第2章 嫌いだから論破したい
5話 『進学するべきか』
少し見回せば亜久里の周囲は楽しそうなことや面白そうなもので溢れかえっていて、一日中遊び尽くしたって明日にはまた別のやりたいことが見つかる。
時間はいくらあっても足りないし、日々を楽しんでいる内に亜久里はあっという間に中学三年生になった。
その時期になって、人生で初めて亜久里が直面した試練が『受験勉強』だった。
亜久里は実家の古臭い神社が好きではなかったし、古風な両親が度々亜久里に求める『奥ゆかしさ』とやらも窮屈で煩わしかった。
亜久里がそんな両親への反抗心からかどんどんと今風ギャルへと進化していくのを、両親も渋々容認していた。
だが受験勉強だけはそうもいかなかった。亜久里がどれだけ拒んでも両親は認めず、亜久里に勉強を強いた。
だが『嫌いなこと』を毎日何時間も強要されるなんて、亜久里には耐えられなかった。
中学三年の一学期、亜久里が思い描く『将来の夢』は、毎日のようにコロコロと変わった。
CDを買ったことはないがアイドルになるのが夢になったし、業務内容は知らないがCAになって世界中を飛び回ることも亜久里の夢になった。
思えば猫カフェを経営してみたかったし、言われてみれば看護師になって多くの人の命を救いたいような気もした。
そういえば友達がMeTubeに動画を投稿しているらしい。それもやってみたかった。
SNSでフォロワーを沢山抱えるインフルエンサーにもなってみたい。
――だから、受験勉強なんかに使う時間は一秒もないの。
パパ、ママ、ごめんね? でも、そういうことだから。分かってくれるよね?
二人はうちの味方だもんね。
うちの幸せを思ってくれるなら、きっと認めてくれるよね――
――そうして二カ月間にも及ぶ、親子のレスバが始まった。
「ねえなんで分かってくんないの!? うちはMeTuberになりたいんだって!」
「ふざけるな! 先週は美容師。その前は女優。今度はなんだ。そのミー……なんとかいう分からん仕事か。受験勉強から逃げたいだけだろ!」
「逃げるとかじゃなくて! 勉強なんかしなくても生きていけるって言ってんの! 今はOLになるよりMeTuberになった方がお金だって簡単に稼げるの! そういう時代なの!」
「そんなわけがあるか! なんだこれは! 成人した大人たちが子供の遊びみたいなことを……こんなことで金が稼げるわけないだろ!」
「いや古っ! 脳みそ化石じゃん!」
「なんだと親に向かって!」
「この人とか、年収一億円とかあるんだよ? 絶対パパよりお金持ってるから!」
「ねえ亜久里ちゃん……お母さん思うんだけど、確かにそういう特別な人もいるかもしれないけど、大半の人達はお金を稼げなかったりするんじゃないかしら」
「いや全然稼げるから。ほら見てようちが登録してるチャンネル。どの動画も何万再生も回ってるっしょ? 誰でも簡単にこれくらいいけるんだって」
「馬鹿馬鹿しい! サイセイだかトーロクだか知らないが、そんなうまい話があるか!」
「だからね、亜久里ちゃん……お母さん賢くないからよく分からないんだけどね? そういう『特別な人』達ばっかりがこうやって画面に表示されてて、その何倍もの人達が埋もれてる……みたいなことはないのかな? ほら、芸能人とかもそんな話よく聞くじゃない?」
「いやよく知らないのに決めつけるのおかしくない? ママMeTube見ないよね? てか今は芸能人だってたくさんMeTubeに動画アップしてるじゃん」
「うーん……そうだね。亜久里ちゃんの言いたいことも、お母さん分かるんだけど……でもね?」
「よく知らずに喋ってるのはお前だろう。看護師になりたいとか言ったくせに、資格のために結局勉強が必要だとわかったらすぐに諦めたのは誰だ」
「はあ? いつまで昔のこと言ってんの? ほんとパパって古いよね。そういうのがうざいの!」
「親に向かってうざいとはなんだ!?」
連日繰り返されるレスバ。結局亜久里は両親を説得することができなかった。
……今にして振り返ってみれば自分の主張は支離滅裂だったと認める程度の分別は亜久里も持ち合わせているが、当時の彼女は自分の主張は十分に正当性を帯びていると信じていた。
それを認めてくれない両親こそが間違っていて、そんな二人をなんとか論破しようと努力しているつもりだった。
自分は物わかりの悪い二人に歩み寄っていると本気で思っていた。
だが受験勉強というイベントは亜久里が考えているよりもずっと大きな出来事で、子供の展開する拙い理論で両親を論破することなど到底無理な話だった。
最終的には、しぶとく粘る娘に対して両親は奥の手に打って出る。
そんなに自分のやりたいようにするのなら、もうお前に金は出さない。家も出ていけ。学費も家賃も生活費も自分で払ってみろと突き放した。
当然、まだ中学生の亜久里にそんな金は用意できないため、それは提案の体を取った実質的な脅迫だ。
それに屈し、とうとう亜久里が折れることとなった。
代わりに、もし両親が納得する程の進学校に入学できたなら、それからは亜久里のやりたいことを全面的に応援する……という条件を両親は承諾した。
