4話 『そんな彼氏とは別れるべきか』

 そのまま帰宅したたすくは、母が用意していた晩御飯も喉を通らずに部屋で落ち込んでいた。

「……またやってしまった」


 灯りもついていない暗い部屋の中、椅子に座って頭を抱える丞。

 時刻は午後九時前。夕飯を食べていない身体は空腹を訴えかけていたが、丞の心は食欲など全く感じていなかった。

 思い出されるのは去り際の亜久里の姿。


「今度こそ本当に嫌われたかも……」

 重く長い溜息が漏れる。

 そんなに落ち込むならレスバなんかしなければいいのに、と友人たちから何度も呆れられたが、こればかりは丞にもどうしようもなかった。


「謝った方がいいよな……でもなんて言えば……」


 亜久里は形だけの謝罪を嫌う。

 以前、ただ亜久里の機嫌を取るために形だけ謝罪したことがあったのだが、『何を悪いと思っているのか』と、『亜久里が何に怒っているのか』が合致していないと亜久里の怒りは収まらないのだ。

 面倒くさいことこの上ないが、それが愛しの恋人なのだから仕方ない。


 暗闇の中で、丞のスマホだけがポツンと光を放っている。

 スマホの画面はLINEの亜久里とのメッセージ画面が開かれている。

 ずっと亜久里へメッセージの下書きを作っては消してを繰り返している。


「『今日は……言い過ぎ、た……ごめん』……言い過ぎたっけ? それで怒ったんじゃないよな?」

 レスバ自体は決着がついていた。

 アンケート結果に憤慨している亜久里を追撃してしまったのが喧嘩別れの原因だったはずだ。

 書きかけていた文字を削除。


「『最後、に……追撃、して……ごめ』――追撃してごめんってなんだ。そうじゃなくて、つまり……『君の、気持ちを……分かって、あげられなくて……』……なら今は分かってるのか、って訊かれるよな……。分かってるならそれを具体的に書いて謝らないと……」


 また書きかけていた文字を削除。こんな一人問答がもう一時間近くも続いている。

 謝るなら早ければ早いほどいい。それは分かっているのだが、どうしてもメッセージを送る決断ができない。

 万が一『もう話しかけてこないで』なんて返答が返ってきたら……そんな想像が頭を回る度に丞の決意は削がれた。


「くそ……なんでいつもこうなるんだ」

 亜久里と付き合い始めてから何度目かもわからない自問。


 ……レスバなんてしたくないのだ。それは亜久里だって同じはず。

 なのにいつもこんなやり取りをして、そしていつもこうして後悔するハメになる。

 そのとき、開きっぱなしの丞のスマホに通知が届く。


>『愛♡アグリー』がライブ配信を開始しました。


 それはMeTuberからの通知。

 丞が登録している数少ない内の一つ、亜久里のチャンネルがライブ配信を開始したという通知だった。


「もうそんな時間か」

 夕食をまともに食べていなかったことを思い出す。

 食事中には行儀が悪いという理由でテレビやスマホを見ないようにしている丞。

 ここで亜久里の配信を見始めたら深夜近くまで何も食べられなくなるな、と自嘲気味に笑いながら、通知をタップしてスマホ画面を遷移させた。


『――アイアムアグリー、ユーアグリー。どうもー愛♡アグリーチャンネルでーす』


 お決まりの挨拶から始まり、画面に映った亜久里が笑顔で手を振っていた。

 一気に加速するコメント欄。


『こんあぐー』『こんあぐー』『アグアグ今日もカワイイ』『就寝前アグアグ』『こんあぐー』『二日もアグアグに会えなくて寂しかったよ!』『こんあぐー』

『はーい皆こんあぐー。――てかさあ、マジちょっと聞いてくんない?』


 さっきまでの笑顔が急に陰り、瞳を伏せた。


『今日さあ、彼氏と喧嘩しちゃったんだよね。マジ気分サガる……』

『アグアグ元気出して!』『アグアグ悲しませるとか彼氏酷くない?』『こいついつも喧嘩してんな』


 早速自分の話題が出て丞もソワソワしだす。

 ――丞は基本的に人との約束を破ったりはしない主義だが、一つだけ亜久里からのお願いを守れていないことがある。

 それが、ほぼかかさずに亜久里のライブ配信を見ているということだ。


 以前亜久里から、『丞に見られてると思うと緊張して上手く話せなくなるから、配信を見るのはたまににしてほしい』と言われたことがある。

 確かにリアルタイムで恋人が見ていると思うと迂闊なことも言えなくなるだろうし、そういう委縮した気持ちがトークに影響を及ぼせば、長期的に見てチャンネルの成長を阻害する恐れもある。

