喜んでくれるのが一番嬉しいから」
「亜久里……そう言うと思って、実は俺の弁当箱の中身を……ほらっ!」
「え? ――わあ! うちの好物ばっかり! もしかしてこれって……」
「ああ、今度は俺が君に食べさせてあげる番だ。ほら、ちゃんと君のために、卵焼きも甘くしてあるよ」
「ウソ……丞…………しゅき♡」
「俺もだよ、亜久里」
――ちなみに当然ながら、屋上には他の生徒達も昼食を採りに来ている。
ベタベタイチャイチャと二人だけの世界で愛を囁き合うバカップル。
それを近くで見せつけられる、特に恋人のいない独り身学生達にとって二人はもはや殺意の対象ですらあった。
現在屋上で昼食を採っている約十名程度の学生達の思うところは皆一様に同じ。『鬱陶しいからどっか行けよこのバカップル』なわけだが……実はその願いは丞のクラスメイト達によって既に実行済みだった。
というのもこの二人、先日のコミガヤデパートでのレスバのあと、仲直りをしたばかり。
そしてそういう大きなレスバの後、決まって二人が過剰にイチャイチャしだすのをクラスメイト達は熟知していた。
前提として、二人はどちらも別れたくないと強く思っており、相手に嫌われて捨てられることを何よりも恐れている。
だからレスバの後は互いの機嫌を取り合うように、それはもうベッタベタと慣れ合うのだ。
そんな気配を午前中で察したクラスメイト達は、三時間目の休み時間には既に丞と亜久里の席を、五時間目に配るプリントの作成に使わせてほしいと嘘の頼み事で承諾を取り付けていたのだ。
晴れて二人がまき散らすピンク色の公害は、満点の青空の元で昼食を採る十名の学生達という尊い犠牲で最小限に抑えられることとなった。
彼らにとっては当然はなはだ迷惑極まりない話なのだが、……実は彼ら以上に、その事態をよく思っていない人物が一人いた。
「…………むぅ」
屋上の扉。その内側から丞と亜久里を覗く視線。
下手したら小学生に間違えられかねない小柄で痩せた体型。
クシャクシャの癖毛がモップのように頭部から胸部あたりまでをすっぽりと覆っており、その隙間から僅かに、クッキリと濃いクマを携えた三白眼が覗く。
そんな人物がスマホを録画モードにして、扉の奥から丞と亜久里が乳繰り合う様子をずっと隠し撮りし続けていた。
もし同じ制服を着ていなければ速攻で通報されかねない不審者っぷりだが、これが彼女の日常だった。
彼女の名は
何を隠そう丞と亜久里のレスバの熱烈なファンであり、二人のレスバを日々録画しては家でこっそりと見返して堪能しているという……やはり変質者だった。
「…………むぅ」
そんな節子は現在ご機嫌斜め。
彼女が見たいのは二人のレスバであって、二人のイチャイチャはどうでもいいのだ。
むしろ陰の者として極まった彼女はリア充を憎んでおり、こんなベタついたラブコメ要素など全くもって彼女の趣味ではない。
「もっと激しくレスバしてほしいのに……袖上君の容赦ないロジハラで……乾さんの猪突猛進な感情論で……お互いをぐうの音も出ないほど論破してほしいのに……」
今にも消えそうな幽霊のような小さな声。その声音は悔しさと悲しみで溢れていた。
節子はレスバが好きというよりも、『誰かが口論で追い詰められていくのを見ると興奮する』という謎のフェチの持ち主なのだ。
だからいつも推理小説を愛読している。推理小説が好きなのではなく、犯人が探偵に言い逃れようがないくらい追い詰められるのが好きなだけ、という奇妙な性癖故だ。
一応いつレスバが始まってもいいように録画はしているが……どうやら今日は外れの日だ。
こんな映像はスマホに残す価値もない。あとで消してしまおうと考えた、そのとき。
――誰かにいきなり制服の襟を掴まれた。
「――ふぁぇ!? ふあ、ふあっ! わ、あわわー!?」
しかもそのまま軽々と節子を持ち上げたその何者かは、そのまま屋上の扉を開けて丞と亜久里の方へズンズンと歩いて行った。
「おーい二人とも。また節子ちゃんが盗撮してたぞ。ワハハハハ!」
そう景気よく笑うのは、丞と中学からの親友関係にあるクラスメイト、
節子とは正反対の、恵まれた体格と明るい性格。刈り上げた短い頭髪に、顔には気のいい笑顔が浮かんでいる。
一目見て陽キャだと誰もが分かる、穏やかかつ力強いオーラを放つ快男児だった。
「あ、コウ君とせっちゃんじゃん。おっつー」
「綱一郎、離してやれ。苦しそうだぞ」
「ん? おお悪い悪い」
綱一郎はワハハと笑いながら、掴んでいた節子を地面に下ろした。
節子はスマホを胸に抱きかかえながら、涙目でおろおろと震え出した。
「ど……ど、も……」
「貝田さん、できればその……俺達を無許可で撮影するのはやめてほしい。以前も言ったと思うんだけど」
「す……すい……せ……」
「えー、でもさあ。うちたまに動画送ってもらってるんだよねー、オススメのやつ。これもうちらの思い出ってことで」
「俺達のレスバ映像にオススメなんてあるのか……?」
「あ、ある、ます……! 私、いつも、見て……二人の、レスバ、どれも楽しい……」
「ワハハ! 言えてる言えてる! 毎度よく飽きもせずやるもんだと、見てる分には面白いぞ!」
陰から二人を盗撮していた節子を見つけた綱一郎が、強引に三人を結び付けて関係を持たせる……というのは、この四人の交友関係の初期から続く定番のパターンだ。
始まりからそうだったし、節子が二人にすっかり奇妙な友人として受け入れられるようになった現在でも続いている。