――結論から言って、亜久里はやればできる子だった。
一年間の猛勉強で昴ヶ咲高校に入学できるとは、きっと親や教師、何なら亜久里自身も思っていなかっただろう。
晴れて自由となった亜久里は、早速かねてからやりたかったMeTubeやSNSでの活動を開始。
学校生活も充実させ、女子高生として青春を謳歌していた。
――事情が変わったのは一学期の中間テストが終わった後。
受験勉強で一生分勉強したと思っていた亜久里は、以降一切勉強をしなくなっていた。
大学に進学するつもりもなかった亜久里は、留年さえしなければテストの点などどうでもいいと、学年最下位付近の点数を平気な顔で叩き出した。ちなみに普通に赤点も取った。
この怠慢を、亜久里の両親はよく思わなかった。
勉強が苦手だと思い込んでいた一人娘が、実は一年間の勉強で進学校に入れるくらいに賢いと分かると、親として欲が出始めたのだ。
せっかく進学校に入れたのだから大学に進学してほしいと言う両親。
話が違うと激高する亜久里。
乾家は再びレスバの炎に包まれた。
「ねえどう思うリコちゃん。うちの親有り得なくない!?」
「そ、そうかもね……あはは」
そんな亜久里の不満のはけ口は、まず近しい友人達に向けられた。
「おかしいよね! 約束破ってくるんだよ? せっかく一年間勉強頑張ったのに、全部無駄じゃん」
「無駄……なのかな?」
「無駄じゃん! 自由にやらせてくれるっていうから頑張ったのに、話違うじゃん!」
「そ、そうだね……」
苦笑いで賛同してくれるリコちゃんに、亜久里の溜飲は少しだけ下がった。
「それでさあ、ルミルミ。この前もうちの親がさあ、次のテストで点悪かったらお小遣いなくすとか言ってんの。マジやばくない!? オーボーじゃんそんなの」
「うわそれキッツー。あ、でも亜久里あれじゃん、MeTubeで動画やってるんでしょ? お金もらえたりしないの?」
「うーん……始めたばっかだし収益化はまだまだ無理そう。てか全然伸びてないし……」
「ふーん。バイトすれば?」
「やっぱそうなる? てか合格したらうちのやりたいこと応援するって約束したの! なのに小遣いなくすとかエグくない? マジ有り得ないんだけど」
「んー、まあそうかもねー」
空返事だが亜久里に賛同してくれたルミルミに、亜久里の不満は少しだけ解消された。
あるときは、ほとんど話したことのないような男子生徒にも愚痴を聞いてもらった。
「ねえねえ、後藤君ってさ、毎日サッカーばっかりやってるじゃん?」
「え、な、なに急に……」
「親とかなんか言ってこないの? たまには勉強しろ! 的な?」
「ど、どうだろ……今のところは別に……」
「だよね! 普通そうだよね! なのにうちの親がさあ、毎日めっちゃうるさいわけ」
「は、はあ……」
友人も、クラスメイト達も、まだ少ないチャンネルの視聴者達も。
みんな基本的には亜久里に賛同してくれた。
両親との決着を見ないレスバの中、亜久里は彼らの優しい賛同に縋った。
だが亜久里は気づけなかった。そんな優しさも無限ではないということに。
毎日毎日、両親の愚痴ばかりを漏らす亜久里から、周囲の生徒達は少しずつ距離を置き始めた。亜久里がそれをうっすらと感じ始めた頃には、友人達は一緒に昼食を採ることすらよそよそしくなっていた。
それでも誰かの賛同が欲しかった亜久里は、新たな賛同者を新規開拓することにした。
同じクラスの、亜久里から左斜め後ろの席。
席の近い生徒とはほとんど話したと思っていたが、そういえばその男子とはまだ話したことがなかった。
「――ねえあなたはどう思う? 実はうちの親がさあ……」
亜久里はなんの気なしにその男子に話しかけ、自分の家庭事情を簡単に説明した。
それから両親の非道な仕打ちをやや誇張して伝え、「どう思う?」と賛同を求めた。
しかしその男子から返ってきたのは……
「――進学校に入ったんだから大学に行ってほしいっていうのは、親としては当然の意見なんじゃないか?」
それは亜久里がこの件で初めて正面からぶつけられた、反対意見だった。
「……は? いや、だから……え、話聞いてた? あ、てかごめん。ちゃんと説明してなかった?」
「君の家庭事情は知ってるよ。毎日嫌っていうほど聞こえてくるからね」
「いや、だったらさ、分かるじゃん? うちが正しいって。あっちは約束破ってるんだよ?」
「俺は君のご両親の気持ちは理解できるって言ってるだけだ。そもそも学生の本分は勉強だし、勉強する気もないのに進学校に入学するっていう時点で選択を間違えてる気がするけどね」
つらつらと、静かな声音で亜久里に反論する男子生徒。
生まれて初めて同年代の子から向けられる明確な否定に、亜久里の表情がみるみる引きつっていく。
「……あんた、名前なんていったっけ?」
その自己紹介を皮切りに、その日は昼休みが終わるまで二人は互いの意見をぶつけ合うこととなった。
亜久里にとって、それが
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