 丞は亜久里の頼みに応え、なるべくリアルタイムでのライブ配信の視聴は控えると約束した。


 ……したのだが、どうしても気になって仕方がない。『たまに』『あんまり』『なるべく』しか見ない、という程度を表す範囲が日を追うごとに少しずつ拡大していき、今ではなんだかんだと週に一度はリアルタイムで視聴するようになっていた。

 そういう事情を知らない亜久里は、おそらく今丞がリアルタイムで配信を視聴しているとは思っていないだろう。今日のデートで起こったことを赤裸々に語りだした。


『――それでさあ、うちと彼氏ってよくレスバするんだけどさあ、今日もまたやっちゃったんだよね。うちもなんかカッとなってさあ……。――ちなみになんだけど、コレ全然彼氏とは関係ないんだけど、皆はご飯にお味噌汁かけて食べるのどう思う?』

「関係あるだろそれ」


 まだ根に持ってるのか、と肩を落とす丞。

 その間にもコメントが続々と流れていく。


『無し』『ナシ』『有り』『美味しいよね』『無し』『有り』『ないわ』『目の前でやられたらキレる』『アリ』『どっちでもよくね?』『アグアグの味噌汁なら2L飲める』『無し』『絶対なし。ありえん』『あり』『無し』『無し』『有りでしょ。俺は味噌汁の方に入れるけど』『豚汁飲みたい』


『…………アリの方が、ちょっと多い感じかな?』

「どこがだよ」


 思わず配信画面にツッコむ。パッと見ても無しの方が多く見える。

 こういうのはハッキリさせたい丞は、律儀に有り無しコメントをカウントしていく。


「……有りが………………二四。……で、無しが………………三六! よし! ……いやよしじゃないんだよ」


 こういうところで張り合うのがよくないんだよなあ、と改める。

 どうしても自分の意見の正当性がデータに裏付けされると喜んでしまう。

 こういう負けず嫌いな面がいつも亜久里と衝突してしまうというのに、どうにも改善できない。

 丞が有り無しコメントを無駄に数えている間にも、亜久里のトークはどんどん進んでいった。


『――そうなの。やっぱさあ、結婚式は絶対教会でやりたいわけ。皆も絶対そうでしょ?』


 テーマパークのアンケートでも、今採った味噌汁ご飯のアンケートでも、どちらも惨敗したのに全く凝りていないのか、亜久里は再びリスナーに賛同を求めた。

 違う点があるとすれば、今度はしっかりと亜久里が自分の意見を述べた上で、だ。

 すると面白いもので、今度は目に見えて教会式がいいというコメントが溢れ出した。


『でしょ!? だよね! 絶対教会で式挙げたいよね!? うちもマジそれなんよ! でも彼氏がさあ、神前式の方がいいとか言い出して喧嘩になっちゃってさあ』

 アンケートの結果にご満悦の亜久里。だがそこに水を差すコメントも流れ始めた。


『アグリーって巫女さんじゃなかったっけ?。。。』『神社の娘が公然とそんなこと言っていいのかww』『実家ディスりまくってて草』『別に巫女さんだって教会で式挙げていいだろ』『アグリー結婚するのか? 俺以外のやつと』


『『……実家が神社だろ』。そう……彼氏もそれが気になってるっぽくてさあ。うちはうちらの気持ちが一番大事だって思うんだけど、彼氏は両親の意見も大事だとか言っててさあ』

「……」


 やはり亜久里はまだ丞のことを怒っているようだ。心がざわざわと焦りでかき乱される。

 コメント欄は賛否両論といった感じで、各々が好きに意見を言い合い盛り上がっているようだ。

 それは別に問題ないのだが、丞が気になっているのは、この流れのまま話がよからぬ方に流れた結果、亜久里が『よし、うちもう彼氏と別れる!』とか言い出しかねないか、ということだった。