綱一郎はそういう、豪胆さと自由奔放さ、そして持ち前の優しさで、他人の人間関係を取り持ったりすることがよくある。
――何を隠そう、丞と亜久里の交際のために一役買ったのもこの綱一郎その人なのだ。
「にしてもお前ら二人、前はあんなに仲悪かったのになー」
綱一郎の言葉に、丞と亜久里が「うっ……」と気まずそうに睨む。
「まさかこんなにバカップルになるとはな。人生分からんもんだ。ワハハハ!」
「む、昔の話じゃん! てかうちらは昔からラブラブですし~。ね、丞?」
「……ま、まあそうだな。そりゃたまにはレスバすることもあるが、そんなのは言うなれば愛情表現の一つに過ぎない」
「……たま、に?」
節子は自分のスマホにびっしりと保存された二人のレスバ動画一覧を見ながら首を傾げる。
「よく言うぜ。当時クラスメイト達が引くほど険悪だったくせに」
「ちょっとやめてよコウ君。せっかく楽しいお昼だったのに昔話でサゲるとかマジ無粋! 丞の親友だからってヒドくない?」
「おお、それはすまんすまん」
亜久里の棘のある言葉にも快活に笑って謝る綱一郎。
丞ならつい『本当のことだろ?』とか『親友とかは関係ないだろ』と反論したくなるような場面。
だが綱一郎はワハハと笑ってすぐ折れる。引きずらないし空気も悪くしない。
レスバをしないレスバスタイルとでもいうのか、どんな意見も受け流す主義。それが常世田綱一郎という男だった。
「……だからこの人嫌い……」
節子の、誰にも聞こえない小さな呟き。
レスバの見物が何より好きな節子にとって、レスバはしないわ首根っこ掴んで二人の前に引きずりだすわで、綱一郎は天敵とも呼べる存在だった。
だがそんな彼だからこそ、気難しい丞と中学校来の親友としてやってこれているのも事実。
確かに、当時学内でも有名になるほど険悪だった丞と亜久里、二人の仲を半年かけてとりなし、学内の名物レスバカップル誕生の立役者となった功績は節子も認めるところだった。
「というか、お前は何しに屋上に来たんだよ綱一郎。また動画でも見るのか?」
「おっといけない、忘れるところだったぜ。もうすぐ『メロプリちゃんねる』の動画が投稿される時間なんだよ。それを見に来たんだった」
「メロプリちゃんねる? なにそれ、丞知ってる?」
「知らないけど、こいつのことだからどうせアイドルVTuberとかだろう」
「さすが俺の親友! お目が高いな。『メロンプリン』って名前で今売り出し中の人気VTuberなんだよ。――ほら、今お前に共有したぜ」
「いやいらないけど……」
と何度言っても綱一郎はオススメのアイドルを丞に共有するのをやめないので、もう半ば諦めている。それでも一応どんなチャンネルか確認するだけ丞も律儀な男だった。
『メロンプリンちゃんねる』。登録者二万人越えの、事務所に所属しているアイドルVTuberらしい。
緑色の大きなボブカットがメロンプリン要素ということのようだ。
配信だけでなくいろいろ手広く動画を投稿しているらしく、言ってる間にちょうど、『コメント返ししながらバーガー5個食べます!』というタイトルの新しい動画が投稿された。
綱一郎を見ると、早速その動画を再生しながら紙袋からパンを取り出し始めていた。
「普通に教室で見ればよくない?」
「イヤホンで聞くのが嫌なんだってさ」
「そういうことだ。俺は生活音の中にアイドルの声が混ざっているのが好きなんだ。だから視聴するときはイヤホンは使わない。ASMRの時以外はな!」
「それでクラスの奴らに嫌な顔されるから、動画が投稿される日は屋上に来るんだってさ」
という具合に、綱一郎は昔から熱狂的なアイドルオタクだった。
中学の頃は生身のアイドルをメインに追いかけていたようだが、最近はVTuberにハマっているらしく、度々丞にオススメのライバーを紹介してくるので正直丞は困っていた。
一方で同じく配信活動をしている亜久里はメロンプリンに多少興味があるのか、丞のスマホで再生されている動画を楽しそうに眺めていた。
「それじゃあ、動画を見ながら四人で食べるか。貝田さん、昼食は?」
「な、ない……です。お昼……たべな……」
「えー!? お昼抜くとかマ? 午後の授業とか一生お腹鳴るじゃん」
「節子ちゃん、俺のパン食べるか? 俺、昼はパン十個は食わないと持たねえからいっぱい余ってんだ」
「い、いい……す」
「なら俺達の弁当だけでも少しつままないか? ほら」
「あー! それうちの卵焼き!」
「ひっ! ご、ごめ……さ……!」
「いいだろ一つくらい。はい、貝田さん、遠慮せずどうぞ」
「むぅ~……あ、そうだ! じゃあせっちゃん、後でさっき撮った動画送ってよ!」
「俺の顔も映ってるんだからSNSとかにアップしないでくれよ?」
先程までの、ベタついたピンクのお花畑のようだった空気は、綱一郎と節子の登場によってようやく平穏な学校風景を取り戻しつつあった。
こんな光景も、丞と亜久里が付き合うようになってからはよくある日常の一ページ。
……だが綱一郎の語る、当時の二人をよく知る者たちからすれば、まさかこんな光景が日常となる日が来るとは思わなかっただろう。
何せこの二人は初めて会話したその日に、クラス中を震撼させたレスバを繰り広げたのだから。
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