 その場の勢いだとしても一度配信で口にしたことだ。意地になって貫き通すかもしれない。


「も、もう迷ってる暇ないんじゃないかこれ?」

 取り返しがつかなくなる前に、なんでもいいからとにかく亜久里に一言謝った方がいいのではないだろうかと、丞がLINEを開こうとしたとき、


『――『そんな彼氏とは別れた方がいいんじゃない?』』


 亜久里がそんなコメントを読み上げた。

「――ッ!」

 思わず息を呑む。スマホを操作しようとしていた手が止まり、背中に大量の冷や汗が流れ始める。

 恐れていた事態が展開される可能性に、恐る恐る配信画面を確認すると……。


『――ふっざけんな! 別れるとかマジ有り得ないから!』


 配信用に取り繕っていた表情から一変。敵意をむき出しにして画面に向けて吠え掛かった。


『なんでそんなこと言うの!? 別れたくないから皆に相談してんじゃん! そこは察してよ! ブロックするよ!?』

 目にうっすらと涙すら浮かべながら、亜久里の言葉は続く。


『レスバなんかしたくないの! でも、なんか……うちってこんな性格だし、否定されたらムキになっちゃうし……だからいっつも後悔しちゃって……』

「……」

『そのせいで嫌われるんじゃないかって今日もずっと不安で……だから、つまり、えっと……何が言いたいかっていうと』


 亜久里はそこで自分の意見を脳内で整理する素振りを見せて、

『――皆も一緒に謝り方考えてよ!』

 そう叫ぶ亜久里の表情は、子犬のように頼りないものだった。


『マジで今日中に謝らないとヤバいんだって! フられちゃう! 人生終わるんだけどマジで!』

「……」

『『それくらい自分で考えろ』……いやだから考えたって! 考えたけど、うちの彼氏めっちゃ頭いいし論理的だから、口だけで謝ってもバレちゃうんだよね。さっきからずっとLINE開いてて謝ろうとしてるんだけど、文字書いては消してを繰り返してんの。マジ詰んでんの』

「……はは」


 思わず笑い声が漏れる。なんだか悩んでいたのがバカバカしくなって、丞は頭を振った。

 好みも性格も価値観も、何もかも正反対な二人。いつもレスバが絶えず、周囲を巻き込んで大騒ぎを繰り返している。

 そんな二人がどうして学校でも有名なバカップルとして交際を続けていられるのか。

 それは……二人は根っこの部分では似た者同士だからなのだろう。


「……もういいか」

 これ以上配信を見る必要もないだろう。

 亜久里も、恥を忍んでリスナーに助けを求める弱い自分を丞に見てほしいとは思わないだろう。

 そう思って配信画面を閉じようとしたとき。


『…………え? 『最近の結婚式は結構自由にカスタマイズできるよ』……?』


「え?」

 亜久里が思わぬコメントを読み上げたことで丞の手も止まる。


『……『やろうと思えばどっちもできる』。『神社でウエディングドレス着れば?』。『結婚式と披露宴で様式を分ければいいんじゃない?』……え、待ってそんなことできんの? うち結婚式の手伝い何回もしたけど全然知らなかったんですけど?』

「……そうなのか?」


 気になってパソコンを立ち上げて検索する。

 すると、簡単に調べてみただけではあるが確かにそれらしいことが書かれていた。


「ほんとだ……知らなかった」


 どれだけ知った風な顔でレスバをしていても、二人は所詮まだ高校二年生。今日たまたま話題が出たからレスバに発展したが、結婚なんてまだ先の話だと、真剣に考えたことはなかった。

 そういう不確かな知識でレスバをする相手にソースとデータを揃えて言い負かすのが丞のレスバスタイルだったはずなのに、今回は丞自身がそれを怠ってしまった。


「はは……なんだ」

 一気に脱力して椅子の背もたれに体重を預ける。

 するとなんだか急にお腹がすいてきた。

 丞はLINEを開くと、亜久里に向けてメッセージを書いて送った。さっきまでの迷走が嘘のように、今度はすらすらと自分の気持ちを言葉にすることができた。


「さ、遅くなったけど夕飯食べるか」

 そう言って丞が椅子から立ち上がると、


『あ、待ってLINE来た。――――ッ! ちょ待ってね!? タイム!』

 亜久里も丞のメッセージに気づいたようで、それを読むと、ぱあ、と一気に表情が明るくなった。

 目を輝かせて画面に顔を近づける。


『ねえ皆! 今彼氏からLINE来た! 『今日はごめん。今度もう一度ゆっくり話し合おう。式のことだけじゃなくて、将来のことも』――だってえ!』

「読みあげるなよ……」

『ちょっとマジヤバイ! うちの彼ピエモ過ぎ! マジ超好き! 皆ごめん今日配信終わる。今から電話してくる!』


 大興奮のまま配信の終了作業に移る亜久里。『え、もう?』『早すぎだろ』『おつあぐー』『ただの惚気配信で草』などリスナーから困惑のコメントが続く。

 そんなことも意に介さず大はしゃぎでスマホを操作する亜久里。そんな彼女に、配信最後のコメントが投げられた。


『末永く爆発しろ。このバカップル』


 結局その日は二人で、朝までイチャイチャと長話を続けたのだった。



第1章 好きなのに論破したい 完

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